妖と魔 1
「ここは人目につく。移動すべきだな」
フィアマーグが提案し、ザムマーグが応じた。
ディカイドウ大陸の南部に位置する観光国家カタラット国首都ワーヘから北に半日ほど歩いた、パルス山脈中腹にある鉄鉱石採掘場跡地に突如出現した、封印されし神々。
彼等は、出現時にあれほどの天変地異を引き起こしておきながら、人目を気にするデリケートな心の持ち主たちだったようだ。
元聖剣の勇者レベセス=アーグは、そんな彼らの見当違いな気遣いに思わず苦笑したが、フィアマーグが連れてきた神勇者候補であるガガロ=ドンが表情を一つも変えずに神々のやり取りを聞いているのを見て、無理矢理その苦笑を飲み込んだ。
二人の神は、掌を空に向け、小さな珠を創り出す。その漆黒の珠を大地に放ると、急激に膨れ上がり、二人の神の背丈を飲み込んでしまうほどの漆黒の楕円体になった。
「これは『門』という術だ。さあ、このマナ球に手を当てるのだ」
そういうと、フィアマーグは自ら作り出した黒い光の珠に手をかざし、その中に当てた掌を押し込むように歩みを進めていった。後にはザムマーグが続き、黒い光の珠の中に吸い込まれていく。
ガガロはしばらくレベセスの挙動を見ていたが、動こうとしないレベセスに向かって一言声を掛け、そのまま神々に続いた。
あとに残されたレベセス。その額には大粒の汗が浮かび、度肝を抜かれすぎて呆然としていた。口元には心なしか引きつった笑みが浮かんでいるようにも見える。
「……何を言っている。古代帝国ですらなしえなかった空間移動のマナ術を目の当たりにして、怯むなという方が無理だろうが……!」
呻くように呟いたレベセスだったが、覚悟を決め、楕円体に手をかざす。そのまま歩みを進めたレベセスは、黒曜石のような光の珠に徐々に吸い込まれていった。
時間の経過とは絶対なものではない。
それを痛切に感じさせられるレベセス。
確かに、神々の作り出した黒真珠に自らの掌底を当て、中に押し込んでいった。その結果、吸い込まれたところまでは記憶にある。
その後の記憶は、突如出現した黒い神殿の中の回廊の景色だった。
何もない。
左右は漆黒の闇の様な壁に塞がれ、その壁に繋ぎ目は見えない。巨大な黒曜石の中をくりぬいて作られたのか、はたまた石の繋ぎ目が見えない程に恐ろしく高い精度の成形、研磨を施された黒曜石のブロックが積み上げられ、作られた物なのか。一カ所アーチ状に繰り抜かれた箇所があり、その先の長い廊下の奥に光が見えるが、そこがこの黒い神殿の本来の入口だという事なのか。
蒸し暑い。少なくとも、観光名所のカタラットとは明らかに気候が違う。どこか別の場所に瞬時に移動したことは容易に推測できた。
この場所は、フィアマーグがガガロの氣を辿って復活した南国の孤島にある黒い神殿。
神殿と言いながら、神体は祀られておらず、黒い床に黒い天井、そして黒い壁に四方を囲まれた、漆黒の闇のような空間のみがそこにある。だが、どこからか光は入り込んでおり、周囲の様子は確認できた。その光で周囲を照らしてなお、闇の中にポツンと取り残されてしまったのではないかと錯覚する程だ。そして、カタラットとこの島との相対的な位置を確認すると、カタラットが夕暮れであるとき、この島はほぼ正午であった。あの距離を一瞬で移動したという事なのか。
一瞬移動への到着が遅れたレベセスだったが、旧世界の神も、その神のうちの一人が選んだとされる神勇者候補も、既に回廊には姿はなかった。
だが、出口とは逆の方向、神殿の奥へといざなう回廊の先に、先程から感じている気配がある。呪縛は解けたと思っていたが、やはり『巨悪』が施したとされる呪いは、未だに効果があるようで、回廊の先にいる神のうちの一人からは、悍ましさ、禍々しさといったマイナスの雰囲気を形容する気配が流れ出てくる。
それでも、通常の人間に比べてガイガロス人に対して理解があり、仲間意識も持ち合わせるレベセスだからこそ、そのとってつけたような悍ましさや禍々しさに対して、怖れや怒りを持つことなく、少々の不快感を覚えるだけで呪いに抗うことができたのだろう。
それでも、神の醸し出す気配は尋常ではない。それに抗うために、レベセスは一度拳を強く握り直すと、ゆっくりと歩みを進めた。
漆黒の回廊は、レベセスを闇の間へ誘う。
肌を裂くような圧迫感の中、レベセスは歩みを進めた。漆黒の空間において、いくら目を凝らしても何かが見えるわけではない。そこで、彼は氣功術の≪索≫を展開し、周囲の様子を確認した。
思ったより広い。そして、目が慣れてくると、何とも幻想的な景色が広がる。
当然ながら黒曜石はよほど薄く磨き込まない限りは光を通さない。だが、この直方体の空間は、漆黒の壁の向こうの光を透過する。ちょうど巨大なサングラスのレンズに周囲を囲まれているような状態だった。それでも、壁を光が通過するだけで、神殿の外の景色を見ることはできない。
そして、その奥の壁際に、二人の神と聖勇者ガガロ=ドンと思しき人影がいた。
「ここは……」
意識することなく口から出た言葉。
同形状異色彩の容姿であるフィアマーグとザムマーグは、ほぼ同時に答えた。
「ここは、旧世界の遺跡。帝国イン=ギュアバが成立する前から存在する神殿。といっても、この神殿は我々を神体とはしていない。ここは、先代の神を祀っていた神殿だ」
神々の言葉は、レベセスを驚愕させ通しだった。
聖剣というある意味超常の象徴の所有者として活動した十数年前。その間に、マナ術と氣功術という二大術を多少なりとも習得した。理屈はわかるが、傍から見れば術も十分超常だ。そして、存在は謳われていたものの実在するか不明の神と魔王を目の当たりにし、彼らと行動を共にし始めた。
超常というものに関して、多少なりとも免疫ができた自負があった。
だが。
その『神』という名の超常が、更に超常の存在『先代の神』とやらを引きずり出してきた。そして、古代帝国よりも以前に成立したという、旧世界の遺跡とやらをも。旧世界と称される、古代帝国以前の文明についてはレベセスには知る由もないが、神々がいう以上、実在はしたのだろう。『精霊神大戦争』以前の人工物が全て失われている今の状態で、それを確かめる術はない。こうなってくるともう何でもありだ。どこまでこの超常の世界は広がっていくのだろうか。逆に開き直って、この『超常』のインフレをどうやって見極めてやろうか、とさえ思う。もっとも、人間風情が世の中の事を全て知ろうなどということそのものがおこがましいのかもしれないが。
神の神など、人間である彼からすれば、理解の範疇にない。もっと言えば、神の神ならば、神だろう、という程度にしか思い至ることはできないだろう。
「先代の神とは、貴方がたが神勇者と神賢者だった頃の神ということですね」
「そうです。私とフィアマーグが本来戦うべき相手と決着をつけるまでは、あれは『神』でした」
ザムマーグの答えは、レベセスの心に大きな疑問を残した。
「……神だった?」
「そうだ。
レベセスよ。そなたは、そもそも神勇者と超神剣の存在意義は知るまい。だが、それも無理のない事。今はここにいない二人の御子にも伝えてほしい。私とザムマーグの伝える、世界の混迷の真相を」
一度言葉を切るフィアマーグ。そして、その視線をガガロに向けた。
「そして、ガガロよ。
其方は私が神勇者に推す人材だ。ザムマーグが誰を推してくるかはわからんが、それが何者であれ、同じことはすることになる筈だ。
これから聖剣を超神剣に昇華させる儀式の間、この場にいて昇華中の装備に対して其方の『氣』を織り交ぜねばならぬ。それにより、超神剣の装備はそなたを受け入れるはず。その時に初めて、そなたの神勇者としての儀式が成功したと言える。
超神剣の装備を使うためには、儀式の成功は最低条件だ。超神剣の復活には、そなたの氣の力で聖剣の封印を破らねばならない。もし力が足りねば、その力は超神剣の装備に飲み込まれる。そして、二度と氣を操ることはできなくなるだろう」
「……御意」
神殿の中にいる四人の中で、最も口数の少なかったガガロが、やっと口を開いた。その面持ちは重く暗い。
レベセスは不思議な気持ちになった。
聖剣の先にある者が超神剣の装備であることを知ったのがつい最近であるのに、その意味など知るわけもない。だが、それでもガガロは神々の突き付ける条件にそぐおうとしている。
かつての失意の彼とは違い、何かに生きる意味を見出したという事なのだろう。
だが。
何故、やっと生きる意味を見出した時に、より死地に近い場所へと赴かねばならないのか。
十数年前、ラン=サイディール国古都テキイセ地下にて発見された巨大遺跡内で繰り広げられた『厄災』との死闘は、最終的には『厄災』を護ろうとするあの男と、その他の『厄災』を滅しようとする戦士たちが争う構図になった。
ガガロも聖剣『死神の剣』と聖剣『刃殺し』の二刀流という、通常ではありえない戦闘形態をとってあの男と戦った。ある意味、聖勇者の最終形態とも言えるだろう。四聖剣を幾ら揃えたとはいえ、手足をフルに使った四刀流、という戦闘形態は現実的ではない。
文字通り聖勇者最強となったガガロだったが、その時の彼は明らかに死に場所を探していた。
何も護れなかったまま、ただ強くなってしまっただけの自分。そんな己を屠ってくれる相手を求めた。
ぬくぬくと長い寿命のガイガロスの人生をただ何となく送り続ける程ずうずうしくは生きられない。かといって、自ら命を絶つことは、自身が手にかけてきた者達に対する贖罪としては不適切。
だからこそ進んで死は選ばずに、半永久的に戦い続ける。
あるいは死力を尽くして挑戦する事であってもいい。その結果行き倒れても、それはそれで構わない。
彼が正しいと思うことを限界まで挑戦し続け、燃え尽きるように死ぬ。その結果の死ならば赦されるだろう。いや、自分で自分を赦すことができるだろう。
これを消極的な自殺だ、と考える人がいるかもしれない。だが、実際その通りだろう。
……彼は縛られていた。
あの時のままのガガロならば、『巨悪』を倒し、その『巨悪』と共に逝く。もはや自分の人生をどうまとめるか、という事にだけ注力する事を考えていたはずだ。
しかしながら、現在のガガロは『打倒巨悪』という目的の為だけではなく、人を生かすために行動しているのが見て取れる。
以前の死闘に比べても遜色ない程の命の危険に晒されながらも、今度は生きる為に行動しようとしている。それは皮肉にも、それは、彼から死に場所を奪ったあの男の息子への執着。
それでも。もしそうだったとしても。
ガイガロス人の生き残りであり、聖勇者最強の戦士が、生きる目的を見出すことができた。
死に急ぐ仲間の存在。これがどれほど彼の心痛となっていた事か。
だが、より死に近い状態で生き抜こうとする気力を得る。あるいは、生き抜こうとする気力を得るや否や、死地に赴くことになったというべきか。
何ともやるせないことよ。
その対象としての『巨悪』に思いを馳せた時。微かな心の安堵と共に、今まで漠然としていた疑問が明確な形となって表れる。
それは。
『巨悪』とは一体何なのか、という事。
レベセスは、様々な地で『巨悪』の話を聞いた。
だが、『巨悪』の正体とは何なのか、全く見当もつかない。
「その問いには私がお答えしましょう、レベセス」
まるで、彼の思考を読んだかの様に、耳に心地よい、心の安寧を導くような声で話し出したのは、二人の神のうちの一人、ザムマーグだった。
「超神剣の必要性と、神勇者と神賢者の存在意義。これは、対『巨悪』の為ではありません」
ガガロは目を見開いた。レベセスも、流石に動揺を隠せない。
ガガロとレベセスは、かつてドレーノ国首都にて酒を酌み交わし、そして争った。
それは、単純に『精霊神大戦争』の再現を阻止する事を優先するか。はたまたこの世界を滅ぼすために向かっている『巨悪』の排除を優先するか。聖剣の力全てを集約させ、圧倒的な力を得た結果、どちらを行うべきか、という戦いだった。
結果はガガロの作戦勝ちか。
だが、レベセスの祈りもガガロに届く。
『巨悪』に対する力を蓄えながら、『精霊神大戦争』の再発を極力防いでいく。
それ以外ないではないか。どちらも決して起こってはならない事案だからだ。
『聖剣を全て揃えれば、世界を支配できるほどの力を掌中に収める事が出来る』。
幼い子供でも知っている有名な叙事詩の一文だ。
その力の正体こそわからないが、その力をうまく使えば、『精霊神大戦争』も『巨悪』の台頭も防げるだろう。
そう思うのも無理はない。
だが。
神は告げる。
先の大戦の再発を防ぎつつ、強大な敵に対峙していく事を両立する為に行ってきたことは『誤りだ』と。
ザムマーグは、ガガロとレベセスの心中を察したらしかった。自分の言葉の補完をすべく、言葉を継ぐ。
「勿論、『無意味』ではありません。転用は可能です。実際、我々はそれで『巨悪』と対峙してきたのですから」
フィアマーグは少し苛立っているようだ。情報の伝達方法を人間如きに合わせることは、時間が掛かる上に正確に伝わらないというなら、わざわざ『言語』という方法にこだわる必要はないではないか。
そう考えたようだ。自身がかつては人間だったことも忘れて。
先程、神々が見せた『巨悪の呪い』のように、全てをイメージとして見せ、聞かせ、感じさせる。
フィアマーグは実施に移した。
頭が割れるような激痛を覚えた直後、レベセスとガガロは見た事のない空間にいた。
いや、厳密には似たような空間は知っている。レベセスとガガロが生きる地上のどこかの景色だ。だが、恐らくこの景色はこの世界中のどこを探してもあるまい。それは、神フィアマーグが作った仮想空間だからだ。
圧倒的な力での情報の押し売りに、思わず呻き声を出すレベセス。五感をフルに使うこの方法は、情報の共有には最も便利な方法なのだが、用いられた側の消耗も激しい。
だが、対するガガロは平然としている。
こめかみを抑えながらガガロを見上げるレベセスの目に驚愕の色が浮かぶ。拷問に近いこの情報共有の手法を、ガガロは何も感じずに享受できるのか、と。
ガイガロス人の特権か、とうらやむレベセスに対し、ガガロは口角を上げた。
「……安心しろ。俺もきつい。ただ、やられすぎて慣れただけだ」
一瞬脱力しかけたレベセスだったが、脱力することで余計傷みが増し、慌てて両手でこめかみを摩る。
「ガイガロスの神様よりは、イン=ギュアバの神様の方が少しばかり優しいようだな」
レベセスの呻きを聞いて、一瞬ではあったがザムマーグはニヤリとし、フィアマーグの柳眉が逆立ったのが、空間の雰囲気として感じられた。
突然、背後に二つの気配が現れる。
思わず飛びずさるガガロとレベセス。
だが、眼前にいる蒼い鎧の戦士と白銀の法衣を纏う術者は、眼前の二人の男には目もくれない。いや、存在自体に気づいていないのか。それとも時空の異なる映像を彼らに見せているのか。
戦士と術者を見て、レベセスは思わず息を飲んだ。
蒼き鎧を纏う戦士が、彼らより少し背の低い、美しい少女だったからだ。
「……少女?」
年の頃はどの程度なのだろうか。成人の女性というには、少しばかりあどけなさも残る。
肩まである黒髪は、兜で撫でつけられている。耳の当たりから美しい曲線を描いて天を衝く一対の角は、兜に施された宝玉の額飾りから伸びる一本の角と相まって、神話の巨人の名を冠する甲虫の角のようにも見える。そして、額飾りから少し垂れる前髪は、可愛らしいというよりは精悍という表現が適切な、強い眼差しを持つ目尻の少し上がった双眸にかかっている。
かつて見た蒼き鎧のデザインは、別の映像で見た物と寸分も変わらず、胸と腰のベルト部に蒼き宝玉が存在感を放ち、その周囲に黄金の装飾がなされているのも同じなのだが、纏っている人間が少女だと認識されたせいか、以前に比べ少し鎧そのものも小ぶりになっているような気がする。
そして、神賢者である少女は、少女であることに違和感はなかった。元々法衣が女性的なイメージで存在していたためだろうか。ただ、神勇者と神賢者の顔を見比べ、改めて驚愕する。
同じ顔なのだ。
厳密にいうと、ほんの少しだけ違う。
強い意志を感じる双眸の光は変わらない。ただ、神勇者の少女の方がほんの少しだけ目つきが鋭い。そして、神賢者の少女の方が、少しだけ眼差しが柔らかい。
「女、か。まだ人間であった頃はそうだった」
恐ろしいほどに平坦なフィアマーグの声が響く。続いて、そのフォローをするかのように、ザムマーグの声が響く。
だが、レベセスは気づいた。何故か自分たちはザムマーグとフィアマーグの声を識別できていたにも拘らず、その声は実際には全く同じであったことに。
「私たちは所謂『双子』と呼ばれる存在になる筈でした。ですが、生まれてきたのは一人だけでした。
親は愕然としたはずです。二人いた筈の子供が、一人しか生まれなかったのですから。
当時のイン=ギュアバの技術で、体内の赤子の性別は勿論の事、容姿までを確認する事が出来ました。受精時は二人。しかし、いつの間にか一人に。
私とフィアマーグは、所謂ミッシングツインと呼ばれる関係です。ですが、一卵性双生児が一人になったのではなく、二卵性単生児と呼ばれる存在でした。二つの体となるべきものが一つとして生まれ、知能も感情も……才能と呼ばれる才能が全て人の倍ありました。しかし、他の人間からすれば垂涎の能力も、我々からすれば、忌むべきものでしかありませんでした。二つの人格は平等に発現し、一人の人間として振舞いました。
私はフィアマーグを常に感じ、フィアマーグは私を常に感じ、平等に意識を支配し、体をコントロールしていました」
もはやレベセスもガガロも二の句が継げなかった。
神は、元々人間であり、しかも体以外の全てが二つあり、その生まれ持った才能を高め、神になったというのか。
だが、そんな身の上自慢を告げる為に、この仮想空間を作り出したわけではあるまい。
本題はこれからだ。
レベセスは一度目を閉じ、深呼吸をした。
彼らの見えぬところで、レベセスの感情の切り替えの早さを、神々が賞賛した気がした。
「……『巨悪』は、元々この世界の神でした」
神々の出現から、常識では考えられない移動、そして意識に対しての直接の情報共有。今日だけでも驚愕する内容の技術やら現象やらの大量羅列であったが、ザムマーグの言葉が一番の衝撃だった。
驚くなと言われても、それは無理な話だ。
現生の神はフィアマーグとザムマーグ。そして、彼女たちが神勇者と神賢者だった頃の神が、『巨悪』の正体であるというのか。元々この地上を見守っていた神が、何故『巨悪』になったというのか。
仮想空間の中で周囲を見回すレベセス。声はすれど、フィアマーグとザムマーグの姿はない。という事は、彼女たちはこの仮想空間に映し出すことで、過去に一体何が起こったのか、という事を体験させるつもりらしかった。
二人は突然、中空に放り出される。放り出されるというよりはむしろ、足場が急になくなったイメージだ。
無くなった足元の遥か下方に、広大な大地が広がる。そのはるか遠くには大海原が。そして、レベセスやガガロが落ち続けている場所と地上のちょうど中間あたりに、二つの人影が見えた。その二つの人影は、しきりに何かと戦っているようだ。
徐々に彼らが近づいてくるが、彼らの詳細が視認できる前に、レベセスは何となく想像がついていた。これは、まさに神勇者と神賢者が協力して、術による攻撃と剣による攻撃の連携をとり、何者かを追いつめていた。
戦闘レベルが人間のそれではない。
無論、聖勇者であった彼らも、術を使い聖剣で能力を引き出し、超人的な戦闘を行なってはいた。だが、それでもそれは人間の範疇だった。
斬撃が飛び、剣が交わるところは空間が歪む。術が放たれた際の輝きは、それそのものが目を焼く程の光。轟音と閃光とが、彼らの眼下で無数に発生していた。
だが、相手も互角に戦っていた。というより、戦闘レベルが違いすぎて、どちらが優勢かもわかりにくくなっている。ただ、戦闘時間が異常なほどに長い。
戦士と術者が戦っている相手。
レベセスとガガロは、その存在の気配を捉えた瞬間、先程それぞれ敵対する神々に対して覚えるような悍ましさを覚えた。相手は黒い霞のような相手。形状こそはっきりしないが、そこに悪意は間違いなく存在した。
この存在に感じた悍ましさ。禍々しさ。
そこで、レベセスは差に気づく。
元魔王やガイガロス人に感じたのと同じ種類の悍ましさではある。
しかし、感じる速度が違った。
レベセスにとってのフィアマーグ、そしてガガロにとってのザムマーグは、出現後一瞬の間をおいてから、負の感情を彼らに与えた。『この存在は悪で憎むべき相手であるぞ』と念押しをされるような形で。
しかし今、蒼き衣の戦士と白銀の法衣の術者が戦っている相手からは、常時禍々しさを覚えた。存在に勘付く前から先行して負の感情が湧きたってくる感じだ。何も考えずとも、無条件に逃げるか攻撃を仕掛けたくなるような、そんな相手。
「これが違いか……。本来そう思わなくてもよい相手を、無理矢理悍ましいと思わされていた、ということか」
「なるほど。これがフィアマーグ様の言う、『巨悪の呪い』なのだな」
先程、それぞれの神から感じた悍ましさの原因が、呪いなのは理解できた。元々は、不快感や悍ましさを覚えない相手に対して、そう感じてしまうように仕向けられている状態であるという事に。
そうすることで、ガイガロス人とイン=ギュアバ人に潜在的な対立を呼び起こし、フィアマーグとザムマーグにそれぞれが嫌悪感を覚え、互いが互いを嫌悪するようになる。
だが、それは意図されたもの。
では、彼らの眼前で戦う黒い闇は、一体何なのだろうか。明らかに今までの嫌悪を覚える相手とは違う。
そう考えた次の瞬間、眼前に黒い闇を纏った人影が眼前に現れた。しかもその距離は、もう鼻先が付きそうな程の近さ。
思わず距離をとろうとするガガロだったが、何故か挙動が封じられた。結果、その黒い闇の中の人影の顔をまじまじと見つめることになる。
どれほどにおどろおどろしい顔を想像しただろうか。顔面の肉が溶けかけ、髑髏が覗くような化け物なのか。はたまた、黒い洞窟のような瞳で見つめる禍々しい虚無か。
どちらも違った。
黒い靄の先に見えた存在は、彼らから見ても、猛々しく美しい普通の青年だった。
だが、醸し出すのは悍ましさ。
「これが、真の『魔』だ。わかるか? そなたらに自分達と奴らとの差が」
冷静に観察する。
自分たちと何ら違いのない人間。だが、強さはわかる。先程の神勇者と神賢者と互角かそれ以上。二対一の戦闘で互角なのだから、その強さは推して知るべし、だ。そして、その存在からは、匂い立つような禍々しさ。
突然、レベセスは我に返った。
慌てて周囲を見回すが、先程彼らがいた黒い神殿の中から一歩も動いていない。壁の外から透ける日差しも変化がないところを見ると、とてつもなく長い時間を過ごしていたようなあの別の世界での出来事も、ほんの一瞬の間に見せられた映像だという事か。
どっと疲れが出た。
隣のガガロも肩で息をしている。このガイガロス人最後の男が肩で息をしているなど、終ぞ見たことがない。
「……差などない。
実際、『魔族』の人間は、其方らと同種。文字通り繁殖も可能なレベルでの生物としての等しさなのだ。そしてそれは、他の生命体に関しても同じ。
それでは、何故我々は魔族と対するのか。それは、今其方らが感じている禍々しさを持つ故だ。そして、魔族も我々に対して同じような悍ましさや禍々しさを感じている。
だからこそ、我々は『魔』を恐れ憎み、排除しようとする。
そして、『魔』はこちら側の存在を『妖』と呼び排除しようとする。『魔』からすれば、彼らが基準であり、こちら側の存在は妖しい存在だという事なのだろう」
フィアマーグの声が、今度は仮面越しに、耳にはっきりと聞こえた。
「では、魔族と呼ばれる種は存在するわけではなく、種族間の問題ではない、と……?」
「その通りだ。
様々な物語で語られる、所謂『魔』という存在は、単純に異種族というに過ぎない。見た目、生活習慣、行動倫理などの理由が、常軌を逸しているからそう呼称されるにすぎない。
だが、真の『魔』は同一種族から生まれうるのだ」
「同一種族……」
「人間という種の中に『妖』と『魔』の二種類がいて、犬という種の中に『妖』と『魔』との二種類がいる。他の全ての生命体が同位体のように『妖』と『魔』がいるという事だ。そして、それぞれが本能的に感じる禍々しさで相手を討とうとする」
レベセスにはにわかに信じられない話ではあった。だが、それを否定する事もまたできなかった。
彼は聖勇者となった時、魔物と評される数多の怪物と戦い、更に近衛隊長時代、近衛兵時代にも、魔獣討伐として何度もラン=サイディールを護る為に異形の怪物と相対した。
だが、最終的に恐ろしかったのは確かに人間。欲に駆られ、人の心を食らう人の皮を被った人外の存在。そんな存在は確かにレベセスの傍にいた。
心の中に魔物が住む、とはよくいったものだ。そう表現した者は無意識のうちに本質を見極めていた、という事なのだろうか。
「そして、『魔』の存在が高次に進めば、『魔神』と呼ばれる存在もいる。超神剣の装備の存在理由は、その『魔神』の侵攻を食い止め、排除する為だ。そして、聖剣を集めれば、という件は、『魔神』を倒す圧倒的な力の事を指す」
長くなってしまったので二つに分ける予定です。
修正は適宜……。元々のプロットに対し、考え出せば考え出すほど整合性が取れなくなっていくような気がします。
妖と魔の考えは、人としてどうしても折り合わない人間がいて、それは動物でもいるといいます。その、理由のない嫌悪感を敢えて使って設定に織り込んでみました。




