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界遊記  作者: かえで
巨悪との確執

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ファルガの宿題2

「そんな大事な時期なのに、わざわざ来てくれたのね。ありがとう、ファルガ」

 少女から母になったレナは、微笑んだ。だが、その微笑はどこか寂しげだった。

 窓の外からは、父親となったナイルと、彼の息子ドナウがボール遊びをしているのが見えた。レーテも少しだけ混じっているようだ。しかし、元来ボール遊びというものをしたことがないレーテのボール捌きは、二歳児のドナウと比較しても遜色ない程だったので、ナイルはまるで幼児二人を相手しているかのように振舞わねばならなかった。

 お茶を勧められたファルガは、純白の陶器製のカップを手に取ると、冷ましながら少しずつ啜った。これも、ファルガが村を出てからの『お上り』で購入した代物らしい。ラン=サイディール禍の後、割とすぐに『お上り』が実施されたことも驚きだったが、受け入れる側のデイエンもあの事変の後二年の間にある程度復興したというのだから、人々の生き抜こうとする力は凄まじい。

「ごめんなさいね、熱すぎたかしら」

 レナの煎れたお茶を一息に飲もうとしたが、想像よりずっと熱かったため、思わず口をひっこめた後、何度も口を尖らせ、お茶の表面に息を吹きかけて冷まそうとするファルガを見て、レナは心配そうな表情を浮かべた。

「いや、気にしないでくれ。ここ数年、ずっと温度を気にして飲んだことがなかっただけで、俺が確認しなかったのが悪いんだからさ」

 眼前の少年が火傷した様子はないが、その後の熱い物に対する注意が過敏になりすぎているようで、些か不憫な気がしない事もない。

 レナの謝罪を、必要ないというファルガ。それでもレナは話をしている間中、ずっとファルガの口元の少し赤くなった部分を気にしているようだった。

 暫く話した後も、未だファルガの火傷とは言えないような負傷に気を使っているレナ。

 今なら、レナは自身の傷について、忌憚ない気持ちを話してくれるかもしれない。

 そう考えたファルガは、いよいよ話を切り出した。

 彼の育ての父であるズエブも、育ての母であるミラノもあまりいい顔をしなかった、レナの頬の傷を修復するという話。話をする前にさんざん脅かされていたファルガは、レナに話を持ち掛ける事すら重度のプレッシャーの中にいた。

 そして、慣れないながら『術』という概念の説明を終え、氣功術とマナ術の二つを組み合わせた術合体という手法を使い、レナの頬の傷を再構成させて消し去る方法を説明する。

 傷を小さくしていき、消滅させるという組織の再生を促進させるのではなく、頬の存在をゼロから作り直す、という説明を聞いても、レナは余り反応を示さなかった。

「……ごめん、わかりにくいかな……」

 ファルガは、ズエブとミラノが指摘した以上に無反応に近かったレナの心情を慮り、声を掛けた。

 だが、レナは俯いたままだった。

 恐らく、実際は数秒だったに違いない。だが、当のファルガからすれば、何分にも何時間にも感じられるほどの、レナの沈黙だった。

「父や母が喜びそうな話を持ってきてくれてありがとう、ファルガ。

 でも、私は正直迷っているの。

 勿論、綺麗になりたいわ。その思いは今でも変わっていないの。そして、それが叶うならばどれほどに嬉しい事か。

 けれど、決められない。私にとって、この傷をなかったことにして過ごすのって、想像がつかないの……」

 ファルガは眼前の、薄桃色の髪の毛先にカールを掛け、頬の輪郭を隠す女性の言っている意味が分からず、思わず顔を直視する。

 髪に隠れて非常に目立たなくなってはいるが、レナの頬は明らかに顔の皮膚の色とは異なっている。どちらもきめ細やかで、透き通るような肌であるのは間違いない。ただ、頬とそれ以外では、明らかに別物だった。

 まるで、仇であったジョーを倒せなかった腹いせなのではないのかと思えるほどに、ファルガの感情は昂った。

「ど……、どうして傷が消せるのに、それを嫌がるんだよ? ジョーがつけた傷は、レナにとって何もいい事なんかないじゃないか。むしろ、あの忌まわしい記憶しか思い出さないだろうに」

 忌まわしい記憶、という表現を使ってから、一瞬言い直すかと躊躇するファルガ。だが、言い方は違えど、あの傷の原因となる『カニバル=ジョー』の呪われた接吻は悲劇でしかない。あれを是とできる人間などいるだろうか。

 だが、ファルガの昂りに反比例し、レナは冷静に言葉を発する。

「そうね。

 いい思い出のある傷じゃない。実際に、私は自分で何度もこの傷を消そうとした。

 けれど、その度に私は失敗した。私の力じゃ無理だった……」

「だったら猶更……!」

 レナは無言で首を横に振った。

 そして、暫くの沈黙の後、口を開く。

「ねえ、ファルガ。

 私はいま幸せなの。

 夫としてナイルがずっとそばにいてくれて、彼との子のドナウとこれからも共に生きていく。それに、ファルガも私の心配をしてわざわざ駆けつけてくれる。私が酷い目に会っていた時に必死になって助けてくれた村の人たちも、私にとっては掛け替えのない人達。

 そして、私たちが過ごしてきた森も、丘、広場、勿論『鬼の巣』も。

 『お上り』や『収穫祭』、全てのラマ村での出来事が。

 すべての物が、私にとって掛け替えのないもの。

 傷は私にとって忌むべきもの。でも、それと同時に貴方達や、村の大人を含めた大人数の人たちの想いを感じられた原因でもあるの。そして、本当に大切なものが一体何なのかという事を気づかされた原因。

 傷なしでは、あり得なかった話。

 ね? おかしいでしょ?

 傷がなければ、お父様たちが勝手に決めた許嫁との生活しかなかった。

 未だに夢を見るのよ。

 顔も知らない許婚と結婚して、顔も馴染みのない子供がいる。見ず知らずの人達のパーティで誰に向けられるわけでもなく微笑み続けて、その男の人の隣でたたずんでいる……。

 もう、恐怖でしかないの」

 一瞬言葉を切ると、レナはお茶を口に含み、口内に潤いを与える。

「私は、自分の子供を自分の力で育てたい。でも、私の子はナイルとの子供だから。

 その『彼』との間にできた子供って、私には想像がつかない。

 その可能性が現実になっていたなら、私は今のような幸せを手に入れる事が出来たのかしら。勿論、別の幸せの形もあったかもしれない。でも、それは今、私が満足している幸せではないの。

 そう考えると、怖いの。こんな悍ましい傷でも、この傷がなかったことになったら、私の幸せもなかったことになりそうな気がして……。

 ごめんね、とりとめもない話で」

 ファルガは、レナの目をじっと見ながら話を聞いていた。

 そして、長い間目を閉じることで初めて、レナの目から視線を外す。

 もう、レナは自分の手の届かないところに行ってしまった。

 今、ジョーの傷がある事が不幸ならば我慢もならないが、幸せだというのなら……。

 今度は長い沈黙を続けたファルガだったが、目を閉じたままレナに言葉を掛けた。

「それが、今のレナの気持ちだってのは、よくわかったよ。

 別に、今回で急いで傷を消す術を施す必要はない。レーテと俺が居れば、多分いつでもできるはずだ。

 気が変わったら、いつでも言ってくれ。俺は、レーテと共に必ず来るよ」

 そういうと、ファルガはゆっくりと席を立った。

 ファルガが家の扉を開け、外に出ようとすると、外でボール遊びをしていた者達の手が止まる。

 ナイルとレーテ、そしてレナとの息子であるドナウが、一斉にファルガの方に振り向いた。

「話は終わったのか?」

 ナイルの言葉に、ファルガは無言で頷くだけだった。

 レーテは、何も聞かずともファルガの表情だけで、レナとの話がうまくいかなかったことを察した。

 うまくいかなかった、というよりは、ファルガの申し出をレナが何らかの形で断ったのだろうという推測だ。

「で、今日は村には泊っていけるのか?」

 ファルガは思わず、レーテの方を見た。

 村に泊っていく。考えも及ばなかった。

 何しろ、デイエンからラマ村まで数時間。黒い神殿まで飛んだとしても、ほんの数日。それに、巨悪が到達したら、精悍な女神と可憐な女神が強制的に連れ戻すだろう。

 かといって、急いで黒い神殿に戻ったからといって、取り立てて急いで出来ることはない。鍛錬は必要だが、それは何も黒い神殿で行う話でもない。

 彼らが、国家連携の内部に入り込み何か作業があるのかといったら、恐らく何もない。ヒータックとレベセスが、そして、ブレインとしてテマ=カケネエが、来たる『巨悪』との対決に備えて、着々と準備を進めている筈だ。

 恐らく、デイエンでの『黒い稲妻』の件も、神々は遠く見て知っている筈だし、ともすれば彼ら以上の事を、その情報から得ているかもしれない。

 神勇者ファルガ=ノンと神賢者レーテ=アーグ。

 この二人の戦士は、巨悪グアリザムがその姿を現した時、その存在を迎え討つだけでいいのだ。

 それ以外のグアリザムの連れて来る諸戦力は、全て国家連携で対応する。むしろ、グアリザム以外に対応している時間など、正直ないだろう。

「泊っていきましょうよ。寝泊まりするところもファルガのお家があるんでしょう?」

 断る理由はない。むしろ、リラックスできる方がいいに決まっている。ファルガも頷かざるをえなかった。

「でも、ナイル。変な宴とかはやめてくれよ? 俺はこの、のんびりとしたラマの雰囲気が好きなんだ。勿論夏祭りは好きだけど。

 あまりここで快適に過ごしてしまうと、その後の戦いに行くのが嫌になってしまうかもしれない。それだけは避けたいから。もし、何かするなら俺たちの戦いが終わってからにしてくれ。そうすれば俺も心置きなく楽しめる」

 ナイルはニヤリと笑った。

「わかった。

 ファルガ、準備が出来たらうちに来てくれ。

 あと、レーテさんも宜しかったらどうぞ」

 ファルガとレーテの歓迎の食事会が、催されることになった。

 固辞する理由もなく、レーテも食事会に参加させてもらう事にする。

 とはいえ、狭いラマ村内に、ファルガが帰ってきたという情報が流れるのはとてつもなく速い。

 食事会の準備を進めている間に、参加希望者がどんどん増え、ナイルの自宅には入りきれないことになり、結局ラマ村の広場に皆食材と酒を持ち寄って、ファルガとレーテを酒の肴に宴が始まってしまった。

「……こうなると思ったよ」

 思わず苦笑するファルガ。

 だが、そんなファルガの困ったような嬉しいような表情を見て、レーテは酷く羨ましいと思うのだった。

 神賢者の少女も、デイエンで決して友人が少なかったわけではない。だが、レーテがデイエンの小等学校の仲間の所に帰ったところで、このような宴にはならないだろう。そして、レーテの知る友人たちは、年齢を超えたものではなく、あくまで同級生という、同じ年齢でまとめられた集団の中で構成された人間関係。

 良くも悪くも、ラマは『村』なのだった。

 だが、レーテの羨望の感情もそこまでだった。

 突然訪れた村、ラマ。

 共に行動していた少年はラマ出身。

 村人からすれば、その少年と共に行動していれば、必然的に二人の関係が気になるところだろう。際どい質問も飛び交うが、その質問主がレナであることにはファルガも驚愕する。ファルガとレーテは顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながら、レナの真綿で首を絞めるような苛めに対抗するのだった。

 その後に盛り上がったのは、二人の冒険譚だ。二人が今まで経験してきた血沸き肉躍る冒険の続きは、人々を陶酔させた。

 以前ファルガから聞いた土産話は、ジョウノ=ソウ国での話までだった。

 人々はその後の、古代帝国の遺跡の探索を、身を乗り出して聞いたものだった。

 だが、そんな人々も酒が回り、徐々に崩れ落ち始める。

 崩れ落ちた男性を、その女房と思しき人間が肩を貸して自宅へと連れ帰る。

 これもラマの祭りの見慣れた光景だ。

 ファルガは今、心からラマを堪能していた。




 来客のあまりないラマ村において、客間を作れるのは富の証拠だった。

 だが、その富すら、ラマ村では大して差がつかない。

 全てにおいて運命共同体の色が強いからだ。それはミクロの社会主義といってもいい。

 採れる農作物は村の所有物。

 これほどの高い標高にある村ならば水にも困りそうだが、それは十数年前に雨水をろ過するシステムを構築できたおかげで水不足も解消し、共同の所有物になっている。

 村長という肩書も、最年長者がその役を担っているだけで、村長が変わることなど頻繁だ。ただ、ここ最近ではナイルの一族が継続的に行なっている。ナイルが生まれ持ったような強い正義感と決定力、指導力が必然的にナイルの祖父、そして父にも備わっており、それに村人が判断をゆだねる事が多くなった結果だ。

 だが、今のところはそれでうまくいっているが、もし一族に長の血族であることを鼻にかけるような輩が現れたなら、即処断されるだろうことも、容易に想像がつく。

 村長は村の代表であり、意思決定機関ではあるが、それは全てにおいてなされるものではないという事なのだ。

 ラマ村の人々は、ほぼ同じような家に住み、ほぼ同じような服を身に着け、ほぼ同じような食事をとる。貧富の問題もあまりない。それは、生活単位が家族ではなく、村だからかもしれない。

 とはいえ、かつてファルガの養父であるズエブが、ラマ村の一員となった時は、まだかなり閉鎖的だったという話があるから、来客に対し友好的になったのもごく最近だという事なのだろう。

 そして、村全体が血の繋がりこそないものの、親戚のような関係になっているので、行き来は頻繁だが、わざわざ来客として扱う事もない。それ故、この村に家を持つ際には客間を作る必要がないのだという。

 そんな村に、悪童の一人ファルガ=ノンが客人を連れてきた。しかもそれが少女となれば、村人たちはその扱いに気を遣う。ファルガの知り合いだというだけではなく、ズエブも知り合いの娘でもあるとなれば、猶更だ。

 紆余曲折の末、ナイルとレナの家にレーテは泊まることになり、ナイルはその日だけは実家に泊まる。ファルガは元々あった自分の家で泊まる事になった。

 ファルガは一人の夜を満喫する。

 いろいろ経験してからの自宅は、不思議な感覚だ。

 天井の木目模様も、ベッドの柔らかさも、何一つ変わっていない。養母ミラノが、いつ帰ってきてもいいように、ファルガの家を管理してくれているからなのだが、いつかはミラノに礼をしなければ、とファルガはいつも思う。だが、彼女の喜ぶものが、皆目見当がつかない。

 結局、ファルガがきちっと礼を言う事と、元気な姿を見せるだけでいい、とはなるのだが、いつまでもそれに甘えているわけにもいかない、というのがファルガの本心だった。

 宴の後の深夜。

 酒に飲まれて寝てしまった者たちの代わりに、食器や鍋などを片付けた後、家に戻ったファルガは、宴の前に仕立てて貰った装束に袖を通し、ベッドに横になっていた。宴には、ファルガの装束は間に合わず、ナイルの服を借りて済ませた。

 指先が器用で多才なミラノは、少年がまだ聖勇者であるときに、一度ラマを訪れた際に身に着けていた装束のデザインを覚えていた。材質が違うので、SMGの支給品の様な耐久力を持たせることはできないが、見た目だけは似せる事が出来、戦闘用装束のデザインでありながら、通常の服のような軽い着心地に仕上げることは彼女にとっては造作もない事だった。

「あの、濃い藍色だけは中々出しにくいのよね」

 と、ファルガに装束を手渡した時にミラノの言葉に、レーテは同じ女性ながらもその手先の器用さに嫉妬したものだった。

 ベッドに横になったものの、やはり寝付けない。

 ラマを飛び出してからというもの、就寝時間というものははっきりとは存在せず、宿をとっても、それは体の疲れを癒しながらも翌日の行動を決定する為の検討の時間であり、休息ではなかった。

 勿論その休み方では駄目だと、養父ズエブは勿論の事、剣の師ソヴァ、そしてレベセスも言ったものだ。

 だが、四六時中緊張状態に置かれたファルガが、全ての緊張を解き放ち、体も心も休息に当てることは難しかった。そして、単純に戦というものの経験もそうだが、それ以上に神勇者になる為の様々な鍛錬が、齢十五歳のファルガ=ノンの心を酷く消耗させていた。

 そして、その消耗は癒えることなく神皇との鍛錬を終え、この世界へと戻ってくることになった。

「そういえば、トレーニングをしていないや」

 ファルガはベッドからむくりと起きだすと、玄関の横に整然と安置された超神剣の装備に目をやる。

 ファルガがラマに到着し、レナとの話を終えてから、宴が始まるまでの間、養父ズエブは超神剣の装備に非常に興味を持ち、ずっと研究を続けていたらしかった。

 宴が始まるころには、ファルガの家の玄関に戻されていたから、特段気にはしていなかったが、恐らくズエブは神の造ったとされる武器防具というものが、どのような代物なのか、興味があったのだろう。

 まあ、当然と言えば当然だろう。空中海賊であった頃から、ズエブは武器造り、防具造りに酷く興味を持ち、同時に精通していたと言われる。ただ、それはあくまで人間レベル、名工レベルであり、神の創造物を目の当たりにして、彼の製作物がそれよりも上回っているとは口が裂けても言えないだろう。

 だが、戦士としてより、職人としての一面を強く持つズエブが、現実にそのレベルの作品を目の当たりにして、製作者としてその高みを目指したいと思うのも、ごく自然の心の流れだろう。

 かつて、聖剣を目指した古代帝国イン=ギュアバの研究者たちが、第一段階のみ発動可能にした指輪『青』を作り出した事がある。その快挙を、ズエブは超神剣で行なってみたかったのだろうか。

 純粋なる探求心。

 その心の表れこそが、ファルガがナイルより服を借り受け、剣と甲冑を脱いだ瞬間、それを借りて宴が始まる直前まで見ていたという行動。

 人が神の領域に手を伸ばすことを罰当たりという人間もいるが、ファルガはその砕身は素晴らしいものだと考えている。少年は超神剣の装備を養父に預けるのには何の躊躇もなかった。

 玄関に置かれた超神剣の装備から、竜王剣だけを手に取るファルガ。

 今は、竜王剣に力は込められておらず、その刀身も鞘の中に格納されている。あまり他に類を見ない形状こそしているが、今はただそれだけの剣だ。

 だが、一度所有者が力を込めれば、大剣と剣の中間ほどの長さを持つ刀身に鞘が格納され、刃に光が灯る。そして、一振りで闇を振り払い、悪を消し飛ばし、星を斬り飛ばす程の威力を発する。

 それほどの凄まじい力を持つ剣だが、深夜の鍛錬でそこまで力を解放することはしない。ただ、剣を扱う時の型を、ゆっくりと基本に忠実に描く為だけ。剣を持ってからというものずっと続けてきた鍛錬を行うただその為に、一振りの剣を持って外に出たのだった。

 『巨悪』グアリザムとの戦闘が、どのような戦闘になるのかは皆目見当もつかない。

 神皇ゾウガとの手合わせを望んだが、それは拒否された。

 ゾウガは、今はファルガの方が戦闘能力については上回っていると語るが、実際その弁が本当かもわかりはしない。単純に、神皇としての様々な戦闘技術をファルガに見せたくなかっただけかもしれない。

 あの魔神皇を倒し、妖魔反転をしたグアリザム。今までの歴史ではあり得ない形での下克上だ。ゾウガはファルガにその手の内を見せない事で、ひょっとすると今後予想される下剋上を封じるつもりだったのかもしれない。その一方で、ゾウガとの戦闘経験を積むことで、グアリザムとの戦闘に妙な先入観を持たせないためだったのかもしれない。

 いずれにせよファルガにとって、魔神皇となったグアリザムとの戦闘が、不確定要素が多い中で行われる事に変わりはなく、同時に多大な不安を生む。

 その不安を払拭する為には、剣を振るうしかなかったのだ。

 そしてその頃。

 レナとレーテは、ドナウを寝かしつけた寝室の隣の部屋で、いろんな話に花を咲かせていた。

 ナイルが、年下でありながら自分とは違う運命を辿っているファルガと話すことが非常に楽しいように、レナも自分と違う運命を歩むレーテの話が面白くて仕方なかったようだ。

 ただ、そこには若干の羨望の念がある。自分より年下の少女が、自分が体験した事の無い経験が出来ているという事に。

 レーテは自分と同じ体験はできるかもしれないが、レナは今レーテと同じ体験はできないだろう。それが羨望の念と共に、応援という行動にレナを駆り立てるのだった。

「そんなことが、あのデイエンであったのね」

 レナはレーテのラン=サイディール禍の経験を聞き、デイエンの住民たちに対し、心から哀悼の意を捧げた。

 被害にあった者の中には、『お上り』で知り合った人たちも数多くいる。その者たちの殆どが『ベニーバ=サイディール』という、『一見して名宰相』を最後まで信じて疑わなかった。そして、そのまま命を落としている。

 三年という月日が経過し、再訪したファルガは、手に入れた圧倒的な力で、『神隠し』から繋がる一連の問題を一瞬で片付けた。

 その中で明らかになった、宰相ベニーバ=サイディールの本性。

 レーテは勿論の事、ファルガも強い憤りを覚えたが、ファルガはベニーバの処断を避けた。

 その時は、それも仕方ないと思ったが、やはりベニーバに引導を渡しておくべきだったのではないか。今でもレーテはそう思う。

 ベニーバによって被害を被った数多くの知り合いたち。彼らがベニーバの下卑た欲の為に殺されたり嬲られたりしたことを考えると、やはり彼らの為に何かが出来たのではないか、と考えてしまう。

 例え、それで彼らが救われるかどうかはわからないにせよ、少なくとも彼らを葬送った(おくった)少女からすれば、彼らの恨みを少しでも晴らせたのではないか。

 そう思わざるを得ない。

 その意志を伝えると、レナは意味深な笑みを浮かべた。

「ファルガには……、決断できないでしょうね。

 今まで、彼は襲い来る危機に対抗する為に戦って、その過程で力をつけたのよね。

 でも、今回のデイエンの宰相様の件は、その危機とはまた別の話。そう思ったんでしょうね。

 彼は、『あの人』を倒すために力をつけ始めた。私の為に。

 そして、私や貴女、村の人たちやSMGの人たちを今度こそ護る為に、更なる鍛錬を積んでいく。私たちがこれ以上傷つかない様にする為。

 でも、それは護る為の努力なのよ。私たちを護る為の、敵の排除には重きを置いていないってこと。

 ……彼はそういうところがあるのよ」

 ベニーバにせよ、グアリザムにせよ、ファルガに対しては敵対する存在。

 同じ敵でも、何かが違うのだろうか。ファルガが努力して得た力で排除していい敵と、排除すべきではない敵がいる。その差が自分にはよくわからない。

 レーテはそう思っていた。

「私には細かいことはわからない。でもファルガは、その神様の神様という存在に、いろんなことを教えて貰ったんでしょうね。それこそ私たちの知らない色々な事まで。そして、私たちが知らなくていい事まで。

 その『神勇者』という存在になるには、力だけではなく技も知識も必要だった、という事でしょう? その知識を得た中で、彼は自分の力の使いどころを間違えると、それこそベニーバ様と同じ種類の人間になりかねない、と思ったのかもしれないわね」

 レナにそういわれても、やはりわかったようなわからないままのような、不思議な心地になるレーテ。

 神賢者として力をつけ、知識をつけたつもりだったレーテ。だが、ファルガの行動原理については、自分よりレナの方が余程わかっている。そんな気がして、敗北感を感じざるを得なかった。

「あら、どうして泣くの?」

 気づかなかった。

 ファルガの話をレナからされていて、少女レーテの目からはいつの間にか涙が零れ落ちていた。

 それに気づいたレーテは慌ててレナから視線を外し、涙を拭った。だが、涙は何度拭っても流れ続けた。

「……あれっ? ……あれっ?」

 止まらない涙に動揺するレーテ。だが、レナはそんなレーテをやさしく抱きしめる。

 自身の涙の訳が分からないレーテ。だが、レナはレーテの涙の訳が分かっていた。

「私は、彼にとって過去の人間。

 今の彼と共に歩めるのは貴女しかいないの。慌てることはないと思う。

 私は、今まで十数年間ファルガと生活してきた。でも、これからは旅を続ける間、ずっと貴女はファルガと共に歩んでいく。いつか、貴女のファルガと共にした時間は、私を越えてずっと伸びていく事になるわ。そうなれば、貴女がファルガの一番の理解者になる」

 この時のレナの言葉は、レーテにはいまいちピンとこない。

 でも、今はわからなくとも、酷く大事なことを言われた気がして、レーテは涙を拭いながら何度も頷くのだった。

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