皇帝兵器 1
例え、相手が魔王であろうと、最初こそ戦闘として成立すると考えていたファルガ。
現在では、聖剣発動の第三段階を超え、聖剣の補助なく自身の能力として、氣の輝き『オーラ=メイル』を身に纏う。身体能力を高め、高次の存在をも知覚し、この世の存在ならざる者さえ駆逐することもできるようになった。
いわば、聖剣の勇者『聖勇者』のレベルを遥かに超えた戦士になっている筈だったファルガ。
増長していたつもりはない。慢心したつもりもない。冷静に自分の力を把握していた。
そして。
『反人』の『神闘者』、即ち真の魔王と戦い、足止めする事が出来る可能性があるのは自分しかいない、という冷静な判断があってこその殿だった。
眼前の魔王と対するのに、実力差があったのは仕方ない。
だが、だからといってテマやレーテを戦わせるわけにもいかない。この場にはいなかったが、ウズンやバスタ、そしてカニマといった傭兵は、対人間なら十分な戦力と言えただろうが、この『魔王』との対峙では、そもそも戦闘が成立しない。
やはり、自分が戦うのが最適解。しかも勝ちに行くのではなく、出来るだけ時間を稼ぐ。
自分の判断が間違っていない事に満足し、思わずニヤリとするファルガ。納得して戦うしかない。そう割り切って覚悟を決めたのだという事か。
だが、その実力差は予想以上だった。
この絶望的な状況はどうにもならない。
もし、レーテとテマの二人が皇帝と会って知識を得たとして、その知識を持ってこの地から生きて帰らねば。そして、レベセスに伝え、巨悪との対決に備えた策を講じなければ。
だが、それを実行するには、とてつもなく高いハードルが眼前に立ち塞がっていた。
恐らく、眼前の『神闘者』即ち魔王を名乗る青年がいなければ、そのミッションの達成は容易だったはずだ。皇帝の門番を称する、三つ首の地獄の番犬程度なら、容易に退けられたはずだ。
オーラ=メイルを全開にして防御に徹した場合、それでも耐え切れない攻撃というものは、今までなかった。試そうとは思わないが、恐らく大陸砲の直撃にも耐えられる筈だ。あのガガロもドラゴン化したとはいえ、大陸砲の直撃を凌いでいる。
その時のガガロのオーラ=メイルと同等か、それ以上の代物を発生出来るファルガが、眼前の赤黒い氣を放つ青年に、完膚なきまでに打ちのめされている。
青年の持つ槍も、ただの槍ではないのがわかる。
勇者の剣の斬撃を受け止め、はじき返す硬度を持つこの槍が、普通の人間の工房で作られた槍であるはずはない。これも、名の知れた魔王用の武器なのだろう。
それに加え、『魔』特有のマナ術の巧みさが、ファルガの反撃の目を摘む。
放出系の術、トラップ系の術、武器に付与する術をうまく使い、反撃の為のファルガの斬撃の威力を殺し、攻撃の軌道を歪ませ、結果的に有効打を放たせていない。
「打たれ強いな、少年。だが、それでこそ嬲りがいがあるというものだ。
正直、お前のような奴は嫌いじゃない。ただ、悍ましく憎く思えてしまう。それだけだ。そして、それが全てなのだな、俺たちの関係というのは」
魔王は邪悪な笑みを浮かべ、槍を構えた。
穂先が赤黒く光を帯び、槍を構える魔王の周囲を無数の火球が覆い尽くす。そして、その火球の遥か上空に、直径で火球の五倍以上の光球がいつの間にか作り上げられていた。
先程の手合わせで、ガガロが得意としたマナ術≪雷電光弾≫の術を幾度となく使っていたが、それはファルガを狙ったものではなく、上空の逃げ道を塞ぐための布石だったという事だ。
「そろそろ行くぞ……」
不敵な笑みを蓄えていた魔王の双眸が、カッと見開かれた。
魔王の周囲の火球が、一気にファルガを襲う。ファルガはそれを跳ぶことなく、鋭くジグザグに動くことで回避する。
最初の攻撃では、速い火球の接近に大きく跳んで回避を試みてしまい、その後に連続して飛来する火球の攻撃を躱しきれなかった。跳躍をして、空中で進路を変える事はファルガにはできない。その技術は、飛行術≪天空翔≫を使って実現するしかない。
最初は上下左右から迫りくる火球群を何とか回避していたが、攻撃の度に火球の数が増え、ファルガが回避しきれなくなるのも時間の問題だった。
それでも、ファルガもただ魔王の圧倒的な攻撃を受け続けることをよしとはしない。
躱しきれなかった火球は、聖剣を振るって破壊する。
ところが、その聖剣の動きに合わせて、魔王が一気に間合いを詰め、鋭く速い突きを無数に放つと、流石にファルガでも対応しきれなくなった。
穂先を躱しつつ火球を避ける事が現実に無理になり、魔王から大きく距離をとろうとするが、そこでついに、上空に待ち受ける雷球の攻撃を受けることになってしまった。
天空の雷球は、回避のために上空に跳躍した者の武器を避雷針にして辿り、凄まじい電撃によるダメージを少年に与えた。上空に跳ぶことを牽制するためのトラップ術というだけの用途ではなく、雷球自ら傍に寄る敵に裁きの雷を落とすという極悪仕様の術だった。
≪雷電砲台≫。
ガガロの得意マナ術≪雷電光弾≫を、砲台に見立てた雷球が複数個放ち、敵を撃墜するという『真』を非常に消費する術だ。恐らく、人間のマナ術では実現は不可能だろう。
それを、この魔王は容易に行使する。
それに加えて無数に火炎の術≪燃滅≫の火球を発生させ、それを自分の結界とした。恐るべきは、『真』をコントロールする強大な精神力だ。
魔王は口角を上げた。
ブスブスと焼け焦げた状態で墜落するファルガ。これほどの圧倒的な攻撃の前では、SMGの装束の耐久力も効果がない。半ば気を失った状態ではあったが、何とか途中で正気に戻り、頭からの墜落だけは避ける事が出来た。
幾ら聖勇者といえども、オーラ=メイルなしで頭から地面に激突したならば、生身の人間と同じく即死だっただろう。
眼前の血だらけの少年が、まだふらふらと立ち上がる様を見て、魔王は歓喜に打ち震えた。
「大したものだ。まだ立ち上がる事が出来るとはな。いいぞ……、いいぞ……」
だが、それは驚愕の言葉ではなかった。賞賛の言葉ですらなく、自分の快楽の瞬間がまだ続くという、単なる歓喜の言葉だった。
「化け物め……」
ファルガは口の中に広がる血の味を毛嫌いし、唾を吐き捨てた。
全身、擦れた傷から血は滲み、青痣だらけだ。特に左腕の自由が利かなくなりつつある。穂先の攻撃を半身で躱した結果、石突での一撃を左腕に何度か受けてしまい、重度の打撲か、下手をするとヒビか骨折か、といった状態だ。
髪は幾度となく雷撃を受け、縮れてしまっている。
それでも、魔王の槍の必殺の一撃だけは必死に回避し、細かい切り傷だらけではあるものの、致命傷だけは何とか避けていた。
穂先には、付与のマナ術により毒も仕込んであったようだが、それはファルガのオーラ=メイルで浄化され、ファルガ自身がその毒の存在を、身を以て知ることがなかったのは、不幸中の幸いといえるのだろうか。
「くそっ……! ある程度覚悟はしていたが、ここまで実力が違うのか。あいつは遊んでいるだけなのに」
ファルガの言葉が魔王の耳に届く。
「もったいなくてな。一撃でこの快楽を終わらせてしまうのがな。
時代が時代なら、お前が『妖近衛』に昇格するのを待って、それを嬲り殺すというのが一番の快楽なのだろう。
だがな、この地を手に入れ、再利用するための整備を行うのが勅命なのでな。生憎と、あまり楽しみに任せてお前を嬲り散らす事が出来ないのだよ。
それが唯一の心残りだ。
お前がもっと抵抗して、この戦いがもっとハイレベルになるようならば、喜んでもっと強力な術を乱発できるのだがな。多少この地が傷ついても、強敵であったが故に戦闘を抑える事が出来なかった、と報告すれば言い訳もたつ。
ほら……。
もう少し頑張ってみてくれよ。俺を愉しませてくれよ……」
焦点の虚ろなファルガだったが、魔王の懇願に近い挑発だけはわかったようだ。
「そう都合のいいようにはさせない……!」
そう呟き、口元に流れる血を拭った。
腹部には、戦闘初期に受けた箇所の痛みがある。
先程の嬲り方は失敗したのだろう。あの痛みは槍で突かれたものではない。どちらかというと鈍器で腹部を激しく殴りつけられた感じだ。
突然、喉から熱いものが上がってくる。
ファルガは嘔吐に似た気持ち悪さと、鉄の味を口一杯に感じてしまい、思わず吐き出した。
鮮血。
どうやら、最初の一撃で内臓が傷ついてしまったようだ。それを無視し激しい動きで戦い続けたため、その損傷が悪化したということなのか。
激しく咳き込むファルガ。立っていられなくなり、思わず両膝をつく。
「く……、くそぉっ!」
気合を入れて再度立ち上がろうとするが、両膝が地面から離れず、体が答えない。膝をついた時に掻き消えたオーラ=メイルが、彼の身に纏われることはない。
「そろそろ限界か? では、戦闘の楽しみから蹂躙の楽しみに移らせてもらおう。
体の何処の部位から落としてやろうか。いや、貫くのがいいか。
……まずは、運試しといこう」
魔王は槍を右手に持ったまま、左掌を空に向けて挙手する。上空に人間の指先大の氷の刃が無数に発生した。
「運がいいといいなあ。続けられるといいなあ」
魔王は子供のようにけらけら笑うと、左手をゆっくりと下した。
上空の氷の鏃は、重力に逆らえずに落下を開始する。とはいえ、只落下するように敢えて落としたため、ファルガの周囲にバラバラと墜ちるほか、直撃してもファルガの体に刺さることはなく、切っ先部分が直撃したとしても、刺さるというよりは皮膚を傷つけて、そのまま床に落ちて粉々に砕け散った。
「いやあ、流石に運がいいな。次いくぞ」
再度、左掌を天に掲げ、嬉々とする魔王。再度上空に氷の塊が出来上がる。だが、今度のそれは、最初の物に比べて一回り以上大きい。
魔王は再び腕を振り下ろした。
先ほどに比べ、振り下ろす速度も速い。それは氷の刃の落下速度に比例していた。
今度は少年の体に当たった刃が彼の体に残る。かすった刃は彼の肉を斬り裂く。
「氷の刃のドレスもまた一興だな。もう少し落下速度を上げたら、そろそろ体の部位がどこか墜ちるかな?」
魔王は三度目の氷の刃地獄を上空に作り出した。
二撃目の≪氷刃降雨≫の術よりも、更に刃が巨大になり、はっきりと刃物の形を象った氷の結晶は、全ての切っ先を満身創痍の少年戦士に向け、射出の号令を待ちわびているようだった。
「さあ、行け!」
魔王の号令に応じ、上空から打ち出される氷の弾丸。だが、それが少年の体に到達することはなかった。
連発された、大気中の水分を強力な『真』の力で圧縮結晶化する術により、気温が著しく低下していたが、その空気さえも焼き尽くさんばかりの業火が、周囲の温度を一気に上昇させる。同時に、上空に鎮座していた刃が全て温かいお湯となり、少年と青年の上に降り注いだ。
「うーん……。俺は、風呂は好きだが、服を着たままシャワーを浴びる趣味はないんだよねぇ……」
言葉こそ酷く陽気な印象を受けるが、その表情は怒りに満ちていた。それはおもちゃを盗られた子供のような、ある意味無邪気な怒りだった。
魔王は、上空の氷刃を舐め尽くした業火の発生元に、凄まじく殺気の籠った視線を向ける。先程までのファルガを嬲り殺そうとしていた人間の浮かべる表情とは雲泥の差だった。
彼の視線の先には、三人の人影が。
先程祭壇に消えた少女と老人。そして、見た事のない人影。
そして、老人と少女が見つめる人影から、恐らく上空の氷刃を掻き消した業火を放ったのは、その人影だという事を察する魔王。
だが、突然出現した三人の新たな敵を牽制するために魔王の掌底から発せられた巨大な火球を分断したのは、少女の剣の一閃だった。
少女も、先程まで戦っていた少年のごとく、炎のような青白いオーラ=メイルを纏っている。だが、少年と異なるのは、少女の体に纏われたオーラの光より、少女の持つ剣の方が強い輝きを持った炎が立ち昇っていることだった。そして、その輝きは眼前の少年よりは弱弱しい。
少女がまだ、剣の力を借りて氣をコントロールしている段階であるという事に気づき、先程の怒りの表情がそのまま蕩けた。
「増援か……。楽しみが増えた」
正気を失った笑みを浮かべた魔王は、一気に三人の新たな敵との距離を詰め、槍の三段突きの餌食にしようと試みるが、その突きは完全に空を切った。
場所を入れ替えるように、レーテとテマとイン=ギュアバは血だらけで倒れ込むファルガの元に立った。
「レーテ=アーグ。テマ=カケネエ。あの男を、数秒抑える事が出来ますか?」
最初、言葉の意味がよくわからなかった二人だが、とりあえず頷く。
ファルガが敵わなかった相手だからといって、二人で戦えばいくら何でも数秒くらいの時間は稼げるはずだ。
テマはそう考えた。
「わかりました。
私はこれからファルガ=ノンに≪修復術≫を施します。少しだけ我慢していてください」
皇帝は、意識を失って倒れているファルガの背に両手をあて、作業を開始した。
背後の皇帝と少年を庇うように武器を構えたテマとレーテは、魔王の嘲笑を受けることになる。
「なんだなんだ、『妖近衛』もどき共が俺の相手をしようというのか?」
魔王は、槍を持たぬ左手の人差し指と中指をレーテの額に向け、集めた『真』を集中する。すると、すぐさま人差し指と中指が氷に覆われ、その氷が高速で射出された。
≪氷矢≫の術が、レーテを急襲する。鏃こそ氷だが、カタラット国ワーヘ城屋上での戦闘時に対峙した、光の矢に遜色ない飛来速度だ。
人差し指と中指大の氷が鏃と化し、聖勇者レーテ=アーグの眉間に到達しようとしたまさにその瞬間、レーテは鞘から抜き放った光龍剣の刀身を火炎に包ませ、鏃を斬り裂いた。
射出された勢いを殺さないままレーテの背後に二カ所に分かれて落ちた氷の鏃は、水蒸気を噴き上げながら消滅する。
「おお……。こっちのもどきもいいじゃないか!
さっきの『もどき』は、只火の玉をぶった切るもんだから、熱風を自分の体に浴びてしまって、直撃じゃないにせよダメージを受けていた。むしろ、君の方が術のセンスはあるかもしれないぞ」
貰っても嬉しくない魔王の称賛に、レーテは苛立つ。
次の魔王の攻撃は、先程ファルガを嬲る為に仕掛けた術、≪氷刃降雨≫。
レーテの上空に、全て切っ先をレーテに向けた無数の氷の刃が発生する。
「白いなあ。白い肌が氷の刃に刻まれたら、赤と白の美しい絵が描けるかなあ」
常人ではありえぬ妄想をしながら、攻撃を仕掛けようとする魔王だったが、レーテもいつまでもその場所で立ち尽くしてはいなかった。
黒いタイルの上を滑るように魔王を急襲したレーテだったが、レーテの一撃は簡単に槍でいなされてしまう。
魔王はそのまま槍の柄でレーテをはたき落とし、同時にテマ老人を襲う。
テマは防戦一方だった。第三段階のレーテでもあっさり撃墜させるほどの魔王の実力に対し、テマは攻撃を仕掛けることはせず、防御一辺倒で時間稼ぎに臨む。
だが、魔王の攻撃力は圧倒的だった。一度短剣で防御の姿勢をとる間に、両肩両足を十数回貫かれ、床に転がる事になってしまった。
「テマ様!」
レーテは、魔王とテマの間に助けに割って入るが、魔王の槍の一閃は、直撃こそしなかったが、横たわる者、護ろうとするものを根こそぎ弾き飛ばした。
「……ファルガ君とレーテさん、そして私が力を合わせても、この男には到底及ばないのか……。どうする?」
テマは両手両足が効かぬ状態ではあったが、激痛に顔を歪ませながらも何とか半身を起こし、状況を見極めようとした。
両膝をつき蹲るファルガに掌を翳し、回復を図る皇帝イン=ギュアバ。
その生命の光は強く輝くが、ファルガの体力と傷は全快には到底至らない。先程イン=ギュアバの言った数秒は、とうに過ぎた。思ったよりファルガの容態が悪いのか。
「思ったより体組織の損傷が激しい。もう少し修復と回復には時間がかかります。テマ=カケネエ。ファルガ=ノンの傷が塞がり次第、貴方の傷を治します」
イン=ギュアバの声には、相変わらず抑揚はなかったが、それでも心なしか焦りの色が見えた。現行戦力では、イン=ギュアバの回復速度より、魔王の攻撃のダメージ付与の速度の方が速いという事だ。回復にのみ従事していては、完全に後手になる。
レーテは、魔王の視線と動作を見ながら、先程のファルガの傷つき具合から、目にすることのなかった魔王の攻撃法を推測する。
「防御に徹すれば、時間稼ぎができるかと思ったけれど、あの人の攻撃力は私たちの防御を遥かに上回っている……。時間を稼ぐのには、こちらから攻撃を仕掛けるしかないわ」
観察する。思い出す。類推する。
レーテは短い時間の間に起きた事柄を、頭の中で整理した。
確か、ファルガの髪の毛は焦げたように縮れていた。ということは、燃焼系の術を用いたに違いない。先程レーテに放った火球の術を見ても明らかだ。
そして、氷結の術も得意としているようだ。指先から放った≪氷矢≫の術は、何の溜めもなかった。という事は、大気中の『真』を収束するまでもなく放つことができるという事。自身の氣をまるで真に変換したとでもいうように……。
魔王を倒すのは無理でも、一度この戦闘に間が欲しい。
そのためには、一瞬でも魔王が怯み、戦闘継続を一度中断すべきだと判断するような、意表を突いた攻撃をするしかない。
もっとも戦闘能力の高いイン=ギュアバは、ファルガの回復に回っている。もし回復行動に入る事ができなければ、ファルガは絶命していただろうから、この判断は適切だった。
だが、指輪の力を使えるとはいえ、テマを戦闘に参加させるべきではなかった。
このレベルの戦闘では、彼の負傷は当然の帰結となるし、いわば無用のものでもあった。とはいえ、一度狙われてしまえば、テマの身体能力では、魔王から逃れることは難しい。
すぐにでもテマの治療に向かいたいレーテだったが、血が出る程に強く唇を噛み、テマを捨て置く。もし、思わずテマの治療に向かっていたなら、その瞬間に背後から貫かれ、テマ共々瞬殺されていただろう。
このままの均衡を保つか。
テマの治療が遅れれば命取りになるが、逆に時間を稼げばその分ファルガの回復が進む。
その見極めを、齢十一歳の少女に求めるのは酷だと言えた。
だが、テマの『来るな』の合図からすぐにそれを悟ったレーテは、少しでも時間を稼ぐことを最優先とした。
かといって、安易に攻撃を仕掛ければ、レーテがダメージを負う。だが、何もしなければ、魔王は行動を開始するだろう。
何とか、魔王の気を引いて、テマがこれ以上ダメージを負うことなく、時間を稼ぐには、まがりなりにも得意といわれた、マナ術で勝負するしかない。
だが、マナ術が得意な真の『魔』相手にどこまで通じるか。また、何の術なら通じるのか。
その時、恐るべき案が浮かぶ。
上空には、魔王が作り出したと思われる巨大な光球が鎮座する。その表面はスパークを起こし、その形状を微妙に変えながらも球体を維持する。
あれは巨大な雷の塊。
ファルガの髪のちぢれは、火炎による燃焼ではなく、超電圧が体を貫いた際の、内部からの発熱の結果なのか。
魔王の作り出した、あの中空の光球を何とか攻撃に使えないだろうか。
レーテは魔王に向かって攻撃を仕掛けた。剣による攻撃だったが、そのスピードはファルガのそれに比べてはるかに劣る。だが、少女はそれを承知で斬りかかった。
魔王は失笑した。
これほどの遅い斬撃で、自分に対して何をしようというのか。
失笑が高らかな笑い声に変わる。
魔王は少女の構える剣の位置から斬撃を予想し、剣を受け止めた上で、少女の顔に数撃、腹部に数撃、その強大な槍の攻撃を仕掛けるつもりで、それでも、動きの遅い少女に合わせ、突きを発した。
だが、魔王の槍の一閃は、少女の光龍剣の斬撃を跳ね上げただけだった。
剣の斬撃が槍に当たっただけで、少女は魔王から急速離脱する。
これは賭けだった。もし、魔王が少女を馬鹿にせず、この攻防のみで決着をつけようとしたなら、レーテの目論見は完全に外れ、この場で倒されていただろう。
だが、魔王は少女たちが『妖近衛』見習いであると高をくくり、レーテの攻撃を茶番としてしか見ていなかったのが幸いした。
槍にのみ一撃を加えたレーテは、急速離脱し、大きく上に跳躍した。
「馬鹿め、お前もあのガキと同じ目に……!!」
魔王は、先程ファルガが自分の仕掛けた雷球のトラップに引っ掛かり感電し、大ダメージを受けた時と同じことが起きると予測した。
その直後、周囲はまばゆい光に包まれ、同時に耳を貫く轟音が響き渡る。
イン=ギュアバも、横たわったままのテマも、一瞬何が起こったのかわからなかった。ただ、余り良い事ではないような気がして、一刻も早く状況の把握を行うべきだとやっきになる。
「な、何をしやがった……!?」
ファルガの全力の攻撃を受けても傷一つ負わず、息一つ乱れなかった魔王が、明らかにダメージを受け、怒りを顕にしている。
レーテは上空に飛んだ後、ファルガとイン=ギュアバのいる傍の床で伏せ、上空にある雷球の暴走の影響を受けぬよう、身を低くしてやり過ごした。
一連の出来事を把握したテマが、思わず唸る。
「レーテ=アーグ……。
恐るべきアイデアを持つ少女だ。
まさか、上空の雷球の電気的なバランスを崩し、そこに≪光矢≫の術剣でプラスの疑似的な電気の通り道を作ってやることで、あの男に上空の雷球の電気エネルギーを全て直撃させるとは……」
テマは、少女の思い付きでやった行動に驚きを隠せなかった。
レーテは、マナ術≪光矢≫の電気エネルギーを術剣として剣に纏わせ、その一撃を魔王の槍のみに叩き込んだ。
瞬間的に槍は帯電するが、その電撃そのものは魔王には全くダメージは与えない。しかし、その術剣の発動を残した状態で跳躍し、途中で剣を雷球に向かって投げ上げることで、魔王の槍と雷球との間に電気の通り道が出来上がる。
雷球を上空に留める為には、圧倒的な氣で大量の真を正確にコントロールし、放電させないまま維持する必要があるが、その絶妙なバランスを、帯電した光龍剣が僅かに崩したため、行き場を無くして球状で上空に留まっていた大量の電気エネルギーが、電気の通り道を伝って、一気に魔王の槍を通じて魔王の体を貫き、轟音と閃光と共に霧散したのだ。
光龍剣が、何事もなかったように上空から落下し、漆黒のタイルに突き刺さった。
レーテは立ち上がると、素早く光龍剣を回収した。
「お……、おのれ小娘……。許さんぞ!」
初めて魔王が感情をむき出しにして怒った。
だが、レーテはにこりと笑うと、魔王に向かって言い放つ。
「私の役割はここまで! ファルガ、イン=ギュアバさん、後はお願いします!」
レーテは飛び退くと、倒れたままのテマの元に辿り着き、≪快癒≫による治療を開始した。
その間、魔王は何もできない。魔王は目を凝らすだけだった。先程の雷撃で視界が奪われていたようだ。
だが、真っ白な世界が徐々に色を取り戻してくる。
その視線の先には、先程魔王が何度も突いた老人が横たわっている。そして、自分の術とはいえ大量のエネルギーを持つ雷球を纏めて自身に叩きつけた憎き少女がいる。
まずはあの幼い娘を血祭りにあげてくれる!
魔王は怒りを持って槍を構えた。
だが、そこに二つの影が割って入る。
一人は、先程までは立ち上がることも動くこともできなかったファルガ=ノン。そして、もう一人は、『精霊神大戦争』に間に合わなかった超戦力、皇帝兵器イン=ギュアバ。
皇帝兵器を目の当たりにし、暴走気味だった怒りが静まる魔王。
怒りに任せて攻撃しようとしていた構えを説き、直立する。
「この俺にもう一つ与えられていた勅命は、動き出す前の兵器を破壊する事。まさか、この俺が一つの勅命を失するとはな」
焦りは感じていないが、先程までの子供のような怒りが完全に影を潜めた魔王。
「我らの神が危惧する力かどうか、見極めてくれる……!」
出現してから、初めて魔王が戦闘に真摯に向き合った瞬間だった。
「ファルガ=ノン。貴方は少しこの戦闘を見ていてください。
まだあなたの傷は完全には癒えていない。傍目にはわからないでしょうが、ご自身ならお判りでしょう。今無理に動けば、深刻なダメージが残ってしまう」
皇帝兵器の言葉は、淡々としていたが、それは真実だった。
この地で魔王と決着をつけることは是としない。だが、自ら手を引かせる判断をさせねばならない。
「……人間の叡智の粋、神のそれにも劣らぬことを『神闘者』にも知らしめなければなりません」
勇者の剣を構える少年剣士は、一歩、二歩と後退した。
皇帝兵器イン=ギュアバは直立の姿勢を崩さぬまま、魔王を見据えた。




