全てを想定せし者の想定せぬ力
絶体絶命。
少女は全てを諦めた。
だが、次に来ると予期していた何らかの衝撃は、閉じられた瞼の向こう側で鳴り響いた音の後に、続くことはなかった。まるで金属の打楽器を打ち鳴らしたような、澄んだ音色の後には……。
特に痛みも苦しみもなく、自分は命を奪われたのか。
そうは思ったものの、その割には何かが変わった感覚もない。不思議に思った少女は、ゆっくりとその双眸を開いて、周囲の様子を見てみようと思った。
眼前に広がるのは死後の世界の筈。もしかしたら、少女を置いて先に旅立った母親と会えるかもしれない。
そんなことを思った時、今まで考えるのを避けていた想いが頭を擡げる。
レーテを産んだ後、体調が急変して命を落としたという母親。肖像画でしか顔を知らぬ母親が、彼女に対してどういう想いを抱いているかは、全く想像できなかった。
だが、現在でも没交渉の姉カナールは、レーテに対して怨念にも近い感情を持っていたに違いない。思い返してみれば、幼き日のレーテに対して、カナールの当たりが異常なほどにきつかったのも頷ける。
胎児であった自分が犠牲になれば、母親は助かったかもしれない。
誰からも言われたことはないが、少女の中のどこかにその疑念は存在していた。そして、そう思っている人間もいるだろうという事も、姉から言外に学んだ。
母は、自分の命と引き換えに少女を産み落とした。
母子共に無事、というわけにはいかなかったのは不運ではあったが、片方の命だけでも助かったのは不幸中の幸いだった。だが、立場によっては、どちらかを選べと言われると、母を選びたかった人間もいた筈だ。
長女カナールはまさにそうだったに違いない。
それをレベセス他、何人かの大人に諭されたが、まだ幼いカナールには受け入れられなかったのだ。
レーテは直接それを見知っているわけではない。だが、レーテの事をまるでそこにいないかのように振舞うカナールの態度と、それを異常なまでに叱る父レベセス、そしてツテーダ夫妻。そこから人間模様を推すことは容易だった。逆に、接点のほぼ皆無であるカナールに恨まれるとすれば、それくらいしか心当たりがなかった。
しかし。
母はどうだったのか。それは誰にも知ることはできない。例え、どのように好意的に解釈したとしても、何らかの心残りはあったはずだ。
そして、もし今ここが死後の世界であるのなら、誰も知る事の出来なかった母の本音を聞く事が出来るかもしれない。
それは知っておきたいことであり、同時に聞きたくはない事でもあった。
レーテはゆっくりと目を開けた。
眼前には、青い壁が聳えていた。
自身が予測したどの状況とも異なる景色に慌て、レーテは思わず周囲を見回す。
少女の眼前に鎮座するのは、蒼き鎧。それは、神勇者ファルガが身に着けていた超神剣の装備。竜王剣、蒼龍鎧、光龍兜が組まれてレーテの前に立ち塞がっていた。
そして、鎧越しに見えたのは、顔面半分を失ったグアリザム。残った方の左目は見開かれ、驚愕と怒りとの眼差しを鎧に叩きつけていた。
思わず立ち上がったレーテ。驚愕のあまり後ずさる。
負傷しているのは顔だけではない。右腕も辛うじてぶら下がっているが、その状態はおよそ腕として機能しそうにはなかった。右足は辛うじて歩行は可能なようだが、申し訳程度だ。そして、彼の身に着けている肩当ては右のみ吹き飛び、ローブも脇腹あたりを抉られ、血液ともわからぬ黒いシミを残していた。
蒼龍鎧が、その体に光を保ち、グアリザムを巻き込むほどの爆発を起こす。
だが、それは攻撃の為のものではなかった。
その光が消失した時、超神剣の装備はレーテの身体を包み込んでいた。
蒼龍鎧、光龍兜がファルガ以外の者の身体に纏われる事は、半焼のグアリザムからしても神賢者レーテからしても、全く想定をしていない状況だった。
神が、人を神と戦わせるために作った鎧。その鎧は、魔の神と戦うための戦士を少女に決めた。蒼龍鎧と光龍兜はレーテの身体を包み、竜王剣は少女の右手に収まった。
神勇者レーテ=アーグの誕生だった。
蒼き鎧に身を包んだ少女レーテを目の当たりにして、一瞬竦むグアリザム。
しかし、氣のコントロールにしても、強さにしても、少年神勇者ファルガ=ノンと比較しても雲泥の差がある。とてもではないが、少女に少年と同等の戦闘が出来るとは思えなかった。
それでも。
今のグアリザムは半死半生。
魔神皇とはいえその状態のグアリザムが、比較的万全に近い戦士を目の当たりにして、優位に戦闘が進められるとは思えなかった。
「おのれゾウガめ。この状況を作り出すために、神賢者も閉鎖疑似空間に閉じ込めたのか……!」
ゾウガの目的を理解したグアリザムは、悔しそうに唇を噛んだ。
「今の状態が、ゾウガ様の作戦?」
レーテは訝し気な表情で、自分のものではない自分と同じ顔を見つめた。
敢えて顔をレーテに似せていたグアリザム。
この状況はホラーでしかない。鏡を覗き込んだ瞬間、そこに映った鏡像が、血だらけで壊れかけた顔の自分であったというのだから。
だが、少女は巨悪が自分の顔を持っている事に、幸か不幸か気づいていなかった。
この時代には、鏡というものが殆どの家庭にないのだ。従って、自身の顔をそこまではっきりと知る者はなかなかいない。
化粧台を持つのは、一部の王族と貴族くらいのものだろう。そして化粧台といっても、顔を映す部分にはよく磨き込まれた金属板が使われており、所謂ガラスを使った鏡ではなかった。ましてや、レーテは父子家庭。ツテーダ夫妻もそこまでレーテに女の子然としたものを求めていなかったことを考えると、少年に近い生活をしていたレーテが、自身の顔の造作に無頓着であっても何ら不思議ではない。
敵の抉れた顔の苦悶の表情を見て、痛そうだと顔をしかめるレーテ。だが、その反応は動揺とは程遠い。『巨悪』グアリザムの得意な戦術である、精神的に追い込んで容易に勝つという手法は、新しい神勇者には通用しそうになかった。
グアリザムは、急遽自身の身体に回復措置を講じた。
それは、回復の術とも、新陳代謝促進の術ともつかない。
ただ、徐々に顔の抉れはなくなり、胸から腹にかけての食い破られたような体の欠損、そして手足の爛れた火傷もみるみる修復していった。破損状態なのは、巨悪の纏うローブだけだった。
「……体力が完全に回復した……!」
眼前の強大な敵が、力を取り戻す。それはレーテにすれば非常に恐ろしい事だった。
まだ動き出す前に、斬撃を打ち込もうとしたレーテ。だが、そんな彼女の攻撃を竜王剣は是としなかったようだ。
縁だけの竜王剣の一撃は、簡単にグアリザムにより弾かれた。
「そうか、小娘! 貴様は神賢者ではあるが、神勇者としての鍛錬は積んでいないという事か。つまり、貴様にその剣を使いこなすことはできない!」
そう嘲ると、巨悪はローブの下から一本の剣を抜き放った。
レーテは今までの生活の中で、ラン=サイディール国兵部省長官の娘、という生まれのせいか、様々な武器を目にすることは多かった。
伝説と言われた剣や防具。呪いをかけられたと言われる帽子や衣服。聖なる杖や神の扇。そして、今は神皇が作ったと言われる超神剣の装備……竜王剣、蒼龍鎧、光龍兜、黄道の軌跡と暁の銀嶺……。
今、レーテが目の当たりにしている、歪曲した紫色の刀身を持つ剣。
高い攻撃力があるようには見えないが、不思議な雰囲気を醸し出している。一見すると、これは武器ではないのではないか、という錯覚。
だが。
『巨悪』グアリザムが、刃の届かない距離である筈のレーテに向けて剣を振った次の瞬間、レーテは、糸の切れた傀儡のように、ばったりとその場に倒れ込んだ。
蒼き鎧を身に纏った神勇者レーテが巨悪の剣の斬撃に倒れる所を、ファルガは遠いところで目撃した。
いや、実際に目で見たのかは定かではない。
朦朧とした意識の中、自分を護る為に戦おうとしたレーテ。神賢者の少女が、神勇者の超神剣の装備を纏い、巨悪へと攻撃を仕掛ける。
少女の剣技は粗削りとはいえ、才覚がないわけではない。
同じ条件で鍛錬を積んだなら、およそファルガよりも早く、しなやかな斬撃を放つ事が出来ただろう。流石に、斬撃の破壊力においてファルガを上回ることは難しいかもしれないが。
だが、神勇者としての鍛錬は、神皇の造ったと言われる超神剣の装備を使いこなすためのもの。その鍛錬を受けていないレーテが、ファルガと同等の戦果が出せるはずもなかった。
突然、≪恒星創造≫の術で消し飛んだ筈の巨悪の半身が元に戻った。
巨悪の作戦変更だった。
巨悪は、美しい少女レーテの顔を自身に写し、少年神勇者の前でそれを砕いた。それは、ファルガの動揺を誘う為だった。
三年という月日を共に行動した少女。
その少女を護るため……かつて護ろうとし、護り切れなかった者たちへの懺悔の念を込め、ファルガは強くなった。
その少女の面持ちを壊し、少年の前に立ちはだかれば、それは巨大な動揺を誘う事が出来ただろう。
ただ今回は、たまたま巨悪と相対したのが張本人のレーテだった。その為、その作戦は見事に失敗だったといえる。
神勇者の装備を、魔神皇との戦闘『精霊神大戦争』にて神賢者が身に着けた事は、かつて一度もなかった筈だ。そもそも、魔神皇との戦闘の場に神賢者がいるという事自体が、古今例がない。
それは、『妖』側にしても『魔』側にしても、同じことだ。魔神皇が神賢者と対峙することそのものがなかったのだ。
だが。
ついに戦闘が始まってしまった。
魔神皇……『巨悪』グアリザムが、ローブから取り出した一振りの剣を振るい始めると、竜王剣を使いこなせないレーテは文字通り防戦一方となる。
右袈裟斬りと左袈裟斬りを繰り返し乱打した、グアリザムの手にあるのは、刀身が紫色の不思議な剣だった。
『マインド=サクション』。
後の会話の流れで、巨悪グアリザムが答えた、魔神皇の用いた剣の名だった。
ひとしきりの乱撃の後、レーテは竜王剣を取り落とした。
幾度となく繰り返されたグアリザムの攻撃に、レーテの腕が耐えられなくなったのだ。
そして、防御の術がなくなった瞬間、巨悪の振りかぶった紫の剣の一撃に、少女は膝から崩れ落ちた。
そう感じた。
「レ……レーテっ!」
自分が戦えない状態で、自分が護るべき存在が倒れていくその瞬間を感じ取ったファルガ。それは、かつてラマ村にてジョーのレナに対する暴挙を止められなかった時の記憶を、彼の脳裏に完全に蘇らせた。
ドクン!
ファルガの胸の中で、何かが大きく波打った。
脳の中を爆音が走り、その直後全身の骨が痛む。
これほどの痛みは初めてだ。
全身をアイスピックで深々と刺し貫き、抉るかのような激しい痛みがファルガを襲った。
ゴキッ! ゴキゴキッ!
全身の骨を貫くような音が少年の背後から聞こえる。音としてではなく、骨の伝導として聴覚に干渉しているようだ。
その骨が砕ける音がする度に、体に激痛が走るファルガ。
思わず顔をしかめ、歯を食いしばる。だが、しかめた顔が、更に背筋を凍らせるような音を全身に伝えるとは思いもしなかっただろう。
背からは何かが突き抜けていくような衝撃と音と激痛。
首は縦に、無理矢理引き延ばされる感覚だ。併せて、胴体と首が離れていくような不思議な感覚。
後頭部に鈍い衝撃と激痛が走る。顔が前に引っ張られ、後頭部も背後に引っ張られるような感覚の後、体全体が膨張する。
骨が砕ける内部的な激痛。そして、急激な環境と容姿の変化により、体の神経が研ぎ澄まされていく。
全身を引き裂かれるような激痛はまだまだ続く。
『黒い稲妻』。
巨悪が遠隔地より放ったこの技術で、何人もの人間が苦しみ、魔獣化した。その時には、この『黒い稲妻』……別名『誘魔弾』を受けた事により、心の『魔』の部分が増大し、結果その人間の持つ『魔』の部分が体に影響を及ぼし、変身したとされる。
かつては、少年ファルガも幾度となくこの攻撃を受けた。その時は氣の鎧『オーラ=メイル』で影響を受けなかったように見えた。だが、体に全く影響がなかったのかといえばそれは未知数だ。ただ、激痛の中でファルガの脳裏には、神闘者達の強制的な変身の様が過ったのは事実だ。
痛みのあまり絶叫しようとするファルガ。
だが、その叫び声は、完全に獣の咆哮になっていた。
激痛は増していく。だが、それと同時に、体に今まで感じた事のないような圧倒的な力が体に宿り始めているのがわかった。
聖剣の勇者が第一形態に変化した時よりも。
神の勇者が超神剣の装備を身に纏い、その力を全開にして戦う時よりも。
金色の輝きを放つ今のファルガの方が、全ての面において遥かに上だった。
そして。
その容姿は既に、少年ファルガの……いや、一人の人間の者とはかけ離れていた。
「な……、何!!」
強い輝きが眼前で弾けた瞬間、巨悪グアリザムは今までにない程の驚愕の様を見せた。
人が何世代も変わるような、悠久の時を経た長期計画の元、行動をしていたグアリザム。
その計画は綿密に立てられ、実行に移されていた。
巨悪と呼ばれる存在が、神になる前の生命体であった頃からの計画。ひょっとすると、人が人になる前の時代からの計画なのかもしれない。……人の前に人がいたのか、はたまた外の星から人としてきたのか、それは恐らく彼自身も知る由もないだろう。
一体何が彼をそこまで突き動かしたのか。
余りに永き時を経過ぎたため、もはや目的と手段が入れ替わっている可能性もある。いや、目的など当に失われ、ゴールだけが朽ちずにそのままその姿を残しているだけに過ぎないのか。
だが、方法と目的は兎も角として、全て彼の計画通り、計算通りに進んでいる筈だった。
かつて……。
真の神という存在を知った彼は、神になるべく、高次の存在になる為の努力を行なった。
現次の世界で息づく者達の、所謂『努力・鍛錬・修行』という表現される様々な業を達成することで、高次に到達する事ができるものなのかは定かではない。
しかし、太古の昔にこの星に居た(来た?)一つの生命体は、自分の所属するそのカテゴリ枠から逸脱する為の何かを行い、高次の存在となった。
高次の存在となった彼にとって、現次でのかつての様々な限界は、限界足りえなくなった。
生死の超越、物理法則の凌駕、創造と破壊。およそ生命体では実現不可能な人知を超えた様々な現象。
それが意のままに操れるようになった。
だが、そこには義務が伴った。
その義務こそが、『世界維持』だ。
義務というより、本能と表現した方がよいかもしれない。高次の存在となった時に見えてきた物は、世界のバランスだった。神の領域、高次の世界に入ったグアリザムは、その圧倒的な状況に、狂おしい程の義務感を覚えずにはいられなかった。
神の本能ともいうべき衝動とは。
それは、『氣』で構成される物質の保護。『真』で構成される物質の管理。
同一物質、同一元素でありながら、生命体として存在しうる『氣』で構成されるそれを、減退させない事。それにより、生命体の多様化が生まれる。星におけるその世界の維持こそが、神の本能というものらしかった。そして、その行動こそが、神にとっての存在活動、生命活動といってもいいのかもしれない。
人間やその他生命体の意図する様々な活動。『氣』で構成されるあらゆる物質の活動。
そして、所謂『非生命体』である『真』で構成されるあらゆる物質の、様々な活動。それは火山活動や潮流活動、大気の流れ、マントルの動き等の自然現象と呼ばれる物まで含まれる。
その活動に可否をつけ、否定されたものに尽力しようとする者の活動を阻止する。それは現次の存在には『罰』と呼称された神の行為の一部だ。
そして、肯定される活動に対しては、それを推進する為に尽力する。その形が主体なのか補助なのかは内容によって異なるが、宗教などを超えたものとして、世界維持のために貢献する者達が積む実績を『徳』と称し、現次の存在がその『徳』を積むにあたっての、神の助力……補助活動……を、現次の存在達は『加護』と称した。
ただ、通常概念と異なるのは、星を……世界を維持する為に求められる、様々な生命体の様々な活動の可否基準が、人間が持つところの善と悪の概念とは完全一致しないところだ。
例え現次では『善行』と呼ばれる類のものであっても、世界を維持する為の行いとしては否定されるべきものであれば、当然神となった高次の存在は阻止する為に活動することになる。
星の維持・世界の維持が目的なので、『星』が維持できなくなるならば、その危機を招かんとする種の絶滅も厭わない。
それこそが、高次の存在となった神と現次の存在が考える神との活動指針の絶対的差異だった。
神は、現次の存在をうまく使いながら、世界の維持を行い、世界を現存させていかなければならない。そして、現次もエネルギーのねじれの存在があるため、現次同士では認識できない現象や存在もある。その現次のエネルギーのねじれの存在が、更に神の活動指針の法則を難解にしていた。
もし、神が世界……星の維持に失敗すれば、星は死に絶え、『氣』の存在しない星となり、所謂死に星となる。
この星の神となったグアリザムは、神としての世界維持の所業に尽力しながら、更に上位である神皇の存在を知る。実際には、神となった彼にもその存在の認知は難しかった。
考えてみれば、現次が高次の神を知るのもかなりの困難だった。だが、今度は神の神、だ。
恐らくこのとてつもなく広い宇宙……神皇は界元と称したが……には、大勢の神がいるのだろう。そして、それらを見守る存在として、神皇がいる。
そう結論付けて、神としての活動に勤しんでいた。実際に、『精霊神大戦争』がなければ、神が神皇を知る機会は皆無と言っていい。神になる為の神勇者、神賢者がいない時も当然あるからだ。
グアリザムは、よい高次の存在であり続けようと努力した。そして、実際の所もよい高次の存在として認識されている筈だった。
神の活動の一つに、『反心魂』の排除というものがある。
『妖』の神であったグアリザムから見た時に、例えどれほどに善行を繰り返し『徳』を積む存在であっても、その者の心魂が『魔』ならば、排除しなければならなかった。そうしなければ、その『魔』が『妖』を傷つける世界になってしまうからだ。
『魔』を衰弱させる時に、エネルギーが生まれる。
『妖』と『魔』が接点を持った時に生まれるエネルギーこそが、星を……世界を形作るものなのだという。『氣』とも『真』とも違う。世界を創り続け、維持する為のエネルギーなのだ、とは、高次になった時に納得していたグアリザム。例え神の感覚でそのエネルギーに触れる事が出来ずとも。
『妖』の神であるグアリザムは、当然『妖』であるはずだった。
しかし、とある出来事で、己の中にある『魔』の側面に気づいてしまった。
それは、『妖』の神として君臨するが故の圧倒的な『妖』に対して、ほんの僅かの『魔』だった。
……その感覚は、誰しも感じた事がある筈だ。心理学では様々な名称を与えられている心の動き。
充実した生活で、幸せの絶頂にありながら、この幸せを壊したら一体どうなってしまうのか。恋人との甘い時間。しかし、その相手を突然殴りつけ、殺害したらどう感じるのか。可愛らしいペット。愛してやまないそのペットを突然燃え盛る炎にくべて食したら、一体どのような罪悪感に苛まれるのか。同心魂である筈の『妖』を滅ぼしたらどうなるのか。
通常であれば、選択肢にすら登らないような外道の所業。
だが、それを冷静に想定できてしまう自分に驚いた。
高次の存在、所謂神になってすら、そのような想いがあった。
神とは、完全無欠の存在ではなかったのか。
そう思った時、グアリザムの中で何かが弾けた。
もう一段階、高次に上らなければならない。自分の疑問を解消するためには。
その高次は、この界元『ドイム』では『妖』が圧倒的に強い。その界元において、『妖』の神皇、妖神皇になる事は難しい。
だが。
自分の中に微かにある『魔』。
世界維持のために、『妖』の神勇者と神賢者は魔神皇と戦わねばならない。そして、彼らの倫理観とはかけ離れた、魔神皇を殺さない程度に嬲ることで生まれるエネルギーを、世界を創るエネルギーに変換する行為を行わなければならない。
それはある意味チャンスだった。
瀕死の魔神皇を、逃がすことなくその場で消滅させれば、魔神皇の地位が空く。
ドイム界元の魔神皇になることが、彼の目指した最高次に上り詰める為の実現方法になるのではないか。
そう思い至った彼は、それから再度の『精霊神大戦争』を待った。
『妖』と『魔』の限界までの戦い、『精霊神大戦争』。
そこで、神勇者と神賢者が魔神皇を追いつめ、瀕死の重傷を負わせたところで、神であるグアリザムが止めを刺し、魔神皇を消滅させる。そして、その地位に座る。
その時の戦いこそが、現神勇者ファルガ=ノンや現神賢者レーテ=アーグ、そしてその他の者たちの知る、古代帝国イン=ギュアバを滅ぼし、浮遊大陸を墜落させ、当時の人口のほぼすべてが失われてしまった、伝説上の『精霊神大戦争』だった。
『妖』と『魔』が混在する珍しい界元ドイム。現在は『妖』がかなり優勢な界元ではあるが、何世代も神勇者に半殺しの憂き目にあうのは御免だ。ならば、『魔』が優勢になればいい。ドイムを『魔』が優勢な界元にすればいい。
模範神であったグアリザムは、この瞬間に『巨悪』となった。己の欲望の為に、今までは同心魂であったドイム界元の全ての『妖』を衰退させ、今まで迫害してきた反心魂『魔』を優遇するという行為。
全ては計画通り。
全てはグアリザムの想定通り。
その筈だった。
そして、その想定の中には、『妖』を裏切り、『魔』からは拒絶されるという状態もあった。所謂独りぼっちの状態。
それでも。
グアリザムはそれを望み、目指した。そうすることで、彼は己の欲するすべての物を手に入れる計画だった。
そんな彼が、聖剣を駆る一人の少年がいる事は、当然知っていた。
その少年は、先代聖勇者の娘と共に、この星を旅していた。
恐ろしい程の速さで力をつけていく少年。
やがて、聖剣を持つ聖勇者が、超神剣を扱う神勇者になった。
強くなるという尺度だけで見るなら、少女の方が上だ。そして、術をコントロールするその圧倒的な力は、高次と比肩しても何ら見劣りはしない。
だが少年は、グアリザムが全く想定していなかった力を持っていた。
今までの高速の成長は、それが原因なのだと言われても、容易に納得できる力。
「まさか、この時代このタイミングで『ゴールデン=ゴールド』が出現することになるとは。……どこまでも敵ばかりかよ」
巨悪グアリザムは、気後れを隠さずに呻いた。
頭部に一対の角を持ち、背に巨大な皮膜の翼を広げ、ガイガロス人特有の緋の目を持つ眼前のドラゴンは、咆哮を上げながら尾を激しく大地に打ち付けた。
ドラゴンの只の威嚇のはずだったが、そのエネルギーは激震となり、周囲に広がっていく。
全身が黄金の炎に包まれたドラゴン。『ゴールデン=ゴールド』は、噴き出すオーラ=メイルさえ黄金の輝きを持つというのか。
その炎の中にあって尚、頭部から尾まで連なる背鰭が、尾の先から順番に輝き出すのが見えた。更に強い黄金の光。その輝きが尾から背を通り、頭部へ。
ドラゴンが大きく口腔を開いた瞬間、その中には眩い黄金の光球が発生する。
かつて、ガイガロス人のドラゴン化にて、ガガロが同じような光の玉を口腔内に作り出した。それは凄まじい威力ではあった。
だが、その光球など、大木の前の小枝。高山の前の砂粒程度のものでしかない。
魔神皇となったグアリザムをしてそういわしめるほどのエネルギーが珠となり、かつてはファルガという少年であったドラゴンの口腔内で輝く。
グアリザムは、背を向けて逃げ出していた。
幾ら魔神皇とはいえ、これほどの怪物と対峙するのは不可能だ。
そう判断したに違いなかった。
だが。
ここは神皇ゾウガの作り出した、疑似閉鎖空間。
巨悪グアリザムに逃げる場所などなかった。
咆哮と共に打ち出された光の帯。それは眩く空間を斬り裂き、周囲を破壊の衝撃波で包み込んだ。
元々岩場しかない仮想疑似空間。
だが、その疑似空間にあって尚、凄まじい爆風は周囲の岩場を舐めるように消し飛ばしていた。
「……凄まじい威力だ。現次と高次の次元差を完全に無視した破壊エネルギー。そんなものが存在したとは」
逃亡を諦めたグアリザムは、紫の刀身の剣をゆっくりと構えた。
「だが、どんなに凄まじい力を持とうと、所詮は現次。最高次となったこの俺に対抗できるわけがない。いや、対抗できたとするなら、それは奴も最高次の存在の一つになったということか」
グアリザムの口から漏れ出す言葉は、内容に反してグアリザムの戦意が減退したことを明らかに物語っていた。
睨みつけるグアリザムの視線の先には、黄金のドラゴン。
ドラゴンと化したファルガは、大きく翼を広げ、同時に天に向かって咆哮した。
グアリザムの背に初めて冷たい汗が流れた。
概念的な話なので、分かりにくい部分があるかもしれません。
 




