それぞれの二年半
知識を受け取ったファルガは、神皇の城でありとあらゆる鍛錬を行なった。心を鍛えること。体を鍛えること。そして理解力を高めること。今まで我流であった剣術も氣功術も系統立てて習得した。剣術も道具術の一つであることを、彼はこの時初めて知る。切断、分離、といった、物質を切り分けるという効果を、人間の手を用いて得るのではなく道具に実現をさせる術。その道具を如何に効率よく使用するか、という術が道具術であるという事。
術や技の鍛錬の方法も、神皇から受領した知識に因る。
術のあらまし。技の原理。『真』の実際。『氣』の実際。
その知識を、知識だけでなく体に刷り込むことで経験とし、体に覚え込ませる。
可憐な女神が行なった『経験の転送』はイレギュラーな技術。一度は使えても二度目はない。神皇の鍛錬を行う前のファルガには、一度放つ事が出来た≪八大竜神王≫を再度使うことはできなかった。
ファルガは神皇から与えられた知識を使って、技術を体に覚え込ませていく。経験は本人が積んでこその本人の技となり、他人の経験の模倣は、実現はできてもその再現率は百パーセントを大きく下回る。
それ以外にも習得した知識は莫大。
勿論、人々の黒歴史、神々の黒歴史などの、本来であれば人間が知るべきでない闇のような情報もファルガの脳を何度も打った。
最初、情報の奔流に晒されたときに、その圧倒的な情報量と内容の衝撃故、ファルガは気を失うことになったが、『巨悪』と対する為に、それも全て受け止め、鍛錬に励んだ。
ファルガの二年半も、あっという間に過ぎることになる。
超神剣の装備も、レーテの神賢者の装備と同じく、ファルガの成長に合わせてその大きさを変え、常に彼と共にあった。
竜王剣。光竜兜。蒼竜鎧。
超神剣の装備の名は、誰かが呼んだのではなく、神の知識として与えられたのだった。
南の島の黒い神殿で、レーテは神賢者としての鍛錬を積む。
『氣の糸』を作るのは、安定した『氣』の供給と繊細な氣のコントロールを身につけるための鍛錬だった。そして、鍛錬に入ってしばらく経った頃、レーテは法衣を編み上げるだけの長さの氣の糸の物質化に成功した。
白銀に光り輝くその糸は、見る者に癒しを与えた。そして、一度その糸の作成に成功すると、糸の作成者の命が尽きるまで、物理的な距離が離れようとも時間的な経過を経ようとも劣化しないという代物だった。
オーラ=スレッド。
レーテは、そう呼ばれた自分の氣の糸に、自分の命が尽きてもその姿を残す機能を付与することを望んだ。女神は、それはほぼ不可能だと少女に告げたが、その機能は、より強力なオーラ=スレッドを物質化することで実現可能であることを知り、その実現を目指し、更に鍛錬する。
「オーラ=スレッドを編み込んで作る法衣は、生物なのです」
神はそう言った。
そして、その身に纏う者を全力で護る慈悲の心を持つのだそうだ。
少女は、もし法衣が生き物として生きるのならば、自分の命に引きずられてはならない、と糸の作成者として強く願った。
『生き物』ならば……。厳密には『生物』ではないとしても、明確な意志を持って誰かを護りたいと思う心を持つ存在であるのならば、その想いは尊重されるべき。
かつて、少女の父は、
「『氣』で構成される無機質の物質が存在する世界ならば、無機質の生命体が存在しうる可能性もある」
と言った。
ならば、その法衣も、己の想いの為に存在してもよいのではないか。
白銀の法衣は、先代の神賢者の作った法衣に似て非なるデザインとなった。先代の神賢者は、神となったために、人としての命は失われた。同時に、先代の作り出した法衣も失われることになった。
法衣がそれを望んでいたかはわからないが、もし法衣が実際に命を持っているのならば、そして、その命を賭しても守りたい大切な想いがあるのならば、その想いが果たせますように。
少女は願うのだった。
白銀の腕から流れる袖は、振る事であらゆる厄難を排した。法衣の絹のような輝きは周囲に癒しを与え、裾の柔らかな広がりに孕んだ風は、澄んだ香りを周囲に漂わせる。胸元に輝く紅いオーブは、神々しい雪山から登る真紅の太陽を彷彿とさせた。
レーテは、法衣を『暁の銀嶺』と名付けた。
彼女の名付けこそが、オーラ=スレッドを強化し、糸の主の命が尽きようともその力を残す。強い力を持つ者の言霊の力となった。
女神はレーテの強い思いに驚きながらも、法衣に命を与えたという事実を受け入れた。少女もまた少年と同じく、歴代の神賢者の枠に収まりそうもなかった。
少女は、可憐な女神より黄金の錫杖を託された。この錫杖は歴代の神賢者が用いたものだという。名前はないそうだが、レーテは何となく赤道を思い浮かべた。
『黄道の軌跡』。
名付けたつもりはなかったが、レーテは何かにつけ錫杖を示す時にはそう呼んだ。
レーテは法衣に袖を通すと、黄金の錫杖を手にし、オーラ=スレッドで編み込まれた白銀の冠を身につけ、女神たちと共に鍛錬を続けた。
二年半という月日が経ち、背も十センチ以上伸びたレーテ。しかし、錫杖も法衣も彼女にとってサイズが小さくなることはなかった。
皇帝兵器イン=ギュアバと共に、『洞』の移動術を用いて、各国の首脳の元を訪れた『国家連携』の主要メンバー。
元聖勇者にして、ラン=サイディール国の前近衛隊長、そしてドレーノ国の前総督でもあったレベセス=アーグ。ジョウノ=ソウ国前国王テマ=カケネエ。SMGの頭領ヒータック=トオーリ。カタラット国『仮王』スサッケイ=ノヴィ。
彼らは各国を訪れて、世界の現状と問題点、そして打開策について共有しようと、会談を申し込んだ。
この四人の存在を知らぬ者はほぼいない。しかし、顔まで知っている者は少なく、その四人が一堂に会することそのものを疑ってしまっている者達すら存在していた。
レベセスたちは、無理を承知で話を進めた。
ディカイドウ大陸の一部は、かつて帝国イン=ギュアバの領土であった浮遊大陸であり、来たる強敵を迎え撃つために、古代帝国の技術を使った兵器を準備しなければいけない事。
帝国は蘇り、様々な機能が復活したが、それらの技術や兵器の所有権を帝国に譲渡するか、出土した様々な物の権利を放棄してほしいという事。
その道具を使うスペースや、兵器の組み立てなどのスペースを提供してほしい事。
必要な場合、ディカイドウ大陸を浮遊させる可能性もある事。
想定される可能性についてすべてを話すレベセスたち。
正直なところ、レベセスからすれば『巨悪』との戦闘の為の手段が確保できれば、用は足りていた。理想は、『巨悪』を退けるだけの力を持つ兵器を確保できること。
しかし、もしそれが用意できていたとするなら、先の大戦で『巨悪』を倒すことができた筈。それが出来なかったという事は、そのような兵器が存在しないか、使うことに躊躇するほどのもので実際使えなかったか。
大陸砲の威力をもってしても『巨悪』にダメージが通らない、とは考えにくい。もしダメージがないなら、神の使いとはいえ、人間ごときに『巨悪』は倒せない。
その兵器や他の技術も、『巨悪』さえ退ければ、共有してもよいと思っていた。
強力な兵器を一国が持つと、それを使って覇権を求める輩も現れるだろうが、各国に平等に分配してあれば、戦争の抑止力になるだろう。
歴史を学んだ中で、兵器がなく争いも怒らない世界の理想を掲げる人々の主張と、兵器の存在によりお互いに手出しができない、膠着状態となる『戦略兵器』の齎す冷戦状態が好ましいとする人々の主張を比較した場合、どちらのほうが、結果的に実現可能性が高いかと考えると、やはり後者だ。
是非は兎も角として。
来たる大戦の勝利と、その後の各国のパワーバランスを考えてのレベセスの提案。
だが。
各国首脳は首を中々縦に振らなかった。
現状の国家の領土の問題、国家間の領海領空の問題、貿易におけるSMGとの問題など、現存する国家が国家外交として抱える問題は多い。そこに、帝国イン=ギュアバという存在が出現すれば、それぞれの問題を絶妙なバランスで悪化させぬよう両立させている、国家間のパワーバランスが崩れるのは間違いなかった。
全世界の貿易を牛耳るSMG。そして、十数年前まで軍事国家であり、未だ無数の兵器を所持している可能性のあるラン=サイディール国の存在。他国にとって、これほど立ち振る舞いの難しい相手もなかなかいない。
そして、強勢力である国家や組織の主要な人物たちに加えて、さらに強力な帝国イン=ギュアバの皇帝が出現し、出土品の所有権は放棄した上で、更に土地の一部を使わせて欲しいという提案を投げ掛けてきた場合、これを断るのは非常に難しいだろう。
帝国イン=ギュアバが圧倒的な技術力で占領し、併合すれば済む話を、わざわざ対等な土俵にのぼり、話し合いたいと言ってきている。
恐ろしい軍事力を持つ国家や組織に加え、イン=ギュアバの皇帝兵器が要望を出してきたならば、形式的には懇願ではあっても、実際には大帝国イン=ギュアバの皇帝による命令であり、決定事項になってしまうのは否めない。
拒絶はできないが、積極的に同意もできない。
為政者たちは回答を示さない『無言』を貫き通さなければならなかった。
殆どの国家が無言という名の回答留保で、会談は終了する。
超大国による、相対的に見た弱小国への過剰な忖度は、不信感しか生まない。
出土品の権利の放棄、一部の土地の利用の合意、という条件を承諾したのは、ジョウノ=ソウ国の王カネーガと、ドレーノ国三巨頭。
最たる懸案のラン=サイディール国宰相ベニーバは、消息不明となっていた。
意外だったのはノヨコ=サイの王サイトだった。サイトは、他国から招聘された王子であったが、そこで即位第一位が急逝したため、急遽王の座に就いた。第一位の暴挙を目の当たりにしていたサイトは、イン=ギュアバの提案を自国への不可侵を条件に協力要請に応じたのだった。
しかし、独立国家のほぼ半数を回ったところで、この根回しにあまり意味がない事を痛感するレベセスたち。
結局、事前に様々な事案を想定して、告知し注意喚起していっても、国家の内情等により温度差は埋まらない。それよりは、予告なしに事案が発生し、そこで迅速に情報共有を行う方が、一見すると被害が大きいように見えても、トータル的に見れば被害が小さく済むのではないか。彼らからすれば、もし仮に提供された情報が真実であったとしても、対応できる力も時間もなければ、只不安を煽るのみに終始する。行きつく先は自堕落な世界。
そして、できることならば、この星に住む彼らが、『巨悪』の接近に気づく前に巨悪を排除する方がよいのではないか。
これから来たる未曽有の大災害をもたらす存在『巨悪』に対しては、分かっている人間のみで対応する方が現実的だと言うことだ。
そう結論付けられ、それ以後、彼らは事前の調整をしなくなった。世の中には、確かに知らない方が幸せ、という事は多々あるのだ。手に負えないものであればあるほどに。
それからというもの、彼らはイン=ギュアバによって齎された、帝国の技術の理解と習得に努めた。
他国への告知をしないわけにもいかないので、告知自体は、書状でのみに切り替えた。当該情報をどう扱うかは為政者に任せる、というスタンスで。
回答をしてきた為政者とその関係者のうちの希望者のみに、かつての遺跡……現在は帝国イン=ギュアバとして機能を始めているその場所……今度は皇帝兵器の案内の下、彼らは『安全に』視察した。
先のファルガたちの調査は、探索とか探検とか言われる類の、死と隣り合わせのものだったが、今回は文字通り安全が保証されての『視察』だった。何しろ、全てを一元管理している皇帝兵器イン=ギュアバが同行するのだから、危険に晒されようがない。
遺跡の守り神的な位置づけであった巨獣は、石像のまま動きを見せず、ファルガたちがかつて目を見張った灰色の世界が色を取り戻す回復劇もなく。古代帝国から復活し、帝国イン=ギュアバとなった都市群は、現在の人間では理解に苦しむような圧倒的な機能満載で視察者達を出迎えることになる。
この視察で大興奮だったのは最年長者のテマだったが、その様子は後世までの語り草になり、輝かしい彼の考古学者歴の抱腹エピソードとなったという。
レベセスとテマ、スサッケイの間で、いざとなったら大陸を浮かせて移動兵器として使用しなければならないかもしれないが、有事の際の大陸上の人たちには、施設内……かつては遺跡だった……の中で生活してもらうしかないだろうと結論付ける。浮遊大陸そのものを砲台兼シェルターとして使うしかなかったが、地上に人々を残すよりはずっと安全だと思われたからだ。
そして、はっきりしたのは帝国イン=ギュアバには大陸砲などの圧倒的な火力を持つ兵器もいくつか存在したが、一番の兵器は、やはり『皇帝兵器』だったということだ。
テマは、イン=ギュアバが復活した時に、彼の口から確かにきいた。
「……間に合わなかった」
イン=ギュアバが皇帝兵器としてその身を捧げ、人間の考えられる最強戦士になった時、もう『精霊神大戦争』は終わりを告げていた。
浮遊大陸は墜落し、ほぼ世界の全てを巨大な津波が飲み込んだ。人々が造ったものは全て奔流に押し流された。モノだけではなく、人々の命と共に、様々な文化や技術が失われてしまった。
無国家時代を過ぎ、三百年の時代が経過しても、皇帝兵器は目覚める事がなかった。ファルガたちが遺跡の中心部を訪れるまでは。
今回の巨悪の襲来には、皇帝兵器が最初から参戦する。
第三段階を発動させた聖剣の勇者・聖勇者を圧倒した『神闘者』を容易に退けた皇帝兵器イン=ギュアバ。その存在が、この星の……、いや、この世界の明暗を分けるかもしれない。
レベセスやテマ、ヒータックたちはそう思ったのだった。
彼らも残り二年半という時間を、帝国の技術の習得に費やした。同時に、『皇帝ではない兵器』の造成が可能かどうかの検証も行われた。結論としては可能だが、それだけの能力を有する人材がいないと不可能だと結論された。
そして。
ついに。
全ての元凶が、この世界に再訪する時期が訪れようとしていた。




