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界遊記  作者: かえで
巨悪との確執

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国家連携

「これで全部か」

 レベセスは、大きく溜息をつきながら呟いた。

 彼の眼前には、書類の山。

 イア海に面するカタラット国ワーヘ城の一角に、『国家連携』事務局は間借りしていた。その中の一室に、レベセスが実務をこなす部屋が準備され、彼はそこで書類に目を通していたのだった。

 『国家連携』の発起人で、実質的な指導者として連携を運用する、レーテの父レベセス=アーグ。彼を語るには、元聖剣の勇者・聖勇者であり、ラン=サイディール国元近衛隊長にして兵部省長官、ラン=サイディール国の属国であったドレーノ国の総督を歴任し、現在は国籍なしのSMGの活動域ボーダーレス特派員『フリー』であるという説明は必要だが、彼の活動はその枠に収まっていない。

 そんなレベセスが今回、旧古代帝国・現イン=ギュアバ帝国皇帝イン=ギュアバの案内の下、SMG頭領ヒータック=トオーリとカタラット国王スサッケイ=ノヴィ、そしてジョウノ=ソウ国先代国王テマ=カケネエと共に遺跡内を回り、現行の帝国内の設備や軍事力他、巨悪と対するのに必要な様々な要素を確認して回ったのは、二年半前のある日の神を名乗る者の訪問後からだった。


 神を名乗る者は、ファルガとレーテを対巨悪の戦士として育てる旨を、レベセスに告げる為に彼らの前に再度現れた。

 かつて、大陸砲を巡って争った木造のワーヘ城屋上。そこで、レベセスは神の呼び出しを受け、深夜のシュト大瀑布の爆音と滝風を受けつつ、神を待った。

 フィアマーグという名を聞き、かつては震え上がったレベセス。だが、今は遺伝子レベルで伝わる巨悪の呪いの影響を受けながらも、理性で神であると解し、話を聞いた。彼は、仮面をつけたまま話をしようとするフィアマーグに対し、魔王のイメージが強すぎる故、仮面を外してほしいと望んだ。

「三百年この仮面をつけながら行動していた故、この仮面を外すのは些か不安を覚える」

 そう言いながら仮面を外した精悍な女神の頬は、ほんの少し赤らんでいた。

 仮面の陰から現れたのは、美しい少女の顔。レベセスよりもずっと年齢は下で、ともすれば娘と同じくらいの年齢。今は生き別れになってしまった長女カナールと同じくらいの年齢だ。

 齢三百歳を超える女神フィアマーグではあったが、何故か父の眼差しで自身を包み込まれるような不思議な感覚に襲われた女神は、既に亡くした筈の父の面影をレベセスに感じてしまった事に気づく。しかし、それを気取られぬように男達の横を通り過ぎ、レベセスに背を向けた。

 封印されし神。

 三百年前の大戦の後、自身と世界を護る為に、高次の神に己の封印を望んだ。

 かつて神勇者であった少女は、神皇より知識こそ授けられた。形上はそれを経験した物として、体も心も覚えている筈だった。だが、不思議な実体験での不思議な心の動きまでは、経験としては積めなかったようだ。

 知識と経験と、そこで感じた心の動きと合わせて初めて自身が自由に使える財産となる。悲劇の女神は、その心の動きを実体験しないまま三百年経過してしまった。心の伴わない知識だけが先行する、本人たちいわく『頭でっかちな』存在になってしまったのだ。

「神賢者の父よ。そなたの娘・レーテはもう一人の神ザムマーグと共に私が鍛錬を行う。

 神勇者の少年と共に、来たる『巨悪』との戦いに備えることになるだろう」

「神にこういうことを頼むのは失礼なのかもしれませんが、娘と友人の息子を宜しくお願いします」

 フィアマーグは、レベセスの願いに何も反応を示さなかった。だが、レベセスはそれを無言の了承と受け取り、また、フィアマーグもそのつもりだった。

 フィアマーグの視線の先に、一人の男がいた。いや、現在は男という性別が正しいのかは不明だ。だが、かつては少年だった。

 神の戦士になる前、同じ時代に生きた少年と少女。

 皇帝兵器イン=ギュアバと精悍な女神フィアマーグはお互いに向き合ったまま微動だにしない。だが、彼女たちは三百年ぶりの再会を果たし、無言の会話を交わしていた。

 彼らが、一体どのような事を話したのかはわからない。

 レベセスとテマ、スサッケイは静かにその場を辞したのだった。


 遺跡ではなくなったイン=ギュアバの都市は、『精霊神大戦争』後の人間たちからすれば、最早異世界だった。

 山を一つ越えようかという高度を一瞬で移動できるエレベーター。長距離の大量輸送を可能にした『鉄の蛇』。そして、一棟一棟がまるで巨大な城を彷彿とさせるビルディング。

 これらの構造物が、前回訪れた時には崩壊した瓦礫の山脈であったと言われても、俄かには信じられない。だが、『遺跡探索隊』として同行したテマがそれを言うのだから、そこにいる人間は信じざるを得なかった。

 皇帝イン=ギュアバによると、帝国イン=ギュアバの人工構造物には、必ず『形状記憶術』という道具術が施されていたという。その術は、物質に様々な工程を加える際にその形状が本来の形状であると覚え込ませるものなのだとのこと。

 例えば、純度の高い鉄に加工したとしても、本来の鉄という物質は、酸化鉄の状態がこの世界下での正常な存在状態なので、人間の加工技術では必ず鉄は錆びていく。だが、『形状記憶術』を用い、物質の元々持つ元に戻ろうとする力に対し、還元反応を起こすように道具術を自動で発生するように設定する。そうすることで、物質の地上での理想存在状態を変え、純度の高い鉄の状態を維持させるのだという。また、ビルディングを一つの物質として認識させるので、崩壊したとしても自己修復されるのだという。物質の形状を記憶させるのだが、過度の破砕に関しては恐らく修復はできないだろうという事、そしてその術は帝国イン=ギュアバが稼動していないと実行しないとも、皇帝は口にした。

 最初に遺跡を訪れたファルガたちは、帝国イン=ギュアバの復活を目の当たりにした。

 割れたガラスや崩壊したビルディングが自動修復されたことは愚か、干からびた人工の水路に水と共に小魚が戻り、灰色だった空は青く染まり、飛ぶ鳥が突然戻ってきた。化石となっていた山や森林は色を取り戻し、ありとあらゆる動植物が息を吹き返した。

 ジョウノ=ソウ国先王であり、同時に稀代の考古学者でもあるテマ=カケネエは、そんな皇帝の説明を耳にし、驚きを隠せなかった。

 人造物をどうこうするのはまだわかるが、生きとし生ける生物の生体保存や、生物の生存条件である環境の保全を全てコントロール下に置いていること自体が、人間の技術というよりは、神の技術と呼ぶべきものであるような気がするし、そもそもその技術を人間が持っていいものなのかどうかもわからなかった。既に人間が手を加えた時点で、自然のものではないという考え方と、人間の施した加工も含めたものが自然である、と言う二つの考え方が完全に対立して存在するからだ。

 倫理的な問題も多分に含むこれらの帝国の技術。

 それらを目の当たりにして、テマは考える。

 生物の尊厳をここまで侵してよいのだろうか……。いや、これを生物の尊厳という表現で語っていいのかどうか。

 そもそも生物の尊厳とは何なのか。周囲の人間が勝手に与えた、本来は不要な『誇り』なのではないか。生きることも死ぬことも、大きな流れの一つであり、それそのものには何の意味も目的もないのではないか。目的のようなものとして振舞い生きる者が、たまたま命を繋いでいるように見えるだけなのではないか。

 そんな疑念が湧いてきて仕方がない。

 今この瞬間に、突然突きつけられた現実を、どう判断してよいものなのか、テマには即答できなかった。

「テマ様。混乱するお気持ちはわかりますが、今はどのような手を使っても巨悪を排除しなければなりません」

 レベセスの言葉に、テマは何度も執拗に同意する。まるで自分が疑念を持つことが罪悪であるとでもいうように。

 それでも、遺跡に滞在している間中、彼の表情から曇りが消えることはなかった。

 わかってはいる。わかってはいるのだ。

 何物にもまして最優先すべき事項は、巨悪の排除。全てはその後に考えればよい事。巨悪を排除しなければ、そもそも現時点での世界の維持が不可能となる。

 その為に、世界は協力して動き出している。

 かつての神勇者・神賢者であった女神たちは自身の人生そのものを生贄にした。そして、かつて一人の天才として名を馳せた少年も己の身体を媒体とし、世界の存続を望んだ。

 彼は、巨悪と戦うために自らを兵器とし、帝国イン=ギュアバの持つ全てのデータを自身の頭脳に繋げることで全ての知識を手に入れ、全ての技術を自身の手で実現可能にした。

 そうやって巨悪に対抗する力を得なければ、世界が巨悪に滅ぼされてしまうと思ったからだ。世界が滅びてしまったなら、倫理がどうの、尊厳がどうのとは言っていられなくなる。

 ……結果的に皇帝は決戦の日に間に合わず、三百年前の世界は殆ど崩壊してしまったわけだが。

 そして、今はそれだけではない。

 過去の戦士たちだけではなく、現代の戦士たちも巨悪を迎え撃つためにそれぞれができる最大の努力をしている。

 いや、戦士たちだけではない。その周囲で補助をする人間たちも、必死で巨悪に抗う手段を確保しようとしている。この帝国イン=ギュアバ領の視察もそのためだ。

 遺跡を懸命に守ってきたカディアン族。

 古代帝国の技術を手に入れようと遺跡に忍び込む盗賊を排除する為に、新しく作られた生体守護神。

 まだ見ぬ兵器や技術もたくさんあるだろう。

 それらはすべて、巨悪に対抗する為に成された、たゆまざる努力なのだ。


 二年近くかけて、帝国領の視察を終え、帝国イン=ギュアバの持つ様々な機能がどのように対巨悪戦に利用できるかという検討段階に入った『国家連携』幹部たち。

 余りに広大な土地は、幹部だけで視察できるものではなかった。

 そこで、三人一組の視察隊が幾つも作られた。その構成員は、かつてカタラット国仮王ゴウ=ツクリーバの私兵集団であった『影飛び』と、超商工団体・空中武装商船団SMGの『特派員』が殆どだった。

 元々隠密集団の性質の濃い『影飛び』と『特派員』。彼らほど調査に長けた集団を、別途準備することは非常に難しかった。

 実際、全世界に『国家連携』主導での遺跡探索隊を組織した時でも、大量の統制のとれていない各国の戦士や傭兵を派遣するよりも、少数精鋭の部隊を送り込む方が、補給の整備や情報伝達、その他進捗等、組織管理も結果的に容易だったほか、何より実際に成果を上げてきている事でも証明済みだった。

 また、SMG頭領とかつての私兵集団の長が『国家連携』の幹部として所属していたため、新しく指示系統を確立する必要がないのも都合がよかった。

 彼らには、インカムと呼ばれる通信機を皇帝イン=ギュアバから渡され、あたかも一つ一つの視察団に案内役の皇帝が同行しているような形で、リアルタイムで様々な情報を得る事が出来、かなり有意義な視察となったようだ。

 それぞれの視察団が、視察担当箇所の詳細な報告を上げてきていた。

 レベセスを始めとする幹部たちは、それらに目を通すことで、帝国イン=ギュアバの首都カンウルデにはどういった機能があり、どういった運用が可能であるのか、という状況の把握に努めた。そして、どのように首都カンウルデの持つ機能群を運用し、巨悪を退けるのが良いのか、議論することとなった。

 会議の場は、ワーヘ城の来賓室。

 『畳』と呼ばれる井草を編んで作られた敷物が敷き詰められた広間は、『襖』と呼ばれる間仕切りにより、適切な広さに設定されていた。行灯と呼ばれる照明器具が無数に設置され、十分な明るさが得られる空間で、幹部らは座布団の上に腰を降ろした状態で、資料を読み耽る。

 誰かが疲労のためにたまに顔をあげるが、他の者達が皆書類に目を通したまま言葉一つ発しないため、少し深呼吸をすると、その者は再び資料という名の情報の海に飛び込んでいく。

 長い沈黙の時間が流れる。

 やっと書類に目を通し終わったレベセス。他の者もほぼ同時に顔を上げた。

 誰も口を開かない。誰しもが第一声を発する事が出来ないのだ。

 それでも誰かが第一声を発しなければならない。

 レベセスは書類を畳の上に置くと、誰しもが驚き、そして誰もが持った懸案を、代表して口にした。

「大陸砲十門。飛天龍三十機。守護獣三頭。青の指輪多数。戦闘に使えそうなものは報告書を見る限りは以上だ。

 どれもこれもが、一人の野心家の手元に渡れば、それだけで世界制覇が可能な戦力となりうる。取り扱いには十分注意しなければならない。

 だが……。

 これらの戦力が本当に、巨悪に対して効果があるのか。それが最大の疑問だな。

 これらの兵器は、先の大戦時には今ある在庫以上の数があった筈だ。だが、成果があった話は言い伝えとしては勿論の事、古文書レベルでも記載がない。それぞれがとんでもない兵器だという事はわかる。だが、それを巨悪に対し使った形跡がまったくない。

 使わなかったのか。使えなかったのか。そこが問題だ」

 座布団に座る皇帝イン=ギュアバは、当時の記憶をデータベースより呼び起こす。

 そして、その映像情報を、ワーヘ城の来賓室にいる者達に共有した。




 帝国イン=ギュアバを始めとする幾つかの浮遊大陸が、魔神皇の攻撃を受けている間、皇帝兵器はまだ目覚めることができなかった。

 執拗な『魔』の戦士たちの攻撃は、帝国イン=ギュアバの国土を傷つけ、人々の命を奪い、街並みを破壊した。

 『魔』の攻撃の激しさ故、攻撃に対抗するより、未だ目覚めぬ皇帝を保護するモードに移行すべしと判断した大陸の基幹管理システムにより、浮遊大陸の防御力が大幅にダウンする。結果、『魔』の存在達の襲撃を防ぎきれなくなり、皇帝兵器イン=ギュアバが起動する前に大陸は墜落し、大多数の人間が死に絶える結果となってしまった。

 だが、大陸が墜落したことによって発生した大津波は、人々を大勢飲み込んだが、同時に『魔』の命もかなり奪う事となった。『魔』とは、相反する存在ではあるのだが、超人集団ではない。やはり自然現象には打ち勝つことはできなかった。

 そして、そのチャンスを見逃さなかった先代の神勇者と神賢者は、並み居る『魔』の兵士たちを一気に屠り、先代の魔神皇に迫る。

 神勇者と神賢者の鬼神の如き戦いぶりにより、体力を多く失った魔神皇は撤退を余儀なくされ、自身の居城であった彗星城に逃げ込もうとした。

 その時だった。

 この星の神であったグアリザムが、背後に急接近して魔神皇に止めを刺したのだ。

 同時に、グアリザムは自ら何かの術式を使ったのだろうか。

 突然グアリザムの周囲に黒い靄が立ち込める。靄の中には紫色の稲光が激しく輝いた。その靄の中で、稲光が徐々に太く強大になり、靄の外にまで漏れ出してきた。最終的には靄玉から棘のように四方八方に紫色の稲光がその力を放ち続けた。

 後世に伝わる、所謂『妖魔反転』の現象が起きたのだ。

 この現象は、神皇ですら目の当たりにしたのは初めてだった。現象としては実在することは知っていたが、そもそも相反する存在同士である『妖』が『魔』に変わることなど、確率的にあり得なかった。心魂が反心魂となるというのだ。実際の所は、変化の兆候があった時点で、その生物はその変化に耐えきれず死んでしまうという事が殆どだ。自分の忌み嫌う存在に、自分自身が徐々に変化していく事を知れば、その悍ましさに我慢できず、体が拒絶をして生命活動を中止するか、或いは心がそれに我慢できずに自ら死を選ぶか、だったはずだ。

 だが、グアリザムはそのどちらも選ばなかった。そして、恐ろしい現象が起きる。

 靄が晴れた後は、神であったグアリザムに対し激しい攻撃を仕掛けていた無数の怪物が付き従ったのだ。同時に、魔神皇が発していた以上の悍ましさがグアリザムを包む。

 魔神皇グアリザムの誕生だった。

 そして、この新魔神皇は、先代魔神皇が居城として使っていた彗星城を入手したのだった。

 新魔神皇は、そのままこの星の制圧に着手した。

 呆然としたのは、神勇者であったフィー=マーガーと神賢者であったサミー=マーガーだった。ほんの直前まで、自身の世界での高次の存在、信仰の対象ともなるべき偉大なる神だった者が、突然悍ましい気配を纏いながら攻撃を仕掛けてきたとすれば、その衝撃は計り知れない。

 神勇者と神賢者は、自分たちの世界の神であり、師匠でもあった神グアリザムと戦わなければならないことに対し、絶対の拒絶を態度や言葉で示しながらも、放置することによる事態の重大さを天秤にかけ、やむなくかつて神であった者に攻撃を仕掛けた。

 神であった存在との戦いは、大きな背徳感と絶対の悍ましさとのせめぎ合いだった。

 攻撃を仕掛けたくはないが、攻撃を仕掛けないと事態は悪化の一途を辿る。そして、かつて彼らの中で培われた心とは別の、眼前に出現した圧倒的『魔』を絶対的に排除したいという欲望にも似た感情に心が侵されていく。

 だからこそ、慟哭しながらの攻撃となった。

 まだ、魔神皇になったばかりのグアリザムが力を使いこなせず、徐々に神勇者と神賢者に追い込まれるのは時間の問題だった。

 神賢者であったサミーは、グアリザムの力が神であったころに比べて、急激に強くなっていくだろうという事を痛感していた。その能力の上昇は、文字通り加速度的に増していき、先程神であったグアリザムが屠った魔神皇を簡単に上回ってくるであろうことは容易に想像できた。

 そうなっては、止めることは愚か倒すことも不可能になる。

 神賢者サミーはその旨を神勇者フィーに伝え、一気呵成に攻め立てる。

 『魔』の力を体内に取り込んで、グアリザムが平気なのかはわからなかった。悍ましさに包まれた瞬間、グアリザムの表情は苦悶に満ちたものになった。

 それは無理もないことだ。

 今まで『妖』として神の地位にいた者が、突然、真逆の存在である『魔』に飲まれたならば、そして、その変化に時間がかかるものならば、それは生きながらにして殺されたような苦痛を覚えるに違いなかった。己の価値観と行動をすべて否定され、かつて禁忌と嫌った価値観と行動が容認できるどころか理想のものとして感じられてしまう。

 『妖』としての神の力が徐々に落ちていき、それを飲み込むかのように『魔』の力が徐々に増大していく。

 神であったグアリザムに、一体何が起こっているのか全く理解ができない。だが、目の前に悍ましく強力な存在の『魔』が生まれてくるとすれば……、それが神勇者と神賢者が対策していた魔神皇以上の力を持つ者になろうとするという事がわかっているのだとすれば、やはり魔神皇と同じように対峙して、力を削るしかない。

 だが、結果としてその戦い方が仇となる。

 優勢にいる『妖』は、魔神皇の力を削るだけの戦い方をするよう、神皇に厳命されていた。

 その理由は当時のフィーたちにはわからない。ただ、そのようにするのが、魔神皇並に力をつけてこようとするグアリザムに対しても妥当だと、最初は判断したのだ。

 ほんの数分間、グアリザムと対峙した神勇者たちだったが、神皇から殲滅の命を受ける。

「この『魔』は、魔神皇とは違うようです。という事は、魔神皇は不在となりました。もはやこの界元の不滅はありえなくなりましたが、それでも魔に制圧されるよりはよいでしょう。魔神皇の不在の問題は、時間が解決するかもしれません」

 戦士少女たちの頭に直接響いてきた神皇の言葉の意味は分からなかったが、少なくとも魔神皇と戦った時のようなセーブした戦い方ではなく、全力で対決せよ、という指示が神皇ゾウガより下された。

 悍ましい物を全力で排除する。ある意味爽快感すら生み出しそうなこの状況に、不謹慎ながらフィーとサミーは歓喜する。もはや、この戦闘は本能同士のぶつかり合いとなる。親が子を愛し、オスがメスを求める。逆もまた然り。それと同じレベルでの殲滅熱。暴徒の持つ破壊殺戮の欲望を本能のレベルにまで圧縮した迸る衝動。

 フィーとサミーはオーラ=メイルを全開にし、グアリザムとの戦闘を開始する。それは対魔神皇レベルの忖度した戦闘ではなく、全力での蹂躙を目指したものだった。

 文字通り、大地が裂け、海は沸き立ち、上空の雲は全て消し飛んだ。

 長い戦闘の後。

 グアリザムは、瀕死の重傷を負いながらも、何とか逃亡を開始する。そして、彗星城へと逃げ込む直前に、神勇者と神賢者を始めとする、この星の生きとし生ける者すべてに呪いをかけた。

 その呪いを一身に受けた神勇者フィーと神賢者フィーは、逃げ去る彗星城を放置し、互いに自身を封印する決断をし、神皇に懇願するまでの間、互いに相手を骨一つ残さず消滅させるつもりの全力の戦闘を開始することになったのだった。




 『国家連携』幹部たちは、皇帝兵器が準備した映写機で、彼が女神から受け取った情報を閲覧していたが、余りに酷い映像に言葉を失った。

 通常の戦闘では考えられないレベルでの残虐な戦闘もそうだが、禁忌を嗜好とする存在への変異は、誰が考えても理解も納得も同調もできないだろうと容易に想像できたからだ。できるのだとしたら、恐らく『黒い稲妻』を受けて、『巨悪の選別』に耐えられた者だけなのだろう。

 その状況は凄まじく、稀代の考古学者であるテマ=カケネエですら、体調不良を理由に、一旦その場から辞したほどだ。ありとあらゆる禁忌を嗜好とする『魔』の存在は、どうあっても許容できるものではなかった。

 恐らくどの国でもあったであろう虐殺や処刑の様、そして肉欲を始めとする、迸る快楽を満たすためのありとあらゆる残虐非道な行為。宗教ならば必ず禁じられているような姦通に加え、蟷螂のように性交対象を食しながら行為に至る食姦や、我が子が嬲り殺される様を見せながら行為に至る狂姦など、およそ快楽とは無縁の行動全般を、『魔』は是としていた。

「……絶対的な価値観の違いとは、無情だな」

 額に脂汗を浮かべ、顔色が真っ青ながらも辛うじて皇帝イン=ギュアバの見せた『資料』に耐えきったレベセスが、苦しそうに呻く。

 皇帝イン=ギュアバは、話を続ける。

 帝国イン=ギュアバ成立の遥か前から、『妖』と『魔』は比率こそ大幅に違うものの、同一世界に存在していた。それは、誰にも意図されぬ……神や魔神、神皇や魔神皇ですら意図していない……バランスで成立していた。まさに、界元の奇跡だった。

 目立つことにより『魔』は圧倒的多数の『妖』に排除されてしまう。その為、己の価値観を押し殺し、『妖』に合わせて町で生活している『魔』は数多くいた。また、人の手の入らぬ山奥に小さな集落を作り、そこで『魔』の血を残している一族もいた。

 集落では、血が濃くなりすぎることを避けるために、定期的に外部の血を混ぜる必要があるが、その手法はといえば、知恵をまだ持たぬ男児の略奪。何人もの女と略奪してきた男を強制的に交配させ、最後に男を処分する。似たような手法で、略奪してきた女でそれを試した集落も無数にあったが、体に赤子を宿す『反心魂』は、ストレスの為に子は育たなかったとされる。

 それにより、徐々に『魔』の血が薄くなる。生活習慣などではなく、本能や遺伝子レベルで互いに拒絶しあう存在であるはずの『妖』と『魔』の血が強制的に混じり合い、徐々に中間の存在が世に増えてくるようになった。

 恐らく、結果的な『妖』と『魔』の融合が始まったのは、人間が人間として生活をし始める以前からだろう、とは皇帝イン=ギュアバの言葉だった。

 類人猿から哺乳人類に進化したとされる進化形態において、胎生が殆どであった哺乳類を始めとする種族の『妖』と『魔』の血は、状況的には非常に混ざりにくかったが、類人蜥には半卵生の種が多かったため、産卵後受精した事も極低確率でありながらも、事案としたらあったかもしれない。

 哺乳類人と爬虫類人がそれぞれ文明を持ち、集落から村を作り国家を成立させる頃には、反心魂同志が、かなり混ざり合っていたものと思われる。それ故、『黒い稲妻』で選別こそされずとも、『黒い稲妻』の勧誘をすんなりとは拒絶できない人間が一定数いたのだろう。

「……これは、一般の人間には知らせない方がいい中身だな」

 ヒータックは、さんざん嘔吐した後で、苦しそうに呻いた。

 SMG新頭領のいう事ももっともだった。

 間違って情報が伝われば、『魔』探しによる無益なつるし上げが発生してしまう可能性もある。また、それにより数多くの無実の人間が死に追いやられるだろう。人間は、邪悪と認識した対象を血祭りにあげることに至高の悦びを感じる。そして、そこには罪悪感はない。

 たとえそれが、真の邪悪でなかったとしても。

 今までの歴史がそれを物語っている。

 テマはそれを研究で、ヒータックとレベセスは実際にそれを目の当たりにして体感してきた。それ故、護るべき人間の『危うさ』を十二分に知っていた。

 それならば、『反心魂』としては大分血の薄まった、今の『妖』と『魔』の共存できる環境において、大騒ぎをするのは得策ではない。他所に反りの合わない者同士でも、利害が一致すれば協力できるかもしれない今の世界の方が、『妖』にも『魔』にも優しい世界であることは間違いない。

 『巨悪』は、そんな薄まった『魔』を前面に引き出す力を持っていると考えるべきだ。

 いつの間にか戻ってきたテマの口から、『黒い稲妻』についての正確な分析がなされた。

「私は、貴方がたのいう純粋な『妖』と純粋な『魔』という存在を知りません。

 現存する全ての存在が『妖』と『魔』の両方の特徴のある心魂を持っています。

 勿論、二種類の心魂を持っているのではありません。生物の持つ心魂は一つ。

 それぞれの生物の持つ心魂は、割合こそ違え『妖』と『魔』の性質を具有しているという事です」

「皮肉なものだな。様々な価値観の多様性を認められるようになるような人の社会の成熟が、『妖』と『魔』の存在を両存させ、逆に悲劇を生むことになるとは。

 『妖』であるはずの我々も大なり小なり『魔』の気質を持ち合わせているという事実が、価値観を始めとする人間文化の多様性に繋がっているとはな」

 皇帝イン=ギュアバの言葉に応じたレベセス。

 だが、これで方向性ははっきりした。

 理想はやはり『巨悪』を排除することだが、それは正直難しいだろう。

 この世界の存在を護る為に、『巨悪』グアリザムが連れてくると思われる純粋『魔』の戦士……本当は神闘者という呼び名ですらないのかもしれないが……を何とか退けるという事。

 その為には、帝国イン=ギュアバ内にある戦力をうまく分配して、『巨悪』は抑えられずとも、神闘者を何とかするしかない。

 話し合いの結果、大陸砲の管理及び運用はレベセスとテマが行ない、飛天龍三十機は、今までの移動用の飛天龍に乗り慣れていると思われるヒータックを始めとするSMGの操縦者たちに管理運用をさせ、青い指輪については、『影飛び』と『SMG特派員』で一人一本ずつを支給することになった。

 現行戦力の等分が終わり、残された時間、与えられた戦力の熟練度を上げる為に各人鍛錬に励んだ。

 そんな様を見ながら、レベセスは思う。

 それでも巨悪に対抗できるのは、せいぜい皇帝兵器くらいだろう、と。

 神勇者となったファルガと、神賢者になったレーテが巨悪と戦っている間、巨悪が引き連れてきた『魔』の戦力をどうやって減らしていくのか。

 それがこの大戦の鍵になるだろう、と。

抽象的な概念を描くことは難しいです……。

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