妖と魔 2
『魔神』。
神は確かにそういった。
この世界は、幾つかの次元で構成され、別次元の住民同士、互いを知る事はできない。そこに棲む様々な知的生命体は、それぞれが相手を認識できないが故、互いに相手の次元が自分達より高みにある存在と解釈し、その存在がいるとされる次元を、敬意を持って『高次』と表現することが多い。また、書籍や伝承では、別次元の事を『あの世』『異次元』と表現されたりもしているが、一般に言われるような『黄泉の国』『異世界』とは大分異なっている。
次元の違う者同士が、互いを認識することが出来ないのは、それぞれの世界を構成する生命エネルギー『氣』と存在エネルギー『真』の波動が『ねじれの関係』にあり、交わることがないためだと説明される。
それぞれの次元の影響下にある『氣』や『真』が交わらないという事は、別次元の相手の存在や状態を示す波動を伝えることがないので、触れることは当然のこと、見る事もできず、気配を感じる事もできない。つまり、どのような方法を用いても干渉することは愚か、知覚する事さえも出来ない。
実在していても観測できなければ、存在していないのと同義だという事だ。
その一方で、計算上の総エネルギー値が、観測できている全てのエネルギー値をどれほど過大に見積もったとしても、その数倍はあるといわれるのは、エネルギーそのものが確実にねじれの向こう側に存在し、計測できないだけだからだと説明されている。
ただ、波動の乱れ等により、ねじれの関係の存在同士の『氣』や『真』の波動が多少でも交わって、ねじれの関係が一時的に消滅しまった場合、温度または空気の流れ、音や臭いや気配といった様々な現象で、ねじれの為に認識できないはずの別次元の存在を瞬間的、或いはある一定時間認識できてしまう事がある。
何もない筈の所で聞こえる音。するはずのない場所で立ち込める匂い。いるはずのないところに見える人影。何もないところで感じる気配。そして、原因が何もないはずなのに著しく温度の異なる部屋の一角。所謂、それが幽霊であったり、妖怪であったり、という類の物の正体だと、神は説明する。
そして、ねじれの関係を超越できる存在であれば、それぞれを認識し、影響を与える事ができる、とも神は言う。
平たく言えば、この世の物ではない存在を、触ったり認識できたりするどころか、倒すこともできる、という事。
ジョウノ=ソウ国の首都ルブザードの港にある倉庫街で、この世の存在ではない猿の化け物を、ファルガは聖剣で斬り、屠ることが出来た。
この猿の化け物の所業は、ルブザードでの七不思議の一つに含まれている。その怪談とは、月の出ぬ闇夜に一人で倉庫街を歩くと、魔物に襲われ、行方知れずになる、というもの。所謂神隠しの類だ。
そして、この化け物はその言い伝え通りに、空腹になったら次元を移動し、餌を食らっていた。今回はたまたま野犬だったが、人間を襲ったこともあっただろう。実際、ルブザードの倉庫街で血痕のみを残して、所在の分からなくなった人間は一人や二人ではない。
この猿の化け物は、何かがきっかけで次元の行き来が出来るようになったようだ。かの猿であった者は、安全に狩りの出来る別次元の生物を襲っては、自身の次元へと逃亡する。その為、猿の化け物の狩りの現場には、生物の死骸または人間の死体などが散乱するだけとなり、事件の解決のヒントになりうるものは何も残されることはなかった。
だが、猿の化け物は所謂『高次』に逃げたが、その存在する座標を変えたわけではないため、『氣』や『真』の波動を共鳴させ、対象を認識する事が出来るようになったファルガからは逃れられず、その斬撃は次元を超え、猿の化け物を直撃、結果退治されることになる。
このように、聖剣の第三段階に到達した者は、所謂『高次』の存在を感じ、本来交わらない筈の『氣』と『真』の波動を感じ取り、『高次』に影響を及ぼすことができるようになる。
それが、真の聖勇者として覚醒したファルガの初仕事、猿の化け物を退治するというミッションに繋がった。
神は同時に、もう一つの重要な話についても話す。
その内容は、およそ信じられるものではなかったが、そう理解するしかない、という感じだ。
神々は、これも先代より聞いた話だ、と前置きする。そして、決して自分たちが目撃したものではないし、自分たちが実際に目撃することはないだろう、とも告げる。どうやら、少女の姿をした神々にとっても、雲を掴むような話のようだ。
それは。
この世界の構成の話。そして、まだ見ぬ神々の世界の話。
この世界の陸地と海は、巨大な球形をしており、その球形を叡智ある存在は『星』と呼ぶ。宇宙と呼ばれる真っ暗でエネルギー密度の低い空間にぽっかりと浮かぶ星々には、自ら輝く星とその周りで光を享受する星とがあり、後者の星には必ず高次の存在『神』がいる。空に見えている星のほとんどは自ら輝く星だが、それ以外の、一見すると暗い星がそれに相当する。
『神』といっても、神話に出てくるような万能の存在ではなく、星に存在する、より能力が高い生命体、という理解になるだろうか。従って、ここで定義する『神』以外にも、神に比肩、或いは純粋な能力では彼らを凌駕する生命体はやはり存在する。その存在を人々は、実際に神として崇めたり、その存在が自ら神や超越者を名乗り、支配を行なったりするような事案もいくつか存在する。そして、それはフィアマーグやザムマーグの関知するところではないともいう。次元のバランスさえ侵さなければ、フィアマーグとザムマーグにとってはさほど問題ではない。
次元の数は、その星を構成する『氣』と『真』の波動のねじれ関係の数によるものであり、数は一定ではない。そして、次元が違う事で、同じ座標上でも別の生命体が複数存在する事が可能な、空間的なバランスをとるのが、神の仕事となっている。
いくつか存在する次元のうち、他の次元に影響を与えるような強い力を持った存在が出現した場合、それが他の次元を滅ぼしかねないと判断されれば、その存在は排除する。
ルブザードでの猿の化け物は、まさにそれだ。
逆に、排除の対象にならなかった高次の存在は、ロニーコに出現したギガンテスの子供とその母親だ。その母親は、子が次元を超えて戻るまで、影響を与えぬよう待ち続けていた。伝説の巨人族の彼女は、次元を超える力を持ちながら、敢えて超えてこなかったのだ。
次元のねじれ関係を破壊する存在は、生命体に限らない。知的生命体の作り出した武器防具、兵器などの技術にまで及ぶ。
神勇者は、他の次元へと移動して狼藉を働こうとしたり、他の次元から攻撃をしようとしたりする存在を排除するのが目的であり、神賢者は他の次元から放たれた様々な種類のエネルギーを無効化することを目的とする。ただし、その指示は神からなされるのではなく、神の神と言われ、大宇宙を一つの単位とする『界元』を統治する『神皇』の判断を、神が伝える。
『神皇』は、この広い宇宙の星々の次元バランスをとる神々の頂点に立つとされる。
その『神皇』の作ったとされる武器『超神剣』の装備を使い、実働部隊として神勇者と神賢者は力を振るうことになる。『超神剣』の数は不明だが、文字通り『星の数ほどある』のか。それとも、その都度『超神剣』を必要な星に送り込むのか。
少なくとも、女神フィアマーグとザムマーグがそれぞれ神勇者と聖勇者であった頃から、現在に至るまで、『超神剣』の装備は聖剣に姿を変え、この星にあり続けたということだ。
当然、この世界の構成は『魔』にも存在する。そして、互いが相容れぬ存在であるがゆえに、対立は起こる。『魔』との対立構図もここから生じる。
『魔』の神皇を『魔神皇』と呼称し、各星々にいる『魔』の神々を『魔神』と呼称するという。
そして、彼らが選んだ、次元を平定する戦士または術者を『魔王』と呼ぶ。何故、魔『王』と呼ぶかというと、王という言葉が『一番秀でた者』という意味だからであり、決して唯一無二の存在であることを示さない。
実際、魔王と呼ばれる存在が複数いる場合も、歴史上はあったようだ。
そして、神勇者と神賢者の真の目標は『魔神皇』の鎮圧。
倒したり殺したり、という事は物理的には不可能だが、その力を限りなくゼロにすることはできる。そうすることにより、思想の違いにより次元を消したり侵したりする思想の大元である『魔神皇』を抑え込み、『魔』そのものの活動を抑制することで、次元や界元の安定を図る、という事だ。
従って、『魔』が活発になれば、神勇者と神賢者が生まれてくる、という事になる。また、神勇者と神賢者の逸材が生まれてくれば、逆に魔王が発生する、という説もある。
レベセスとガガロは、唖然としながら話を聞いていた。
ここまで現実離れした話だと、彼らは自分たちが一体何を求められているのかわからなくなる。
根本的に、互いの価値観の違いが闘争の原因ならば、干渉しあわない方がいいに決まっているのだが、この世界の構成が交わっているところからスタートしているので、それを分化する、という流れを止めるのは難しい。
「界元では、『魔』との戦いは星々ごとに、ほぼ決着がついている。
良くも悪くも、殆どの星はどちらかの完全影響下にあるという事だ。だが、星が違えば勝ち残った『魔』と『妖』が交わることはほとんどない。星間移動を出来る存在が、神や魔神でもそうはいないからだ。
先程、私の用いた≪門≫の術ですら、星間移動は不可能なのだ。そのうち、そのような術を開発する、圧倒的な力を持つ神も出現するかもしれんが、今の時点では不可能だと言っておこう。
それ故、神皇様も『魔』の支配する魔星の存在は黙認せざるを得ないとお考えだ。
この戦いは陣取り合戦ではない。価値観が全く異なり、互いの存在を忌む魔と我々が、如何に戦わずに済むのか、という事が問題だ。しかし、そう思わぬ神もいれば、そう思わぬ魔神もいる。その星々によって、状況も力関係も全く異なるという事だ。
神皇様も、『魔』といえども無駄な殺生、無駄な消滅は望まれない。
我々『妖』と『魔』とは、根本的に全てにおいて相反する。だが、それは互いを知るから相反するという状況が成り立つ。しかし、長い時間をかけて星がどちらかに統合されれば、互いを消し合おうとする無益な戦闘はなくなる。
だが、棲み分けがされる前に、どちらかが滅んでしまう。問題はそこなのだ。本能的な悍ましさゆえ、何にも増して、相手を滅ぼすことを優先させてしまうのだ。
この星はまだ我々と『魔』とが混在している。『魔』との棲み分けがされない限りは、いつどこで『魔』によって人々が傷つけられるかわからない。だからこそ、神皇様はこの星に『超神剣』を送り込まれた。その武装を使用する戦士と術者が、我々であり、そなたたちになるという事だ」
長く重い話が終了したと同時に、レベセスとガガロは大きく溜息をつく。
無理もない。
いきなり出現した、神々と名乗る如何にも胡散臭い連中が、突然『世界は丸い星という土の塊の上にあり、その星は無数に存在する』と説きだした。
同一の星上でも、同じ座標にねじれ関係にある『氣』と『真』のエネルギー波動が作り出す『次元』という並行世界があり、互いに認識できることはほぼないという。そして、各次元に存在する、理由なく生理的に受け付けない連中を『魔』と称し、こちら側に激しい敵意と憎悪を持つ『魔』の横暴を防ぎつつ、世界のバランスを保っていく必要がある、と熱弁を振るうのだ。
もう、何一つ現実的な話ではなくなった。『精霊神大戦争』も『巨悪』もない。
だが、それでも全て嘘だと断じる事も、またできなかった。
何しろ、現在の神であるザムマーグとフィアマーグですら、前述の話はあくまで聞いた話だというのだ。
三百数十年前には二人の美しい少女だった神々。いきなり世の中の理を知れといわれても土台無理な話だ。それでも、無理矢理理解せざるを得なかった。そして、その聞いた話を、新しい戦士たちに伝えようとしている。
「今は、私たちの認識を話しました。
そして、ここまでが前提です」
無表情のガガロが、明らかに狼狽する。
(まだ続くのか……)
そんなガガロの心中を汲み取ったのか、ザムマーグが謝る。
「すみませんね、突然とんでもない話をして。しかし、この話を分かっていただけていないと、『巨悪』の正体がわからないと思います」
ガガロは大きく溜息をつくと、もう一度深呼吸をした。彼が気合を入れ直す時の仕草だ。
そんなガガロの姿を見て、少しホッとするレベセスだった。
未だ十年前と変わっていない青年ガイガロス人。それでも齢百歳は超えているそうだが、ガイガロスの年齢でいえば、まだ若年に当たる。数百年以上前の話、ともするとこの世界の創世の頃の話から延々と聞かされていたレベセスからすると、ほんの十年でも、身の丈に合った長い時間というものが体感できたのが、何故か嬉しかった。自分の知っている過去、というのが如何に大事か、という事だ。
レベセスは考える。
自分の頭を整理するために……。
彼がこの話をファルガやレーテに伝えるには、これらを言葉にしなければならない。フィアマーグのように、映像で見せることはできない。彼らの胃の腑に落ちる言葉に変換しなければならないからだ。
自分たちの住む世界の形状は、星と呼ばれる球体の上に乗っており、星一つにつき神と呼ばれる存在が最低一人は存在する。
世界は、生命エネルギー『氣』と存在エネルギー『真』で構成されるが、そのエネルギーには波動があり、認識不可能なねじれの『氣』と『真』の波動が複数存在する。
それが同一座標上に互いに認識不能な並行世界『次元』を創り出している。その次元が何らかの原因で一部交わった時の世界の混乱を最小限に抑えるのが神の仕事。その星々が浮かぶ全宇宙を『界元』と称し、それを統括する神を超越した存在『神皇』がいる。
人間たちが考える神という存在は、他にもいるのだろうが、それらは所謂『高次』の存在。今、彼らの眼前にいるフィアマーグとザムマーグも、『高次』の存在で神と名乗ってはいるが、彼らも絶対神ではない。
そして、根本的に相容れぬ存在として、『魔』がいる。
『魔』も、同じ世界構成になっていて、魔が席捲した星と、我々……魔は、我々の事は『妖』と呼ぶらしい……が勝ち取った星とで構成されている。神と魔神は、根本的な感性の違いからそれぞれ争っている……というより、結果的に争いになってしまう。この星々を構成する様々な規模での集合体は複数段階の規模で存在するが、最大の単位を界元と呼ぶらしい。神皇は、その界元単位で存在するようだ。
途方もない話だ。
しかし、この界元や次元の構図を把握し、考慮に入れたとしても、『巨悪』というのはそれとは全く別の敵のようだ。しかも、互いを『魔』と認識させるような呪いをかけてくるあたり、世界構成にも大分詳しい。
「その理解で大筋正しいです。まだ我々にもわからないところは多分にありますが……」
レベセスの頭の中で整理されたレジュメを見て、ザムマーグは良くまとめた、と評価する。
その物言いにいささかイラっとするレベセス。
どうもこの女神は、少し理屈っぽいようだ。そういえばこの女神は、レベセスの入浴中を狙ってアクセスしてくる。美しい少女ながら空気が読めない存在だとは、少々残念だ。
「申し訳ないですね。どうも、私の物言いはうまくないようですね。
しかし、私もいまいちピンとは来ていないのです。
私も次元は把握していますが、他の星々、という存在には認識が及ばないのです。あくまで、先代の神の話でしかありません。映像でも見せられましたが、やはりすぐに腑には落ちてきません」
恐縮するザムマーグだったが、フィアマーグは余りそのような感性は持ち合わせていないらしい。淡々と言葉を紡ぐ。
「『巨悪』とは、『妖』でありながら『魔』の側面を持ち、この星の先代の神から『魔神皇』になった存在だ」
ザムマーグは、自分たちを示す言葉として『妖』という表現は極力使わないが、フィアマーグは、割と頻繁に使用する。
『妖』という言葉にマイナスのイメージがないからなのか、はたまた、性格上第三者的な物言いをする存在なのか。
「魔神、ではなく、魔神皇になったのですか?」
ガガロは思わず呻いた。相反する者同士とはいえ同じ次元の同位生命体、その感性や思想が急に真逆になったりするものだろうか。そして、それが更に高次の存在に移行するとは。自ら高位の存在になっていく存在を、レベセスは勿論の事、フィアマーグもザムマーグも聞いたことがない。
「そうだ。私が神勇者で、ザムマーグが神賢者であった頃の戦いは、そなたたちも『精霊神大戦争』として知っている大規模戦闘だった。
その戦いでは、何故か魔王に加え、魔神までもが参戦してきた。流石に魔王に加え魔神までも同時には相手にするのは難しかった。だが、そこで先代の神であったグアリザムもこの戦闘に参戦し、イン=ギュアバの技術と自らの力を融合させた。そして魔神を屠った。退却させようとしたのではなく、屠った。そして、仲裁しようとした魔神皇をも消滅させたのだ。
魔神皇を消滅させた巨悪グアリザムは、その後我々との戦闘に突入する。だが、連戦で消耗していたグアリザムを更に消耗させ、魔神皇の居城であった黒い彗星へと退却させることには何とか成功した。もしグアリザムが万全であれば、我々も殺されていただろう。我々にとっての死は、完全消滅だ。
奴は我々に対して、疑似的に『魔』と認識させる呪いをかけ、自滅を願いながら逃亡した。奴自身の体力を回復させるために。
弱っていた我々とイン=ギュアバ、そしてガイガロスにその呪いの効果は覿面だった。
同士討ちをはじめたガイガロスとイン=ギュアバ。そして、私とザムマーグ。
嫌悪と悍ましさで理性を失いそうになる中、私とザムマーグは存在すらも知らなかった高次の存在、『神皇』様に我々の封印を願った。我々が力を使い果たし、相互消滅をする前に。
神勇者と神賢者の全力の戦闘、そしてガイガロスとイン=ギュアバの文明の全力の戦闘で、世界崩壊と共に双方消滅の危機にあったこの星を、神皇様は我々を封印、そして、ガイガロス人を別次元へと移住させることで、この星を救ったのだ」
説明文ぽくなってしまいましたが、巨悪の正体がわかります。




