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界遊記  作者: かえで
蘇る古代帝国文明

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巨獣

 ビルディングの上に鎮座する巨獣。

 額から延びる一対の長い角。その角よりも更に長いしなやかな尾。そして、通常の獣は持ちえない、皮膜状の巨大な翼。それ以外はまるで熊のような姿をしているこの獣は、全長が十五メートルを超える巨体。黄色く輝く瞳と、いささか血色の悪い薄紫の口内。肉食を思わせる巨大な牙の奥に覗く少し長めの舌は、哺乳類の物とは異なり、先端部が蛇のそれのように二つに分かれる。

 全てにおいて規格外の大きさのこの獣は、明らかに大地にいる七人の人間を標的にしていた。巨獣の双眸は、地面にいる七人の人間を捉えている。

 殺気ともわからぬ力を上空から感じ、思わず仰ぎ見るファルガ。えもいわれぬ圧力に負け、彼は思わず背の聖剣に手を伸ばした。

 上空に鎮座する巨獣が攻撃に移行したなら、倒される前に倒さなければ。向き合っていればわかる。あの巨大な生物は、存在そのものが暴力だ。手加減して戦える相手ではない。

 聖剣の第三段階を解放し、その更に上のレベルに到達しているファルガですら、恐怖を感じざるを得なかった。

 だが、それを制したのはレーテだった。

「待って、ファルガ。

 ひょっとしたら、この子のお母さんなのかもしれない。もし、この子が攫われそうになっていて、それを阻止するために暴れたのだとしたら……」

 レーテの言葉を聞き、ファルガは背の剣の柄を握る力を弱めた。とはいえ、まだ剣から手を離すことはできない。

 レーテは、抱き上げた子熊の容姿をした動物に語り掛けた。

 そいつに人間の言葉が分かるのかよ、と険しい表情を浮かべながら呻くバスタ。

 だが、子熊はレーテのその言葉に答えるかのように、みゃあ、と鳴いた。

「そうなのね。

 では、お母さんの所に戻りなさい。今、あなたを迎えに来るわ」

 そういうと、レーテは子熊を大地に置き、少し距離を取るように、とファルガや他の面々にジェスチャーで示した。

 子熊は何度か少女を振り返るが、よちよちと歩きながら、遥か上空に鎮座する母と思しき巨獣の方へと歩みだす。

 レーテたちが五十メートル近く後退してから三十秒ほど経った頃、翼を広げた巨獣は、音もなく子熊の傍に降り立った。あの巨体からは考えられない程に身軽に。綿毛が大地に落ちるが如くに柔らかく。

 体長十五メートルを超える巨大な体と、片や人間が抱えられる程度の小さな体。頭部から延びる一対の角は、片や芸術品のように美しい曲線を描き、片や小さな瘤。風を孕むための双翼は、片や大海原を走る巨大帆船の帆、片や抜けそこなった冬毛の毛玉。

 それでも。

 見まごうことのない親子だった。

 巨大な熊に似たその獣は、優しい母の目で子を慈しみ、小さな熊の様な獣は、母に甘える、生れ落ちて間もない子供だった。

 子は母に毛づくろいをされ、うっとりとした表情を浮かべた。

 人間に殺されかけ、また別の人間に傷を癒されたものの、やはり人間とは相いれない存在なのか、レーテに抱かれる間抵抗こそしなかったがずっと体を固くしていた子熊。それが母の元に寄り添い、やっと心から落ち着く事が出来た。二つに割れた母の舌は、限りなく小さい我が子を傷つけぬように優しく毛づくろいをする為の進化なのではないか。そう思えるほどに自然に母は子を愛した。

 よかった、と呟くレーテの目が心なしか潤んでいたのは、母を知らぬ筈のレーテにも確かに存在する母性の兆しか。

「隊長、このままここから離れませんか?」

 若い傭兵のバスタがウズンの耳元で囁く。

 子を戻したところで、この巨獣の狂気のような殺戮劇が終わるとは、バスタには到底思えなかった。今なら、子供に気を奪われている隙に先に進む事が出来る。

 だが、ウズンからその回答が戻る前に声を発したのは、子熊を治療したレーテだった。

「……ごめんなさい。私たちはその子は助ける事が出来たけれど、他の子はもう手遅れだった……。

 私にも、命を繋ぎとめる術が使えればよかったのに……」

 レーテは、命を取り留めた子熊より、救うことができなかった二匹の子熊を気にしていた。だが、勝手に埋葬することもできず、ましてや親熊の前に連れてくることも難しい。

 少女が出来ることは、ただ謝る事だけだった。

 決して叫んだわけではない筈のレーテの言葉を聞き取り、理解したのか、巨獣は少女に目を向けた。

 相変わらず黄色く輝く無機質な瞳だったが、心なしか潤んでいるような気がした。

 巨獣は天を仰ぐと吼えた。それは、先程の怒りの咆哮ではなく、悲しみの響きが色濃く響くそれだった。

「あの怪物に人間の言葉が分かるのかよ……」

 バスタの言葉を諫めるでもなく、ウズンは呟いた。バスタの心情は痛いほどによくわかったからだ。

 あれほどの巨大な魔獣が、圧倒的な力で立ち塞がり、その眼前で囁くように囁いた言葉の筈が、全て魔獣には筒抜けであり、しかもその内容を理解しているなどと、誰が思うだろうか。

 ウズンの呟きは、どちらかというと、独り言に近かったかもしれない。生物としては理不尽なほどに突出した能力は、種を越えて羨望の対象になる。聖剣を持たぬ男達ですら、眼前の巨獣には恐るべき力がある事を、認めざるを得ない。

「旅の途中で噂を聞いたことがある。

 古代帝国では、強力な兵士を創り出すために、人間の知能を持つ猛獣を育て上げようとしていた……。

 そこでは、人間の脳を別の生物に移植したり、或いは知識を猛獣に転移させたりもしたそうだ。

 その結果、強力な生物兵器として無数の新種の生命体が誕生し、古代帝国が崩壊した現在でも、命を紡いでいるのだ、と。

 酒の席ということもあって、その時は一笑に付したが、テマ殿の話や眼前に見る古代帝国の遺跡の技術からは、あながちその実現が不可能でもなさそうな印象を受ける……」

 ウズンは、失った子を偲んで『泣』く母を見ながら呟いた。

 岩を切り出したような武骨なウズンの顔からも、心なしか憐れむ表情が見て取れた。それほどに、見た事もない怪物が子を失って悲しむ様は、彼らの心を打った。

「……私は、そのラボを実際に目の当たりにしたが、胚から培養する技術を、古代帝国は確かに持っていたようだ。

 恐らく、古代帝国人は化石から遺伝情報を取り出した上で、培養槽に準備した既存の生物の体の一部を使って再構成させていたのではないか。そうすることで、現生で生きていく事が出来ない筈の古代生物をこの世に呼び戻していたのではないか」

 テマの話を聞いた六人は驚きの色を隠さなかった。

 古代帝国は、過去の生物を蘇らせる技術を持っていた。しかし、その技術は何の為に研鑽されていったのか?

 どれだけ身体的に強かろうが、環境に適応できずに絶滅した者を無理矢理呼び戻したところで、生き残ることなどできはしない。生き残っても一代限りだ。それでもなぜ絶滅種の復活を望み、その技術を研鑽したのか。

 そう考えたとき、絶滅種が持つ身体的な強さこそが、彼らが欲したものだという結論に行きつく。その為、過去の絶滅種の身体的な強さを現在でも戦力として使用できるようにした、ということなのか。そして、そこに人間の知恵や知識を植え付けることで、コントロール、というよりはむしろ意思の疎通を図れるようにした。

 『生物兵器』。

 細菌兵器とは異なり、相手の戦力の物理的破壊を目的とした方の生物兵器。『巨悪』に細菌兵器が効くとは限らない。むしろ、『巨悪』には効果なく仕掛けたこちら側だけがダメージを負うリスクがある。この世界の『毒』が高次の存在である『巨悪』に効果があることは確証がなく、かつ土壌だけを汚染してしまう可能性も考えられるからだ。

「……今回の『国家連携』で、全てが繋がった気がするよ。まあ、まだ私の想像の域を出ない話ではあるがね」

 傭兵三人に、『巨悪』の襲来の話を今の時点でしてよいのか判断しかねるテマは、それ以上の情報は口にしなかったが、テマには何となく確証があった。

 強い兵士の調達。

 人間では、いくら鍛えても身体的能力としての限界はある。

 無論、『指輪』を用いた人間や聖剣を用いた人間はともかくとして、そのような戦力は数多くは存在しないだろう。

 しかし、古代帝国は大量の強い『兵』を準備したかった。

 戦力が足りないが、戦力は欲しい。となれば、戦力を創り出すしかない。そして、人が操る『兵器』以外に、自立で行動する兵器。兵器はいくらあっても足りなかったはずだ。

 そう考えると、必然的に答えは導き出される。

 古代の巨大生物を蘇らせ、それを兵器として使う。無論、巨大生物がその知能のままでは使いづらい。だから、人間の知能を与える。そうすることにより、意思の疎通が可能となり、人間よりはるかに強力な生物兵器たちが、戦略レベルで戦場に組み入れられてくる。

 恐らく、地底湖にいた古代生物たちは、その目的で作られたラボの培養槽から逃げ出したもの。それが独自の生態系を創り出している。翼を持つ者があの地底の空洞から外に逃げ出さないのも、既に彼らはその知能を持っているからか、或いは植え付けらえた行動規範により行動を抑制されているからか。

 そして、その集大成があのとんでもない破壊力を持つ『神獣』だとしたら、彼……、いや、彼女も知能を与えられた存在と言えるだろう。脳の容量が足りなければ、人間の脳を移植することもやってのけたかもしれない。思考媒体を脳以外に搭載することを実現したかもしれない。

『巨悪』と対するためにはタブーも辞さないスタンスの古代帝国なら、当然可能性としてはありうる。大陸を浮かせたような技術を持つ国家だ。ない話ではない。


 巨獣がもう一度咆哮する。

 その咆哮は、怒りでも悲しみでもなかった。

『ありがとう』

 レーテにはそう聞こえた。

 巨獣は、余りにも大きさの違う子供を優しく咥えた。

 そして、飛び去るでもなく、崩落した神殿の遺跡を踏み壊さないように、ゆっくりと遺跡の内側へと姿を消した。

 巨獣が瓦礫の奥に消えて暫くして、物音も消えた。辺りは静寂に包まれる。

 様々な感情に包まれた七人だったが、背景にはあの巨獣に対する恐怖があったのは拭えない。その恐怖から、想像もしない形で解放された七人の間に、安堵の空気が流れた。

「行ってしまった……」

 テマの口から何気なく言葉がこぼれる。だが、それは全員の感想だった。

 もし仮にレベセスが今この場にいれば、何とかして巨獣とコンタクトを取って、『巨悪』との戦闘に参加を要請したかもしれない。だが、今ここにいる者達ではそれを思いつくことすらなかった。

 七人の戦士たちは、暫くは崩落した遺跡から目が離せずにいたが、やがて号令をかけるわけでもなく、本来の目的地、カディアン族の村へと移動を開始した。

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