遺跡内の中間層
『鉄の蛇』の『ステーション』から地上と思しき場所に出た遺跡探索隊。
辺り一帯の景色は、巨獣の現れた灰色の石筍の空間……『ビルディング』だと考古学者テマはいうが……と何ら変わらなかった。唯一違う点は、先の空間では空が灰色であったのだが、この空間は上空が閉鎖されている。『ビルディング』と同じ灰色の天井。どうやら、この空間は、巨獣が暴れた空間よりも下層にあるようだ。
「古代帝国人は、大陸ごと浮かせ、その上で大陸内を何階層かに区切ることで、増えた人口の居住空間を確保していたという事か」
遺跡探索隊の六人は、武器こそ構えなかったものの、違和感を覚えればすぐに戦闘に突入できるよう、警戒態勢をとっていた。特に、ファルガとレーテは≪索・延≫を使い、周囲に何か危険因子があるかどうかを確認し、その後≪索・球≫を用いた。
氣功術の探索法≪索≫。
今、ファルガとレーテが使えるのは二種類。
彼らが足をつけている大地に沿うように『氣』を這わせ、接地している物を探索する≪索・延≫。彼らの下腹にあると言われる丹田を球の中心とし、同心球状に≪索≫を広げ、物体を立体的に感知する≪索・球≫。当然、≪索・球≫に比べ、≪索・延≫は遠くまで伸ばすことができるが、一方向のみであり、全方位を索敵することはできない。
≪索≫の二種類を二人で手分けして行わなかったのは、一人の≪索≫だと、敵を見落とす可能性があるからだった。
不得手なのとは違う。
ファルガにせよ、レーテにせよ、術の習得能力は異常な程に高く、『氣』のコントロール技術も日進月歩で上達している。特に、レーテに関して言えば一足飛びに上達している感さえある。
ただ、如何せん経験が少なすぎる。簡単に成功させてしまうが故の経験の少なさは、彼らにとっては、今後の行動において致命的になりかねない。試行錯誤も必要な経験なのだ。
『氣』を使いこなし、『真』をコントロールする技術は体得していても、≪索≫で『何か』を感知した時の、その『何か』が敵であると認識する感覚は、すぐにすぐ精度が上がるものでは無い。精度に関しては、やはり経験がものをいう。
その為、レーテの父レベセスは、少年たちに対して、何かの時にはすぐに≪索≫を使うよう指導していた。
≪索≫で捉えた対象と、実際に目で捉えた対象の印象の違い。
実際には、捉えた対象がどちらの印象に近かったか。≪索≫で捉えた印象のどこが合致し、どこが違ったか。
それを細かく分析し、自分の中で修正することで≪索≫と実際との誤差を無くすための鍛錬に繋がるからだ。
実際、人間が目で見たものや状況を危険だと察知できるかどうかは、完全に経験による。見た物の様子や形、色、大きさ、音など様々な情報を仕入れて整理し、過去の情報と比較し、これから起こる事態を予測し、対応策を練る。
≪索≫に関しても同じで、感じたものが危険なものかどうかの判断を誤ったならば、自分や仲間を命の危険に晒すことになる。その為、術が使えることだけに満足せず、その術を常に使うことで手足のように使えるようになれ、と少年と少女にレベセスは説いたのだった。
「貴方、≪索≫を円にして広げているの? それって一見すると丁寧に周囲を検知しているように見えるけれど、円を広げるのって結構大変じゃない?」
額に汗を浮かべながら≪索≫を円状に丁寧に広げていたファルガは、何を言っているんだ、とばかりにレーテを見る。
≪索・延≫を使って行うよりは、範囲拡大は遅くなるが、それでも一度広げれば全方位を調べるにあたって、非常に楽になる。同じく索敵範囲を広げるにしても、扇形より更に広域を同時に検知できるのは都合がよかった。ただ、レーテの言う通り、大変という意味では大変ではある。
片や、レーテは自分の前方に一気に≪索≫を伸ばす。展開速度はファルガの円状の索敵エリアの数十倍になる。そして、それをレーテは自分の足を中心に振り回し始めた。最初はゆっくりと。徐々に速度を上げていく。物理的に重さや抵抗が存在しないとされる『氣』。≪索≫で延ばされた『氣』は、レーテのイメージできる最大の速度でぐるぐると回る。それにより、探し方は少々雑になるが、それを回数でカバーすることで、円で展開した≪索≫よりも素早く、結果的に周囲の高精度に探索をこなすことができた。
「……豪快だなあ……」
見えない『氣』を足の周りで振り回すレーテを、ファルガは呆れたように見ていたが、はっと気づいたかのように、ファルガも一気に前方に≪索≫の『氣』を伸ばすと、レーテ同様に、『氣』を振り回し始めた。しかも、今度は丹田を中心に立体的に振り回したので、隙間はあるものの疑似的な球を作り出すことに成功する。
「ああ、確かにこれは楽だ。展開速度もとてつもなく速いし、慣れれば回転速度もあげられる。ほぼ≪索・球≫に近いことができるな!」
ファルガは面白がって限界まで伸ばした≪索≫を高速で回転させる。まるで体の周囲にヌンチャクを振り回すように。
今度はレーテが唖然とする番だった。
「あなた、滅茶苦茶するわね……」
元々聖剣を使わない『氣』のコントロールができるようになっていたファルガ。聖剣を介さず術を発動できるのは強みであり、コツを掴んでしまえば早かった。半径百メートル超の疑似≪索・球≫を作り出し、それを延々と振り回し続けても、ほとんど体力は消耗しない。
しかし、それも長くは続かなかった。
全ての方位に≪索≫を振り回しすぎて、ファルガは気持ち悪くなり、蹲ってしまった。何のトレーニングもせずに半径百メートルの氣の球を作るのは、三半規管に負荷がかかりすぎる。流石にこれは、些か無謀すぎたようだ。『氣』そのものは重力や風などの影響は受けないが、その『氣』が拾ってくる情報が、上下左右に入り乱れてしまい、結果画面酔いのような症状を引き起こしたらしかった。
蹲りながらえずくファルガの背中を摩るレーテを、横で見ていたテマは、呆れたように二人を見た。
『氣』のコントロールに関しての卓越した技術。そして、大人ではなかなか思いつかない柔軟な発想力。
これだけ見れば、とてつもない才能の持ち主ではあるのだが、テマにはどうしても、子供が自由奔放に遊んでいる、としか思えなかった。
それでも。
子供たちのこのような遊びを通じての経験は、大人になって非常に役に立つ。
今回の『氣』のコントロールについても同じことが言えるのは間違いない。
「……彼らの武器は、聖剣を使える事でも、術を使える事でもない。柔軟な発想力こそが一番の武器だ。思いもよらぬ方向から、先人の技術に追いつき、結果楽々と追い越していく。見習いたいものだな」
テマは口角を上げると、そのまま宿営地にできる場所を探して進行した。
人がいない。
少し前まで、移動手段として使っていた『鉄の蛇』には、足の踏み場がないほどにぎっしりと爬虫類人が乗り込んでいた。
彼らは、仕事の為に移動している。そんな印象だった。
だが、人が乗り込んでいたはずの『鉄の蛇』から下車した人間は、地上には一人も出てきていない。
いや、地上というには語弊がある。浮遊大陸の中層ではあるので、地下には違いない。だが、それでも居住空間としての明るさや広さは十分に準備されている。強いて言うならば上層の灰色のビルディング街と同じように、灰色の居住空間が広がっている。
それでも。
大陸中層の居住空間には人が一人もいないのだ。
聖剣の勇者たちの使う捜索の為の術≪索≫を使っても、人は愚か、小動物すら全く感知する事が出来なかった。
「とりあえず、敵はいないようだな。また、見張りを立てつつ休息をとろう。隊長、それでよいかな?」
「良いと思うが、やはり三方を囲まれているところが好ましい。二人一組で見張りを立てるなら、確認すべき方位は少ない方がいい」
ウズンは周囲の様子を伺いながら答えた。
「先程の巨獣が出現したあの場所で、今この二人が使っていたという探索術は使ってみたのか?」
「いいえ、まだ上の階層にいる時は、そこまで≪索≫という術に慣れていなかったので……」
レーテは何気なく答えたが、その答えに対して、ウズンは明らかに疑念を持ったようだった。
「≪索≫という術は、あの巨獣は検知できたのか? 先程の逃げ出してきた兵士たちの話では、あの巨獣は元々石像だったらしい。
例えば、≪索≫という術が、あの巨大な獣が石像である間は検知できないが、動き出した時には検知できる、といったような代物なのかどうか。それにより、警戒の仕方も変わってくるだろう」
ウズンの意見はもっともだった。
当の術者であるファルガたちも考え込んでしまった。
答えの出せない問い。
だが、そこで言葉を発したのはバスタだった。
「隊長、野営するくらいならホテルを探しませんか?
この世界は灰色一色だが、全てが石になっているわけじゃないようですよ。
実際、花壇の花なんかも、色こそ灰色だが、触り心地は花弁そのものでした。さっきの『ステーション』にあったシートも、色こそ灰色だが、感触はクッションそのものでしたよ。
この階層は一つ上の階層に比べて破損も少なくて、建物も元の形状を保っている様です。であれば、ホテルとしてやっていた施設の備品も使える可能性はあると思います」
「シャワーも浴びられるかもしれないわね」
カニマも嬉しそうな表情を浮かべた。幾ら傭兵で生計を立てていても、女性には違いない。もし清潔でいることが許されるなら、ごくわずかな瞬間であったとしても清潔でありたいと思うのは、女性の性だろう。
「よし、少し宿を探してみるか。ただ、水が出ることは期待しない方がいいな。この空間にいて、感じるのは極度の乾燥だ。もし、どこかのタンクに水が貯められているとしたら、もう少し空気が水分を含んでいてもいいはずだ」
ウズンはメンバーを鼓舞した。
宛てのない希望ではあるが、ひょっとすると、羽を伸ばせるかもしれない。心から休まるかもしれない。それがたった数時間でもいい。今まで続いてきた緊張と恐怖と絶望の日々から、僅かでも心を解放できればそれに越したことはない。
周囲を見回す遺跡探索隊のメンバー。上層階の灰色のフロアに比べて、街並みは美しく残っており、灰色になった看板ですら、字面を読むことは可能だった。
「灰色一色になった、途轍もなくうまい料理があるかもしれないな。宿を見つけたら、飯処も探してみるか」
テマもウズンの言葉に合わせて、鼓舞する言葉を使う。
一行は完全に宿探しに目的がシフトしていく。
宿は、ステーションからそれほど離れていない場所に複数カ所見つかった。どれも宿泊には適した造りであり、どこを選ぶか迷った一行だったが、一人一部屋確保できる宿を選ぶことにしたのだった。
宿には、当然と言えば当然だが、食物はなかった。人気のないホテルだったが、不思議と灰色になった寝具などは臭さや埃っぽさはなく、男性陣は王宮の来賓の間のベッドのような寝心地の寝床を堪能したが、女性陣は流石に灰色の寝具を使う気にはならず、部屋こそ一人ずつ使ったものの、寝具は使わずにそのままマントに包まって眠りについた。
久しぶりの安全の確保された睡眠を、彼らは満喫したのだった。
ベッドに横になっていると、町の宿屋で休んでいるような気になるが、窓の外には人の気配など全くなく、ホテルの中にも気配はない。
当初はゆっくりと休息が取れると喜んだファルガ達だったが、部屋で一人になり、色々考える時間が出来るようになると、今の状況が如何に不自然かという事に気づく。
危険を感じる、とか、怖い、という感情ではない。
周囲に人がいないという状況が、何故か唐突に不安を煽る。仲間同士で移動している時には、敵がいないという安堵感が先に立ったが、現在では謂れのない寂しさすら感じる始末だ。
そして、人がいなくとも感じる、木々のざわめきや小鳥のさえずり、風の音など、自然界に普通に存在する音すらも何も聞こえず、自分の耳の中で耳鳴りに近いものが微かになっているだけだ。
耳栓をしている。今はまさにその状態だ。だが、耳には何も入っておらず、自分の耳が聞こえなくなってしまったのではないか、あるいは、自分は音のない世界に紛れ込んでしまったのではないか、という現実離れした不安のあまり、敢えて自分で音を出すことにより、自分の存在を意識する。
爪でベッドの脇を叩き、音が出ることを確認する。必要以上に寝返りを打つ。ベッドの上で衣擦れの音を聞き、少し安心する。
そんなことを繰り返していた。寝床に体を倒すと、今までの冒険の疲れのせいか、幾許の非常に深い眠りに落ちたが、その後は全く眠る事が出来なかった。
眠っているのだが、それが長いのか短いのかわからない。そして、遺跡の中のこの空間は昼も夜もないようだ。何とも矛盾する不思議な感覚にとらわれていた。
稀代の考古学者テマ。傭兵隊長ウズン。傭兵バスタとカニマ。
彼らは、この無音の時間と空間の中で、一体何をしているのだろうか。何を考えているのだろうか。
≪索≫を使えばわかるかもしれない。だが、それをするのも何故か気が引けた。この時代にプライバシーなどという言葉はないに等しいが、それでも、他人の生活を垣間見ることそのものは、何かいけないことをしている気がして、ファルガは敢えて何もせず、ただ何となく時間を過ごしていた。早くテマかウズンが出発の号令をかけてくれるのを待ちながら……。疲れてはいない。しかし元気でもない。何とも不思議な状態で、目を閉じながらたまに来る瞬間的な眠気に身を任せるが、十分に満足できず、現実に引き戻される。
色々考え込むこともやめ、眠くないながらもベッドの上で横になり、目を閉じていたファルガだったが、ドア越しに自分の名を呼ばれた気がして、ゆっくりと目を開けた。やや待つと、もう一度自分の名を呼ぶ者がいる。どうやら空耳ではないようだ。
「ファルガ……、起きてる?」
さらにもう一度呼ばれ、ファルガはゆっくりと体を起こした。
「レーテ……?」
「ええ」
ファルガは脱いでいた装束を羽織ることなく、麻の服のままドアの鍵を開けた。
外には、不安そうな表情を浮かべるレーテが。少女は部屋で休憩している際も装束を身に着けていたようで、そのままファルガの部屋を訪れたようだ。
ファルガはレーテを部屋に招き入れる。
八畳ほどの部屋に、ベッドと衣服を掛けるクローゼットがあるだけの地味な部屋。
本当はもっと広いVIPの部屋もあったようだが、あまり広くても落ち着かない、という事で、皆宿泊には小部屋を選択していた。
ファルガはレーテをベッドの端に座らせると、彼自身もその横に腰かけた。
レーテはファルガが隣に腰かけるとすぐに口を開いた。
「ファルガは感じた? さっき上の方で大きな気配が二つ現れたわ」
「ああ、その存在には気づいたよ。ただ、それがなんだかはわからない。感じた事のない気配だ。
しかも、この距離で≪索≫を使わなくても感じられるって、どんな奴なんだろうな。
まあ、今は特段こちらには影響はなさそうだし、あったとしてこれだけ距離があるとすると、俺たちには何もできないよな」
レーテは不安そうな表情を浮かべた。
「二つの大きな気配のうち、片方はすごくいやな感じがするの。地上で何かが起きているのかしら。しかも、遠いのにこれだけはっきり感じられるって……」
寒くもないのに体を震わせるレーテ。彼女は、上空に現れたこの気配を禍々しいものだと感じている。
実は、ファルガ自身もこの感覚は好きなものではなかった。それでも、レーテがいう程に怯える程の嫌な感じを、ファルガは受けていなかった。
どちらかというと、ガイガロス人であるガガロと向き合った時のような感覚だ。
ラン=サイディール国首都デイエンにある薔薇城の鐘楼堂で、ガガロと向き合ったその瞬間。まず襲われたのは、いわれなき不快感だ。そして、恐怖。
あの時は、ガガロという強い剣士を目の当たりにして、敗戦確実な状態でありながら戦いを挑まなければならない、という特殊な状態だったからだと思っていた。
だが、今感じている恐怖に近い不快感は、あの時のガガロと向かい合った感覚と非常に似ている。
あの時は、恐怖が先行したが、今は不快感が先行する。
そして、よく考えてみると、不快感を覚える謂れなどないのだ。会ったこともなければ対決したこともない。ガガロはともかくとして、発生したこの気配に対して、排除を強く望むような感覚を持つ謂れはないのだ。
そう考えると、意外なことに恐れや不快感を齎すその感覚は、まるで水に溶けていくように消えていった。
「……今の俺は、その大きな気配に対して、さっきレーテが言っていたほどの嫌な感じってないんだよ。なぜ嫌な感覚がするのか、って考えこもうとすると、徐々にその大きな悍ましさや恐怖とか、感覚がなくなってくる。それがすごく不思議なんだよね……」
「それは勘違いではないの?」
少しいぶかしげな眼差しで、少女レーテはファルガを見つめる。
「断言はできない。あの気配を感じた瞬間は、煽られるように悍ましさが噴き出してきたんだ。でも、それはすごく不自然なこと。何か第三者の意図でもあるのか、っていうくらい」
「でも、すごく怖い……」
「不愉快ではない、って自己暗示をかけるようなやり方ではなくて、これの何が不愉快に感じられるんだろう、っていう分析する感じかな……」
少女はもう一度いぶかしげな眼差しを送ると、もう一度その禍々しい気配の方に意識を集中する。そして、改めてその悍ましさを体感した上で、この見たこともあったこともない気配の主に対して悍ましいと感じる理由は何なのか。そう考えてみた。
考え始めて十数秒。
レーテの体を貫く違和感が、少し軽減された気がした。
その体の反応に驚くレーテ。騙されたつもりになってファルガの言うとおりにしたら、突然悍ましさが軽減したのだ。そして、心に面白い反応があった。
それは、新しく現れた気配を悍ましく感じなければならない、という妙な強迫観念に囚われていた、という反応だった。
それは、心の動きとしては酷く不自然だった。半ば洗脳にも近いが、その出所は、普通の心の動きではなかった。悍ましさと恐怖とが、別の方向から無理矢理押し入ってこようとする。そんな印象だ。
「えっ……? えっ……?」
レーテは混乱したように何も聞こえない空間の左右を確認する。彼女や傍にいるファルガでもない、全く別の第三者が耳元で気配の悍ましさを説いている。そんな不思議な感覚に包まれた。
「レーテ、オーラ=メイルでガードだ」
聖剣を持ってきていないレーテではあったが、第二段階までは彼女の意志で引き出すことが出来るようになっていた。レーテが『氣』を集中することで、少女の体を青白い光の膜が包む。その光の揺らぎが、少女の周りにいた悍ましさを説く何者かの『言葉』を遮り、彼女の元に届かなくなった。
レーテは言葉なく周囲をきょろきょろと見まわし、その後自分の耳あたりをしきりに撫でつけ、一体何が起きたかを理解しようとしてした。
「今から話すことは確証があるわけじゃない。俺の想像の域を出ない話だ。
でも、あの二つの気配が現れた事で、何となく繋がった気がするんだ」
レーテの体を包む光の膜がゆっくりと消えていく。だが、少女に芽生えた不思議な感情『悍ましさの消滅』は、オーラ=メイルが消失しても残ったままだった。
「どういうことなの……?」
「俺は、ガガロに言われたことがある。俺はガイガロス人の特徴をもっている、と。
勿論その時はそんなことを思わなかったよ。何を言っているんだ、位にしか感じなかった。
けれど、聖剣を通じて『氣』のコントロールが出来るようになり、いろんな感覚が身についた。一つは、今レーテが感じたような感覚が分かるようになった。あの感覚が、何が原因で起こるのかはわからない。でも、多分レーテはガガロと会っても、あの変な感覚はもう感じることはないと思う。俺も、あれ以降感じたことがないから」
ファルガの言っている意味が分からない、という表情を浮かべながら、レーテはファルガの目を覗き込んだままだ。
「多分……。多分、だよ?」
そう前置きをして、ファルガが話し出した内容は、レーテにとって衝撃の内容だった。
ファルガやレーテ、レベセスやテマ、そしてその年代よりもさらに前の世代の人間たちが、全て常識だと思っていた内容。
魔族ガイガロス人は恐ろしい術を使い、精霊とも称される異形の存在であり、恐るべき存在。ガイガロス人は魔王、或いは邪神を崇拝した。世界を滅ぼしたという『精霊神大戦争』は、神と魔王との戦いであり、古代帝国人と『魔法』を使いこなす魔族ガイガロス人との大規模な戦闘が行われた。そこに、聖剣の勇者が参画し、戦闘は終結する。但し、苛烈さを増した戦闘により、古代帝国の技術の粋が集められた浮遊大陸は墜落し、ガイガロス人は滅亡した。人々は国と技術を失い、国のない期間が長い間続いた。そして、今の世界が出来上がった、と。
三百年前と言われるこの大戦争が、かつての人間の英知を全て失わせた。
その認識であった。
少なくとも、現在の学校教育はそう子供たちに伝え、大人たちも子供時代に彼らの親から同じように聞かされていた。
だが。
もし。
それが全て、真実ではないとしたら。
ファルガの話を聞いたレーテだったが、もちろんその内容はおよそ信じられる内容ではない。自分たちの親や、その更に親がずっと伝えてきた内容が、実は真実ではない、という事を、齢十二歳の少年が、はっきりとした証拠もない状態で口にしたところで、どこに信憑性があるだろうか。
それでも。
聖勇者レーテ=アーグは、ファルガの言葉を一笑に伏すことができなかった。
彼女自身その理由はわかっていた。
単純に、『精霊神大戦争』が、神対魔王、地上人対ガイガロス人、という単純な二元論だとするならば、余りに説明がつかないことが多すぎるのだ。
なぜ、人間であるはずの自分が、聖勇者であった父レベセスよりも、『巨悪』の手先となって彼女と凄まじい戦いを繰り広げたギラよりも、マナ術の習得が早かったのか。
レーテが『真』の力を使ったマナ術を使ったのは、あの戦闘が初めてだ。それにも拘らず、マナ術を使い、それどころか『術剣』まで使用する。
普通に考えればあり得ないことだ。レーテが『マナ術』の天才だ、と言われたとしても、それでもあり得る内容ではない。
そして、ファルガの場合もそうだ。聖剣の勇者『聖勇者』でありながら、なぜ聖剣を媒介した『氣』のコントロールより、媒介しないコントロールの方が繊細に行えるのか。そして、大量に使用できるのか。それでは、聖剣の存在意義がない。
むしろ、今ファルガが考えている話の内容より、実はレーテは捨て子でガイガロス人だった、と言われる方が余程ありうる話だ。
それほどに、ファルガの話は突拍子もない話であり、恐ろしい話だった。
それでも。
ファルガは勿論の事、レーテですら否定できない重みが、そこにはあった。
「レーテ、この話はここだけにしておこう。テマ様や、あの人たちが信用できない、とは思わない。でも、知る人はまだ少ない方がいいように思うんだ」
「そ……そうね……。その方がいいかもしれない。私にとっても、ファルガにとっても……。それに、認めたくないから。それでも、否定はできないけれど」
レーテはファルガから初めて目をそらすと、窓辺に立った。
窓の外は日の暮れぬ世界。色は灰色一色の世界。
それはちょうど、彼女の中の白にも黒にも染めきる事の出来ぬ不思議な心を示しているようだった。
ファルガの話した内容。
それは、今まで常識だと思っていた『精霊神大戦争』……神対魔王、人間対ガイガロス人という構図等……についてのありとあらゆる知識が、実は別の存在によって改変させられた知識なのではないか、という事。
「それをしたのは一体何者なのかしら?」
ファルガは首を横に振った。
「わからない。わからないけど、それをしたのが『巨悪』だとするなら、少なくとも説明はつく気がする」
ファルガは深く目を閉じると、呻くように呟いた。
「どうしてそう思うの?」
「だって、『神様』と『魔王』が隣に立った状態で、現実に何も起きていないわけだし……」
確証があったわけではない。だが、時を同じくして別の場所で起きた、『神』の復活と『魔王』の復活、そして邂逅を、幼き聖勇者二人は感じ取っていた。




