訪問
彗星城への移動の当日。
早朝にドレーノ国首都ロニーコにある元総督府のバルコニー部に集結した面々。
実際に彗星城への移動を試みるのは、元魔王・精悍な女神フィアマーグ。古代帝国の技術の粋を集めたサイボーグ・皇帝兵器イン=ギュアバ。そして、今は只の人になってしまった好奇心旺盛な中年レベセス=アーグ。
一人だけ格落ち感が否めないな、と笑うレベセスに、三巨頭の一人カンジュイームは、心配そうな視線を投げ掛ける。
「神々はどうだか知りませんが、我々人間はまだあなたの力を必要としている。決して無理をなさいますな」
笑っていたレベセスは、彼の言葉を聞き、冷静に意味を考えるとあまり褒められていないかもしれない事に気づき、少しむっとしてはみる。
だが、もう神々の要望に応える戦士たちはいる。彼らの成長を目の当たりにできたのだから、これほど満足のいくこともあるまい。
「これから行かれる所は、人の立ち入った事のない所。常識が通用すると思いなさるな」
カンジュイームの丸眼鏡の奥の真摯な視線に気づいたレベセスは苦笑せざるを得なかった。
「問題ないのではないかな。レーテとファルガ君が先に行っているわけだし」
「彼らは、神の力を付与されていますから、もはや『天使』なのです。この星の様々な言い伝えに現れた者達とは大分見た目は違いますがね。
貴方は『我々にとって必要不可欠な』只の人間です。無理をなさいませぬよう」
「私も、死にに行くつもりはないさ。安心してくれ。無茶はしない」
カンジュイームはゆっくりと頭を下げた。三巨頭としてのカンジュイームではなく、カンジュイームという一個人のできる最大限の懇願だった。
他の三巨頭は勿論の事、国家連携の首脳部の面々も、不安そうにレベセスを見つめる。
もはやどう言葉をかけていいのかわからない。
だが、この星との余りの距離と巨大さ故、まるで幻影のように上空に鎮座する彗星城をどうにかしないと、人々の不安は拭えない。それは皆わかっていることだ。数本の大陸砲の斉射ですら、彗星城にはダメージが通らないのだ。いや、ダメージはあるのかもしれないが、彗星城の大きさに対して大陸砲の一撃があまりに小さすぎ、観測できないだけなのかもしれない。
魔神皇が存在せずとも、再びこの星に進攻する為の道具はそろっている筈なのだ。そして、魔神皇の席にまた誰かしらが座ろうものなら、またあの彗星城はこの上ない脅威となるだろう。もっとも、席が空いたとして、誰でも簡単につける席でもないのだが。
そして、その可能性があるのは、かつて魔王と言われた彼女。
彼女は魔族ガイガロス人と共に世界を席巻しようとした。今回の彗星城の調査も、元々はあの元魔王が言い出した事ではないのか。そして、『巨悪』グアリザムも、元は神。神が魔神皇になる条件はそろっているではないか。
そこまで考えたところで、残された人々は考えるのをやめた。ただ、彗星城が脅威でなくなっている事のみを望んだ。
ガイガロス人は魔族。そして、フィアマーグは神ザムマーグと戦った魔王。
それは根深く存在する伝承でありながら、現実とは異なっている筈なのだ。三百年間言われ続けた伝承は、レベセスたちによって覆された。
人々が三百年間信じ切っていたその言い伝えそのものも、巨悪によって刷り込まれたものだったのだ。先史の美しい姉妹が『神』と『魔王』であったという関係ですら。
信じられる前提はほぼ消滅した。先入観が、害悪でしかない状況。
ならば。
少なくとも、自分たちの信じるレベセスが、大丈夫だと言った。自分達には確認する方法がない。だから信じるしかない。
そして、かつて魔王と呼ばれた者が、女神として我らがレベセスと行動する。古代帝国の最強のサイボーグと共に。
考えてみれば、とんでもないパーティではないか。
彼らなら、何かやり遂げてくれるに違いない。
そのやり遂げるべきことが何なのか、それは誰にもわからない。
彗星城の破壊なのか、その機能の把握なのか、はたまた利用なのか。
可憐な女神ザムマーグの長い祈りにより、≪洞≫のゲートが完成する。
幾ら女神といえども、≪洞≫のゲートを長時間維持することはできない。ましてや、あれだけの距離を移動させるとなると、途轍もない労力になるだろう。
現時点で、人々の考え得る最強のパーティは、紫色の放電現象の起こる黒い闇の水晶に向かい、飛び込んでいった。
予想はしていた。
だが、予想以上だった。
ここは確かに彗星城の中のはず。
神賢者レーテから、超神剣の装備『暁の銀嶺』を通じて、可憐な女神ザムマーグは彗星城の中の様子を聞いていた。それをフィアマーグは共有することで、彗星城の中の様子を把握していた。
……つもりだった。
だが、目の当たりにした彗星城の中は、何もない灰色の平面だった。
地平線すら確認できる。そして、彼らの視線の先には銀色のピラミッドがあった。このピラミッドこそ、彗星城に現存する唯一の構造体だった。
他の建造物は、全てグアリザムが消し飛ばした。上空のドーム状の天井が消し飛ばなかったのが奇跡だ。もし、天井が消し飛んでいたとしたら、ここに生命体であるレベセスは存在できなかった筈だからだ。精悍な女神とサイボーグ皇帝ならば、或いは大丈夫だったかもしれないが。
古代帝国イン=ギュアバの遺跡の造りと全く同じであったはずの彗星城の中は、今ではピラミッドしかない空間と化していた。
誰が口にするでもなく、三人は銀色のピラミッドに向けて歩き出した。
古代帝国の遺跡にも、巨大なピラミッドは存在した。そして、その中で皇帝兵器イン=ギュアバは目覚める時を待っていた。
レーテの報告では、巨悪はピラミッドの斜面に沿ってゆっくり降りてきたという。ということは、巨悪もピラミッドの中にいたのではないか。そして、そこで魔神皇になる為の何らかの改造を自身に施していたのではないか。
であれば、このピラミッドこそが巨悪の元凶。そして、神勇者や神賢者が太刀打ちできなかった場合でも、そのピラミッドの成り立ちを調べれば、対抗手段が見つかるかもしれない。
どれほどファルガとレーテが力をつけても、それはあくまで真の魔神皇に対抗する為の力。偽りの魔神皇・巨悪グアリザムに対抗できるかどうかは未知数なのだ。それでも、神皇ゾウガは己の準備できる最大戦力という事で、彼らを巨悪にぶつけている。
娘と親友の息子を死地に送り出してしまった事を気に病んでいたレベセス。
それは仕方のない事。
誰しもがそういうだろう。
それでも、できれば彼らには、人としての幸せを謳歌してほしかった。
それを今からでもできる様にする為に、レベセスは女神と皇帝兵器を連れて、彗星城へと赴いた。
聖勇者から神勇者、神賢者となった親友の息子と愛娘。
子が自分を超えていく事は嬉しい反面、物悲しくもある。ましてや、子供たちが自分の手の届かない敵と戦い、事態と向き合っている時に、自分が全く役に立たないことを再認識させられてしまうと、それは大きな無力感となった。
それでも、レベセスはそれを顔色一つ変えずに受け止め、自身の中で昇華していた。
……筈だった。
だが、自身の行動で立派になった子供たちを、再度導く事が出来る可能性が出てきたとするなら。
まだ自分にも親として彼らに対し、できる事があるのかもしれない。
神賢者の父はそう思った。
ピラミッドの麓に到達した三人は、入り口を探す。
だが、人の手が入っているような痕跡はない。完全に一つの構造体だった。
この巨大な四角錘は、この大きさを以て一つの物体だ。何かの部品を組み合わせて創ったり、切り出したりした痕跡も皆無だ。ずっと目にしていると、その輝きの効果もあり、この巨大な物体そのものが、何か別の物質の結晶なのではないかという気さえしてくる。
そして、この形状がこの物質にとって、一番安定した形であるという事。
神たちは行動に詰まった。
入り口もなければ、入り口を開けるようなスイッチもないのだ。
近づいてみて初めて分かったが、このピラミッドは、一面一面がまるで鏡面のように周囲の様子を反射していた。角度によっては、風景に埋没しそうなものだが、それをさせなかったのが、遠巻きに見てもピラミッドの縁の部分が光の反射を変えており、それが立体を認識させるのに一役買っていたからだった。もし仮に、光の反射率が百パーセントに限りなく近い鏡面であれば、周囲の灰色の世界を映すので、そこに光の反射も加わり、ピラミッドが銀色に見えた、という事なのだろう。
いくら探しても入り口が見当たらないため、レベセスは持ち歩いていた短剣をピラミッドの面に押し当て、少し力を加えてみた。だが、レベセスの筋力では、鏡面状のピラミッドの面の一部に傷をつける事すらできなかった。
無論、彼もそんな行為で解決策が見えるとは思っていない。それでも、もはや最高次の魔神皇の居城に対するアクションが、自身を含めた現次の存在の想像できる範囲で正解が導き出せるとは思えない以上、色々試してみるしかないのだ。
『氣』のコントロールの第三段階、所謂聖剣の発動の第三段階と呼ばれる状態に到達しているレベセスでも、高次の存在、別次の存在は認識できても、干渉できるとは限らないという事なのだろう。それは、神であろうと、人造の『神に近い存在』であろうと、同じことだ。
「もし、帝国のピラミッドと同じ造りならば、入り口は頂点にあります。ただ、四角錘の頂点部に転送装置があるだけであり、中でコントロールする人間がいなければなりません。
帝国領では、私がその役割を担っていましたが、果たして彗星城のピラミッドでは誰がその役目を果たしているのか……」
「行ってみるしかないでしょうね。
それで入れなければ、フィアマーグ様が使える移動術で中に入るしかない」
レベセスの提案に対して、精悍な女神は答える。
「私が使っているのは、超高速の移動術に過ぎず、空間を飛び越えているわけではない。従って、密閉空間に入る為の空間をつなげる術は≪洞≫しかない。呼称がないため、便宜上『真』を用いた黒水晶の術を≪洞≫の術と呼んでこそいるのだが。
それは皇帝の術も同じ。
神皇様がお使いになるのが真の≪洞≫の術だとしたら、我々の使う術は近い特性は持っているのかもしれないが、そのものではない」
一瞬の間の後、フィアマーグは少し不快感を露にしながら言葉を紡いだ。
「レベセスよ。
そなたは勘違いをしているが、神とて万能ではない。
そして、本来神との邂逅は容易ではない。そもそも神を認識できるという事が異常な状態なのだ。そして、認識できるという事はある意味不幸だとも言える。元はイン=ギュアバの民であった私だからこそ言えることだが。
確かに、そなたが私とザムマーグの封印を解くことに多大な功績を残しているのは事実だ。私とてそなたに感謝をしていないわけではない。
だが、本来人間は、仮に何度輪廻したとしても、神と交流を持つべきではないのだ。何故なら、神は人間に対してプラスの作用のある行為ばかりをするわけではないからだ。その神に頼るというのは、やはり良い事ではない。
そして。
我々神ですら、神皇様との邂逅は容易ではないのだ。この私とて、実際にお目にかかっているのは、神勇者時代一度きりだ。後は漠然と伝わってくる大いなる意識を感じ、行動しているに過ぎない。
≪洞≫の術についても、実際には我々神同士ですら、認識は違うのだ。
我々高次の神ですら、現次とエネルギー的なねじれの関係にある他次を同時に把握し、影響を与えられるだけであり、実際の神皇様と魔神皇の関係については、関与することはできない。
我々も、『巨悪』と化した神グアリザムが席を空けた為、やむを得ずこの星の神として星に関与しているにすぎず、先代の神グアリザムが『妖魔反転』をしなければ、神はあの方のままだった。そして、我々は『精霊神大戦争』後も、引き続き人間の姉妹を続けていただろう。先の『精霊神大戦争』にて、魔神皇ゼガと戦い続け、その戦闘が終われば、我々は普通の人間の女性として、およそ三百年前に生涯を閉じていた筈なのだ。
二卵性単生児という、医学的にほぼあり得ない生い立ちを負っている以外は、只の人間だった筈なのだからな」
女神は己を畏怖せよという。
だがそれは、神を崇めろという事ではなく、神との認識できる接点がある事を異常であると理解し、できれば交流を絶て。
彼女はそういうのだ。
だが、それは難しい話だ。神を畏怖するのには、余りに近くに寄り添いすぎた。
フィアマーグの表情は仮面に隠れてわからない。だが、少なくとも嬉々とした表情は浮かべているわけではなさそうだ。
どちらかというと、人間でありながら高次である神に近づき、且つ馴染んでいるレベセスの存在に戸惑いつつも、かつて人であった自分と照らし合わせ、神になる、あるいは神に近づく不幸を背負わせたくない。
そう思っているようだった。
そして、神の中でも≪洞≫の術の定義はあいまいだった。
≪洞≫の術と呼ばれる代物は、今のところ大別すると二種類ある様だ。
一つ目は、完全に物理距離等を無視した、神皇が使う移動術。
恐らく、現『精霊神大戦争』時に、神勇者ファルガと神賢者レーテ、そして『巨悪』グアリザムを閉鎖空間に閉じ込めたという術。
元々、最高次と現在言われている神皇は、座標に確率で存在すると表現され、同時に何カ所、何十カ所に存在することが可能な存在。つまり、界元全体に常時同確率で存在し、界元全体の状況を把握しながら、必要に応じてそこに現れる事が可能なのだという事だ。その最高次の存在が、より低次の存在を物理移動時間など掛けずに移動させることなど造作もないという事か。
二つ目は、女神たちが用いる移動術。
精悍な女神フィアマーグをして、超高速の移動術であり、空間を繋いでいるものではないという。物質や生命体を『真』、『氣』レベルまで細かくし、それを移動させている時点で限りなく光速には近いが、空間を繋いで物理移動時間をゼロにしているわけではないので、やはり神皇の使う≪洞≫の術とは異なるようだ。
発現状況も似ているが、神皇の≪洞≫は厚さのない黒い円に、縁取る様に紫の放電現象が起こっているのに対し、女神たちの用いる≪洞≫は、立体の黒い水晶状のゲートが紫色のスパークを纏っている状態であり、転送が完了したらその黒水晶はひびが入り、割れてしまうという現象も発生するので、別のものであると考えていい。
ザムマーグが三人の冒険者を彗星城に送り込んだのも、女神たちの≪洞≫のようだ。
レベセスの立ち会った皇帝兵器の≪洞≫の術は、どちらかというと神皇の使う≪洞≫に近いが、移動距離やゲートの成立時間などを考慮した場合、実戦として使うには余りに物足りない。そして、『氣』や『真』は、波動速度が光速を遥かに超える為、実質同じ惑星上で行うならば、神皇の≪洞≫と見分けはほぼつかないだろう。所謂虫の知らせなども、『氣』や『真』の波動の伝播であるという説明も、女神たちは後日行なっている。目だけで捉える情報の伝達としての光より速い存在は、幾らでもあるという事なのだろうか。
人間は、眼で見た観測結果のみをデータとして使い、説明しようとしている間は、高次には辿り着かない。光より速い波動は幾らでもある。ただ、それを認知するのが人間の場合、眼という光を受信する器官なので、光速が最大速度という理解になっているという事らしい。
三年前に≪洞≫の術の実験を行った時に、皇帝兵器イン=ギュアバは≪洞≫のゲートを発生させることはできた。
だが、その発生は非常に不安定であり、かつ維持にも時間制限があるようだ。更に大きさも小さく、人が通り抜けるサイズを作るには時間が掛かる。
この術を戦術に組み込み運用するには、余りにリスクが高すぎるという判断をせざるを得なかった。≪洞≫のゲートの生成が失敗の可能性が高い上、仮にゲートが生成できたとしても突然崩壊する恐れがある。ましてや、≪洞≫のゲート通過中に崩壊が起きたなら、空間の接続はキャンセルされ、文字通り物質は分断される。
三年前の戦闘で、何故か神闘者が≪洞≫の術を使い、戦闘を行なえたのかは未だ謎だが、神闘者の用いた超神剣『氷雨』は、神闘者ハンゾの≪洞≫の術で分断された。
≪洞≫の術の事故としては、その事象がゲート通過時の人体で起きうるという事なのだ。
≪洞≫の術を計画に組み入れるのは余りに危険すぎる。
精悍な女神フィアマーグは心を平常に戻し、レベセスに語り掛けた。
「今は、あのピラミッド内部を把握することに集中すべきだな。その手法を考えよう」
ただ、悩んでいても仕方ないと考えた三人は、ピラミッドの頂点に移動することにした。
兎に角、今は彗星城の全貌を掴むこと。それこそが最優先なのだ。最悪、中に入れずとも外から中の状況が認識できさえすればいいのだ。
そして、望むべくは、中の機能を制御し、自身の星から見えぬようにすること。
グアリザム亡き後、別の魔神皇が再度侵攻をしないようにすること。
星の中で人々が争い、滅ぶのはある意味歴史として仕方のない部分がある。だが、それが全く人間たちの太刀打ちできない状況で、高次、或いは最高次の存在による干渉を受けるのは、少なくとも健全な歴史ではない。
人、神、機械という目的を同じくする三種類の意志は、ゆっくりとピラミッドの麓から上昇を開始した。




