ラッシュ
「おい……、これはどういう状況なんだよ……」
大声を出したいが、これほどの人混みでは大声を出しては迷惑になる。余りの怒りに額の血管を痙攣させながらも、何とか理性を保ち、バスタは呻いた。
すぐ横のカニマも無言を貫くが、怒りで顔面が真っ赤に染まっている。ウズンは半ば諦めた表情を浮かべ、窓の外を眺めるが、窓の外は漆黒の闇に包まれているため、車内の様子が反射して映り込む。その様子は、今までの彼が経験したこともなければ想像すらしたこともないような光景だった。
彼ら六人がいるのは、『鉄の蛇』の腹の中。
といっても、食べられたわけではない。
彼らは『駅』と呼ばれる、『鉄の蛇』が必ず立ち寄る地点から乗車した。
『鉄の蛇』が、かつての浮遊大陸内を縦横無尽に走る交通機関であることは、最初の『鉄の蛇』との邂逅で見知ってはいた。今回彼らが乗り込んでいる『鉄の蛇』は、最初に襲われた……彼らにとってはそうとしか感じられなかった……時のデザインのそれとはまるで違う。全体的に丸みを帯びていて、心なしか穏やかそうな表情をしているような気がする。
驚くべきことに、体内には座席が準備されている。その座席に座れなかった人間がバランスを崩さぬように掴まる棒やつり革がたくさん準備されているこの『蛇』は、やはり人間の大量輸送を目的としたものだということはわかる。
しかも、移動は非常に静かで、駅から駅の間を動く『蛇』の発する音はほぼ存在せず、移動の方法も、這うというよりは滑るという表現が正しい。『蛇』はたまに咆哮をあげるが、咆哮というよりは金管楽器や木管楽器を吹き鳴らしたような、威嚇を目的というよりは存在の主張がメインの音。最初に追われたあの『鉄の蛇』の、あの狂気に満ちたあの咆哮は一体何だったのだろうか、と思ってしまうほどだ。
この『鉄の蛇』の感想を一言で示すなら、快適。
これほどの人口密度でさえなければ、この空間は高級馬車にも匹敵するほどの環境だったはずだ。
「私も長年旅をしてきたが、まさか『鉄の蛇』に乗るとは思わなかった。しかも、この混み具合。人間が同じ乗り物に乗って同じ時間帯に移動するなど、愚の骨頂であり、まさか先人の英知の象徴たる古代帝国人が、このような生活習慣の選択をするとは思っていなかったが、記録は本当だったのか。『通勤ラッシュ』……」
生物としては命の危険を覚える程にあり得ない距離感で、職場までの移動を長時間強いられる『通勤ラッシュ』。
慣れてしまえばどうということはないのだろう。
しかし、この『通勤ラッシュ』という習慣の存在しない生活においては、これほどの人数に囲まれる機会はないに等しい。そして、人同士の距離感も極端に近い。近いというより、ほぼ密着だ。しかも、知り合いならまだしも、その対象が見知らぬ相手ならば、感じるものは恐怖だけだ。
これと同じ狂気的な人混みを、ファルガとレーテは経験したことがあった。
あれは、ドレーノ国首都での公開裁判の時だった。
数多くのサイディーランと、圧倒的な数のドレーノンで溢れ返る裁判会場。裁判の熱に当てられ、裁判から即座にレベセスの処刑が執行されようとしている瞬間。そして、そのレベセスが偽物であることが判明した瞬間。
あの瞬間は、人々のたがが外れ、レーテは人波という恐怖を感じた。コントロールの出来ない人の流れは、もはや狂気の奔流だ。
裁判官や一部サイディーランに詰め寄る人々は、激情に駆られていた。一歩対応を間違えれば、短絡的に生贄を求める原住民たちの思考パターンをなぞることになりかねなかった。
現在の『蛇』の中での人々の距離感は、その時と同じかそれ以上の密度になっている。
だが、ドレーノでのあの時に比べて、距離感は異常に近いにも拘らず、『鉄の蛇』内の人々は平静を保っていた。
だが、それとは別に、『鉄の蛇』を使って移動をすると判断した後も、乗り込むことは憚られた。あの閉鎖空間に進んで飛び込んでいく勇気はすぐには持てなかったからだ。そんな状態で何度か駅を訪れた『蛇』の中を見る度に、数多くいる乗客の風体に驚き、その都度奮い立たせては、乗り込みを躊躇した。何しろ、中にいるのはほぼ爬虫類人、リザードマンたちだったからだ。
だが、彼らは静かなもので、前後左右を他の爬虫類人と密着した状態であるにも拘らず、それを認めているのか諦めているのか、限られた僅かな自分のスペース内で静かにこの『蛇』に乗っている時間を過ごしているようだった。
ある者は書物を読み、ある者は鏡で自分の顔の手入れをし、またある者は不思議な小さな機械らしきものを使って何かをしていた。
リザードマンたちの中には鱗を無くした者も多数存在しているようで、体を保護する為だろうか、麻の服や絹の服、その他原料の分からない不思議な糸で縫われた服を身に纏い、腹の中で物静かにしていた。唇のない口蓋は、扁平な鳥の嘴のようにも見え、盾に割れた瞳孔も、人間……哺乳類人のそれとは明らかに異なる。
だが、見た目が違うだけで、彼らは好戦的な感じではなかった。『鉄の蛇』の脇腹から入ってきた『異形』の姿をした者達をちらりと見て、再び目線を落とす者が殆どだった。
無関心。
そう表現するのが一番妥当だろうか。
彼らの存在をないものとして、見向きもせず『鉄の蛇』に乗り込んでいく人たちを何度も見送りながら、だんだん怒りを貯めていき、ついに『蛇』の乗り込む前に暴れそうになるバスタを一喝したのは、壮年の蜥蜴男だった。
「君たちは哺乳類人だね。哺乳類人は皆それほどにやかましいのかな? 種族が違うから文化が違うのは理解もできるが、公衆の場所では煩くしないことが、異文化に接する際の最低限の礼儀だと思うよ」
紳士的な蜥蜴男の物言いに、逆に激昂するバスタだったが、それを宥めたのはウズンだった。バスタに一言申した蜥蜴男は、そのまま悠然と人混みの中に姿を消した。
更に何本かの『鉄の蛇』をやり過ごす間、心の準備を行なった六人は、何度か目の当たりにしていたラッシュ時の蜥蜴男たちの所作を真似て、威嚇もせず音もたてずに、腰から下を人の壁に押し上げるように、『鉄の蛇』内のラッシュの中に体をねじ込んでいった。
正しい。
先程の蜥蜴男の言葉は正しいのだ。いわば秩序を保つための所作。
それでも。
人間に注意されても腹を立てるバスタが、化け物まがいの蜥蜴男に注意されて激昂しないわけがなかった。
「なんで、あいつらがあんなに理知的なんだよ……!」
怒りに震えながらも黙るしかないバスタは、呻くとラッシュの中に体をねじ込んでいった。
強い力で外から押されて、不満そうな蜥蜴男たちの視線が一瞬集まるが、やはり無関心。ラッシュは一部の不満すら飲み込み、ただそこに存在した。
そのままバスタは人の波に埋もれていく。
ファルガたちもその波に乗るように車内に入っていくことにした。
人間である彼等からすれば、気持ちの悪いことこの上ない。変温動物であるはずの爬虫類人は、大気の気温と同じ体温。もし、それより気温が高かったとしても、何らかの方法で体温を逃がし、活動可能な範囲の体温に調節するのだろう。もっとも、後年の調査でわかる事だが、爬虫類人の中にも恒温動物としての機能を持っている者はおり、哺乳類人と爬虫類人の優劣は、いよいよわからなくなってきている。
発生形態の異なる別の種族。
爬虫類起源の人間と、哺乳類起源の人間。ただそれだけの話であり、体の部位の様々な形状は若干異なれど、収斂進化として同じような容姿になるのは致し方ない事なのだろうか。
それに、ガイガロス人を見ている限りでは、瞳孔こそ縦に割れているが、唇は備えているし、体温も恒温のようだ。それに、ガイガロスは胎生と卵生をコントロールできるどころか、出産後は母乳で育てる事もするようだ。爬虫類人であるはずのガイガロス人が口蓋に唇を持つのは、その為だと言われる。唇は、母乳を摂取するための重要な器官なのだ。
種というものは、分類の基準になるかもしれないが、それが全て明確に分けられるわけではなく、その区分も分ける側の都合であって、それが全ての生物に当てはまるわけではない。
それを理解しているつもりではあったが、今更ながらにテマは生物の神秘に触れた気がしていた。
バスタ達傭兵からすれば、身動ぎひとつできない程に閉所にぎゅうぎゅうに押し込まれた状態で、周囲を取り囲む存在が哺乳類人ではなく爬虫類人だとしたなら、それはひどく不愉快であり、一歩間違えれば死の恐怖を感じてもおかしくない状態だという事は、想像に難くない。無知ゆえの恐怖、というものなのだろう。
「バスタ殿、そう怒りなさるな。これも貴重な体験だ。『鉄の蛇』のラッシュなど、中々経験出来る物ではないぞ?」
テマの言葉にイラッとして、思わず大声を出しそうになるバスタだったが、周囲のリザードマンが、揶揄の眼差しを向ける事に気づき、彼はなんとか思い留まることが出来た。
ここは……この古代帝国の遺跡内のこの空間は、この地で生活している蜥蜴男たちが主導権を握っている。郷に入るならば郷に従うしかないのだ。
「隊長、どこで降りるんですか。この連ちゅ……いや、彼等と同じ所に向かうのでいいんですか?」
バスタの問いに対し、半ばあきらめ気味のウズン。如何に傭兵隊長のウズンと言えど、初めて見知る物に対して、どのような予想を立ててもそれはでたらめになってしまうからだ。
だが、そのバスタだけでなく、ウズンの問いとしても存在した『どこで降りるのか』という問題は、比較的容易く答えを得ることが出来た。
テマは答える。
「終点の中央広場駅、だ。ここに、皇帝の間への入口があるとされる。カディアン族の酋長が話していたのは、その場所の事だろう。もう少しの辛抱だ」
『鉄の蛇』内のラッシュはまだ少し続く。
古代帝国人は、自分の仕事場に出かける時には、『鉄の蛇』を乗り継いでいったと文献にはある。住んでいる場所もバラバラ。行くべき職場もバラバラではあるが、人間の動線は人間の活動に応じて似てくるものだ。首都機能の中央集積の弊害だったのかもしれないが、今となってはわからない。歴史の資料にも、古代帝国が大陸を浮かせる少し前に、この『通勤ラッシュ』と呼ばれる民の大移動が社会問題になったと記載があった。これが、今眼前で行われている、無数のリザードマンの移動のようなものだったのだろうか。
リザードマンたちは、終点の二つ前の駅で降りていった。人の爬虫類人の動きを見て推すに、その駅は、オフィス街のど真ん中にあるのだと思われた。
一息つく間もなく、『鉄の蛇』は終点に到着。
それほど車内には人は残っていなかったが、その分ファルガ達の恰好が酷く目立つことになる。居心地の悪くなっていたファルガたちは、即座にそこから離脱できるように、開かれる前のドアの前に待機していた。
そこで一悶着起きる。
どうも、若い女性の体を中年の男性が触ったらしい。意図的なのか、たまたまなのか。
女性はヒステリックに叫びながら男性の腕をつかみ、捻り上げようとする。それに対し、男性側は半分怒りながらも、どこか抵抗しきれずにいる。一応否定はしてみるものの、何かやましい事でもあるのだろうか。
ただ……。
触られたとされる女性も、触ったとされる男性も、爬虫類人だ。
会話の端々で、尾がどうの、鱗がどうのという、あまりこの類のトラブルでは聞きなれない単語が零れ落ち、思わずテマは顔をしかめざるを得なかった。
女性が、面識のない男性に体を触られれば、それは酷く不快な物であり、犯罪である。恐らく、爬虫類人の彼らの反応を見ても、爬虫類人の間でも同様の犯罪は存在し、それに対する社会的制裁や法的制裁も存在するようだ。だからこその男性爬虫類人の反応なのだろう。
だが、やはり哺乳類人としては、爬虫類人の性的な物に関しては共感しづらく、痴漢は悪だと断じなければいけないこの状況で、爬虫類人の痴漢行為とはどのようなものなのだろうか、と思いを馳せずにはいられなかった。
そんな六人の思惑をよそに、痴漢行為を働いたとされる雄の爬虫類人は別の爬虫類人たちに拘束され、終点で引き摺り下ろされていった。
終点、ホームに降りた六人は、大きく溜息をついた。
移動という観点だけで見れば、大した体力を使わずに長距離を移動できたため、身体的には非常に楽だったはずだ。
だが、眼前で繰り広げられた様々な状況は、彼らの理解の範疇を越えており、六人の遺跡探索隊のメンバーの中で最も体力がありそうなファルガやレーテも、精神力をかなり消耗していたようだ。真っ青になり、焦点の定まらない視線のままファルガとレーテは座り込んでしまった。そして、その座り込んだ場所が、乗客用のベンチだろうと思われるところを見ると、この『鉄の蛇』の巣、『駅』という場所は、人間の行動パターンについて、かなり研究された構造物なのだろう、という結論をテマは再認識した。当然、『鉄の蛇』に乗っている利用者が、体調を悪くすることもあるだろうから、その事まで考えて設計されているとしたら、かなり高度な建造物ということになる。
古代帝国の技術が高いというのは常識ではあるものの、改めて具体例を示された気がして、テマは過去の文明に思いを馳せた。同時に、これほど優れた文明が何故滅んだのか、という原因も追究しなければ、現在の社会も同じ結果を迎えるかもしれない、と思い至るのだった。
『鉄の蛇』は深夜帯を問わず稼働していた。
恐らく、人間を一日中運搬する足として作られた物なのだろうから、いつ駅のホームに人が現れないとも考えたが、今回の蜥蜴男の混雑は、色々な意味で思いのほか六人を消耗させていた。
テマの野営の提案に、一同は手を叩いて賛同した。
「こんなに疲れたのは久しぶりだぜ……」
消耗しきっていたはずのバスタは、諸手を上げて喜ぶ。体力の消耗などなかったかのように。ウズンやバスタも心なしか表情が緩んでいるようにも見える。
そんな中、レーテは周囲の様子が気になっていた。
「テマ様、あれだけのリザードマンがいたっていうことは、この周囲はリザードマンの集落ということではないんでしょうか。この『ステーション』という場所が安全かどうかは調べてから出ないと……」
「そうだな。一度この地から外に出てみよう。それから場所を決めるのでもよいかもしれない。それに、もしあのリザードマンたちが文化圏を別途興しているとしたら、当然宿泊機能を持つところがあるかもしれない。宿、と呼んでいいものかもわからないが」
テマの言葉に驚くファルガ。まさか、リザードマンの経営する宿屋に泊まる選択肢をテマが持っていようとは。だが、そのファルガの驚きも、テマの話を聞く限りでは、微々たる内容にすぎないような気がするのだから不思議だ。
「君たちは、彼らの事を『リザードマン』と毛嫌いしているかもしれないが、先程の『鉄の蛇』内のリザードマンたちのような者達が構成する都市だとするなら、きちんと文明を築いている可能性はある。治安の悪い人間たちの町よりずっと治安は良さそうだ。それに、先程のバスタ殿とのやり取りや、『蛇』内でのやり取りを聞く限りでは、爬虫類人も我々と共通の言語を使っているようだ。微々細々は異なるかもしれんが、同じ人間の言語形態の違う国家で宿を探すよりはずっと楽ではないかな?」
壮年の蜥蜴男に、文明人としての在り方を説かれていたバスタは、ファルガと同じく根拠のないリザードマン社会への接触に否定的であった自分を再度別方向から諫められた気がして、先程よりも小さくなった。
「いずれにせよ、一度この『ステーション』とやらから出てみよう。それからここに戻るか別の場所を探すか判断してもいいではないか」
傭兵隊長のウズンは、テマとバスタに視線を配りながら発言する。
当面の遺跡探索隊の行動指針は決まった。
コロナ禍でリモートが増えてきました。そんな中、通勤ラッシュというものがどう見えるのか。
ちょっと彼らの世界に当てはめてみました。
追記や削除もあり得ますかね……。




