ラン=サイディール禍の爪痕2 『禍』後
SMGの特派員から得た情報は、俄かに信じられなかった。
あの日の災いの後、人々は果敢に立ち上がり、町を蘇らせようとした。
その対象にはデイエン城……、通称薔薇城も含まれていた。
たった十年間とはいえ、首都として存在したデイエンの『薔薇城』と言えば、やはり名物として各国に知れ渡っていた。外城壁と内城壁を円と見立てた、そのまさに中心に薔薇城はあった。外城壁と内城壁の間には、城壁と同じように城を中心とした同心円の環状線が何本も走り、城から各方位に放射線状に延びる主要街道はまさに『直径』であり、『半径』だった。その美しい幾何学模様は、建築者や所有者の意図は兎も角として、間違いなくデイエンの象徴だったのだ。
その薔薇城の傷み具合も凄まじく、『ラン=サイディール禍』の混乱が落ち着き、日々の生活を取り戻そうとしているデイエンの民が、次に気にしたのは薔薇城の補修だった。
街並みを復興させながら、首都の象徴を修繕しようとすると、人々の作業量は倍かそれ以上になる。だが、それでも都市民たちは寸暇を惜しみ、薔薇城の修繕に向かった。
資材を調達する者。城の再設計をする者。そして、実際に修繕を行う者。
様々な技術者が、薔薇城に愛着を持ち、自分たちの得意とする作業を通じて薔薇城を蘇らせようとした。
そして、それらの技術者集団をサポートする都市民も多数存在した。
街並みを蘇らせ、生活を元に戻しつつあったかなりの割合の都市民が、自分たちの生活や街並みが元に戻る事に喜びを感じるのと同様、薔薇城の復興にも喜びを感じていた。
それは、SMGの特派員として赴任していながらも、ラン=サイディール国首都デイエンの美しい街並みに魅せられた彼らも同じだった。
だが、進んでいく復興の中で、嫌な噂を聞いたという。
復興に沸く都市であるはずのデイエンで、神隠しが起きているのだという。
誰がいなくなった、という情報は明確にはない。とある者の親戚の友人という、情報を提供する者とは微妙に距離感のある者が、ある時を境に見なくなっている、という程度のものだった。
当初は、単純に復興に明け暮れるデイエンに嫌気がさし、デイエンを去る者もいたのかもしれない。SMG側としてもその程度の認識だった。
だが、知人の知り合いを見なくなった、という話は、ほぼ全てのデイエンの都市民が知っている内容だった。そして、そのいなくなった人間というのが誰だかは明確にされていないのも、この伝聞の特徴だった。
かつて神と魔王の戦争と言われた大戦後の混乱でも、同じような事案はあったとされる。
口の大きく裂けた女や、人の顔をした犬の出現情報は、幼い子供たちを震え上がらせた。文字通り、日没の前に子供たちは自宅に帰り、親の目の届くところで夕食前後の時間を過ごし、就寝したとされるから、これらの都市伝説は子供を巻き込んだ事件事故を防ぐ意味でも、いい意味で作用したかもしれない。
民俗学者はこれらの都市伝説を、デイエンの都市民が潜在的に持つ不安から来るものなのだろうとした。急激な成長、急激な崩壊、そして急速な復興。そこに一丸となって突き進んでいこうとする人々の心に不安がなかったわけではない。
それでいいのか。
これでうまくいくのか。
それが本当に正しいのか。
そういった不安が、都市伝説として体現されたものなのではないか、という説だった。
今回の神隠しも、同じように考えている大人も多かった。それ故、気になって警戒をしていないわけではないが、実際に自分の身に起こるだろうとは考えていなかった。
「神隠し……ですか?」
「そうだ。人々はまだはっきりとは気づいていないが、確かにとある人間を見かけなくなっている」
ファルガとレーテの腰かけた食事処の席の向かい側には、デイエンの都市民の普段着で腰かける二人の男女がいる。
ファルガ達よりは年齢は上だが、そこまで年齢を経ている様子はない。だが、特派員であることを考えると、年齢不詳だという表現の方が正しいのか。
他の客の耳には届かぬよう小さくはあるが、はっきりとした言葉で話すSMG特派員。恐らく、周囲から見れば、年の頃の近い友人同士が談笑しているように見えただろう。
「とある人間……?」
「そう。いなくなっているのは、他の場所から流入した人間たち。所謂移民よ」
夫婦の体で話しているSMGの特派員たちだが、言葉の端々から女性の方が地位が上であることが分かる。背景を説明する男性特派員に対して、指示内容を説明するのが女性だったからだ。
「なるほど。誰かがいなくなった気はするけれども、誰がいなくなったのかわからない。それが外部からの流入民なら、どこかで見たことがあるけれど、どこの誰だかわからない、という認識と合致するわけか」
SMGの特派員の女性は、南国原産の炒った黒豆の煮汁を啜りながら頷いた。その香りは、まだ大人になり切れないファルガとレーテにとっては、些か焦げ臭いだけのような香りだったが、この席だけに限らず、他の席の客も飲んでいるところを見ると、これが実は美味だと言われるものなのだろうか、と思い直す。
「その、いなくなったという人たちの共通点はあるんですか?」
レーテの質問には男性の特派員が答える。
「それが、若い女性が殆どなんだ。だが、これはまだデイエンの民は知らない情報だ。あまり情報を流してしまうと、デイエンの民が混乱してしまう。それに要らぬ先入観を与えてしまうと、今後出てくる目撃証言についても色眼鏡で見られたものになる可能性が高い。そうなると真相に辿り着く事がより難しくなるからな」
どうやら、SMGの特派員たちは、今回の神隠しが只の都市伝説であるとは思っていないようだ。それはつまり、実際に首都デイエンから何人かの人間が姿を消しているという認識でいる事を意味する。
「SMGとしては、事実は確認しているけれど、その法則性にまでは到達していない、ということなんですね」
レーテの問いに、特派員二人は頷いた。
暫く沈黙するファルガ。その沈黙に意味があるのだろうと、対面の特派員は黙ってファルガの返事を待った。
「それで、リーザさんの……頭領の指示は?」
「リーザ様からの指示は具体的にはない。ただ、新頭領のヒータック様より、『フリー』であるあなたたちと情報を共有せよ、とのことだった」
ファルガは再度沈黙する。それは先程より長かった。余りの長さに、思わず隣に腰かけるレーテの視線がファルガと特派員の間を行ったり来たりした程だ。
やがて、固く閉じられた双眸がゆっくりと開く。
「……今、俺たちは別の事案でこの地を訪れています。そちらを優先しないといけません。
でも、ひょっとすると、今デイエンで立っているその噂と繋がっているかもしれません。
それが確認できたら、協力させてください」
ファルガはそういうと、ゆっくりと席を立ち、食事処の入口の傍にあった精算所で四人分の食事の代金を払って食事処から出た。レーテは慌ててファルガについていった。
「これからどうするの?」
レーテは、些か不満そうだった。協力を求めているSMGの現地特派員からの協力要請をファルガが断ったと感じているからだ。
だが、ファルガはレーテの不満に理解を示しつつも、言葉を続けた。
「俺たちが今ここを訪れているのは、神隠しの件を解決する為じゃない。レーテも感じたかもしれないけれど、あの薔薇の泣き声の原因を突き止めるためだ。それは、彼らではできない。俺たちじゃないと」
「それはそうだけど……。でも、特派員の人たちは困っているんでしょ?」
「困っている訳じゃないよ。
ヒータックからの指示は、俺たちと情報を共有しろ、という事だった。多分、フィアマーグ様からイン=ギュアバさんに話が行って、そこからヒータックに話が流れたんだと思う」
「協力してほしい、っていう事じゃないの?」
「状況が整えば、だな。
確かに、俺もレーテも力をつけたとは思う。でも、フィアマーグ様が言った通り、この力は、『魔』と対する為のものであって、世界中にある様々な種類のトラブルを解決する為のものじゃない。
実際、ドレーノでの件だって、俺たちが当時わからなかっただけで、あれはラン=サイディールとドレーノの二国間の問題だった。そこに聖剣の力で割って入った事がよかったのかどうかは、未だに俺にはわからない。
ただ、高次の存在ギガンテスや『黒い稲妻』、色々な術を目の当たりにできた、という意味ではいろんな経験が出来たし、何よりあの状況下では聖剣の力なくしてあの場を切り抜けることはできなかったのではないか、とは今考えれば思えるけれど。
『魔』は、人の争う所に進出してくる。そんな印象だよ。
だからこそ、今回の神隠しが、人々の勘違いじゃなくて、実際に『魔』が関与しているとしたら、俺たち以外では誰も解決できない。それを調べる必要はあると思う」
レーテは黙ってしまった。
ファルガの主張が痛いほどよくわかったからだ。
後世に『ドレーノ擾乱』として伝わる三年前の南国での一連の出来事。
あの出来事では、ファルガとレーテは総督派についた。他の勢力もサイディーラン派、ドレーノン派と存在し、三つ巴の争いになっていたが、その中で敢えて総督派についたのは、総督がレーテの父であり元聖勇者であったレベセス=アーグだったからだ。
正直なところ、各派の持つ思想や理念などはわからなかったし、どうでもよかった。当時のファルガたちの目的は、四聖剣のうちの一本の在処を知っているレベセスから情報を入手する事だったし、その過程で争いがあるようだったら総督派に与することになっただろう。
だが。
もし、レベセスがサイディーラン派として活動していたらどうだっただろうか。ドレーノン派として活動していたらどうだっただろうか。
サイディーラン派だったら、レベセスは恐らくドレーノンの締め付けに加担していただろうし、ドレーノン派だったら、サイディーランの逆鱗に触れぬよう陰で卑屈にこそこそ活動していたかもしれない。
幾ら実父であったとしても、そのような行動をとる男を、レーテが助けようとしただろうか。むしろ、実父だからこそ許せずに、敵対した可能性も十分ある。実際、史実では親子仲違いする事案が多いのもそういう事なのだろう。
だが、彼らがそのような力関係になったのには、背景がある。そして、立場ごとの現状というものもある。当事者同士の状況と力関係、未来への展望。それらを無視して、自分たちが感じ、思った通りに圧倒的な力で干渉するのが良いとは到底思えない。
それこそ、『暴力』に他ならないではないか。
「……だからこそ、フィアマーグ様はああ言ったんだと思う。本来の力の使い方ではない、と」
レーテはゆっくりと頷いた。
だが、ファルガはそこで言葉を止めない。一瞬の間の後、呟く。
「でも、それも時と場合に因るかな。
今回の神隠しが、自分たちの知っている人間によってなされていたり、自分たちの知っている人間が被害者だったりしたら、それは何とかしたいと思うんだ」
レーテはファルガの顔を無言で見据えた。
町は朝食の時間を終え、再び動き出す。通勤の雑踏が往来を埋め尽くす。
「それに、今回の薔薇の泣き声は、さっきの特派員の人たちの言っていた『神隠し』に繋がっているような気もするんだ」
ファルガはそういうと、薔薇城の方に踵を向けた。
泣き声は、デイエン城の薔薇園からだ。
勿論、植えられている薔薇が泣きながらファルガとレーテにその理由を訴えかけてくるとは思っていない。だが、少なくとも彼らを呼んだ薔薇たちのいる場所を訪れる事で、何かが分かるのではないか、とファルガは思っていたし、その計画にレーテも同意した。
とはいえ、陽があるうちに城に近づくのは難しそうだ。ファルガとレーテはそう結論する。
復興の当初は、皆城へと足しげく通い、修繕に尽力した。
だが、今は城に近づく者はわずかしかいない。恐らく、サイディール家の城勤めや物品の納入の業者だろう。城を遠巻きに見つめるだけでも、人々からは訝し気な眼差しを送られている。
城そのものがまるで禁足地であるかのような扱いだ。
内城壁に穿たれた城門には、辛うじて衛兵らしき者が立つが、その表情は疲弊しきり、目の焦点もあっていないように見える。仕事だから仕方なく城勤めをしているが、赦されるならばすぐにでも転職をしたい。そんな雰囲気に満ちていた。
三年前の『ラン=サイディール禍』の直前。
通商省長官であったマーシアン=プレミエールは、ラン=サイディール国の軍事国家から貿易国家への急激な方針転換を行ない、軍を縮小する為にリストラを敢行するとしたベニーバの方針に従い、その具体策の発案と実施に奔走することになる。
だが、その行動は当然軍部からの猛烈な反対にあうことになった。
かつての軍事国家ラン=サイディール国の軍部と言えば超エリート集団だ。様々な兵の属する軍を指揮する軍の中枢だ。
軍の規模を縮小する為にリストラを敢行することは、彼らの仕事を奪い生活の基盤を覆そうとするという行為であるということも勿論だが、最強の軍事国家の群に属しているというプライド、そして国家の他部署に対する圧倒的な発言権を地に落とすような行為を、彼らが是とするはずもなかった。
国家の運営に多大な影響力を持つ超エリート集団が、失策なく財政を圧迫しているわけでもなく、リストラの憂き目に会うというこの状況は、彼らにとっても理解不能だったのだ。
時の宰相であったベニーバ=サイディールは、その反発の矢面に立ち、何とか軍部に軍縮を承諾させるように交渉する事をマーシアンに命じた。
だが、軍部の主張は、今の状況で軍縮をする目的が分からない、というものだった。それに対し、マーシアンは軍部を納得させるだけのアイデアを持っていなかった。
それも無理はないだろう。
現在でもラン=サイディール国は、この世界に於ける第一位国家であることはまごうことなき事実だ。そして、それは首都がテキイセの時代から脈々と続く、圧倒的な軍事力に因るものであるのは間違いない。そして、経済的な優位性もその恩恵を受けている事は否定しようのない事実だ。
だが。
それでも。
最高権力者であるベニーバ=サイディールがそれを命じた以上、実施に移すしかない。
それは軍部もわかっている。そして、ベニーバに直接対抗することはできないからこそ、軍部はマーシアンを毛嫌いするしかなかったのだった。為政者であるベニーバが人の心を持つ為政者ならば、軍部が何故反対するのかという事に気づいてくれるだろうと信じて。
だが、この時の国家の方針転換が、世界中に散らばっているとされる聖剣を入手する為だけに実施に移されたのだという事は、この時点では当然誰も知らない。
マーシアンも、ラン=サイディール国近衛副隊長ソヴァ=メナクォでさえも。
そして、軍部の批判がマーシアンに集まるようにしたのも、実はベニーバの策だった。この小心かつ肥大した自尊心の持ち主は、自分の欲を満たすために自分が憎まれる事すら耐えられなかったらしかった。
その結果、マーシアンの行動や意見を、軍部は兎に角否定するようになり、兵部省と通商省は実質省間冷戦状態になっていた。
その当時は、軍での仕事が無くなる事に大きな嫌悪感を示していた兵士達だったが、『ラン=サイディール禍』後は、デイエン貴族の求心力の低下に伴い、軍を離れたいと望む者も多くなっていた。それでも、何故か給金だけはよかったために、辞められないという状況があり、兵士達は精神的に疲弊していた。
表だって嫌な仕事があった訳ではない。
ただ、死に体のベニーバ政権に向けられる冷ややかな視線は、彼等の心を削るのには十分すぎる破壊力を持っていた。
ファルガたちが脱出直前に見たベニーバの醜態。その情報は、デイエンの民には流れていないはずだった。対外的には、SMGの野蛮な空中からの攻撃に対し、さしもの薔薇城も堅固な守りを突破され、城も痛手を受けた。
そのような認識の筈だった。
だが、何故か人々は薔薇城を遠ざけており、ベニーバ政権を否定こそしないものの、支持はしていなかった。支持できる要素が無くなった、というのが本当だろう。
本来であれば、いの一番で音頭を取って復興の指揮を取らなければいけない筈のベニーバが、中々表舞台に出てこない。
各省の長官が連携して部署内の調整を行うが、本来であれば省間の調整はベニーバの指示の元に行われるべきだ。しかし、実際にはベニーバが引き籠ってしまったため、いつまでも指示の出ない状態が続いた。
それに業を煮やした省の長官達が検討した上で発した筈の、デイエン都市民に対するメッセージと具体的な指示とが、完全に後手に回ってしまい、デイエンの民衆に徐々に不平不満が溜まってきてしまっていた。
表立った暴動にこそ繋がらないものの、今やベニーバ政権の信頼は地に堕ちてしまったと言っても過言ではなかった。
『ラン=サイディール禍』は、偽りの改革の為政者ベニーバ=サイディールの化けの皮を剥がしたのだった。




