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界遊記  作者: かえで
もう一つの始まり
15/252

少女の旅立ち1

久しぶりに少し長めです。

ちょっと推敲するかもしれません。

「一つ聞いてもいいかしら?」

 腰を屈めて、薪になりそうな枝を拾いながら、山菜を見つけたらそばの籠に放り込んでいたレーテ。少し離れた所では、ファルガがレーテと同じように、山菜を探しながら薪を集めている。二人は交互に、薪と山菜を入れるためにそれぞれ準備しておいた籠に集めたものをどんどん加えていく。

 鬱蒼と茂った雑木林では、直射日光が射しこまないせいか、真夏であるにも拘らず風が抜けると、ほんの少し湿り気を帯びた空気が動き、火照った体に心地よい。微かな土の匂いと植物の匂いが合わさり、何とも形容しがたい匂いとなって立ち込めていた。だが、一言でいえば『臭い』筈のこの匂いが、不思議と嫌な印象を受けずに、その場で作業をする人間に一種の懐かしさを伴う癒しを与えているというのは、何とも面白いものだ。濃い緑と薄い緑とのコントラストも同様だ。人間の祖先は、元々自然の中を駆け巡っていて、その時の感覚は失われることなく、脈々と人々の中に受け継がれているのだろう。

 レーテは少し不思議だった。

 人の手の入っていない森林は、巨木が幾層にも折り重なって凹凸を作り出し、決して平地ではない。ともすればアスレチックのような起伏に富んだ箇所があれば、時間があまりに経ちすぎて、倒れた巨木と大地との区別がつかない個所もある。自分の年代の少年が、こんな場所で山作業が出来るという事が。そこには、昔自分が出来なかったにも拘らず、ファルガは何の予備知識もなくこなしているという事実を目の当たりにして、やっかみが微かにあるのは否めない。

 ハタナハを崖に沿って歩き、裏の斜面に回り込むと、小屋のある絶壁部分とは異なり、海風が直撃しないこともあって、斜度の大きい雑木林になっている。

 その雑木林で、カゴスやルサーは山菜を集め、また火を保つために必要な薪を集めていた。山菜取りにせよ、薪集めにせよ、それほどの重労働ではないが、レーテがこの地を訪れた時には、カゴスはレーテのできる仕事の一つとしてその仕事を依頼することがあり、彼女自身も夫妻の手伝いができると喜び、勇んで出かけて行く。

 もちろん、最初は食べられるキノコや山菜と、毒キノコや毒草の区別がつく訳もなく、幼い頃はカゴスとルサーが山菜収穫イベントとして連れて行きつつ、採り方のコツや知識を授けたが、何度となく通ううち、レーテ自身もその知識を身につけ、今では一人で行かせて貰えるようになった。森林特有の危険として、通常ある程度の規模の山林には熊などもいるものだが、この地ではまだ目撃されたことはないのも、夫妻がレーテの一人森林探索を認めた理由でもある。

 また、ハタナハの更に高地にあるラマが肥沃な地帯であるため、必然的にその周囲も肥沃であり、山菜や山の果実などが良く採れる。ツテーダ夫妻を含めた山で生活する人々は、秋も深くなると豊富な食材をその名もない森から集めてくることになる。そして、それが山の人々の冬の間の貴重な食料となる。海からの風が強いため、降雪はないが、それと食料の有無は別問題だ。それをレーテも熟知しているからこそ、出来るだけたくさんの食料を調達してこようと考えるのだった。

「……え? 何?」

 距離があるせいで、レーテが何か言葉を発したのはわかったが、よく聞き取れなかったファルガ。思わず聞き返す。

 だが、そこでレーテはふと思い出す。

 彼はデイエンの人間ではない。この近隣よりも更に標高の高いラマ村の少年なのだ。そう考えると、山菜取りや薪集めが出来るのは当たり前といえば当たり前だ。

「貴方はラマの人だといっていたわよね。『お上り』の時期はまだのはずだけど、どうして村の外にいたの?」

 レーテは急遽話題を変更した。

 ラマの行商は、かなり以前は『田舎者の行為』そして『田舎者』を指す表現として、ある意味蔑称であったのだが、いつしか誰もが使う表現になった。『お上り』という表現が市民権を得た今では、『お上り』は、デイエンの街の人間にとって、美味しい食材が出回る歓迎すべきイベントとなっている。

 レーテも当然その事は知っていた。ファルガという少年に勿論面識はないものの、『お上り』が来た時には、美味しいとうもろこしなど、子供からすれば垂涎のおやつが家庭の食卓に上ることもあり、秋口に定期的に訪れるラマの行商群『お上り』は、誰もが見知っていた。その『お上り』の村からの訪問者というのが、何故かレーテに酷く親近感を持たせたのだった。

「『お上り』は秋だよ。農作物の収穫が全部終わってからなんだ」

「……そうなんだ……。貴方、崖の上から落ちてきたの、覚えているの?」

 レーテの物言いに、一瞬たじろぐファルガ。

 レーテの質問はごく当たり前の内容だった。

 上の村の少年が落ちてくれば、事故か何かがあったと思うだろう。ましてや、その墜落してきた少年が、地面を抉ったにも拘わらず、翌日にはこうして彼女と共に活動している。それがある意味少女には信じられなかったというのもある。

 だがそれは、少年ファルガにとっては中々に答えづらい内容だった。

 正直、自分がここにいる理由や今後どうしていくかという事について、ラマ村の人間も含め、他の誰かに伝えるつもりはなかった。だが、崖から落ちてくるという事が非日常的である以上、尋ねられるのは当然だろう。

 ファルガは、レーテの質問を何となくはぐらかした。

 答えれば崖から落ちた状況も説明しなければいけないし、そうなると、不思議な剣の話も、ジョーの話もしなければならない。だが、自分が何も知らない事にしてしまえば、それ以上の説明は求められまい。少なくとも、圧倒的な殺意と憎悪とで一度人を殺めようと心に決めた事のある人間である、とはなんとなく見られたくなかったからだ。

 薪より、山菜の方が早く籠が一杯になった。薪も大分溜まってきてはいるが、まだ一杯なるには少し時間が掛かりそうだ。そこで時間を無理に消費するよりは、今の分を持ち帰り、次の作業に入るべきだとレーテは判断し、小屋に戻り、保存の作業に入る事を告げ、斜面に置いてある籠を背負った。

「家族の人も、心配しているだろうから、早く連絡してあげた方がいいと思うわよ」

 そんなことを軽く口にしたものの、ラマへの連絡は、手紙も難しい。そうなると本人が体を持って帰るのが一番早い事を考え、思わず気まずそうな表情を浮かべるレーテ。

 だが、その沈黙をファルガは別の意味として受け取った。

 話すつもりはなかったが、いずれは話さなければならないだろう。この少女と、彼を助けてくれた老夫婦。その三人が目の当たりにしたファルガとの邂逅はそれほどに衝撃的過ぎた。

「……帰れないんだ。というより、帰りたくない」

 レーテは絶句した。

 詳しい理由はわからないが、どうもファルガの一番触れてはいけない所に触ってしまった感覚は間違いなくする。

 はぐらかすことも、話題を変えることもできず、レーテは沈黙のまま小屋へと戻った。少年と少女は、その日はずっと気まずかったのか、当たり障りのない会話のみに終始した。それをツテーダ夫妻がどう感じたかはわからないが、ファルガとレーテの間の微妙な空気に割って入るような真似はしなかった。

 翌日。

 ファルガとレーテは、もう一度ハタナハの裏山に入る。

 今度は、薪集めがメインだ。

 本来薪は、冬に集めるのが乾燥させるのには効率が良いとされる。しかし、冬の山に入るのは危険が伴う。特に滑落し、体のどこかを痛めて動けなくなったとしたら、冬ならば間違いなくその日のうちに凍死してしまうだろう。だが、夏場、とりわけ秋になる直前の山であれば、もし非常事態に陥ったとしても、数日は生きていける。そう考えると、高齢のカゴスやルサーにしてみれば、薪集めは夏から秋の作業であるという理解だ。

 朝食の時から、二人の間に漂う雰囲気はといえば、非常に気まずかった。カゴスもルサーもそれはわかっていたはず。だが、敢えて何も言わなかった。言ったところで何も変わらない。

 当初、カゴスは下卑た想像をしてしまった。そして、それに対し烈火の如く怒ろうとした。無理もない。ファルガの年齢を考えると、擡げ始めた年相応の感覚と、それに対する自己の嫌悪感とが相反する状態であり、それこそが若さ故の過ちを生みかねないからだ。

 だが、それに対してルサーは止めた。レーテの表情からして、もっとメンタル的な問題であろうと悟ったからだ。

「そ、そういう物なのか?」

「そういう物ですよ。ファルガは、貴方が思っている以上にいい子ですよ」

「それは、わかっている、のだがな」

 妙にたどたどしく答えるカゴス。久しぶりの父としての怒りを爆発させたかったが、ルサーに機先を制されてしまった。

「あの子たちは、自分で解決して帰ってきますよ。それまで待ちましょう」

 カゴスは目を白黒させながら、唸るように返事をするしかなかった。


 山菜をメインに採った昨日の場所より、もう少し山を下ったところを目指す二人。もっと太い薪が必要だ。今回は直ぐに使うものではなく、冬の間に使うための物を探していた。太い薪。それを一度日干しにしたのち、日陰の乾燥した場所に保管する。そうすることで、冬の間中暖を採れるほか、そのまま炭にもなる。

「ここにしよう」

 ファルガは背の籠を降ろすと、周囲を見回し、太めの枝を集め始めた。長すぎる物は手斧で斬り、太さは遺して長さを適切な物に裁断していく。

 しばらくレーテもファルガと同じ作業をしていたが、ついに我慢しきれなくなり、口を開いた。

「聞いていいかな。

 貴方が落ちてきたその日の晩、聞いちゃったの。『ジョー』という名前と苦しそうなファルガの表情を。今も、無理していろんな気持ちを隠しているんじゃないかと思うの。

 まだ、知り合って二日しか経っていないけれど、もし、私が聞いてファルガが楽になるのならば、話して欲しいな」

 薪を拾い、手斧で裁断しようとするファルガの手が止まる。

 ややあって、不自然に動作を開始したファルガは、話し出した言葉が、ともすれば枝を割る音にかき消そうとしているような印象すら受ける。

 大きくため息をつき、微かの沈黙の後、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めたファルガ。だが、手斧を扱う手を止めず、また、薪を探すのも止めない。

「……ラマの村に、殺人鬼が出たんだ」

「殺人鬼? それが、ジョーという人?」

 無言でゆっくりと頷くファルガ。その目には明らかに憎しみの光が宿り、そしてそれをなんとか押し殺し、平静を保とうとしているのが伺える。

 ファルガは、感情を込めずに語りだした、つもりだった。だが、いつの間にかファルガの目からは涙が零れ、沈黙の際は歯を食いしばりすぎ、口元から鮮血が流れた。

 レーテは、ファルガのそのあまりの変わり様に、ほんの少し恐怖を覚えた。この穏やかな少年が怒りに我を忘れた時、一体どのような行動を取るのか。只の回想のはずなのに、突然弾け飛びそうなほどの不安定な危険さをファルガという少年から感じざるを得なかった。

「……奴は、レナを食いやがったんだ。生きているレナを。それと同時に、彼女の心はどこかに行ってしまった……」

 レーテは黙って聞いていた。黙っているしかなかった。

 今までデイエンで暮らしてきた彼女が覚えた怒りや憎しみ、悲しみがとてつもなく陳腐なものに感じられ、自分の経験談すら語るレベルにないような錯覚を覚えた。

「レーテは、どう感じるかわからないけど、俺はあの時、間違いなくジョーを殺す気で剣を振るった。

 人を斬ったことなんか当然ない。けれど、レナの心を壊したあいつが、そのままでいる状態がどうしても納得できなかった」

 ファルガはレーテに顔を覗きこまれていることに気づき、袖で涙と血を拭う。そして、止まっている手を再度動かし始めた。

「……さ、籠もいっぱいになった。一度小屋に戻ろう。日が高いうちに薪を割って、干さないと」

 ファルガはレーテの顔を一度も見ることなく、籠を背負うと小屋に向けて歩き出す。

 慌ててレーテも自分の籠を背負うとファルガの後を追い始めた。


 森を出たところで、立ち上る一筋の煙を見つけた二人。

 煙の位置は遠い。だが、ここから行けない距離ではない。煙の元は、ハタナハを少し回り込んだ、この位置からでは見えない場所。

 ファルガはふと目の前の一筋の煙に違和感を覚えた。

 煙が上がること自体は不思議ではない。ハタナハの麓にはツテーダ夫妻の小屋がある。そこで薪を燃やしていれば、煙も上がるだろう。陽も真上に差し掛かろうとしている。ルサーが何かしら昼食を作り始めていても、なんらおかしくはない。

 ……おかしくはない。

 決しておかしくはないのだ。

 だが、このぬぐい去れない違和感はなんだ。

 ファルガの覚えた違和感は、レーテも覚えていたようだ。そして、一筋の黒い煙が、二筋になり、それが一本の太い煙になった瞬間、違和感の正体がわかった。

「燃えている……!」

 ファルガがその言葉を発し終わる前に、レーテは背負った籠を投げ捨て、一目散に煙に向かって駆け始めた。

 嫌な予感が当たっていませんように……!

 レーテの願いも虚しく、燃えていたのは、今朝まで二人が寝泊まりしていたツテーダ夫妻の小屋だった。

「おじさま! おばさま!」

 レーテの悲痛な声が周囲に響き渡る。

 一度止まったレーテの足が、再び突き動かされた。

 その感情は、予感ではなく確信だった。

 近づいていくにつれて、火が出ているのが窓枠からであることがわかる。既に建物の中は火の手が回っている事は想像に難くなかった。

 レーテは家の前まで行くと、玄関の扉を開け放った。扉が開いた事により、空気が急激に住居の中に流れ込み、それまで燻っていた炎が一気に噴き出す。

 ノブの熱さは気にならなかったが、玄関から噴き出してくる紅蓮の炎と、熱風はレーテを驚かせるに十分だった。まさに地獄の業火。その炎からは悪意しか感じることができない。灼熱の炎は、何としてもレーテを焼きたいという欲望を満たしたいが為に、真っすぐにレーテをめがけてその舌を伸ばしてくる。

 だが、その舌がレーテの白い頬を舐め上げようとしたまさにその瞬間、横から手を引き、レーテを扉から引き離すファルガ。一瞬炎は残念そうな表情を浮かべたようにも見えたが、そのまま上空へと霧散した。

 勢いよく地面に転がったファルガとレーテ。半身を起こした時に、小屋の中の様子が確認できた。黒い煙が天井を覆ってはいたが、足元にはまだ火が回っていない。その奥に、人が二人倒れているのが見えた。

 今ならまだ息があるかもしれない! 今なら病院に連れて行けばまだ……!

 そういって小屋の中に入ろうとするレーテを、ファルガは止めた。

 倒れている二人の足元に、血だまりができていたからだ。ただ、小屋の中の高熱のため、それはどす黒くなっており、すぐに血だまりだと判別するのは難しかった。

「おじさま! おばさま!」

 レーテは、今すぐにでも燃え盛る炎の中に身を躍らせ、愛する二人の人間を助け出したかった。だが、それはファルガによって阻止される。

「ダメだ! 行ったらレーテも死んでしまう!」

 ファルガの腕の中で弾けていた力が急に止む。

「死んで……る?」

 レーテから悲痛な表情が消える。能面のように、感情そのものが無くなったように見える。だが、それが逆に恐ろしく、そして美しかった。黒曜石のようなレーテの瞳の中には、目の前の炎が映し出された。

 ファルガは生まれて初めて女性の表情にどきりとした。これが、真の恐怖だ、と後にファルガは語るレーテの穏やかな怒りは、この時初めて発現した。

「なぜそれが解るの?」

 静けさの中にとてつもない怒りを覚えているレーテ。

 ファルガは、夫妻の足もとが黒ずんでいる事を指摘し、あれは血痕だと言った。

「……という事は、夫妻は誰かに殺されたという事なの? 事故ではなく」

 ファルガはゆっくりと頷く。

「本当に?」

 適当なこと言わないで! と罵られることを覚悟していたファルガは、一瞬肩透かしを食らった気になった。だが、考え様によっては、このレーテの反応は非常に恐ろしいものだ。

 ファルガは一度この感覚を覚えたことがある。

 とある瞬間、自分の怒りが頂点に達した時、心が異様に穏やかになる。

 だが、それは単純に様々な欲望が消失し、同時に目的も怒りの対象に対する攻撃のみとなる。迸るのは敵と認定した者に対する限りない殺意。悪意すらない、只この世から対象を排除する為だけの感情。

 それは、ほんの数日前に、ファルガがかの男に覚えた感情と同じだった。それを、今レーテは対象を持たぬままに覚えている。

 この精神状態がずっと続けば、持ち続ける殺意が自分の体に伝播し、いずれ生命活動を脅かすことを、ファルガはあの一度きりの体験から学んでいた。

「誰が、何のために……」

 ファルガの方を見るレーテの視線は、焦点があっていない。

 業火が家を壊し始めた。だが、焼け落ちていく家が、徐々にレーテを憤怒の呪縛から解き放った。太い丸太が崩れ落ちていく音が、レーテに目の前の光景を焼き付けさせる。

 初めて、レーテの目から涙がこぼれた。

 何処からともなく感じる視線。ファルガは思わず周囲を見回した。

 だが、次の瞬間、崩れ落ちた小屋が爆発する。

 もはやその場所からの退避は不可能だった。ファルガはレーテに覆い被さるように身を低くし、出来るだけ熱波と爆風をやり過ごす。

 何か形のないとてつもなく重いもので全身を叩かれ、そのまま周りにそれを巻きつけられた感覚が二人を包む。それが爆発の衝撃波であり、轟音であったと気づいたのは、視覚と聴覚が徐々に元に戻ってきてからの事だった。そして、体を起こした時、先程爆発に巻き込まれた瞬間より、大分離れた所にいる事に気付いたファルガ。右手には、気づかぬ間に一振りの剣を握りしめていた。

 かの男が『聖剣』と呼び、異常に執着したこの質素な一振りの剣。

 所謂片手剣と両手剣の間程の青白い刀身には、うす黄色い『はばき』が刀身の途中まで支えるように伸び、その部分に何か文字ともとれる模様が施されているが、その内容は彼には理解できない。柄の部分は、柄巻が施されていないにも拘らず非常に手に馴染む。それは、鍛冶屋の弟子として今まで見てきた剣とは全く違う物だった。刃を鍛え、柄にはめ込む通常の剣とは違い、この剣は素材をその剣の形状のままでくり抜いて作ったように見えた。普通に考えて人間にそれを作るのは不可能だ。かといって、自然界にそのように物質が存在したとは考えにくい。それに、そもそもこの剣の素材が何なのかよくわからない。

 彼が剣を観察したのは一瞬の出来事だった。といっても、最初の剣との邂逅は、余りに突然すぎて、彼自身剣の形すらも把握しないまま振るい、そして守られたのだから致し方ないだろう。

 まだ爆風は完全に通り越していない。何かの飛来を察したファルガは、素早く立ち上がり、飛来物を振り向き様に剣で打つ。鋭い剣である筈なのに、半端に刃に挟まることなく、爆風で飛ばされてきた小屋の柱の一部を弾き飛ばすことに成功するファルガ。

 飛来物は続く。不思議とファルガにはその飛来速度が非常に遅く感じられた。物理的にはその速度でその飛距離を飛ぶはずがない、とは感じたものの、飛んできているのだから仕方ない。彼は飛んでくる大小様々な物体を、全て剣を使って『弾き』飛ばした。

「やはり、そこにあったのか」

 声は上空からだ。

 ファルガは崩れ落ちた小屋から目を離すと、声の方を見る。

 薄く白い雲がかかった空に、握り拳大の黒い物体が三つ浮いている。よく見ると、人間の姿をしている。いや、実際に人間かどうかはわからない。だが、少なくともファルガの目には人間に見えた。

 性別は不明だが、三人の人影は、間違いなく浮遊していた。

「……飛んでいる……何だ、あいつら」

 ファルガの声を受けて、レーテは顔を上げた。上空の三つの物体を見て、そのまま動きを止めたレーテ。余りに色々事が一度に起き過ぎて、感情がついていかないようだった。

 三つの物体は、ゆっくりと下降を始めた。ファルガたちから少し離れた所に降り立ったのは、黒いマントを頭から被り、性別こそわからないが、まぎれもなく人間だった。いや、人間である筈はない。当たり前のことだが、人間は宙に浮かぶことなど出来ない筈だ。

 ファルガは無意識のうちに剣を前に構え、レーテを自分の後ろに追いやる。戦う術のないレーテは、ファルガの影に隠れているしかなかった。

「少年。その剣をこちらへ」

 三人の黒マントの、真ん中の人型が数歩前に歩み出た。この男が三人のリーダーなのは間違いないようだ。

「この剣は、俺のじゃない。持って行きたいなら持って行けばいい」

 ファルガの言葉に、ただ怯えていたレーテは驚いてまじまじと見つめる。

 ファルガは、昨晩この剣を大事そうに抱えながら墜落してきた筈だ。気を失っていた彼はそれを知らないかもしれない。しかし、彼は自分の物ではないというのか、その剣を。青白い光を発し、あたかも自分の意志で、少年ファルガを守っているように見えたその剣を。

「……一つ聞きたい。この剣を手に入れるために、カゴスさんとルサーさんを殺したのはあんたたちなのか? この小屋を焼き払ったのはあんたたちなのか?」

 ファルガの声には抑揚がなかった。

「だとしたらどうするつもりだ?」

 向かって左側の黒マントが言葉を発した。その声は、真ん中の男に比べ酷くしゃがれ、人を小馬鹿にしたような品位を感じさせないものだった。

「……おとなしく渡さないからだ。私たちはその剣を譲ってくれと頼んだのではない。『返して欲しい』と言ったのだ。だが、あの老夫婦は私たちの願いを聞き入れなかった。それどころか、その剣の存在を隠そうとしたのだ。それは私たちへの挑戦だ。

 私は彼らの挑戦を受けた。ただそれだけだ。もっとも、挑戦してくるにしては相応の力を全く持ち合わせていなかったが。まったく……」

 向かって右の、三人の中で最も背の高い男は、ゆっくりとファルガの元に近づきながら、少し耳障りなほどに高い声で長々と言葉を紡ぐ。その男の言葉の終わりの方は、まるで馬鹿にするようにファルガの顔の至近距離で発せられたが、ファルガはそれを最後まで聞くことはなかった。

 長身の黒マントは、突然体をくの字に曲げ、地面に倒れ込む。ファルガはその黒マントの男を突き飛ばすように、残り二人の黒マントの方へ押し戻した。

 長身の黒マントの男が力なくだらりと、二人の黒マントの男の前に転がった。

「……あんたら、ナイルより弱いな。俺の膝蹴りがナイルに当たった事なんかないぞ」

 ファルガは、緊張感なく近づいてきた、ツテーダ夫妻殺害の犯人を目の当たりにして、何もしない程お人よしではない。かといって、ナイルに教わった武術を多用し、暴力で人より優位に立ちたいとは思わない。ただ、彼にとって、今回の攻撃は理性をまだ保ち続ける為には、最善の解だったのだろう。

 二人のマントの男に一瞬緊張が走る。だが、ファルガのその行為に対して、一瞬反応しようとする小柄で太目な男を抑えるリーダー格の男。確かに、老夫婦との交渉が決裂したからと言って、即座に殺戮に及ぶ方法を容認できるはずもないからだ。その意思表示だけはしなければならないだろう。

「少年。

 今、我々が君らの手からその剣を手に入れるのは簡単だ。だが、この男が君らにした行為は、人として許されるべきではない。そして、それを監督しきれなかったのは私の責任だ。それについては謝ろう。

 ……日を改めて参じる。その時に改めて話をさせて欲しい。その上で、納得してその剣を返して貰いたい」

 そういうと、黒マントの男は、ファルガに倒されたマントの男を軽々と肩に担ぎ、ゆっくりと浮遊を開始する。

「いくぞ」

 背の低い黒マントの男は、渋々と黒マントのリーダーに付いて浮遊を開始する。だが、黒マントの下からは、殺気が迸っている所を見ると、長身の黒マントが倒されたことがどうにも彼にとっては納得がいかない事のようだ。

「この剣は返さないよ。あんた以外の二人が、レーテとカゴスさん、ルサーさんに謝るまで」

 ファルガは飛び去ろうとする二人の黒マントに向かって叫ぶ。

 空中で背の低い黒マントがぴたりと動きを止めた。表情は窺い知れないが、怒りに震えているらしく、ゆっくりとファルガたちの方に向き直る。

「……ガキどもが、調子に乗るなーっ!」

 背の低い黒マントは、ついに自ら黒マントを脱ぎ棄てた。濃い緑色の体毛にうっすらと覆われたその姿は、異常に筋肉が膨れ上がった豚のような容姿の男だった。耳は先端が尖り、明らかに人間とは違う。

 化け物。

 そう呼称するに相応しい男は、普通の人間ではありえない程に口が裂けた。その腔内には黄ばんだ醜く鋭い歯がびっしり並んでいた。

「食ってやる! お前ら頭から食ってやるぞ!」

 緑色の豚のような男はそう叫ぶと、真っ直ぐにファルガの方に飛び込んできた。空からの急襲。その大きく開かれた口から、赤い火球が吐き出される。この燃え盛る紅蓮の炎が、小屋を焼いたに違いなかった。

 だが。

 ファルガは高速で飛来する火球を、男たちの欲したその剣を使って、男に向かって弾き返した。火球を吐き出した直後に全力で敵へと突進を開始した緑の巨漢にとって、火球が打ち返されることは全く想定していなかった。

 火球は彼に直撃した。その直後、彼の腹から一本の刃が突き出る。

 真ん中のリーダーの男は、部下の暴走を止めるために処刑したのだ。何の躊躇もなく。

 リーダーは、そのままファルガたちとは逆の方に男を投げ捨てた。そのまま剣から血糊を吹き飛ばすように剣を激しく振ると鞘に戻し、飛んでいく男の方に掌底をかざした。

 黒マントの男の周りの空間が一瞬歪み、その歪みがより濃くなり、右手の掌底に集まる。その歪みが光を発し、稲光を纏うとそれが光の玉となり、一気に打ち出された。

 打ち出された光弾は、一瞬で緑の男を直撃する。稲妻に打たれたように、男の身体はびくんと大きく反り返る。そのまま、緑の男の身体は炎に包まれ、大地に墜落する前に灰となって霧散した。

「まさかとは思うが、あれは聖剣の『第一段階』。あの少年にも、聖剣の勇者の資格があるというのか……」

 青白い光の膜に包まれたファルガを一瞥すると、男はそのまま飛び去った。

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