神闘者との戦い2
古代帝国に於いて通商を取り仕切る部門があった。
『通商貿易局』。
天空に鎮座する古代帝国イン=ギュアバの膨大な国土において、人が飢えることなく生活し、欲しい物を過不足なく迅速に入手できる流通網を構築し、運用していたこの部門こそが、超商工団体『SMG』の前身。『道具術』と呼ばれる超科学力を駆使し、人々の安寧を永続すべく尽力していた国家の一部門。その技術は特に移動術に使用された。その技術のうちの一つが、後のSMGの圧倒的な機動力だ。
『精霊神大戦争』と呼ばれた、かつての大きな戦は、帝国の浮遊大陸を墜落させるほどの規模で、人々がその戦の開始時期を忘れるほどにとてつもなく長い期間続き、その墜落に伴って他の国家は消滅した。
墜落した大陸の一部が割れ、それが上空に留まる。元々大陸は雲の上に浮いている状態だったが、それは破片になっても変わらず、巨大な入道雲の中に漂っていた。現在人々が認知しているのは浮遊岩石ルイテウだけだが、ひょっとすると他にも雲の中にその体を隠している浮遊岩石が存在するかもしれない。
そのルイテウを本拠地にするSMGは、飛空艇『飛天龍』を所有していた。
動力こそ異なるが、伏せた丼の裏側に三基のローターを持ち、伏せた丼の底部分がキャビンとして運用された。コックピットと搭乗者のいるキャビン部が剥き出しの為、戦闘には不向きだが、それでも確立された技術を使って、『精霊神大戦争』後の無国家時代からの経済……特に貿易面を管理するのに一役買った。
そんなSMGの科学技術を駆使して製作された、SMGのユニフォームといってもよい装束にも、当時最先端の技術が施されていた。
鉄より頑丈だが遥かに軽量の疑似金属糸が、麻と絹の間程の柔らかさの化学繊維、とりわけ衝撃に強い糸で編まれた生地に縫い込まれることで、防御力と機動力の向上を両立されたSMGの正装ともいうべき装束には、他にも様々な処置が施されてあった。
水を完全に弾き、染み込ませることのない気密性。剣で斬りつけられても簡単には刃を通さない、帷子を遥かにミクロの規模で実現させた防御性。そして、金属を編み込んでいながら普通の武術着と同等かそれ以上の軽量化に成功。そして、それは錆びることなく、半永久的に存在し続ける。
ある意味ロストテクノロジーであることには違いないのだが、特派員が皆支給される装束は、軽装歩兵と装甲兵の防具のいいところを併せ持った、他国からしても垂涎の技術であるはずの代物だった。
だが。
SMGの技術の粋であるはずの装束が、黒い稲妻を何度も受けた元『神闘者』の体液によって、溶解し始めている。
怪物ハンゾからは、もう人間の意志を感じない。
ハンゾは、直前までは確かに『魔』であっても人間だった。価値観や倫理観は違えど、意思の疎通はできる同じ人間だった。
だが今は、容姿も人間からはかけ離れた怪物となり、ジャングルの向こうに聳える黒い神殿に向かって、躊躇せずに進んでいる。
不幸中の幸いだったのは、移動速度が著しく遅い事だった。それは、怪物ハンゾの脚部が、一歩歩くたびに肉体の崩壊を起こし、そしてそれをその都度別の部位が高速で修復する。その繰り返しが延々と続いているからだ。一歩歩くたびにそのサイクルが繰り返され、その都度高速回復がなされるが、それは治癒とは異なり、どちらかというと変形に近い。壊れては治る度に、形状が変わっていく。
皮膚が千切れ、剥き出しになった筋繊維が、自重に耐えられず変形しているのか、無理な方向に曲げられた結果、それが本来の形として修復されてしまっているのかは、もはや人間の姿を保っていないハンゾの体からは想像もつかないが、粘着性を帯びた生々しい破砕音がするたびに、怪物の体の一部の何処かが無理に引きちぎられ、その後急遽修復されていくのだという事は容易に想像がつく。
メチャリ……。メチャリ……。
酷く耳障りな音と、怪物ハンゾの歩みの動作がシンクロする。明らかに眼前の化け物が、体を壊しながら、しかし急激に再生しながら進行している。
少年ファルガは、最初はハンゾの姿を既に失った怪物の歩みを止めようと、何度も『灼刃』を振るった。だが、魔の超神剣『灼刃』も、その体液の侵蝕により、ついに破壊されてしまった。
『灼刃』でさえ破損してしまう怪物ハンゾの皮膚や体液。それを素手で殴りつける事は、流石のファルガにもできなかった。
武器のない状態で、ゆっくりと歩みを進める怪物を目の当たりにし、策が尽きたファルガ。
黄色く透明な液体が、一歩踏み出すたびに滴り落ち、砂浜を汚していく。体液が滴ったところからは、白い湯気がシュワシュワと音を立てながら沸き立つ。
……万策尽きた。
ファルガは、ゆっくりと直進してくるハンゾであった怪物からは視線を離さなかったが、睨みつけたところで、怪物の歩みは止まらない。
攻撃手段がない。
それがファルガの率直な感想だった。
怪物を停止させるために、かつてハンゾと名乗った異形の怪物を何度も切りつけた結果、酸による侵蝕で『灼刃』の刃そのものが折れてしまった。『氷雨』は、怪物ハンゾがまだ人間……神闘者……であった頃に、空間移動術『洞』を用いた際、使用方法を誤り、時空の狭間で切断されてしまった。『魔』の伝説の武器にしては、余りに不憫な結末だった。
そして、本来のファルガたちの武器であった筈の四聖剣は、超神剣にする為の儀式の真っ最中。それ以外の武器は、恐らくこの化け物には通用しないだろう。
ファルガは、苦肉の策として、握り拳大の石を掴み、怪物の前に躍り出ると、全力で投げつけた。当然、怪物に効果などありはしない。石つぶでが怪物の体に当たる前に、体液が蒸発して発生していると思われる瘴気に晒され、融けるように砕けた。
次の瞬間、怪物は右足でファルガを蹴り上げた。
幸い、瘴気が薄い部分での攻撃だったが、膨張した筋肉による攻撃は、今までの怪物の攻撃とは桁が違った。
ファルガはジャングルの手前まで弾き飛ばされ、そのままジャングルの樹木に衝突、気を失ってしまった。
どれくらい気を失っていたのだろう。
一瞬の気もするし、酷く長い間であるような気もした。
目を見開き、周囲を見回すが、何も見えない。はるか遠くに、先程の怪物が立っているが、先程までの理性を失った状態であるようには見えない。それどころか、先程弾き飛ばされて気を失ったファルガを見て、嗤っているようにさえ見える。
「あいつに黒い神殿を襲わせるわけにはいかない。何とかしないと」
ファルガは気合を入れて立ち上がろうとする。だが、思いのほか力が入らない。頭は起きているが、体が眠っている。そんな感じだ。
歩いてくる化け物の姿ははっきりと捉えている。だが、周囲の様子がわからない。漆黒の闇だ。闇の中に怪物が浮かび上がって見える。
おかしい。確かにおかしい。敵がはっきり見えるのに、周囲の様子がわからない。彼の視界に入ってこないのだ。先程までいたジャングルも、砂浜も、水色の美しい海も。
「見えますか? 敵が」
突然、聞き慣れた声が頭に響く。
女神の声だ。残念ながら精悍な女神なのか、可憐な女神なのかについては、声では判別はできない。
「目の前に見えているのが、貴方の今の敵、神闘者ハンゾの成れの果ての姿。それを、貴方はあの『魔』の男が発している『氣』を感じることにより、頭の中で像を描画しています。
そして、その描画は根拠のないものではなく、他の存在の発する『氣』を感じ、視覚情報として捉えています。ですので、姿かたちや距離感は、現実に目で見たものと同じです。
貴方はこれからあの怪物を倒さねばなりません。それには、『術』を使うしかないでしょう」
ファルガの眼前に、突然古い冊子が現れる。その冊子に見覚えがあったが、何処で見かけたのか、ファルガにはすぐに思い出せなかった。
その冊子の一部が勝手に開いていく。そして、少年ファルガの目の前にパラパラと捲れていたページ送りが止まる。
ファルガは何となく思い出していた。この冊子は、かつてジョウノ=ソウ国の蔵書の一つであると。そして、そのページの一部が輝く。その項目にはこう記してあった。
『八大竜神王』。
対象を攻撃する為の氣功術唯一の術。というより、余りに膨大な生命エネルギーを叩きつけることにより、対象を結果的に物理的に破壊、消滅させてしまう術。
「本来、この術は神勇者と神賢者しか使う事が出来ません。
神勇者候補を神皇様が鍛錬し、神勇者になる過程で授ける術なのです。それほどに難易度の高い術であり、同時に危険な術です。『氣』を収束できなければ威力は上がらず、コントロールが出来なければ、集めた『氣』が霧散してしまいます。最悪、扱いを間違えれば大爆発を起こすでしょう。集めた『氣』の量が多ければ多いほど、リスクも上がっていきます。通常であれば、『魔』と対するのに十分な時間があるうちに、その時間を使い習得します。
体内で作られる生命エネルギー『氣』を体の外に溜めつつ、その『氣』の一部を使い、丹田の活動エネルギーとして使うことで、更に『氣』を発生させてそれを体外に溜めます。またその『氣』の一部を使って『氣』を発生させる。この繰り返しです。
理屈上は、そのエネルギーは無限に発生し、更に集める事が出来るので、威力も無限に高まります。実際の威力の上限は、術者の氣のコントロール能力の上限になります。つまり、術者が体外に溜めた『氣』をその場に留めておくことができる『氣』の最大量が、その術者の『八大竜神王』の最大出力という事になります。また、『氣』を溜める速さも術をいかに早く発生させる事が出来るか、という点に関して重要な要素になります」
女神の声が、ファルガの頭の中で、言葉から映像へと変わる。いや、映像だけではない。音声も感触も、まるでその場にいるような不思議な感覚だ。具体的な『氣』のコントロールが、五感すべてを刺激する信号で、ファルガの体に染み込んでいく。
『経験』の転送。
鍛錬をして、体が覚えていくべき『経験』。視覚でも聴覚でもなく、認知できるすべての感覚、認知しきれない感覚までもが全てファルガに授けられた。
「私が今までに『八大竜神王』を使った時の体の記憶です。
ですが、これは私の記憶でしかありません。この記憶を元に、貴方が使用できるかはわかりません。ただ、今の貴方であればある程度使いこなせるだろうと思います。
イレギュラーな方法なのは十分承知しています。ですが、ここであの怪物を止めないと、世界は終焉を迎えてしまう……。頼みましたよ。ファルガ=ノン!」
次の瞬間、ファルガの目の前が開けた。いつの間にか立ち上がっている。弾き飛ばされ、ジャングルの樹木の衝突した筈が、砂浜の中央に仁王立ちしていた。
眼前に広がる青い海。白い砂浜。そして、醜い怪物がそれに覆い被さるように立ち、ゆっくりと迫りくる。
不思議と、今のファルガに焦りはなかった。
掌底を横に合わせ、体の前に突き出す。肩幅より少し両足を開き、腰を落とした。聖剣の力を引き出した時のように、丹田に力を込める。
次の瞬間、ファルガの体は青白い『氣』の炎に包まれた。
やり方は体が覚えている。まさにそんな感じだった。
合わせた掌底が、更に濃い『氣』の炎で覆われ、その中心に輝く光の珠が出来た。ファルガが『氣』を集中させ、その珠に『氣』を込めることで、その珠が徐々に膨らんでいく。
ある程度の珠の大きさになったところで、珠を全方位から抑え込み、サイズが大きくならないように圧縮する。その分、エネルギーが収束され反発力も高まるが、ファルガにはまだ抑え込めるだけの余裕がある。
不思議だった。
初めて行なっている筈の『氣功術』。だが、何故かやり方が分かり、今使用しようとしている術の威力がどの程度なのか、眼前の怪物を消し飛ばすには一体どれくらいのエネルギーが必要なのかが分かった。
まだ、貯めなければいけないが、怪物を倒すだけのエネルギーが集まるのは時間の問題だ。そして、その時間は怪物がファルガの元に到達し、四本に増した腕を振り下ろすよりは十分早い。
必要なエネルギーが溜まった瞬間、対象に向かって球体の一部分だけ圧迫を緩めることで球体に押し込まれていた膨大なエネルギーのバランスが崩れ、その方向へとエネルギー球は崩壊を始める。それは指向性の破壊エネルギーの奔流となり、対象を飲み込み、熱と衝撃と光と音で消滅をさせる。
……筈だった。
そこで、また『巨悪』からの横槍が入る。
黒い稲妻が、また複数回怪物……かつては神闘者を名乗り、己の部下だったはずの男を容赦なく打った。しかも、その稲妻は、神勇者になっていない筈の少年をも繰り返し激しく打ったのだ。
ファルガの視界が暗転した。だが、ここで気を失うわけにはいかない。先程女神が言っていたように、自らの『氣』が暴発し、大爆発を起こしてしまう事態になりかねない。
一瞬ぐらりと体が揺れるファルガ。意識を失い、倒れ込んでしまうのか。
だが、ファルガは右足を一歩前に踏み出し、転倒を免れる。そのまま咆哮をあげ、上半身を背筋で引き上げ、体勢を立て直した次の瞬間、眩い閃光が周囲を包む。
そして、その閃光よりも強く濃い光が、少年の掌から伸びていくのがはっきりと見えた。
怪物を巻き込んだ青白い光の帯は、奔流となり莫大なエネルギーを空に向けて打ち上げていく。光に接触していない筈の海が大きく裂けたが、青白い光の帯が通過した後、その部分を埋め立てようと、ひっかき傷のできた水色の海面が、白い泡と音を立てて波となり、内側に崩れ落ちた。
数瞬の間があり、光が収まった砂浜には、立ち尽くすファルガがいた。
彼が向く方向には何物も存在しなかった。
ファルガの氣功術『八大竜神王』が、『神闘者』を完全に凌駕した瞬間だった。
二人の女神は同時に大きく頷いた。鉄仮面により、その表情は伺い知ることはできないが、女神たちが頷くその直前に、どんな振動とも違う大きな衝撃が神殿内を揺さぶったからだ。不思議と爆発音は聞こえなかった。ただ、巨大な何かが通り過ぎていった。そんな印象だ。
ガガロはちらりとそちらを見たが、引き続き眼前の四本の聖剣に精神を集中する。だが、その口角は上がっていた。
片や黒い神殿の間の、対角線上にいたレーテは、先程と同様、神殿で行われる死闘の結果が気になって仕方ないようだ。
「ファルガ……、大丈夫だったのかしら……」
不安そうに漆黒の壁に隔てられた神殿の向こう側に思いを馳せるレーテ。
「レーテ。心配しないでください。ファルガは無事です。神闘者を退けました」
レーテは思わず禅を崩して身を乗り出した。
「ファルガが……、あの戦士を……。以前は圧倒的な力の差があったのに」
以前の戦いで、遺跡内での神闘者との一戦目は、ファルガは魔人ハンゾに常時劣勢を強いられていた。そこからあまり時間が経っていないのに、一体どうやってあの魔人を退けたというのか。
「本来であれば、神賢者と神勇者しか使う事の出来ない、氣功術での数少ない攻撃術を使いました。神勇者しか使えないというこの術は、超神剣の装備を身に着けて使用しないと、自分への反動も計り知れないと言われています。それ故、神皇様は超神剣に認められた神勇者と神賢者のみに授けるのです」
「その術をファルガが使えたのはなぜですか?」
神勇者になっていないファルガがその術を使えるのは、確かに不思議なことだ。だが、その問いは、ザムマーグによって単純に解消された。
「それは、ファルガも時代が時代であれば、神勇者になるのに十分な素質があるということです。それ故、術の齎す影響を、彼の体は最低限に食い止める事が出来ました」
抜けるような青い空。南国の貝殻やサンゴ礁が削れてできた、まばゆいばかりの白い砂浜。
そこに、少年ファルガは両手両膝をついた。
時折咳き込みながら、全身で息をする。
女神からの提案で、神勇者が本来使うべき術を鍛錬なくぶっつけ本番で使ってみた。
結果は運よく成功し、眼前の最強の敵である、魔人ハンゾを排除する事が出来た。だが、その代償は大きかった。
全身が痺れるような痛みを覚え、不思議な眩暈と、吐き気とが凄まじい。
ファルガ自身その意識はないが、自分の生命力を過剰生産し、その生命力を圧縮して放出したのだ。巨大な生命力は物質を破壊する力になりうる。通常であれば命を全て使い切っても放ちきれないほどの莫大なエネルギーを体の外に製造し、またそのエネルギーをコントロールしていくのだから、体力、精神力共に消耗は凄まじい。
両腕両膝で体を支える事すら体力的に不可能になったファルガは、そのまま砂浜に大の字に寝転がった。
そして、深呼吸をしながらたまに込み上げてくる胃液の嫌な酸味に耐えた。
十分ほどゆっくりと深呼吸をしながら、呼吸を整えたファルガは、上体を起こす。
そこで、背後に気配を感じた。一つや二つではない。
そして、砂浜に降り立つ足音もファルガの耳に届く。
(誰か来てくれたのか……?)
そんなファルガの淡い希望を踏みにじるような、背後から発せられる悍ましい気配。
敵なのは間違いない。
一度目を強く瞑り、歯を食いしばると、痺れる体に鞭を打ち、立ち上がる少年ファルガ。
眼前には数十人の人間が立っている。見慣れた装備を身につけた男たちを始め、見た事もないような民族衣装を身に着けた者もいる。見慣れた装備を身に着けた者は、見まごうはずもない。つい先ほどまで戦っていた、魔人ハンゾの身に着けた装備、即ちゴウの私兵集団『影飛び』の装備だったからだ。
共通していたのは、『影飛び』の者達も見た事のない民族衣装の者も、吐き気を催すような悍ましさを伴っていたことだった。
男たちはそれぞれ名乗りを上げた。
「俺が『神闘者』だ!」
「俺こそが『神闘者』だ!」
「俺も『神闘者』だ……!」




