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界遊記  作者: かえで
蘇る古代帝国文明

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カディアン族の集落

「なんと、神獣が現れたというのか。間違いないのだな?」

 カディアン族の酋長キパは、唸るように呟くと、娘の方を見た。

 胡坐をかき、麻で編まれた裾の短いパンツに、首周りに巨大蜥蜴の鱗と牙の首飾り以外の物は一切身に着けず、その赤銅の筋肉がそのまま彼の衣装のように見えるが、これはカディアン族の男性の平時の衣装なのだろう。個人によっては、麻で作られたチョッキのようなものを羽織っている者もいるが、カディアン族の戦いの衣装に比べて、普段の風体はかなり地味な印象を受ける。長めで乱れたまま固まった白髪は、白い獅子の鬣を彷彿とさせ、その眼差しは鋭く強いが、どこか酋長としての懐の深さを感じさせる。

 酋長キパに、村の戦士たちと共に村を出てから、仲間を失い同志の六人を得て村に戻るまでの出来事を報告したカトは、父の問いに首肯した。


 七人の戦士たちが巨獣の棲家を後にし、遺跡内ではなく地上に存在するカディアン族の村に到着したのは三日後だった。

 カディアン族の村が、遺跡内の王家の墳墓のような場所を守護するように設営されていると勝手にイメージしていたファルガたちだったが、カトの先導で地上に戻った時には愕然とした。あれほど遠いと感じていた地上にあっさりと出ることができたからだ。

 今回の移動では、不思議な小屋に入り扉が閉まると、少しの振動があって僅かに自分の体重が増加したような錯覚を覚えた。そして再度扉が開くと、いつの間にか地上にいた。

 こんな楽な移動技術があったというのか。

 恐らく、小屋ごと地上に引き上げられてきたのだろう。井戸桶のように、代わりに何か重石のようなものが降りていったのだろうか。あの体重が増加した感覚は、高速で引き揚げられたからこそ感じた物なのか。

 小屋の外に出た七人のうち、カトを除く六人は周囲を見渡し、様子を伺う。

 周囲に敵や彼らに害なす猛獣の類はいないようだ。遠くで遠吠えが聞こえる。何か肉食獣がいるのかもしれない。今はまだ距離があるが、近づいてくるようなら要注意だ。

 六人の視線が一カ所に固定された。そしてしばらく続く沈黙。

 鬱蒼と茂る深緑の樹海から、一本の筒が大空に向かって立ちあがっている。

 この存在は恐らく、樹海の外から視認することはできまい。天候が良く、大気が冷えて澄んでいる日の早朝と夕方に、一部反射する太陽光が、昇降路を微かに映し出す。しかし、その様は、森林に立つ一本の針。一度目を離し、もう一度見つけようとすると、それはもう見失い、二度と見つかることはない。誰が何のために作ったのか。古代帝国の出土品は、恐るべき科学力を類推させるが、その出土品が作られた目的はわかる。だが、『それ』の作られた目的が分からない。そんな言い伝えを持つ『それ』は、麓で見ると長さに対して異様なほどに細かった。

 実はこれが、現代学者たちの間で未だに存在の真偽が問われている『蜃気楼の針』だ。同じ場所に存在するはずなのに、殆どの日に見る事が出来ない。地底と地上、そして上空にあったとされる浮遊大陸を繋ぐ直径三メートルほどのエレベーターの昇降路なのだが、稀代の考古学者のテマですら、この昇降路の遺跡が『蜃気楼の針』であることに気づくのが遅れたため、ファルガたちがそれを知るのは、大分後になる。だが、作られた目的が分からず、類似品もない存在の関連性を見出すのは非常に困難である以上、むしろ昇降路が蜃気楼の針であることに気づくことのできたテマを賞賛すべきかもしれない。

 昇降機となる小屋から歩いて数分の距離の所に、ぽっかりと深い森の中に開けた場所がある。申し訳程度に柵で囲ったこのスペースに、カディアン族は村を構成していた。

 ファルガたちの到着直後は、一触即発の状態になる危険を大きく孕んだ誤解がカディアン族内を駆け巡る。

 誤解の内容とは、『指導者の娘カトを人質に取った者達が、その命の保証の代償に、遺跡の攻略を教示せよと脅迫するために村を訪れた』というもの。

 一見して誰に利があるのかわからない杜撰な内容の脅迫だったが、六人の戦士たちがカディアン族に対して行なう、というデマが流れたからだった。

 原因は、見張りのカディアン族の若者の早とちりだった。

 戻ってきたカトの衣装が変わり、共に旅だった他の戦士が一人も姿を見せなくなった代わりに、見た事もない風体の戦士たちがこの村を訪れたという事実。異形の戦士がカディアンの戦士たちを全滅させ、その勢いのままに酋長の娘であるカトを人質に取ったとその若者が錯覚してしまったということか。

 問題は、この若者が物事を少し大げさに、面白おかしく伝える癖のある人間だったことだ。

 元々、村の中でも少し浮き気味であった若者ではあったが、その若者の必死に伝達しようとする様、そして、その直後に若者の言葉通りに六人の戦士が現れた事で、若者の言葉は一気に真実味を帯びた。

 怒り狂った民を、七人は説得できなかった。

 槍を構え、矢を射かける陣形のまま、七人を包囲した。隙を見てカトを救出し、六人を殲滅する。そういう作戦だったようだ。

 元々、この村は忘れられた村だ。

 他の人々から忘れられることで、村の平和を維持していた。であれば、知ってしまった者には死を以て忘却してもらうしかない。

 カトは若者の報告内容を何度も否定する。

 だが、カディアン族の戦士たちは信じなかった。

 特に筋骨隆々とした強面のウズンと、若いながらも高身長のバスタ、眼帯を当てた女性戦士カニマは、カディアンの戦士たちからすると恐るべき存在だった。

 戦闘の意志がないとはいえ。

 彼らの所作から染み出す殺気と血の匂い。戦地に赴く為のプレートメイルこそ身に着けていないが、三人とも鎖帷子を身に纏い、膝と肘には鋼鉄製のプロテクターが。しかも、新品ではなく、使い込まれたもの。それでいて明らかな斬撃や打撃を防いだ傷ではない。戦闘時の軽やかな身のこなしが想定できる。

 若く大柄の戦士の持つファルシオンは、振り下ろすだけで両断が可能であり、通常のファルシオンより大型の刃は、振り回すことにこそ向いておらず、斬撃の初速はそれほど速くないが、その分命中した際の対象を両断する力は、バトルアックスのそれ以上の物となるだろう。

 隻眼の女戦士の持つ短剣は、それ自体はただの短剣であり、業物ではなさそうではあるが、その分、どんな短剣でも使いこなせ、周囲にあるもの全てを武器として戦うことが可能な器用さを感じさせた。服の上からでは分かりにくいが、手の届くありとあらゆる所に暗器を仕込んでいる。そんな印象を与える。

 そして、壮年の戦士。岩から切り出したような顔から表情は伺えないが、その実力は確かなものがある。普通のブロードソードではあるが、その剣の手入れの仕方は尋常ではなく、只の剣が彼のメンテナンスによって、名剣のような輝きを見せている。実力も計り知れないが、その分不気味さが感じられる。

 動きに無駄のない彼らが、戦闘に突入すれば、カディアン族側に甚大な被害が出るのは明らかだったからだ。

 なんという者達を村に連れてきたのだ。

 キパはそう感じていた。

 だが、いざ戦闘になろうという瞬間、カディアン族たちの度肝を抜いたのは、射かけた矢を全て叩き落したファルガの剣速と、ファルガのその動作を攻撃と判断し、応じようとする傭兵達を抑え込んだ少女と老人のとてつもなく速い動きだった。

 青白い光の炎に包まれ、常人からはあり得ない速度で行動する少年と少女。その所作は、カディアン族に伝わる、伝説の戦士そのものだった。

 酋長キパは、戦士たちに攻撃を止めさせた。

 そして、六人の戦士たちに対し、先程までの非礼を詫びたのだった。

 驚いたのはファルガとレーテだ。

 先程まで殺気剥き出しで襲い掛かってこようとしていた兵士たち。ところが、氣の炎『オーラ=メイル』を纏った瞬間に、彼らは完全に委縮してしまっていた。委縮、というより畏敬の念を抱いているようにすら見える。憧れと畏れが入り混じった不思議な眼差し。それは、彼らが受けた事のあるいかなる視線とも異なっていた。

 経過はどうあれ、結果的にカディアン族の話を聞く事が出来たという点では及第点かもしれないが、それほどに彼らの反応が変わる意味が理解できなかった。

 そして、彼らは酋長の家の客間に通されることになる。


 広場に幾つも設営された竪穴式住居は、上空から発見される事を防ぐため、住居周囲に蔓を伸ばす種が埋め込まれており、それが芽吹くと住居に巻き付き、上から見ると住居全体が背の低い巨木の林に見えるようになっていた。

 カディアン族の民は、空を制した古代帝国の技術を目の当たりにしている。

 そして、自分たちはその技術こそ持たないものの、当然そのような技術があることは承知している。だからこそ敵が上空から来る選択肢を持ち、対空の目隠しとして竪穴式住居の周りに蔓類の植物を植え、巨大な樹木に見せかける方法を編み出した。

 その中の最も巨大な竪穴式住居が、酋長キパの館となっていた。

 カディアン族の技術なら、もっと立派な木造の屋敷や石造りの館を作る事もできたかもしれないが、自然に同化するという観点から、竪穴式住居を選んでいるようだった。

 カディアン族が選択してきた様々な自然と一体化するための判断を、キパは『カディアン族の英知』と呼び、しきりに賞賛しているようだ。自然に抗う力を持ちながら、共に生きる方法を選択したカディアン。

 特段キパの主張する『カディアン族の英知』を否定こそしなかったが、テマはカディアン族が伝説の民と言われた理由はほかにあると踏んでいた。

 キパは娘であるカトが野蛮な輩に命を奪われそうになったところを、この六人の戦士たちに助けられたことに対し、改めて感謝の意を伝えた。この六人の戦士たちが、カディアンの戦士たちの埋葬の儀に尽力したとのカトからの報告を受けた後、キパは村の女衆に料理を準備させ、カトの帰還と戦死者の追悼の宴を催すと決め、一度この場を散会させた。


 宴は始まった。

 カディアン族は、死を『別の形での村への帰還』として認識する。

 死すると魂は必ず村に戻り、そこで守り神と一体化するという考え方らしく、死者の宴は、戻ってきた魂を村の中心の広場に聳える木製の神像に取り込むための儀式の一環なのだそうだ。

 死した戦士の墓石として武器を立てるという風習も、その儀式に端を発しており、そのような形で埋葬され、かつ武器に付与されたメダルを回収して村に持ち帰ってもらって初めて、守り神の一部になれるという考え方らしかった。

 戦士の装束を身に着け、実際に己の武器を持ち、戦いの舞を踊る村人たち。その傍には、老いの為に戦士を引退した老人や、成人しておらず戦士としてまだ認められていない子供たちが打楽器や管楽器で特定のリズムを刻むが、旋律がないその音楽は、娯楽としての音楽としては果たして成立するのだろうか。

 舞は神像の周りを、仮想戦闘のような鋭い動きで練り歩くというもの。老若男女、皆それぞれ武器を持ち踊る姿は、人数もあって大迫力のものとなる。しかし、各々が所持する武器が異なるほか、動きも異なるため、一見すると、舞というよりは模擬戦闘のようにも見える。そして、鋭い動きをずっと続ける為、常人ではすぐに体力を消耗しているはずだが、特殊な薬物を摂取しているのか、彼らは延々と踊り続ける事が出来るようだった。

 ファルガやレーテ、傭兵の面々も舞に誘われたが、どう踊っていいかわからなかったため、舞への参加は辞退する。

 舞に招待した者はそれ以上の勧誘はせず、舞の中に戻っていった。

 ややあって、少年たちの傍に戻ってきたテマは、あの舞に参加はしないで正解だと耳打ちした。

 舞を踊る人間たちが舞う直前に口にした飲料が、経口摂取の覚醒剤らしく、疲労を感じなくなるもので、体の限界まで舞い狂い、そのまま倒れ込むように意識を失う。

 無茶な舞だ。中には当然その舞で命を落とした者もいるが、そういった者達も守り神との一体化が可能だという話だった。

「彼らにとっては大事な儀式かもしれんが、我々はカディアン族ではない。わざわざ我々がこの儀式に参加して大変な思いをする必要もなかろう」

 ファルガとレーテは、舞い狂う人だかりを横目に見ながら、食事をとろうとして、ふと先程のテマの話を思い出す。

 経口摂取の覚醒剤が、飲み物だけではなく、料理にも混入している恐れがある。流石にそれを食べたいとは思わなかった。

「料理には入っていないぞ。安心してくれ」

 傍で見ていたカトが、ファルガたちの心配の払拭をするためだろうか、ファルガの耳元で呟くが、流石にそういわれても食事をとる気にはなれなかった。

 そう話すファルガに、カトは少し笑いかけると、彼女も舞に交じっていった。

 本来であれば、仇を打てなかった彼女こそが、一番舞で仲間の魂を迎え入れてあげたかったはずだ。だが、彼女は舞には暫く混じっていなかった。ホストとしてファルガやレーテ、傭兵達に応対していたからだが、

 ふと背後を見ると、像の頭上に掲げられた、燃え盛る炎の向こう側に、酋長キパとテマが共にいるのが見えた。

 キパは酒をあおりながら饒舌にテマに話しかけている。テマも談笑している風には見えるが、注がれた酒に手を付けることはなかった。テマも経口摂取の覚醒剤を警戒しているのだろうか。

 この手の祭りの後では、女は必ずと言っていいほど子を孕むという。閉鎖的な村ではどうしても血が濃くなってしまう為、一年に一度の宴の後には、必ず媚薬入りの酒も準備し、男と女に飲ませることで、結果一族の血が濃くなりすぎないための手順を踏む。

 そして今回。

 ファルガとレーテは、彼らの言うところの『聖なる光』を身に纏っている所を見せている。

 それがカディアン族の村の守り神の力だと理解され、村人がその力を欲したい、その恩恵にあやかりたいと思えば、村人たちは己の子にその力を与えられるように行動するだろう。その為に手段を選ばぬ可能性も大いにある。

 幾ら強く速くとも、眠ってしまえば抵抗などできはしない。

 その為、ファルガやレーテに振舞われた酒以外の飲料にもそのような薬が仕込まれている可能性はあり、テマは彼らの飲料や食事に十分注意を払っていた。

 命は狙われないが、力を得る為の欲に巻き込まれるかもしれない。

 まだ子供である彼らに、『夜這い』の話をオブラートに包んで話すことは難しかったが、テマは言葉を選びに選び、起きうる可能性の危機を伝えた。

 カディアン族の民は、彼らの一族の為に必死ではあるが、それに巻き込まれると後々面倒くさい事になるに違いない。

 実際、料理を≪索≫で探ってみたが、特に何か検知ができるわけではなかった。しかし、ファルガが新しく身に着けた≪読心≫では、料理の向こう側に渦巻く欲が見えてしまい、食欲を無くした。恐らく、料理は『氣』のコントロールで無毒化できるだろう。だが、その人々の欲までを食らう気にはどうしてもなれない。

 元々宴が嫌いではなかったファルガとレーテだったが、その話を聞いてしまってからは、宴の渦中にい続けることは難しく、宴から徐々に距離を取るように外れていき、柵の所に二人で移動し、宴を遠巻きに愉しむことにした。


「カトさんのお父様とテマ様は、一体何を話しているのかしら」

 組まれた柵によりかかったレーテは、遠巻きに見える男たちの情熱的な視線を感じながら、しかしそれに臆することなく、ごく自然に振舞っていた。

 聖剣の第三段階が発動できれば、仮にこの村の男性陣が全てレーテを殺しに来たところでも十分に対応できるだろう。だが、そういった殺気とは違う、男たちの熱く潤った視線に、レーテは戸惑いしか感じなかった。そういう対象として見られたことがなかったからだが、かといって今ここでその男達を遠ざけるために打って出る事も難しく、この状態でいるしかないというのが、彼女からすれば歯がゆかった。

 当のファルガも、村の女性たちから、これまた異常なほどに熱い視線を浴びていた。その中にカトがいるのも困り物で、戸惑うしかないのだが、それでも必死になって気取られないようにするファルガ。この女性全体の醸し出す、如何ともしがたい雰囲気にのまれない様にする為、気づかないふりをするしかなかった。

 この宴さえ終われば……。覚醒剤や媚薬が常態化するこの環境をやり過ごす為には、その相手から距離を取る事しか、思い浮かばなかった。

 この時は、彼らは知る由もなかったが、オーラ=メイルを持つ戦士たちは、カディアン族にとっては神の使いと言われる存在であり、その神の使いと関係を持つ事が彼らの精神的な段階を上げる、という古い信仰があった。

 それ故、神の力を一部でも得ようとする村人たちが、『オーラ=メイル』を目の当たりにして色めき立ったのは無理もない事なのかもしれない。

「ここからじゃ聞こえないからな、わからないよ。けれど、いい話し合いが行われていると思うしかないよな……」

 ファルガは舞の中心の像を見上げて呟いた。

 その像は、細部こそ見えなかったものの、突然動き出したとされるあの巨獣に瓜二つだった。

 熱い視線に息苦しくなったファルガとレーテは、出来るだけ像から離れるように、村人たちとの距離を取った。村と広場を仕切る柵程度の距離では、年頃の男女の熱っぽい視線から遠ざかることが無理だと感じたファルガとレーテは、そのまま村と森林を仕切る柵の方まで移動する。

 まだ年頃というにはいささか若い二人には、聖剣を用いた『オーラ=メイル』がカディアン族にとって、圧倒的なセックスアピールになる、という感覚が理解しがたい。

 村人たちのこの反応が、強い『聖なる』力を使う者達に向けられる、と分析ができれば、対処のしようもあるだろうが、そこまでの経験は彼らにはまだない。そもそも、『氣』の力は生命エネルギーであって、聖なる力とか、神々しい力という類のものではない。確かに、会得していない人間からすれば、脅威であり垂涎の力ではあるのだが。

 誰も追ってきている気配はない。

 やっと二人でゆっくりと離せる時間ができたと胸を撫で下ろす二人。

「レーテ、一つ聞いてもいいか? マナ術って、そんなに簡単なのか?」

 少しの沈黙の後、出てきた言葉がそれか。

 レーテは一瞬がっかりするが、ではどのような言葉を期待していたのかというと、それは自分にもわからない。だが、少なくとも自分自身で感じていたのは、話題に挙げて欲しかったのは別の物だったはず。

 一瞬歯がゆい思いに駆られるが、ではどうやってその思いを払拭すればいいのかもわからない。ただ、彼女にとって少年ファルガの言葉が、無性に腹立たしかった。

「簡単な訳ないじゃない。あの瞬間だって、まさか一回で出来ると思わなかったわよ。でも、やるしかなかったわけでしょ?」

 少しイラついているのがファルガにも伝わったのか、ファルガは押し黙ってしまった。

「そう……だよな。ごめん。

 もし、あの術が常に使えるのなら、レナの顔の傷を治すこともできるのかな、って思ってさ」

 レーテは、自分の服の胸元を無意識に強く握った。

「レナ……さんって、ファルガの村の?」

「そうだよ。

 もう、お母さんになるらしい。俺の『兄貴』と結婚するんだ。いや、もうしたんだろうな」

 レーテははっとした。

 ファルガが、カディアン族の酋長の娘、カトの顔の傷にあれほどに執着した理由が、すとんと胃の腑に落ちた。

 ファルガは、カトの顔の傷に、ラマ村のレナの顔の傷を重ねていたのだ。そして、それはジョーのカニバル人格によって壊されたレナを何とか元に戻したい、という願いの発現でもあった。では、戻せたからと言って、今の少女レナとファルガの関係に変化があるかと言えば、恐らくないのだろう。それに、その関係をどうこうしようとファルガが思っているわけでもないのもわかる。

 ファルガが、ナイルにできないことで彼女にしてやれる、数少ないこと。

 それをしてやることさえできれば、恐らく彼は納得して、この鬼気迫る冒険を止めるかもしれない。

 ファルガの言うところのレナの顔の傷は、やはりひどいものなのだろうか。それを治したいという気持ちはわかるが、その傷がある状態の顔で、既に伴侶を得ているのなら、傷もそこまで深刻な問題ではないか、はたまた顔の修復が必要なほどの傷を負ったとしても、十分に人に愛されるだけの器量を持っているのか。

 いずれにせよ、カニバルを討つ事が出来なかったファルガの行動パターンは、もう一つの目的であるレナの傷を治す力を探すことにシフトしつつあった。本人にも考え及ばぬところで。

 折れた骨は氣功術≪快癒≫で治る。折れた剣はマナ術≪修復≫で直る。

 ならば、食いちぎられた傷口は何なら治せる?

 その結論が、術合体による回復術。名前はまだないが、恐らく歴史上はじめて術使用で実現した≪修復術≫。

 これを一人で何とか使用できないか。

 イメージで言えば、右手で氣功術を。左手でマナ術を。勿論、一つの術を使うことも難しいのに、右手と左手で別の術を用い、しかもそれを拮抗させた状態で使うなど、おそらく人間の術者では不可能に近い。

 それでも、ファルガは実現を望んだ。

 終わった恋慕の感情を整理するために。義兄弟夫婦の幸せの為に。

 ファルガは寂しそうな表情を浮かべながら、でも嬉しそうに兄と義姉の家族の幸せを語った。

 レーテはファルガの前に立ち直すと、ファルガの両肩をがっしりと掴んだ。思いがけないレーテの行動に、目を白黒させるファルガ。

「別に一人で使えなくてもいいじゃない。私が、ファルガと一緒にラマ村に行って、二人で≪修復術≫を使えばいいのよ。

 この遺跡で目的を果たしたら、ラマ村に行きましょう。

 それで、絶対レナさんに綺麗になってもらいましょうよ!」

 突然異常なまでにハイテンションになったレーテに一瞬戸惑ったファルガだったが、二人で≪修復術≫をかけ、レナの顔の傷が無くなることを考えると、心なしか、前向きな目標ができたような気がして、ファルガの表情は少し緩むのだった。

 復讐や敵討ちといったマイナスの目標ではなく、己を高めることで発現する高い水準での術式。それが自分の大事に思う人を救えるならば、その努力は大いなる前進と言えるだろう。

 ファルガが、レーテと共に目指せる目標を新たに得た頃、テマはキパからある言葉を聞き出していた。それは、漠然と調査をしながら行方不明者を探す一行の、冗長になりがちな旅に、一つの締りを齎すことになる。

「勇者たちよ。皇帝に会うのだ。そうすれば道は開ける」

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