ラン=サイディール禍の爪痕4 悪夢
「……話は分かった。
それで、その内容と俺がこの格好をすることに、何の関係があるんだ?」
努めて冷静に言葉を発するファルガ。
だが、眉間にはしわが寄り、額には青筋が浮かぶ。
ファルガの身に着けている衣装は、SMGの特派員用の装束ではなかった。
ファルガがレーテとSMGのデイエンの女性特派員メリコ達によって着させられた服。それは『禍後』に流行り、ラン=サイディール国の女子たちが、皆こぞって身に着けた可愛らしい服だった。薄いピンクのフリル状の襟付きシャツに、腰の所にベルト代わりに濃いピンクの布をリボン状に結びつけ、鮮やかな青に染め上げられた膝スカートを履く。足元は、足首に薄い黄色のリボンでサンダルにワンポイントを付けたものとなっている。『禍後』の物資の足りなくなっている時期にあって、安価で可愛らしい装いが出来たのが、このファッションが流行った理由なのだろう。
しかしそれだけでは飽き足らず、女性陣はファルガの顔に頬紅や口紅などを施し、髪を長く見せる為にウィッグをつけさせた。その化粧は、元々中性的な面持ちのファルガを、女子に見せるのには十分すぎるものだった。
同世代の女子よりは少し背が高いものの、女子としておかしくない身長であるファルガ。そして、本来は神隠し事件の囮捜査の為の変装の準備であるはずの時間が、いつの間にか、彼女たちの別の嗜好を満たすものに変異してしまったらしかった。それは、美人でありながら地味な少女に対し、自分たちの望む化粧や衣装コーディネートを行なっては盛り上がる、女子学校での放課後の楽しみの時間に似ていなくもない。ただ違うのは、女子学校のその時間は、地味な少女自身も楽しんでいたものだが、今回のモデルは非常に嫌がっている事だろうか。
「あいつらも、本当は高等女子学校に通っている年代なんだよ。けれど、今回の事変でそういう機会が奪われてしまった。
それを考えると、可哀想だと思うよな」
そう言って、怒るファルガを慰めるSMGの青年特派員ドイハン。確かに、格闘家のような筋骨隆々とした彼の体躯では、女性たちの数少ない楽しみを満たしてやることは中々できなさそうだ。
そんな話を聞いてしまうと、ファルガの怒りも少し位は収まりそうなものだが、怒りながらも困った表情を浮かべるファルガを見ながら笑いをこらえている彼を見ると、どうもその言葉には信憑性は持てない。
「ドイハンさん……。貴方、絶対そう思ってないですよね?」
拳を震わせながら怒りを堪えるファルガを見て、ドイハンは堪えきれなくなり、大笑いをするのだった。
ファルガとレーテが神隠しの事件と薔薇の慟哭を結び付ける事が出来たのは、三日前に遡る。
デイエンの特派員であるメリコとその部下ドイハンと、食事処で情報交換をした後、夜を待って活動を開始しようとしたファルガとレーテ。
だが、仮眠中にファルガは夢を見た。
どこかの王城の浴室で、美しい女性が沐浴をしていた。後ろ姿しか確認できないが、髪を結って上げ、湯に浸らぬように準備をした女性は、湯船の湯に肩まで浸かりながら足を延ばし、湯に特別の効能でもあるかのように、肌に揉みこんでいた。湯を片手で掬っては逆の腕にかけ流し、きめ細やかな肌から流れ落ちる湯を舐めるように見ては、女性はうっとりとしているようだった。不思議と、その湯が人肌の温度であることが分かった。
最初は、なんでこんなエロティックな夢を見るのだろうか、と些か自分が嫌になるファルガ。その場にいる事が申し訳ないと思い、浴室の出口を探すが、見当たらない。見渡せば見渡すほど、ファルガの知る浴場とは似ても似つかぬ、大ホールのような印象。しかし、不思議と窓は全くなかった。壁の高い位置に燭台が無数に設置され、そのそれぞれに太い蝋燭が火を灯している。どう見ても完全な密室。ファルガがどのようにこの不思議な浴場に迷い込んだかはわからない。入り口がないのならば、眼前の大きな浴槽に浸かり、湯を愉しむ女性もこの場所にはどのように入ったのだろうか。
でも、そこでファルガは思い至る。
これは夢なのだから、なんでもありだ。ならば、この夢から醒めればこの不思議な浴場から出る事もできるだろう。
少年にとっては、後ろ姿とはいえ全裸の女性が眼前にいること自体が酷く刺激的であり、かつ罪悪感を喚起する状況だった。
と、突然周囲が薄暗くなった気がした。
そして、今までは無臭だった周囲の空気が、突然生臭く鉄臭いものに変わる。
次の瞬間、周囲は血の海へと姿を変えた。
浴槽になみなみと蓄えられていた湯は朱色に変わる。そして、女性が手で掬って体に掛け、揉みこんでいたのは、どう見ても鮮血。先程までは誰もいなかった筈の壁中に、全裸で体の至る所に杭が打ち込まれた何人もの若い女性たちが。その杭はストロー状になっており、刺した女性の傷口から新鮮な血を流し出す構造になっていた。他にも先程までは気づかなかったが、女性の血を絞る為の道具が、浴場である筈の場所に羅列されている。浴槽に湯を注ぎ込む女性の像の担ぐ甕からは、いつの間にか朱色の血が注ぎ込まれている。なんとなく、あれも女性の血を搾り取る道具の一つなのだろうとファルガは感じる。そんな知識も経験もないはずなのに。
先程までの浴場の反響音は、何十人、何百人もの女性の呻き声になり、たまに耳を裂くような悲鳴があがる。それ以外の呻き声は、意識を失いながらも体が発する苦悶の声だった。
突然血みどろの浴槽から立ち上がる女性。その体からは他者の鮮血が滴り落ちる。
この女性が何者なのかわからないが、立ち上がった女性は高らかに嗤い続けた。狂ったように。
ファルガは、今までに経験がない程に叫んだ。いくら叫んでも物足りなかった。何かを表現する為に叫んだのではない。大量の『魔』と相対したファルガですら感じた事のない程の異様なまでの悍ましさに、感情とは切り離されたファルガの身体が、勝手に悲鳴を上げたのだ。
ファルガは、自分の叫び声で目を覚ました。
いや、目を覚ましたなどという生易しいものではない。余りの不快感に全身滝のような汗をかき、耐えがたいほどの吐き気が彼を襲った。余りの不快感にファルガは、自分の行動で隣のベッドで眠るレーテが起きてしまうかもしれない、などという事は微塵も考える事が出来なかった。
何秒ほど経っただろうか。あるいは、既に一時間以上経過していたのかもしれない。
肩で息をするファルガが、徐々に収まってくる不快感がいつまだぶり返しやしないかと怯えながらも、隣のベッドで眠っている筈のレーテに目をやった。
だが、そこでファルガの目は合う筈の無いものに合ってしまう。
それは、同じように脂汗を浮かべた、顔面蒼白のレーテの視線だった……。
「レーテも、あの夢を見たのか?」
しばしの間無言で悍ましさと吐き気に耐えていたファルガとレーテ。それが収まるのに小一時間ほどかかっただろうか。ファルガとレーテの絶叫を聞いたはずの他の宿の人間は、何故か静かだった。実は悲鳴など上げていなかったのかもしれない。ただ凄まじく悍ましい夢のために、睡眠を継続することが出来なかっただけなのかもしれない。
恐ろしく不安な時間が過ぎる。
まだ夜は明けない。
計画ではこの仮眠の後に、薔薇城の鐘楼堂から城の内部へと潜入する筈だったが、とてもではないが、即座に行動を開始できるような状態ではない二人。
今まで経験した事のない体調の悪さだった。
「……うん……。
私が見た夢が、ファルガの見た夢と同じだったかどうかはわからないけども、多分同じなものの気がする……」
やっと落ち着いてきた呼吸。しかし先程までは過呼吸を起こしそうな程に少女の呼吸は乱れていた。全身脂汗でずぶ濡れになっており、早く宿着から着替えたかったが、どうしてもそのまま少女の冒険の装備を身に着ける気になれず、冷たくなった汗に震える少女。
「汗を流したい……」
ファルガとレーテは、宿に設置された浴場に行く。流石に、宿の浴場に血の風呂があるとは思わなかったが、内心二人とも躊躇はしたはずだ。
汗を流した後、二人は改めて互いの見た夢を話した。
その内容は異常なまでの整合率だった。
そして、少女の口からは、衝撃の事実が告げられた。
少女が見たという浴場の女性。
それは他でもない、ラン=サイディール国第一王女、マユリ=サイディールその人だった。
SMGデイエン支部の特派員、メリコとドイハンと合流し、深夜に見た悪夢の話と、そもそもこの地を訪れようとした理由である『薔薇の慟哭』の話をした。無論、夢の中で快楽の鮮血を浴びていたのがマユリであることだけは伝えなかったが。
最初は信じられないという体で話を聞いていたメリコとドイハンだったが、二人の夢の一致と、頭領であるヒータックからの指示を合わせると、ファルガたちの夢の話をある程度の信憑性を持つ情報として扱わざるを得なかった。
但し、その扱いは非常に難しかった。
なぜなら、もし薔薇城……かつての王宮にてそのような暴挙がなされているとすれば、当然それは王家の血筋の者の指示の下で、行われているだろうという事は想像に難くない。
『ラン=サイディール禍』以降、薔薇城にて生活をするベニーバ派の王族と貴族たちは、街の治安維持と復興に対して、未だ具体的な動きを見せていない。
現時点でその力がないのか、はたまたする気がないのかは定かではないが、ベニーバ派の王族と貴族たちに対する民衆の不信感は募ってきている。
もしこれで、民衆の感情を逆撫でするような事態が起きるか、或いは貴族たちが、かつて権勢を誇っていた頃のテキイセ貴族であった時の様な振る舞いを始めようものなら、水面下で蓄積されている民衆の不満は一気に噴出するだろう。
何故なら、実際にその噴出の形を変えた事変こそが『ラン=サイディール禍』そのものだったからだ。
だが、当時は各人が感じていた不安の全体像も明確になっておらず、只貴族たちを含めた殆どの人々が、湧き立つ恐怖に理性を失い、そのまま欲望を満たそうとしただけだった。それ故、デイエンの民衆たちが明確な敵もなくただ暴れただけ、という暴動になってしまった。
今回四人が危惧したのは、デイエンの街の人々にとっての敵がラン=サイディール国の王族だった、と明確になった時、行き場を失っていた不安と怒りと悲しみが指向性を持ち、王族を滅ぼすための革命の原動力として機能しだすことは想像に難くない。
そして、民衆たちの怒りを伴う行動が、今現在で統制が取れていればいいが、統制が取れるまでの間に時間が掛かるとするなら、弱者がまた蹂躙されることになる。
反乱軍と言えば聞こえはいいが、その組織を管理する人間は、実質後ろ盾を何も持たない。彼らがその運用を間違えたなら、反乱分子が旧政権を破壊した後、新政権の統制が取れずにそのまま国家そのものが消滅する可能性も十分にありうる。
現状のラン=サイディール国の状況を考えた時、政権を倒すだけで済むのか、国家転覆が必要なのか、それとも制度そのものの変更だけでうまくいくのか。まだその結論を出せていない。というより、出すべき人間も定まっていない。
その状態で、神隠しの犯人がラン=サイディール国の王族であるという事実が明らかになれば、誰も事態の収束が出来ないまま、ただ国家転覆のみを短絡的に目標にしたムーブメントが起こるだろう。
そして、国家が倒れた後に、人々を導く指導的な地位の人間の不在のまま、数多くの民衆が残されるだけだ。
そうなった時には、今までの生活すべてが失われ、路頭に迷う不幸な人間が続出し、更なる悲劇を多数産むことになるだろう。
やはり、裏が取れないままの状態では、事態を大事にしたくない。そして、あわよくば神隠しの発生する状態だけを何とか解消し、平常な状態に戻していきたい。それが一番この街の人々の暮らしを安定させることになる。
『ラン=サイディール禍』を見てきたメリコとドイハン、加えて『ドレーノ擾乱』を見てきたファルガとレーテからすれば、当然の見解だった。
ただ、まだ神隠しとその夢が繋がる具体的な証拠は挙がっていない。一刻も早く、他の人々に気取られることなく裏を取り、その後の対応策を講じ、最終的に神隠しを収束させなければならなかった。
とはいえ、情報収集のプロフェッショナル集団であるSMGの特派員群が、何か月もかけて調査し、やっと神隠しの存在が明らかになった程度だ。神隠しの阻止を意図したところで、手段もわからなければ、拐かされた少女たちの居場所もわからない。
ファルガとレーテが薔薇城に忍び込み、≪索≫を使い、捕らわれた者達を探すことも考えられたが、場所がわからないところを≪索≫にて検索し続けても、効率は上がるまい。ましてや、現在でも史上最高級の広大さを誇る薔薇城の内部を闇雲に探し続けて、発見できる可能性は低い。
ならば、いっそのこと罠を仕掛けるべきだ。
そう主張したのはファルガだった。
どこにいるかわからない野生の獣を捉えるのは容易ではないが、少しでも生息の情報があれば、そこに罠を仕掛けて捉えることも可能になる筈だ。
とはいえ、実際に若い女性を使っての罠を準備することは憚られた。
では、誰が罠にセットする餌の役を演じるのか。
SMG特派員のメリコでは、少し年齢が高すぎる。レーテを餌役にするのは、ファルガの気が引けた。特派員ドイハンでは、色々と用途違いな感じがする。
「……消去法で、俺だよな……。わかったよ。やるよ」
だが、女性たちがファルガでは納得しなかった。
というより、装束を身に纏ったファルガを、罠に仕掛けられる『餌』として機能させるのは難しかった。
「それなら……!」
メリコとレーテはニヤリと笑い合った。お互いの利害が一致した瞬間だった。
レーテとメリコの言葉を借りたならば、『美少女』として生まれ変わったファルガ。
だが、その眼には怒りが灯り、唇からは不満が洩れる。
「いや、やっぱりおかしいよ……。
俺がわざわざ女の格好をしなくてもいいだろうに。そもそも、薔薇城で女装していなかった時間の方が短いじゃないか……」
そのほかにもいろいろぼやいていたようだったが、レーテとメリコは完全無視を決め込んだ。
「あら、絶世の美少女がいるわ」
という言葉を最後に。
三年前に薔薇城内を駆け抜けた時は、不本意ながらもメイドの服を身に着けていた。そして、今回の囮捜査で『不本意に』身に着けた流行の少女服で薔薇城内に連れていかれたとするならば、歴史の名城『薔薇城』にほぼずっと女装で滞在した戦士、というタイトルをファルガは所有することになる。
とはいえ、今更別案もない。
ファルガからしてみれば、これもまた別の意味で『悪夢』だった。




