それぞれのやるべきこと
古代帝国イン=ギュアバの遺跡に進入した探索隊。
先発隊は不幸にも大規模な遭難事故に遭遇してしまい、数多くの犠牲者を出す結果になってしまったが、後発の探索隊は、幾つもの困難を乗り越え、遺跡の最深部まで到達した。
そして、古代帝国イン=ギュアバのピラミッドの中に眠る、最終皇帝を保護できたのは想定外だった。しかも、その皇帝は自らを兵器に改造したという。来たる対巨悪戦には、この上ない戦力となるだろう。
対巨悪戦で効果の期待できる兵器の獲得という意味では、これ以上ない成果だと言える。
その一方で、懸案も幾つも上がる。
まず、遺跡であった筈の帝国の復活。そして、その本来の所有者の復活。
遺跡であった頃のイン=ギュアバは、無国家時代を経て再構成された国家群の領土内にある事で、遺跡とそこからの出土物の所有権が担保されていた。当然、遺跡の内部を進行しているうちに他国の領土内に入ってしまうこともあったが、そこは紳士協定として、判明した時点で調査を打ち切るか、その国家から協力を得られた場合には調査を続ける、などの措置が取られていた。
ところが、今回遺跡が遺跡ではなくなった上、その所有者もはっきりした。国民がおらずとも、その国家の最高権力者が存在する為、国家として認めなければならないのではないか、との考え方だ。
しかし、イン=ギュアバは、大陸墜落後三百年という時間が経ち、一部大地に埋没しているところもある。その上に新しい国家が出来上がっており、人民が生活しているケースもあるとすると、帝国が復活したからといって、おいそれと浮遊大陸を浮上させるわけにもいかない。
新しい街並みが出来上がっている地盤が突然浮上したならば、その齎す被害はもはや天変地異や厄災級といってもいい。では、避難させればいいかといえば、情報の与え方を間違えれば世界中に大混乱をきたす。かといってイン=ギュアバの存在を認めなければ、巨悪を迎え撃つには戦力不足になるほか、兵器と化した皇帝を抑える方法もありはしない。
一番避けなければならないのは、皇帝を始めとする帝国の戦力が敵に回ってしまうことだ。勿論、イン=ギュアバの勢力が巨悪と手を組むことはまずありえないが、共闘できないというのは大問題となるだろう。
幸い、皇帝は生前天才と呼ばれる程の識者であり、見識も深い他、そこまで好戦的ではない為、恐らく話し合いには応じるだろうが、現代の国家間の利権や勢力図のみで話が進まないのが難しいところだ。
他にも、問題は山積している。
イン=ギュアバの存在を『無国家時代』後に成立した国家群が素直に認知するかという問題もある。
出土した幾つもの遺物が、『無国家時代』後の国家の一部の人々の食い扶持になっている場合もある。いきなり遺跡内の遺物の所有権が移動した場合の問題も一つや二つではない。
カタラット国のように、遺跡からの出土品の売却が、国家の主要産業になっている一方、それを主張したからといって、帝国側が素直に納得するとも思えない。そもそも、元々は帝国イン=ギュアバの所有なのだ。
巨悪との戦闘に、イン=ギュアバの技術は必要だ。その時に、大陸が浮いていなければ本来の機能も発揮できないだろう。そうなると、二年以内に大陸を浮遊させる準備を整えなければならない。だが、先述のように、浮遊大陸だった場所の上に国家が成立している場合もあり、その場合、どのような処置になるのか。国家の領土を変更するのか。それとも、国家間での超法規措置を適用させるのか。
SMGの問題もある。
SMGは、元々『超商工団体』と呼ばれ、帝国イン=ギュアバの財務省、経産省的な位置づけの部門のうちの一組織だった。経済を不正なく円滑に回すための警察的な役割や、税金を過不足なく集める為の組織が前身となる。仕事は多岐にわたるが、主に経済に関する違反を取り締まったり、保護活動をしたりするセクションだった。
それが帝国の消滅により、SMGとして生き残った。その役割の本質は消滅したが、彼らは彼らなりに自分たちの存在意義を求め、良くも悪くも無国家時代後の国家成立に影響を与えた。
だが、帝国が甦った時に、SMGの位置づけはどうなるのか。まだ超国家組織として帝国の技術を使い、貿易に影響を与えるのか。それとも、本来の超商工団体としての活動に戻るのか。はたまた、SMGが一つの国家として超国家組織から一段階下がって他の国家と並ぶのか。これも、頭領だけの判断では成立しないし、SMGがそう宣言したところで、周囲の国家が受け入れるかはまた別問題だ。
このように、細かい点を上げればキリがない。
世界の様々な均衡が一気に崩れることになる。
それを、ザムマーグとフィアマーグはある程度予見しており、SMG頭領代行ヒータック=トオーリとカタラット国スサッケイ=ノヴィに処理を任せると伝えた。
神々は、自分たちの領域である神勇者と神賢者の選任と、超神剣の装備の準備とで手一杯になるからこそ、人間同士の細かな調整については、人間にやらせると考えたのだ。実際には、人間同士のいざこざに神を巻き込むな、と釘を刺された形になるが。
その話を持ち込まれて困ったのは、ヒータックとスサッケイだ。
ヒータックはSMGに現状を報告したかった。対策だけではなく、今後のSMGの在り方をどうすべきか、というSMGの根本的な問題にどう向かっていくかを相談しなければいけなかった。『代行』が判断するにもあまりにも大きすぎる事態だった。
そして、スサッケイも同様に迷った。
カタラット国は、一つの国家として成立はしているが、国家間での力関係に関していえばそれほど上位にいるわけではない。かつてラン=サイディールの侵攻を食い止めたと言っても、それは運の要素も多分にあった。そして、二百年以上前の話になる。
現在のカタラット国は、他国に対してそこまで強い影響力を発揮できるだけの力を備えていない。そんな国家が最初にその議題を上げたところで、どれほどの国家が動くだろうか。実際にSMGとの協力で『国家連携』を発動させたが、賛同しない国家も無数にあった。そして、賛同しなかった国家どもは、独自に遺跡に進攻を試みては全滅している。
いずれにせよ、現在情報の最前線にいる二者が、簡単に立ち回れる事案ではなくなってしまったという事だ。
レベセスは提案する。
少なくとも、現在『国家連携』に応じている国家の代表とは、情報を共有すべきだろうと思う。特に、ドレーノ国の『三巨頭』は、力になってくれるだろう。彼らを招聘して、同志として現状を打破する方法を模索すべきだ、と。
結果的に、ドレーノ国の『三巨頭』は、スサッケイの招聘には応じなかった。ただ、協力は惜しまないことを確約する。自国の整備が終わっていない状態で、席を空けるわけにはいかない、という事のようだった。
SMGも、高齢の為リーザの移動は見送られたが、リーザの言葉を伝える為に、ヒータックの妹サキが飛天龍を伴い、カタラットの『国家連携』のメンバーの元を訪れた。
『SMGは、今後の方向性を、ヒータックを介して伝えるものとする』。
この言葉は、SMGが正式にリーザからヒータックへと全権を移譲させる、という明確な意思表示だった。
ファルガとレーテは、神々と共に黒い神殿の島へと移動することになる。
その移動に、レベセスは同行するか迷った。彼自身は、神賢者になったレーテを見てみたかったからだ。その一方で、『国家連携』の動きも気になった。そして、自分がより力になれるのも、『国家連携』の方だという意識もあった。
最後の最後まで迷ったレベセスだったが、彼は『国家連携』に残ることになった。
決め手になったのはザムマーグの一言。
「彼女たちの状況を、映像で貴方の頭脳に送ります」
これで、もはやレベセスがレーテやファルガと共に行動する必要がなくなった。
レベセスは親として、師匠となるザムマーグに、実の娘が師事することを改めて承諾してもらった。
鉄仮面を身に着けた神ザムマーグの表情は伺えなかったが、レベセスには、かの神が微笑んでいたのだと、妙な確信があった。
かの神とは約束がある。超神剣の装備の解放後は、神賢者用の装備を作る手助けをすると。その瞬間だけは、ヒータックとスサッケイに断り、黒い神殿の島に行く必要があるのだろう。だが、今この瞬間ここで、何かができるとは思えない。
神は先に黒い神殿の島に戻った。
ファルガとレーテ、そしてテマは、遺跡での戦いの疲れを癒すべく、カタラットに一晩だけ留まる事になった。
元々、レベセスが黒い神殿の島に移動したのは、温泉地ユイーダにいた時の事だ。
そもそも、チェックアウトすらしていないのではないだろうか。
宿に荷物を取りに行かねばならない。
その付き添いという事で、ファルガとレーテ、そしてテマも、温泉地で一泊することを許された。ファルガもレーテも、長い冒険で疲労が蓄積していたのだろう。温泉地で一泊、と聞いた瞬間に大喜びしたものだった。もっとも、温泉浴そのものを期待したのはテマであり、ファルガとレーテは、温泉街の独特の雰囲気に胸を躍らせたのだったが。
そんな三人の様子を見るヒータックは、少し嫉妬の籠った眼差しをファルガに向けるのだった。
(奴は確実に成長している。だが、俺はまだSMGの殻を破れない……)
SMGの代表としてこの地に来ている以上、それは必要十分な活躍の筈なのだが、規格外の行動をし、何故か成果を出してくるファルガに、ヒータックは憧れにも似た感情を覚え、それに嫉妬する。自分の方が人生経験は長いはずなのに、なぜ彼が自分の目標になるのか。そして、それを認めざるを得ない自分を嘲笑する。
あいつは凄い。……結局、それだけなのだ。
温泉街への出発を見送るヒータックは、歯を食いしばった後、口角を上げたのだった。
「まるで年寄りだな、ファルガ君」
周囲にそそり立つパルス山脈と、その上空から覆い被さるように輝く満天の星空を臨める露天風呂は、カタラットを観光の王国たらしめる要素の一つだ。岩盤に隔てられて見ることができないが、もう一つある女性用の露天風呂からは、湯を愉しみながら大迫力のシュト大瀑布と広大な大海スロイを一望できる絶景のポイントだ。翌朝早くから男女の湯の位置が入れ替わるというから、テマもレベセスもかなり楽しみにしていた。
ほんの少しだけ熱いと感じるお湯に浸かり、まだ少年であるはずのファルガの、子供の物とは思えない程に長い溜息に、苦笑交じりのテマ。その溜息の長さが、ファルガの今までに蓄積された疲労を物語る。
若いとはいえ体に負担はかかり、軽度とはいえ長期にかけ続けられるストレスは、いつしか体を蝕む。ましてや、聖剣の力を引き出している状態で肉体にかかる負荷は、想像を絶する。
いつも何となく覚えていた腕と足のだるさはそれが原因なのだろう、とファルガは思う。
だが、ジョウノ=ソウ国で完全に体が覚醒した時、そのような負荷は感じなくなった。
肉体のリミッターが外れた。
そんな印象だ。
その代わり、聖剣を使って呼び出していた第三段階に比べ、聖剣なしの第三段階の方がずっと疲れやすくなった。瞬間的に出るエネルギーは増した。だが、使用できる時間が大幅に減った。具体的には試していないが、そんな気がする。
これも、鍛錬をしていけば使用時間の問題やエネルギー効率などは上がっていくのだろうか。
体表だけが熱かった温泉の熱が、徐々に体の中に染み込んでいくのが分かる。体が活性化する。体の奥底にあった黒く淀んだ疲労が、体の表面に浮かび上がってきた感じがして、その部分を何となく擦った。このまま寝れば、体力も全快するのではないか、と思えた。
「風呂に入った事ってそんなにないんですよ。ラマの時は、雨を貯めて濾過器を通した水シャワーを使っていたんで、そんなに無駄遣いできなかったですしね。単純に汗を流していただけでした。熱いお湯に浸かるのってこんなに気持ちいいんですね」
ファルガは岩風呂の淵に腰かけるレベセスに感想を伝えた。
「私が君の年の頃は、余り世界中を移動したことがなかったな。そういうものがあるとは知っていたが、温泉というものを体験するのは初めてだよ。
ドレーノでは、雨水は汚れているものだったし、下手をすれば伝染病の媒介元となる蚊や蠅を大量に発生させる原因になった。水ではなく、むしろ白砂で体を擦って汚れを取ったものだよ。砂風呂で汗をかいて、その汗ごとこすり落とす」
「そういえばそうでしたね。そんなにあそこに居たわけではないけど、汗を流すための水がないのにはびっくりしました。でも、熱帯雨林に入ってすぐにあんな川があるのに、なんでロニーコの人は水を汲みにいかなかったんだろう?」
それが、ラン=サイディールの長い支配の歴史の影響だ、とはさすがにレベセスも言えなかった。
ラン=サイディールの恩恵を、ファルガも少しは受けている。
その恩恵が、実はドレーノの貧困の元に成り立っていた、という事は、いずれは知る必要はあるのかもしれないが、ファルガの年齢ではまだ感受性が豊かすぎる。不必要に心に傷を負ってしまう可能性も否定できない。
「隣、いいかね?」
ジョウノ=ソウ国の先代王にして稀代の考古学者テマ=カケネエも、体を洗い終えて湯に浸かる。湯に浸かった瞬間、テマは激痛に耐えるかのように呻いた。
一瞬不安そうにテマを見るファルガ。だが、そんなテマの表情は、苦しみながら笑っているような不思議なものだった。
「……ファルガ君も年を取ればわかる。この染み込んでくる感覚が、気持ちいいのだが、体には多少負荷が掛かるのだよ。だから、余り長い間湯に浸かっていると体力を消耗してしまう。少し浸かって、少し涼んで、を繰り返すのがちょうどいい。我々の年齢ではね」
テマの憂いなのか、余り知りたくない側面を見た気がして、ファルガはどう反応してよいかわからなかった。
「……これから、『国家連携』はどうなっていくんでしょう?」
ややあって、ファルガは以前から思っていた疑問を口にした。
巨悪と戦うことが、神勇者と神賢者の仕事だという事はわかる。
本来であれば、魔の神皇・魔神の侵略を食い止め、追い返すのが仕事の筈だった。その為に、彼らが戦力として放ってくる魔王を退けなければならない筈だった。倒すかどうかは別にして、屈服させて追い返さなければならなかった。
ところが。
『魔』との接点を極力減らし、自陣を徐々に広げていく……最悪、『魔』に棲むところを奪われ滅ぼされないために、戦い続けなければいけない……筈の神皇と魔神の争いにおいて、この星の神であった筈のグアリザムが、神勇者と神賢者対魔神の戦闘に介入し、この世界の『魔』を束ねる魔神を屠ってしまった。『妖』と『魔』の争いにおいても絶滅排除を目的としない筈の双方防衛戦のみの筈が、この世界の『魔』を束ねるはずの魔神を消滅させてしまった以上、戦局は防衛戦では済まなくなった。
この世界の『魔』の頂点となる魔神を屠る程に、グアリザムという神は力を持っていたという事なのか。はたまた、この星の神という立場で見れば、高次の存在といえる『魔』の神皇・魔神を倒す術を得たという事なのだろうか。
そして、更に妙なのが、『妖』の神であるはずのグアリザムが、そのまま『魔神』になったという事実。
何のために。どうやって。それ以上に、そもそもなる事が出来るのか? 元々なるつもりだったのか?
疑問は次から次へと湧き出る。
だが、それを調べている時間はもうない。調べるなら、神勇者と神賢者を準備しながら、だ。そして、その答えには、少なくとも自分達ではたどり着かないだろう、という事も薄々わかっていた。
レベセスや可憐な女神ザムマーグは、ファルガを神勇者に、レーテを神賢者にしたがっている。片や、精悍な女神フィアマーグは、ガガロを神勇者候補として考えているようだ。
ファルガにとっては、正直自分がなろうがガガロがなろうがどちらでもよかったが、グアリザムの魔神化という曖昧な状況を、何とかして解明したいとは思っていた。そして、気になるのは、神勇者と神賢者以外に、この星に住まう全ての人間が、巨悪グアリザムと戦う必要があるのか、という事だった。
グアリザムという存在は、今までの魔神とは違って、力の均衡を保つ存在ではないということはわかった。どうしてもグアリザムを排除し、『魔』の他の神々から魔神となる存在が推挙されるのを待つべきだ、というフィアマーグとザムマーグが考えるのも何となくわかる。その為に、帝国イン=ギュアバの技術を併用したい、という意図もわかる。
本来神皇と魔神は勢力的にイコールであるべきであり、神勇者と神賢者が、あの『神闘者』という存在と対になり、バランスをとるべきだ、というのもわかる。どうせなら戦わずに話し合えばいいのに、という気持ちもなくはないが。
だからこそ、グアリザムの存在が謎なのだ。行動原理が謎なのだ。
「ファルガ君の思っている、『巨悪を討つための兵器を準備する為に帝国イン=ギュアバの遺跡を探索する』という大元の目的は、いい意味で不可能になった。
元々は、出土した大陸砲や、それ以上の兵器の所有権を明確化する際の様々な国家間トラブルを回避する為に、協力体制を作るのが『国家連携』の趣旨だ。
ところが、遺跡である筈の帝国イン=ギュアバが正規に蘇り、その所有権を持つ者も併せて復活した。
となると、既存国家群と帝国イン=ギュアバとの話し合いになるだろう。そして、恐らく最大の戦力が皇帝自身だろう。併せて、帝国に眠る他の兵器も話し合い次第では共有できるだろう。
だからこそ、君たちは神の領域に集中できる。
帝国と現存国家群の関係は、もはや君たちの手を離れた外交問題だ。私は、レベセス殿と共にそちらに尽力するつもりだよ。少なくとも、君たちが巨悪を倒した後に、世界が混乱してしまっては困るからね。
安心して、神の修行を受けてきてくれ」
テマの言葉に、ファルガは煙に巻かれた気がしたが、それでも首肯せざるを得なかった。
そういうと、テマとレベセスは湯から上がってしまった。
岩風呂に一人残されるファルガ。
彼も早く上がろうとするが、どうしても湯から出ることができなかった。
このまま彼らについていったとしても、ただなんとなく情報に踊らされるだけになってしまいそうなのが、何となく嫌だった。
一人になり、心の中を整理する時間が欲しかった。
ファルガは岩場に腰掛け、下半身を浴槽に残しながら、何となく空を見上げた。
「そこにいるのはファルガだけ?」
聞き覚えのある声。しかし、ここにいて聞こえるはずのない声。
それは、レーテの声だった。
しばらく答えあぐねていると、少女は言葉を続ける。
「ねえ、そっちに行っても平気かしら?」
レーテがこちらに来る。といっても、ここは露天浴場だ。彼自身も服は身につけていないし、何より、いつ誰が入ってくるかわからない。
流石に慌てたファルガが、レーテの行動を制しようとするが、少女は冗談だ、と笑い飛ばした。
小馬鹿にされた気がしたファルガは、一瞬むくれるが、こういう時のレーテは、実は彼女自身が一番不安に思っているのだ、と思い至るファルガ。
「一回風呂から出よう。それから、どこか別の場所で落ち合おうよ」
ファルガはそういうが、レーテはそれを拒否する。誰もいない今なら、自分の正直な心の声を言葉にできる。そう思ったからだ。
少女も、軋轢に悩んでいた。レーテは神賢者に。神々は勿論の事、実父であるレベセスですら、そうなるべきだと信じて疑っていない。
だが、そこにレーテの気持ちは考慮されていない。
聖剣を持たずただ守られているだけの少女が、経験を積み、聖剣の所有者となり、聖勇者として十分な氣のコントロールの力を身に着けた。まだ、ファルガの到達した聖剣なしでの第三段階は無理かもしれないが、それもこのまま鍛錬を続ければ時間の問題だろう。
体は、聖勇者から神賢者になる準備はある程度できてきた。戦局を見極め、適切な状況下において適切な戦術を取り、戦闘を優位に進める技術も身につけつつあった。
ただ、神賢者、という存在がまだあまりにも漠然としすぎている。
そして、世界を巨悪から守り、厄災を退けるという使命は、齢十二歳の少女にあまりに重すぎた。
聖勇者であり、神賢者になろうとする少女は、まだ人生経験を十二年しか積んでいない、自分の感情のコントロールもままならない、幼き存在なのだ。
違和の壁の上から響いてくる声の感じから、少女も岩を隔てた向こう側の露天風呂に、ファルガと背中合わせでいるようだ。
「……神様の修行って、何をするのかしら……。それで、私たちに巨悪と言われる存在と戦え、という事なのね。私……すごく怖い。
今までも怖かったりしたけど、みんながいたからやってこられた。でも、今度は一人。
それがすごく怖い」
「一人じゃないさ。俺もいるし、神様もいてくれる。特にザムマーグ様が、レーテ用の装備を作ってくれるそうじゃないか」
二人の間に沈黙が落ちる。
その沈黙が、レーテの中にある不安がとめどなく大きくなっているものだとファルガに教える。
「今までね……。私は、言われたとおりにやってきただけだったの。お父さんに言われたり、テマ様に言われたり、ヒータックさんに言われたり。古文書の伝承なんていうのも、私に色々教えてくれたわ。
けれど、今度の神賢者の話では、私がどうすればいいのか、何をすればいいのか、想像がつかない。ザムマーグ様が先代の神賢者なのはわかってる。けど、あの人だって、結局『巨悪』の呪いに負けてしまった……。
どうやったら私たちが生き残れるのか、わからないの……」
今までの激戦を潜り抜けてきたレーテ。
最初、自分は護ってもらう事しかできず、何とか自分の力で役に立ちたいと思った。そして、鍛錬を積み、他の人間が苦労してこなすことを、割と苦労せず模倣したり、そこから応用して、道を切り開いたりしてきた。カタラットでのゴウやギラとの戦闘で、思い付きで試してみた術剣。それを見事な器用さで成功させて見せた。
だが、それすらも、やはり先人の知恵を応用したものであり、彼女自身で探求して辿り着いた結論とは違う。
少女は、今回の来たる大戦で、結論が導き出せずにいた。
どうやれば生き残れるのか。どうやれば、皆を護れるのか。
その像が描けない。神賢者になるだけでは、グアリザムの魔手から自分や仲間たちを護れない。その上で、彼女が何かをしなければ、皆倒れてしまう。
そう思ってしまったのだった。
それを聞いたファルガは、直ぐに言葉を発する事が出来なかった。
口先だけで、大丈夫だという事は簡単だ。だが、その大丈夫という言葉に根拠がないのも、彼にはわかっていた。彼自身も不安なのだ。
だが、一つだけ少年は少女とは違う考えを持っていた。
やってみるしかない。
これがファルガの得た結論だった。
少年ファルガは、聖剣を使わずに第三段階を発動できるようになった。
これ自体は、ガガロも到達しているので、特段不思議な事ではない。
だが、聖剣使用の第三段階より、聖剣なしの第三段階の方がエネルギーの発動効率が高いのはなぜなのか。まるで聖剣の第三段階が、リミッターになっている感さえある。
その答えがまだわからない。
だが、今ある状態でやっていくしかない。
その、『超神剣』の装備とやらを身に着けた時、何か変わるのかもしれない。
今は努力を続けていくしかないのだ。
「正直、俺も不安だよ。でも、俺たちしかできないのなら、やるしかない。
やらないで不安に思うくらいなら、やってやってやりまくって、不安を忘れるまでやりまくって、それで勝負しようよ。『巨悪』とさ」
どんな声で、どんな口調でレーテに伝えたのか、いまいち記憶にない。だが、ファルガの言葉は少女の心に、少しだけ覚悟を与えた。
温泉を出てから、ファルガとレーテは、レベセスからなけなしの小遣いをもらい、温泉街を愉しんだ。
最初に訪れたワーヘでの木造巨大帆船カタリティの引退式のイベントのように、温泉街で出ている屋台でいろいろと買い物をした。
綿飴を食べ、ヨーヨーを取った。
射的で思いのほか飛ばないコルク玉に辟易しながらも、何とか景品を取った。
今日だけは、いろんなことを忘れて楽しもう。
ファルガとレーテは、湯のほてりが失われていくのも気にせず、晩秋の温泉街で思いきり愉しんだ。
 




