神皇の城にて
超神剣の装備を纏った少年ファルガ=ノンと、精悍な女神フィアマーグは、神の作った『洞』を抜け、『巨悪』と戦うための技術を授けてくれるという神皇の元を訪れた。
薄暗い世界。
彼らが降り立ったのは、城壁の塔部分に相当する、周囲に比べて少し高い所。
巨大な湖の真ん中に立つ古城は、人の背丈の二倍以上はありそうなブロックを組みあげて造られていた。このブロックは岩石から切り出したのだろうか。
奇妙なのは、湖の真ん中に立つ城でありながら、周囲を見渡す限り、湖を取り囲む陸地へ延びるルートが見当たらないことだった。湖は完全に山脈で囲まれていた。いや、逆に超巨大な死火山の火口に大量の水が溜まり湖となった、その中心に居城が作られた、という表現の方がしっくりくるかもしれない。
城から伸びる城壁のような構造物は、文字通り城へ入る唯一の通路の様だった。だが、この塔自体も湖の上に設置されているため、城から伸びる通路も湖岸へは届かず、途中で途切れている。城は完全に孤立しているように見えた。湖面にその美しい姿を映す古城には、城壁の塔に行く事が出来ない限りは、外部からの進入が不可能だ、という事なのだろうか。
だが、この風景はそれで完成形なのだろう。神々を統べる存在の居城だ。高々人間が考えるような疑問など、取るに足らないものなのかもしれない。
いや、むしろ、この世界の姿を、ただそう見せているだけなのかもしれない。彼らの立つその場所は、確かに存在しているようだ。見せているだけではなく、神皇がそのように存在させているとしたら……。神皇の力の片鱗を垣間見た気がする。
周囲の景色や気温から季節を感じることはできないが、上空が澄み渡って空の星々……様々な大きさの惑星や恒星……が空に浮かび、惑星環までもが視認できるところを見ると、空気は澄んでおり、冬の夜空を彷彿とさせる。
ただ、ファルガたちの生活していた場所では、そこまで惑星がはっきりと視認できる場所はない。空の様子は夜、というよりはそのまま宇宙の姿を映し出しているようにも感じられ、太陽のような光源がないにも拘らず、不思議と周囲の情景をはっきり見る事が出来た。
ファルガにはここが自分の生まれ育った場所ではない、別の世界に存在する場所なのだと感じられ、そのことに何の疑いも挟まなかった。
現在自分の存在する場所の想像つかなかった為、精悍な女神に尋ねると、彼女は抑揚なく神皇の居城だ、と答えたのだった。
不思議な感覚だった。眼前の存在物については、一つ一つに何となく見覚えがある。だが、それが存在する理由が、自分の世界とは異なっているようだった。
一つは城。
城から外に出る際のルートがない。という事は、この城が一つの閉じた空間となっている。しかし、それなら城にする必要がない。城は国の象徴であり、治世の具現でもあるのだろうが、戦時は防御の要ともなる。だが、火口湖の様態からしても、周囲に城下町があるわけでもなく、そもそもこの世界に生物の息吹を感じない。
一つは気温。
暖かいのか寒いのかもわからないが、非常に過ごしやすく、逆に何も考えなくてもよいような快適な環境なのだろう。流石神の皇の住まう世界といった感じか。全くの無風なのか、湖面はまるで鏡面の様であり、上空を美しく映す。だが、その湖にも生命の痕跡は感じられない。
一つは空。
ファルガの知る空に輝く星は、空に無数に存在する光の粒であり、形状が分かるのは太陽と月くらいだ。ここではその何百倍もの大きさに見える惑星もあるところを見ると、距離があまりに近いということなのか、はたまた見え方以上に巨大な惑星なのか。あまりファルガたちのいた世界の物理法則で考えてはいけないのかもしれない。
ラマ村での言い伝えでは、夜空に散りばめられた光の粒は、天球に穿たれた雨が降ってくるための穴だという。その穴と地上との間に無色透明の見えない壁があり、そこに水が溜まり、時間が経つと中空に溜まるその水が濁ってきて空の穴が見えなくなり、その頃にその穴から溢れた水が雨となり地上に降り注ぐ。その濁りこそが命あるものの源である。
そんな話をラマ村の村長に説かれた記憶もあるが、ファルガも他の子供たちもそもそも信じてはいなかった。ただ、あれほどの高地で河川氾濫による洪水もないにも拘らず肥沃だったあの地の理由を、無理矢理こじつけた結果だったのだろう。だが、今ファルガのいるこの空間は、そういったおとぎ話の方がまだましだと思えるほどの非日常感だった。
城の様子を上空から見たかったファルガだったが、この世界では何故か≪天空翔≫を用いて空に上がる事が出来なかった。
ファルガは目に映る景色について考えることを止めた。どうせ考えたところで、その答えは得られないのだ。そんなことに気を取られている時間などありはしないのだ。
そんなファルガを見ていた女神フィアマーグから、何となく感じていた憤怒が薄らいだ気がした。神でありながら、すべての物に対して怒りを抱いている。そんな印象を与える女神だったのだが。
「気は済んだか? では進むぞ」
フィアマーグに二、三歩遅れ、歩き出すファルガ。
長い通路を歩き、城の入口までくると、ボロを頭から纏った老人がランタンを持って待っていた。
老人は、アーチ状の門に設置された、丸太を縦横に結び付けた網目状の門扉を引き上げ、ファルガたちを招き入れた。
少年ファルガの肩口までしかない老人……性別は不明だが、何となく男性に思えた……が、幾重にも組まれた丸太の門扉を触れずして引き上げた事に、ファルガは少し驚いたが、ここは自分の常識が通用しないのだと思い直し、老人の後について進む女神フィアマーグの後を小走りに追い、門を潜った。
漆黒の闇の中に、左右同じ高さで炎のみが浮かぶ。それが延々と奥まで続いており、回廊の存在を示している。
不思議と恐ろしさは感じなかった。
三人の人影は、無限とも思われる回廊を進み続ける。
完全な無音。足音すら周囲に響かない。
回廊内の炎は、周囲を照らしているわけではないのだが、ランタンを持ち、先を歩く老人と黒いマントを羽織るフィアマーグ、そしてファルガの姿だけは闇の中に浮かぶように視認できた。
やがて老人が立ち止まり、フィアマーグも立ち止まった。
それまで小走りに追いかけていたファルガも、前の二人の後ろで立ち止まる。
いつの間にか老人の姿が消え、ランタンだけが宙に浮いているという不思議な光景。
「フィアマーグ。ご苦労様でした」
男性のものか女性のものかわからない声が、周囲に響き渡る。
いや、それどころか音として耳が捉えているのか、はたまた頭脳に直接語り掛けてきているのかもわからなかったが、今となってはそれがどちらでもよかった。
フィアマーグはゆっくりとこちらを振り返ると、ファルガの横をすり抜けるように通り過ぎ、来た道を戻っていくのだろう。ゆっくりと闇に紛れるように消えていった。
ファルガの中で、精悍な女神フィアマーグに対する何かが変わった瞬間だった。
『魔王フィアマーグ』に対する拒絶感の延長から、フィアマーグの正体が女神であることが判明した後も、女神フィアマーグに対して今までどこか距離感が残り、無意識に警戒をしていた少年。
無理もないだろう。
魔王と言われた存在、フィアマーグは魔族と言われたガイガロス人が崇拝していた。
三百年前の世界が滅んだ『精霊神大戦争』という戦は、神対魔王、人間対魔族ガイガロス人という構図だと誰しもが考えていた。聖剣の勇者・聖勇者であったレベセスや、ガイガロス人でもあったガガロですらそう思っていたのだ。
『ザムマーグは神で味方』。『フィアマーグは魔王であり敵』。
ファルガたちを含めたラン=サイディールの人間、いや、世界中の人間たちはみな、そのような意識でいたし、父母、祖父母からの口伝は勿論の事、先人によって残された歴史の書物にもそう記載されていて、人間たちがそのように理解し情報を伝達していくのも理解できる環境だった。
だが、人間全体にフィアマーグを嫌悪、恐怖させ、元神勇者である女神を精神的に孤立させることも『巨悪』の狙いだった。
グアリザムが力を取り戻してこの地を再訪した時、元神勇者であり、女神となったフィアマーグが、世の半数の生命から忌み嫌われている存在となっている。それが『巨悪』グアリザムの呪いだった。
そして。
フィアマーグ自身も、再度侵攻してくる『巨悪』に対する為の神勇者の力を、自らを神と崇め、慕ってくれるガイガロス人から選び出そうという心理状態になるのも無理はなかった。己を受け入れぬ人間の為になど、尽力する気になるわけもない。それでも、共に神となったサミーは人間を愛していた。その愛する対象を積極的に奪う気になれなかったのも事実だ。
女神の指示のもとで実施された、ファルガとガガロとの模擬戦では、ガガロが勝利したのは間違いない。だが、それとは別に、確かに人間であるファルガより、ガイガロスであるガガロを選びたかったという思いは確かにあった。魔王と呼ばれ、世界を滅ぼしかけた『精霊神大戦争』の勃発の張本人であると思われていたフィアマーグは、本来の目的である巨悪との戦いの準備を進め、この世界を護ろうとしている、まごうことなき守り神ではある。
しかし、その守り神は、やはり自らを忌み嫌う人間よりは、自らを崇拝してくれるガイガロス人から神勇者を選定したかった。自身の全てを世界の維持に砕身した女神ではあったが、自らを憎む集団から、後継者である新しい神勇者を選びたくはなかったのもわからないでもない。そして、効率最優先とはいかぬその考え方こそが、女神とならざるを得なかった神勇者フィーの、残された人の部分でもあった。
なぜ、自分の選んだガガロではなく、ファルガという少年を、超神剣は神勇者に選んだのか。フィアマーグのその想いが言外から湧きだし、ファルガにプレッシャーを与えていた。そして、嫌悪すらした。
自分が神勇者になってはいけなかったのではないだろうか。フィアマーグはたまに自責の念に駆られた。
ファルガ自身も今までの環境に加え、神らしからぬ神に疎まれている事をひしひしと感じていた。それ故、フィアマーグに対しては警戒心を持っていたのも、致し方ない事なのかもしれない。
そんなフィアマーグが、神皇の城から辞するその瞬間、少年ファルガに初めて微笑んだような気がした。
自分を恐れた人間に対する神勇者フィーの絶望と女神フィアマーグのつまらない『意地』に、世界を護りたいという気持ちが勝った瞬間だった。それは、超神剣を身に纏い、神闘者の集団を退けたファルガの承認の瞬間でもあった。
複雑な思いに絡み捕られていたファルガの心が、すっと軽くなったような気がした。擦れ違い様に伝わったフィアマーグの本当の想い。
「……この世界を頼む」
そう語った女神の祈りは、確かに新・神勇者に届いた。
三百年前の『精霊神大戦争』で、『妖』の神であったグアリザムは、神勇者フィーと神賢者サミーと激しい戦闘を行なっている最中、当時の魔神皇の背後より一撃を加え、戦闘における『妖』と『魔』の均衡を一気に崩した。
本来であれば、劣勢になった魔神皇は彗星城に戻り、撤退する筈だった。そして、また何百年後かに力を取り戻し、再度『魔』の神皇として『妖』の神皇と雌雄を決する為にこの星を訪れた筈だ。『妖』の戦士たちをして悍ましいと言わしめる『氣』を纏いながら。
だが、神グアリザムはそれを許さなかった。
神賢者の術の直撃を受け、バランスを崩したところを神勇者の斬撃に更なる体力を奪われるも、最後の力を振り絞って決戦場から離脱し、彗星城に逃げ帰るとそのままこの星から離れようと意図していた魔神皇の前に立ち塞がり、そのまま魔神皇を体内に取り込んだ。
端から見たら不思議な光景だっただろう。黒いローブの逃げる人影を、白いローブの人影が羽交い絞めにし、何とその肩口を食い破ったのだ。
まさに一瞬の出来事だった。白いローブの神グアリザムは、魔神皇の食い破られた肩口から漏れ出る『魔』の『氣』を一気に吸い取った。そして、そのまま魔神皇を吸収してしまった。
その後は、先程までとは全く異なる新たな戦闘の始まりだった。
魔神皇を吸収し大きな力をつけた神グアリザムは、次に神勇者フィーと神賢者サミーに襲い掛かったのだ。
激しい戦闘の末、フィーとサミーはグアリザムを戦闘不能に追い込んだ。だが、グアリザムは呪いをかけた。それこそが、後の魔王フィアマーグ対神ザムマーグの対立の皮切りとなったのだ。
大きなダメージを受けたグアリザムは彗星城に逃げ込み、逃亡を図る。
グアリザムの呪いは明らかに発動していた。
呪いをかけられた神勇者フィーと神賢者サミーの全力の戦闘が開始された。
この戦いは双方意図せぬものだったが、グアリザムの呪いにより、『互いがグアリザムに洗脳された魔の手先』という認識を植え付けられ、双方ともに相手の殺害を最終目標にする戦闘が始まってしまったのだった。
彗星城が立ち去って数時間後、本来戦闘には介入しない筈の神皇が、もう戦いたくないという二人の願いを受け、神勇者と神賢者を封印した。その際、封印中に人としての寿命を終えないように、神皇は二人の戦士を強制的に高次に引き上げた。
そして三百年の後。
神となり封印が解けかけているフィアマーグは、グアリザムと今の自分が戦っても勝つことができない事はわかっていた。それ故、後継の戦士を探し、神勇者に育て上げ、神勇者だった頃の自分の仇を取ってくれる戦士を欲していた。かつて神勇者であった自分が認めた戦士ならば、己の代わりにグアリザムを倒してくれるだろう、と。
その眼鏡に適ったのが、青竜戦士族ガイガロス人の青年、ガガロ=ドンだった。
そんなガガロが、幾多の戦闘下で、黒い稲妻に打たれ、神闘者のようになったこと自体が、フィアマーグにとっては痛恨の極みだった。
ザムマーグの選んだ神勇者候補、少年ファルガ=ノンも才能的にはガガロに引けを取らない。とはいえ、現時点ではガガロに軍配が上がったはずだったのに。フィアマーグの選んだタレントは、結果この世から姿を消した。
少年ファルガが憎かったわけではない。だが、どこかでファルガを認めきれないフィアマーグがいたのは事実だ。
神としてはあるまじき嫉妬、なのか。
だが、少年神勇者ファルガ=ノンを神皇の城を訪れることで、フィアマーグの迷いが消えたようだった。
女神フィアマーグが神皇にどう諭されたのかはわからない。いずれにせよ、フィアマーグもファルガという稀代の才能を認めたのだろう。
神勇者フィーの望んでいた、少女の心の敵討ちの出来る存在になりうる戦士としての才能を。
フィアマーグの願いは、ファルガに鼓舞として届いた。
この言葉をファルガに投げかけたフィアマーグも、新しい少年神勇者と同じ気持ちだったに違いない。
力は認める。資格も認める。それでも、自分を忌み嫌った人間からの候補を、素直に認めることはしたくなかったのだ。
長い間彼女を隔てていた人間との『壁』が瓦解した瞬間でもあった。
精悍な女神と新しき神勇者は、この時完全に分かり合った。
突然の女神の言葉に思わず振り返ったファルガの視線の先には、もうフィアマーグの姿はなかった。
「神勇者ファルガ=ノンよ。貴方の行動はこの場所からよく見せて貰っていましたよ。
あの星での半年という短い期間。よくぞそこまで力を付けました。
貴方も色々と感じたり思ったり、言いたいこともあるでしょうが、まずはそちらの星でいうところの二年半後に控えた戦いで、『巨悪』グアリザムを倒すために更なる力をつけてください。
貴方をここにお呼びしたのは、貴方の星や銀河、そしてこの『ドイム界元』を巨悪の手から護る力を身に着けてもらうため。
貴方の星の神、フィアマーグとザムマーグから話は聞いているでしょうが、あの者は我々と『魔』とのバランスを崩壊させる危険な存在なのです」
声の主が『神皇』であることは直ぐにわかった。
だが、話の内容がファルガの認識とは微妙にずれている気がする。
『魔』とのバランス? 神闘者は自身を『魔』だと言ったが、女神もレーテの父レベセスも、巨悪は排除しなければならないと言っていた。
巨悪は『魔神』。『魔』の神皇であり、神闘者も『魔』だと言った。
であれば、『魔』は滅すべき敵だという公式が成り立つと考えられるし、実際そうなのだろうとファルガは思い込んでいた。
だが、どうも神皇の言い方では、『魔』を一方的に排除すべきではないという風にも聞こえるが……。
妖と魔。
完全に善悪による対比で考えてしまっていたが、そう単純な話でもないらしい。
魔イコール悪で、妖イコール善、という公式で考えていたのは、魔の者たちがファルガたちを妖と呼んだからであって、『妖』という表現にもどこか違和感はある。ただ、害なす者、というよりは、人間たちを取り巻く超常的な何か、という印象。魔よりは妖の方が表現としては何となく自分達寄りの存在だ、という程度だ。
人間は哺乳類であり、動物であり、生物。それらの区分を包含するもっと大きな区分である『妖』。『魔』も、神話にあるような生物としての魔物ではなく、大きな区分だという事ならば、中には生物であり動物であり哺乳類であり人間なのだが『魔』という存在もいるという事。
そのバランスを考えるとは……。
「ファルガ=ノン。貴方は力をつけてください。
知識や知恵は、私が授けることができます。しかし、貴方の持つ類稀な才能は、貴方自身でしか強化することはできません。よいですね?」
老人の姿をした神皇は、ファルガに自習を勧めた。
強くなるための方法は授けるが、神皇の特殊な力でもファルガの能力を急激に大幅アップさせることはできない、という事なのだろう。やはり地道な鍛錬が成長の一番の近道だということか。
「あの……、話を聞いていて、わからない言葉が幾つかあるんですが……」
少し前に初めて会った神。その神にとっての神。考えただけでも眩暈がする存在。その神の神、神皇から出た単語は、意味の分からないものばかりだ。
だが、ファルガは勘違いをしていた。
単語の説明を受けたところで、意味が分からないことが改善されることはない。やはり、全体を把握しない限りは、単語の意味を理解したとしても、それは表面上の事にすぎないのだということだ。
「いいでしょう。知識と知恵を先に授けましょう。そして、貴方は力と技、知恵と知識を兼ね備えた神勇者となるのです」
老人の言葉と同時に、膨大な量の情報がファルガの脳を直撃した。
今まで感じた事のない衝撃を脳に感じ、ファルガはその場に倒れ込んだ。
脳に物理的な衝撃を受けたわけではない。ただ、膨大な量の情報が彼の脳に打ち込まれただけだ。
だが、それはファルガにとっては激痛だった。脳が大量の情報を処理しようとして、フル稼働する。
情報は余りに膨大だ。
それを処理する為ファルガの脳は、まず視覚からの情報をカットした。続いて聴覚。嗅覚。触覚。最後に味覚をカットした。
そうするしか、脳が全ての情報を処理するのに不足するスペックを補う事が出来なかったのだ。それでもスペック的に足りるかどうか。
視覚的には真っ白な発光体に包まれた。聴覚的には超低音から超音波と言われる超高音が襲う。嗅覚、味覚はそれぞれ甘く辛く苦く酸っぱい不思議な実を口一杯頬張らされた感覚だ。触覚的には熱く寒く固く柔らかく痒く痛くくすぐったい感覚が一度に襲う。
情報の大量提供は、少年ファルガにありとあらゆる感覚を享受させた。
「ファルガよ……。貴方は神勇者が通るべき道の最短ルートを選びました。
貴方の神、フィアマーグも同じ道を通りましたが、貴方よりずっと時間をかけて行いました。フィアマーグには三百年近くの時間が与えられていました。
しかし、貴方には二年の時間しかない。
厳しいでしょう。つらいでしょう。
ですが、この鍛錬に打ち勝たなければ、『巨悪』との戦いに勝利はありません。頑張ってください……。この戦いは、今まで脈々と続けられてきた妖と魔の『調停のための戦い』とは明らかに違う戦いとなるでしょう。
敵は、誰しもが経験した事のない、『魔神皇』になった妖神。
この者は明らかに以前とは異質となっている。そして、その力も膨大。
神勇者フィーも神賢者サミーも、太刀打ちできなかったのです。恐らく、歴代の神勇者や神賢者でも到底太刀打ちはできないでしょう。
調停のための戦闘をすべき彼女達の力をもってしても、打ち倒すべき巨悪との戦いではほぼ役に立たないでしょう。それでも、我々が持つ最大戦力こそが、貴方達なのです。
彼女たちは私に祈りました。
『巨悪』を倒すために、人間としての生命を捨て、上位の存在になる事。
それは、人としての幸せを全て捨て闇に葬るという事と同義です。子を産み育てる事も、親を始めとする先人を葬送ることも。
彼女たちは捨てました。人として持つ感受性と人生、その他の能力を。そして、人として幸せになる権利を。
神であったグアリザムが『妖』を捨てたように。
しかし、そこまでの努力をしても、運命は彼女たちに味方をしませんでした。
そこで彼女たちは、早々に次の神勇者候補、神賢者候補を育て、己の持てる全てのノウハウを伝えようとしたのです。そして、共に戦って『巨悪』を滅ぼそうと計画をしていました。
そうするしか、世界を護る方法を思いつかなかったのでした」
ファルガは黙って聞いているように見えた。いや、果たして神皇の言葉は彼の元に届いていただろうか。五感を失い、大量の情報を処理していたファルガの元に。
倒れたままのファルガの体が薄く輝く。氣の炎とはまた別の輝き。
だが、少年の体はピクリとも動かない。
「……神勇者ファルガよ。
私が授けた知識と知恵も、全てではありません。この世界には、私ですら知らぬこと、及ばぬこともあります。もし、巨悪を打ち破る事が出来たなら、貴方にはその世界を旅してもらいたいと思っています。私も知らぬ世界を」
意識を失っていたファルガには、神皇の言葉に反応を返すことができなかった。




