戦のあと2
リオ大陸。
大陸の中心を赤道上に置き、南北に非常に細長く鎮座する大陸であり、赤道の北部には砂漠が広がる。同大陸内でも緯度により環境が著しく変化するため、多種多様な生物が生息・観測される。それ故、未確認生物の存在も伝説により多く示唆される。声だけしか聞こえず、姿は目撃されたことのない巨人が、大陸の奥地に住まうとさえ言われている。
その大陸に存在する国家ドレーノ。
その首都ロニーコの北に、『国家連携』軍が駐留している。
ドレーノ国自体は観光国家ではなく、また生活環境的にも厳しい立地の為、観光客の来訪は殆どない。その為、国土内は無論の事、首都ロニーコにすら宿泊施設が皆無だった。
異世界からの襲来者との激闘を終えた戦士たちは、そんな環境でしばしの休息をとる。
本当に戦いは終わったのか? 本当に戦いを終えていいのか? まだ、これから地獄が始まるのではないか?
誰もが答えられない疑念を抱えながら。
約三年という長い準備期間の後……場合によってはそれより遥かに長い期間を準備に当てていた者もいたかもしれない……『巨悪』グアリザムを迎え討った戦闘が、ほんの数時間前に終了した。戦士たちは、戦場特有の異常なほどのアドレナリン分泌が徐々に減少し、逆に上昇した疲労もピークを迎えて、それを痛感しているという状態。
殆どの兵士たちは勝利の宴の後、それぞれが宿営地内に設置された宿泊設備を使って、眠りについていた。
人間の戦士としては超一流の者たちが集まった『国家連携』軍。しかし、対する相手は『巨悪』の引き連れてくる軍勢。
相手は『魔』だという。定義はレベセスやテマから説明を受けたものの、やはり概念的には抽象的すぎた。
目の当たりにするまでは、敵がどのような存在なのか、皆目想像がつかなかった。
想像ができない敵には、過剰に恐怖が募る。その恐怖が、更に戦士たちの妄想を掻き立てた。
人間のような姿をしている敵に始まり、所謂魔物と称されるような化け物の類。帝国イン=ギュアバで使用されるような兵器群か、あるいはそれ以上の代物。黄泉へと旅立った筈の存在を呼び戻して組織された死者の軍団や、神話やおとぎ話に出てくるような神獣や厄災レベルの超常的な存在。
なにしろ、神から見て高次の存在の神皇と同レベルの、『魔』の神皇が引き連れて来る軍勢なのだから、想像できる最悪の敵をイメージするし、もし仮にそのような存在が来たなら、それに対する対抗手段も設けなければならない。敵の正体も目的もわからない以上、どのような対抗手段を持っても不足ではあるが、それは仕方のない事だろう。そして、それに諦めを覚えてしまう人間が一定数いても責められるものではない。
戦士たちには、それが異常なほどのストレスだった。
しかし、一方でそのような存在全てを相手にするわけではないということも想像がつく。
『魔』と戦うにあたって、自分たちの側にも神や神皇がいて、その階層の敵は彼らが相手をする筈なのだから、自分たちは自分と同階層の敵を殲滅すればよい。
レベセスやテマが言うに、『魔』の神皇と戦うのは、戦闘能力においては神皇と同等かそれ以上の神勇者であり神賢者なのだ。
『魔』の神獣や、厄災レベルの怪物に対抗するには、こちらにも神獣・守護獣がいる。
戦士たちは、自分たちが相手できる敵と戦えばいい。
頭の中では分かっていても、なかなか心で納得する事は難しい。
とてつもない敵を相手にしなければいけないのではないか。とてもではないが勝ちを拾えない相手と死闘を繰り広げなければならないのではないか。玉砕覚悟を意識しなければならないのか。
いや、どのような敵がいたとしても、自分たちは自分たちで相手できる敵を倒せばいい。『魔』にいる存在には、必ずこちら側にも対になる存在がいる。
兵士たちの思考は、その二つの考えを行ったり来たりし、その度に不安に駆られ、そのストレスが長期に続くことになった。
その抽象的な不安も、戦闘が終了した今なら、彼らは感じなくて済む。それが彼らを大きなストレスから解放した。
そして、その解放を『国家連携』軍レベル……つまり、人間の階層として行うためには、宴は必要だった。過度に消耗し、激烈に広がる精神的な消耗の負の螺旋から、心の解放を促進させるためには、そのような宴を催すしかなかった。軍の解散が宣言されぬ以上は。
『国家連携』の幹部として、戦闘終了の宴に参加したレベセスは、戦士たちが眠りについた後、ロニーコのかつての総督府、現在三巨頭の一人であるカンジュイームの住居に移動し、久しぶりの交流を楽しんでいた。
ほぼ三年の準備期間。
実際には、レベセスもトレーニングを積みたかったに違いない。
だが、彼は戦士としてではなく、組織中枢としての立場を求められた。それは、最初にドレーノに派遣された時の、総督という為政者代理の役職を与えられた時の息苦しさに酷く似ていた。
結果、彼は隠れて戦闘訓練を積むしかなかった。
旧総督派である偉丈夫指導者カンジュイームは、レベセスのその葛藤をわかっていたようだった。
「流石だな、カンジュイーム。君はやはり為政者に相応しい」
「いえ、気づいていたのはゼリュイアです。彼女は成長しました。背も伸びましたが、心も。
彼女はいずれ、周囲の人間をうまく使ってくれる指導者になるでしょう。
私もハギーマ殿も、ニセモ殿もその下で動くことを好ましく考えています。そして、いつかサイディーランとドレーノンの壁を超えた素晴らしい国家を作り出してくれるはずです。
我々は、そんな彼女の手助けをしたいと思っていますよ」
「そうか。そういう意味では、もう私はこの国には必要ないのだな」
「当然です。貴方はこの国には不要だ。……貴方を欲しているのは、世界」
「……重荷だな。私は、ただ皆が平和に楽しく暮らせるようになって欲しいだけなのだが」
「その考えが大事なのだと思いますよ。その考えがなければ滅私奉公はできません。どの国家も、どの組織も、最初はそのような崇高な想いがあるはずなのです。
その想いは、我らがゼリュイアも同じ。かの少女は、正に貴方なのですよ。考え方が」
一瞬の間の後、レベセスはニヤリと笑い、カンジュイームの私室からゆっくりとバルコニーに歩み出る。南国特有の甘い潮の香を孕む夜風に当たりたくなったのだ。
カンジュイームもグラスに果実酒を足した後、レベセスを追った。
旧総督府であるこの建造物は、三巨頭の執務室として機能していたが、ここで寝泊まりをしているのはカンジュイームだけだった。
そのカンジュイームは、旧総督府の二階の一角にプライベートルームを設け、生活をしている。元偉丈夫宰相は、今回の戦闘の後に彼の自室にレベセスを招き、カンジュイームの執り行なった為政の一つ、ジャングルからの果実搬送経路の策定の賜物である果実酒を振舞っていた。
バルコニーから見える白い砂漠と、その向こう側に見える海、そして、左方の遥か地平線に広がるジャングルを見るのが、カンジュイームはたまらなく好きで、この景色を望める一角を客間から自室に改造していた。
バルコニーに出たレベセスは歩みを止め、白い砂漠の上空にある構造物をじっと見つめていた。カンジュイームと違い、彼は空が気になった。勿論、バルコニーからの景色は目を奪うに十分なほどの美しさではあるが、彼の意識は中空の違和感へと注がれていた。
彼の眼差しが捉える構造物は、巨大な天体。それは『巨悪』グアリザムの居城。今でこそ何も影響を及ぼさないが、あの天体から、『魔』の軍勢は送り込まれてきた。
白銀の戦士と、白銀球。
駐留した『国家連携』軍の戦士たちが予測していた、様々なタイプの敵は姿を現さなかった。現れたのは、無数の白銀の戦士と白銀球。
その二種類であったが、その戦力は圧倒的だった。
仮に帝国イン=ギュアバの道具や兵器がなかったならば、とてもではないが『魔』の敵とは戦えたものではなかっただろう。
そして、無数に開いた≪洞≫のゲートを破壊する為に放たれた大陸砲の斉射を最後に、かの天体『彗星城』は沈黙した。
レベセスは、曰くのある上空の天体に、暫く気を奪われていた。
やがて、呟くように言葉が漏れ出る。
「……カンジュイームよ。あの彗星城を入手出来たら、面白いと思わないか?」
酔っぱらっているわけではあるまい。
だが、レベセスの目は少年のような輝きを灯していた。
思わず目を見開いたカンジュイームだったが、感情を露にすることを諦めた。
少しの間の後、抑揚を押し殺した言葉で、レベセスを窘める。
「貴方は一体何を考えておられる? 幾ら動きを無くしたとはいえ、あそこは『魔』の巣窟なのでしょう? 我々と同じように、『魔』の非戦闘員がごまんといる可能性もある。彼らを蹂躙してあれを奪うおつもりか?」
カンジュイームの言葉に、大事な忘れ物に気づいた無垢な少年のようにはっとした後、あからさまに肩を落とすレベセス。
どうやら、その反応を見るにレベセスはその可能性を全く見落としていたようだ。
まるで少年の様な反応に、元偉丈夫宰相は噴き出した。
そうなのだ。眼前のしょぼくれる男に、悪意などある筈がない。
純粋に興味だ。
魔神皇が住まう住居……というには余りに巨大すぎるが……には、一体何があるのだろうか。素晴らしい技術か、金銀財宝の類か。世界を掌中に収めることのできる圧倒的な戦力か。
だが、レベセスはそれそのものには興味がないだろう。
ただ今まで見た事の無いものを見知り、体験してみたい。純粋にただその気持ちだけだったはずだ。
少年神勇者の父を知る人間ならば、現在のレベセスの事を、あの男に似てきた、と表現するだろう。
だが、今のレベセスなら、あの男がなぜこのような心境になったのかがわかる。
国家内での昇進も、経済的な安定も、人間が望む環境は全て、所詮は人間の世界でのみの事なのだ。その世界の中での出来事に一喜一憂しようとも、それはあくまで人間の価値観でしかない。
他の価値観、他の世界を見知ってしまった以上、その幸せの形は只の一つの形でしかなく、そこに固執する必要もない。むしろ、それ以外の在り方を模索してみたい。
彼自身、年を経るに従い、そう思うようになっていた。それは奇しくも、彼のかつての親友が至った境地なのだが、残念ながら彼自身は気づいていない。
「神が恐れた彗星城ってやつを、この目で見てみたかった。それが、今後の我々の世界で役に立つ可能性は十二分にある。グアリザムがいない今がチャンスだったんだがなあ……」
純粋な知的好奇心を押し隠すように、とってつけた言い訳を口にするレベセス。
「行ってみますか?」
突然聞こえた声に、バルコニーの二人は愕然とし、辺りを見回す。
周囲には誰もいなかった筈だ。
だが、目を凝らすと、眼の高さよりも少し高い位置に黒い小さな光の玉が浮いている。
レベセスは何度か目撃し、カンジュイームも一度だけ見た、≪洞≫の予兆だ。
だが……。
いつもの≪洞≫とは異なっていた。
≪洞≫のゲートには、厚みはない。全てのエネルギーを当該座標より全て排し、無の空間に発生するゲートは厚さがゼロのはずなのだ。
だが、このゲートはどの角度から見ても形を成そうとしている。
黒い光の玉は、漆黒の宝玉として眼前に膨れ上がった。その暗黒の水晶は縦も横も高さも間違いなく存在する。
黒い水晶に、紫色のひびが入る。それはあたかも≪洞≫のゲートが出来上がった際の放電現象に似ていた。そして次の瞬間、その水晶は粉々に砕け散り、水晶を爆心地に一瞬の暴風が周囲に広がった。
後ほど彼らは知ることになるが、この≪洞≫に似せた黒い水晶の移動術は、時空を超える真の≪洞≫の術とは異なり、単なる高速の移動術にすぎない。ただ、それが人間の認識力を超えたスピードであるだけの事だ。人知を超えた移動速度で、一瞬で現れ消える。それは他者の認識としては瞬間移動以外の何物でもない。
水晶のあったところに立つのは二人の人影。
一人は、現『精霊神大戦争』にて最大の戦績を上げたであろう、皇帝兵器イン=ギュアバ。彼は無表情ではあったが、何故か微笑んでいる気がした。
そしてもう一人は、これまた珍しい人物だった。
かつて三百年前の『精霊神大戦争』にて神勇者として戦い、グアリザムの封印に成功した戦士。その後、神皇ゾウガに封印を自ら求め、封印されている間に自らを高次へと導き、この星の人間にはかつて魔王と称された女神、フィアマーグ。
流石の偉丈夫宰相カンジュイームも開いた口が塞がらず、腰が抜けたように動く事が出来なかった。何しろ、話には聞いていた帝国イン=ギュアバの皇帝と、かつての魔王が共に姿を現したのだから。
レベセスは、カンジュイームほど驚きはしなかったものの、皇帝兵器と元魔王が共に行動していることが意外だった。だが、過去の二人の因縁を知っていれば、さほど驚くことはないという事がわかっただろう。
「今、彗星城には何物も存在しません。白銀の戦士や白銀球は存在しますが、それらは命令を受けていない、只の人形たちにすぎない状態です。
彼らが稼働し、再度攻撃を開始するときは、『巨悪』グアリザムが彗星城に戻った時です。
その時には、もはやこの星に打つ手立てはないでしょうから、ここで手を拱いていても何も事態は変わりません」
皇帝兵器は、淡々と話す。だが、抑揚の抑えられた言葉遣いであるにも拘らず、何処か皇帝兵器イン=ギュアバ自身が、彗星城への興味を抑えきれないと感じさせるような口振りだった。
眼前に現れた女神と皇帝兵器。この者たちなら、ずっと気にかけている二人の現状が分かるかもしれない。
だが、急に保護者としての意識が発現したレベセスからの、
「レーテは……、ファルガ君は一体どうなっていますか?」
という質問についての皇帝イン=ギュアバの回答は、
「わかりません」
というものだった。
皇帝兵器イン=ギュアバが答えられないのも無理もない。
皇帝兵器イン=ギュアバの頭脳に情報を送りこむデータベースは、この星の全ての場所、とりわけ浮遊大陸のありとあらゆるデータを収集・管理しているのであり、惑星外に存在する彗星城の様子や、神皇ゾウガの作り出した仮想疑似空間内での戦闘については、そもそも知る術がないのだ。
だが、冷静に考えれば、もし仮にレーテたちが敗れていれば、とっくに巨悪は侵攻を再開しているはずで、それがないという事は、ファルガたちが巨悪を何とか抑えているか、あるいは優勢に戦いを進めているに違いなかった。いや、信じなければならなかった。
「それに……」
皇帝兵器イン=ギュアバは、更に言葉を続けようとして、フィアマーグに制された。
恐らく、レベセスしかこの場にいなければ、真実が伝えられたはずだ。だが、その場にカンジュイームがいる事で、情報は制限される必要があった。
その情報とは、帝国イン=ギュアバの技術は、全て『巨悪』グアリザムによって伝えられたものなのだという事。
フィアマーグは、レーテによってザムマーグに齎された彗星城内部の情報等が伝えられた際、その情報を可憐な女神と共有した。それは、驚きの事実だった。
帝国イン=ギュアバの技術は、魔神皇ゼガの襲来よりも数百年も前に、人間に施されていたというのだ。その事実は、皇帝兵器は勿論の事、女神達ですら知り得ぬことだった。
とある記録では、ある時突然無数の科学者がひらめき、それを驚くべき速さで実現させた、とあった。
だが、帝国の技術を考案したその科学者のひらめきが、『神』グアリザムによって仕組まれたものだとしたら。
三百年前の先代魔神皇の襲来以前から、グアリザムは画策していたことになる。自分に対する『妖魔反転』の術の使用を。『反心魂』の術を。
一体何のために?
だが、それを現時点で知ることは恐らく不可能だろう。
もし真相に辿り着こうとするならば、『巨悪』グアリザム対神勇者と神賢者の戦闘の合間に、レーテが聞き取るしかない。そして、レーテが見知った内容を、ザムマーグに伝えることでしか、フィアマーグは彗星城の中の状況を知る事は出来ないのだ。
レベセスは、女神フィアマーグと皇帝兵器イン=ギュアバと共に、急遽バルコニーから移動することに決まった。
余りの急展開に、思わず目を白黒させる事になったレベセス。
だが、ある意味彼にとって本望だったかもしれない。古代帝国の遺跡を追い続けていたあの男の研究の、更に先に進むことができる。
全てにおいて後塵を拝していたあの男より、先んじる事が出来る。
そのチャンスを自覚した時、レベセスは自分自身が至上の悦びを感じている事実に驚き、ニヤリとする。
「……尊敬はしている自覚はあったが、まさかこの俺が奴に憧れていたとは」
レベセスは誰にも聞こえないように呟いた。
彼の心の動きが、彼の思う憧れかどうかは、定かではない。だが、レベセスという歴史の紡ぎ人であり目撃者でもある人物が、自分の心の未だに知らぬ処があったということ自体、自分自身新鮮だったに違いなかった。
翌朝、レベセスは彗星城への侵入を試みる。精悍な女神と皇帝兵器と共に。
 




