出現
カディアン族の戦士たちの墓標を、彼らの武器を使って作る。
彼らにとって、自らの手で作り出した武器は『誇り』だった。
材料の選定から加工の手法、デザインまで、全ての工程を自分で決め、自分の手で作るカディアン族。骨を削り、石を割り、美しい鳥の羽を使って装飾し、オリジナルの武器を作り上げる。
その武器を用いた戦闘を何度も経験し、今まで生き抜いてこられたという事実が、武器を作る能力、使う能力を高く評価させる。生き残れることが個人の強さ。そして、武器の強さであり、それが個人の誇りへとつながる。
彼らの生きた証もまた、その武器で示すことができるのだった。
カディアン族の族長の娘カトは、歴戦の勇士であった者達が使っていた武器から、個人を特定するために装飾されたシルバーのメダルを外し、村へ持ち帰る為に袋に入れる。このメダルこそが使用者の証明であり、それが持ち帰られたということは、使用者の死を意味した。メダルの外された武器は、所有者だった者を埋葬した土山の上に、墓標として建てられることが多かった。
ファルガとレーテは結構な数の土山を作った。
所有者の力を引き出す道具『聖剣』の用途として正しいかはともかくとして、氣のコントロールの精度を上げたい彼らからすれば、『墓穴掘り』はいいトレーニングになった。氣のコントロールにより身体能力が高まると、穴を掘ることも穴を埋める事も格段に速度が上がる。聖剣により強化された瞬発力と筋力とで穴を掘っていくのだが、高速作業を行いつつその精度が保たれるのは、明らかに氣のコントロールの熟練度が増しているからだ。
涙を流して泣きこそしないものの、亡骸を埋葬する時に、戦士だった者の一人一人の表情を記憶に刻み込むように覗き込んでは鬼のような形相を浮かべ、天を仰ぎ見るカト。
今までの経緯がどうであれ、死した仲間は無念だったに違いないだろう。仲間であり部下であった兵士一人一人の顔を見ては、どす黒い怒りを貯め込んでいるようだった。
だが、そのカトの感情の動きについては、誰も触れなかった。
宿営地でのレベセスの一言が、カトの心に一本の大きな楔を打ち付けている。
『死を選ぶのは本人の自由。しかし、それを誰かの為だと思ってはいけない』と。
その通りだ、とカトは思った。
怒りに任せて暴れれば、その瞬間は気が晴れるかもしれない。だが、ただそれだけだ。
その行為の先に建設的な何かなどありはしない。あるのは累々と重なる屍の道だ。その屍の道を奴らが作るのか、はたまた自分が作るのか。その差だけだ。
あの時テマに言われたことを無視して、武器を手に再度ラン=サイディール軍に挑んだところで、結果は変わらなかった。むしろ、カト自身が惨殺された可能性の方が遥かに高いだろう。あの戦いに次はない。
怒りは拭えない。だが、返り討ちにあっては無駄死だ。
それよりは、仲間を家族の下に帰してやりたい。自分が倒れてしまっては、彼らを村に連れて帰る人間がいなくなってしまう。
そう折り合ったはずの、少女カトの心。だが、やはり心のどこかで、あの軍人たちが許せなかった。
「……連れて帰ってやるからな……」
カトはそう呟いた。そして強く唇を嚙む。
氣のコントロールが徐々に上達していくことにより、墓穴を掘る速さが増す。そして、カトの同志を弔うことができる。だが、カトの心情を慮ると、少年たちは氣のコントロールが上達することを手放しには喜べなかった。
レベセスがその場にいたならば、それは切り離して考えろ、というだろう。
それはわかる。だがファルガにもレーテにも、それを理解から納得へと昇華することはまだまだ難しかった。
灰色の町の中心にある建物。他の石筍、もといビルディングが周囲を囲む中、どっしりと構える教会のような建物から、一筋の光が放たれた。
その直線的な光の帯は、遥か地平線の彼方に飛んでいく。
ややあって、光が消えていった先が明るく輝き、少ししてから衝撃波が石筍の間を駆け抜け、大地を揺らす振動と爆発音が響いた。
ファルガたちはその建物からそれ程離れていないところで埋葬作業を行なっていた。
その異常に気付いたのは、バスタだった。
傭兵バスタが指さした先には、どっしりした建物があり、その壁に大きな穴が開いている。
「今の光の帯は、あそこから放たれたみたいだな」
と、その建物の入り口からは勿論の事、建物に穿たれた無数の窓や、先程の光の帯が打ち抜いた壁からも人が雪崩のように噴き出してきた。
皆必死になって逃げ惑っているようだ。
遠巻きにしか見ることはできなかったが、ファルガとテマが先ほど目撃した軍の兵士たちの恰好であることは間違いなかった。ラン=サイディール国軍の装備に酷似する。だが、ラン=サイディール国の紋章ではない。
鉄壁の防御を誇り、圧倒的な火力を誇る筈のその装備のせいで、装甲兵と重装歩兵は急いで移動することもままならず、足がもつれて階段から転げ落ちる者も続出する。
彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始めたが、その何人かはいずれファルガたちのいる場所に到達するだろう。
ラン=サイディールの兵士たちに見つかると厄介だと考えたファルガたちは、どこかに身を隠そうとしたが、広場には身を隠すところもない。このまま戦闘に入ることも覚悟した七人。しかし、兵士たちはファルガやレーテ、傭兵達の顔を見ても特段驚くことはせず、口々に避難を促すのだった。
「君たちも早く逃げなさい。ここは危ない」
何人もの兵士のうち、壮年の男たちには、恐らくファルガやレーテよりも小さい子供がいるのだろうか。特にファルガやレーテの事を気に掛けながらも、それ以上長居はできないとでもいうように走り去っていく。
先程までは、敵だと思っていたラン=サイディールの兵士たちに、予想外の言葉を掛けられ戸惑うファルガとレーテ。
だが、例え敵の兵であっても、所詮は人間。自分たちの親や子と同じような世代の人間がその場にいれば、彼らの事を慮るのは何らおかしい事ではないだろう。当たり前だが、ラン=サイディール国の兵士が全員、無条件に敵であるわけではないのだ。
ただ、カトだけは違った。この兵士たちに仲間たちを殺されている。
仲間を殺した敵の一人一人の顔を覚えているわけではないが、恰好が仇のまさにそれなのだ。激怒し、彼らの言葉に反発を覚えるのも無理もない話だ。
それでも、カトは耐えた。
自身の為ではなく、仲間を連れ帰る為に。そして、彼女を救ってくれたテマの言葉を裏切らぬ為に。
どうやら、カニマの誂えた軽装の冒険者の衣装に着替えていたことが、ラン=サイディール国軍の兵士たちに、少女が先ほど軍を急襲した原住民の戦士の生き残りであることを悟らせなかったようだ。
いや、わかっていたのかもしれない。衣服は変わっても顔に施されたペイントはカディアン族の戦いの化粧のまさにそれだった。
だが、彼らは見て見ぬ振りをした。
例え、仲間の仇であっても。彼女は現在、武器を持たず戦闘の意志もない。非戦闘員となった少女を敢えて殺すことは、人の親であり人の子である者には無理だった。
「あの神殿の奥には、神獣の像があるはずだ」
怒りを飲み込み尽くしたカトは、先程光芒の打ち出された、どっしりした建造物の方を見ながら呻いた。
ラン=サイディールの兵士たちは魔獣と言ったが、カディアン族からすれば、神殿に鎮座するのは、神の化身である像だということだ。
テマはカトの肩に手を置く。
その掌は大きく、今は亡きカトの祖父のそれを思い出させる。テマのやさしさが、ジワリと掌から肩へと染み込んでいくのがカトには何故か心地よく感じられた。
「……神獣の像、か。古代帝国の民俗的な考え方がわかる貴重な資料かもしれないな」
カディアン族の兵士たちの埋葬が終わった後、その神獣の像を調査することで、古代帝国の何かが分かるかもしれない。テマはそんなことを漠然と考えていた。
突然轟音と共に教会のような建造物が内側から弾けるように破壊され、砂埃が舞い上がった。
立ち昇る埃の向こう側に、うっすらと巨大な影が見える。やがて、砂煙の向こう側から熊のような巨獣が姿を現した。
「あ……、あれは神獣……」
カトは絞り出すように呻いた。
思わずカトの方に振り返るテマ達。あの巨獣が神獣だというなら、その神獣は元々あの神殿を棲家としていたのか? いや、あんな巨体の生物があの神殿内で大人しくしていたとは思えない。となると考えられるのは、先程カトの言っていた神獣の石像……兵士たちの言う魔獣の像が動き出したということなのか。にわかに信じられない話ではあるが。
巨大だった。
距離的には、まだまだ巨獣の攻撃エリアに入っていなかったが、追われる者達は、直ぐ眼前まで迫ってきているような錯覚に陥っていた。そして、それは恐慌を引き起こす。
先程までは、恐怖に怯えながらも、多少なりとも理性的な話し方をしていた兵士たちも、いよいよあの巨獣の姿を再度目の当たりにした瞬間、なりふり構わず逃げ始めた。
黄色く輝く巨大な熊の双眸。『それ』は、天に向かって一度咆哮した。
周囲の空気が震え、逃げ惑う人間たちの足を竦ませる。ある者は不自然なほどに驚き、大地に転がる。またある者は立って走ったまま気を失った。
オーラ=メイルに包まれたファルガたちですら、余りの迫力に手を止めるほどだった。だが、他の人間たちは足が竦んで動けなくなっているのに対し、ファルガたちは驚きこそすれ、行動を制限されることはない。
やはり、レベセスの言うとおり、オーラ=メイルには物理的な耐久力を高める効果に加え、怯え耐性や混乱耐性など、ある程度の状態異常を緩和する効果があるらしい。
巨獣は、本来熊が持ちえぬ両肩甲骨辺りから生える皮膜状の翼を大きく広げた。翼の所謂骨の部分は、体と同じ毛並みに覆われているが、皮膜は薄い産毛が生えているだけの、赤子の動物のような肌をしていた。
その翼を一度、二度大きく羽ばたくと、後ろ足で直立する。まるで熊同士が縄張り争いを行う時のような仕草で立ち上がった後、そのまま後ろ足で大地を蹴り、跳躍した。そして、そのまま翼を大きく広げ、滑空するように飛行を開始する。
力強く羽ばたく度、灰色の空へと上昇を開始した。一度、二度羽ばたくだけで、飛翔の為の圧倒的な加速力が付与されるようだ。
巨獣はもう一度上空で大きく咆哮をあげると、そのままビルディングの向こう側へと飛び去って行った。
「神殿の中に動けない怪我人がいるかもしれない」
テマはそういうと神殿らしき建物の残骸に向かって移動を開始する。指輪の効果を使い、忘我の状態にならないように氣をコントロールしながら、しかし怯えと戦いながら巨獣の行動を冷静に観察していた。
驚いていたファルガとレーテだったが、あれほどの破壊力を持つ巨大な生物が地上に出たら大変なことになる、と考え至る。あの巨獣を止めなければいけないのか? しかし、どうやって?
だが、その考えはすぐテマに否定された。
神獣の像、だとカトは言った。カディアン族の伝承では、あの巨獣は認知されていたということになる。動き出す実物を見たことがあるかどうかはさておき。
ということは、かつて、あの巨獣は古代帝国人の管理下にあったということだ。そして、『鉄の蛇』と同様、あの神獣像も古代帝国人の為に付与された『機能』を残しており、遺跡を暴こうとしたラン=サイディール軍を殲滅するための防御プログラムという『機能』が働いた、ということなのか。
それであれば、あのラン=サイディール軍を撤退、または全滅を確認すれば、また機能を停止するだろう。確認すればその場で機能を停止するのか、またこの場所に戻ってきて停止するのかはわからないが。
古代帝国では様々な技術が研究されていたとされる。当然、ありとあらゆる生命についての研究も進んでいただろう。その研究の成果として、人工の生命体を作る事も可能になっていたはずだ。
生命とは、膜という外界と隔てられた肉体を持ち、自分に適切なエネルギーを供給し成長、子孫を残し同種を着実に増やしていこうとする存在。
その定義が正しいとして。
もしあの巨獣が、生物兵器という目的で作られていたとしたら、何と惨い事だろうか。
無から作られていたのか、はたまた既存の生物を改造して作られていたのかは不明だが、古代帝国は生命の倫理観を逸脱したところにまで、既に手を出していたといっていい。
この巨獣は、生命として存在しているにも拘らず、生命の持つ本能を凌駕した圧倒的な力で支配され、敵の殲滅の為に駆り出されるということだ。
自主的にエネルギーを補充し、自己修復能力を持ちながらも、突然稼働の命令を与えられる兵器。その稼働は、心の感じる恐怖や葛藤などはまるで無視されたものであり、使用する側にとっては酷く都合の良い兵器だ。
生命として生き抜こうとする本能の力を押し殺させて、兵器として運用するのならば、本来種の保存の為の本能すら書き換えられてしまったという事であり、危険から回避しようとする生物の本能さえも失ってしまったといえる。
生命体が、自分の生命を第一として考えるべきであることが否定されたとするなら、もはや生命体としての尊厳は奪われたに等しい。
巨獣の咆哮を聞いたウズンを始めとする傭兵の三人は完全に竦んでいた。
文字通り初見の怪物であることに加え、その咆哮そのものに竦ませる効果があったとするならば、歴戦の戦士とはいえ、この状況で恐慌に陥らないだけでも素晴らしい心の強さを持っているといえる。
不思議とカトはファルガたち以上に巨獣の咆哮による影響を受けていないようだった。ただ、何となく古代帝国における神殿内に設置してあった巨獣……神獣の像が活動を開始した。そんな理解をしているようだった。
「私も行く」
テマについて歩きだすカト。そしてそれに釣られる様に歩きだすファルガとレーテ。
最後までついていくのを渋ったのは、一番そういうものに物怖じをしなさそうな傭兵、バスタだった。
神殿に近づくにつれ、小さいと思われた神殿の建物が、実は奥行きのある巨大な施設であることに驚きを隠さないテマ。高さは周囲のビルディングには遥かに劣るが、奥行きはその十数倍はあるように見えた。一つの巨大な建物ではなく、幾つものドームを連絡路が結び、奥の神獣の像が祀られているという最も巨大なドームへと通じている。どうやら、巨獣は最も奥のドームから這い出すように地上に姿を現した後、ドームの上を広場の方に移動してきたようだ。結果、ドームを踏み抜いてしまい、建物を突き破るようにして出現した形になったが。
神殿のドームを目の前にして、どうやって中へ入るか思案するテマ。本来であれば残された入り口から入るべきなのだろうが、ようやく入り口であったと判別できるゲート状の構造物は崩落してしまい、神殿としての形状は見る影もない。
この状態で進入しても、神殿跡を踏み越えていっているのか、はたまた神殿内に進入したと言えるのか甚だ疑問だ。
突然レーテが、細かい跳躍を繰り返しながら、崩落し瓦礫と化したドームを飛び越え、奥に入っていく。
「ど、どこに行くんだ!?」
ファルガも、超人的な身体能力を駆使し、レーテを追いかけ始めた。
テマは慌てて声を掛けるが、二人の耳には届いていないようだった。二人は瓦礫の蔭へと消えた。
ややあって、煤だらけになったレーテとファルガが抱きかかえて戻ってきたのは、一抱えもある毛玉だった。
「な……なんだ、それは」
傭兵達の言葉を尻目に、ファルガは、少女の大事そうに抱える毛玉の置き場所を整えると、熊のような毛玉から少し距離を取った。
「ファルガ、また頼むね!」
そういうと、レーテは両掌を毛玉に添えるように翳し、それに応じたファルガも同様に両掌を翳した。
彼らが毛玉に施そうとしたのは、ほんの少し前にカトを完全回復させた氣功術の≪回癒≫とマナ術の≪修復≫の術合体だった。
よく見ると、毛玉は体中から赤い血を流しており、心なしか痙攣しているように見える。普通に考えれば、明らかに手遅れだ。
だが、かつてカトを再生した術合体なら、この毛玉を生き永らえさせることもできる。少女レーテはそう感じたに違いなかった。そして、ファルガもそう感じているようだった。
二度目の術合体は、前回より効果的かつ安全、そして短時間で行われた。レーテの掌底から放たれる機械的な光はより強く鋭く。ファルガの掌底から放たれる温かい生命力の光は、より暖かく。毛玉を包んだ。
毛玉を包んだ光は、まるでその光の中の時間が遡っているかのような錯覚を覚える程に、毛玉の傷をなかったことにしていく。『再生』とはよくいったものだ。これだけの力がある術であれば、命を落とした存在さえも蘇らせることができるのではないか。端で見ていたウズン達はそう錯覚するほどに力強いエネルギーだった。
毛玉はゆっくりと立ち上がり、みゃあ、と鳴いた。
その姿は何と、神獣と同じ姿。
尾の長い熊のような容姿に、額部に小さな瘤のある姿だった。
ただ、子供であるせいか、可愛らしい印象を受ける。
端で見ていた者たち全ての頬が緩む。癒しの瞬間だ。
と、その時上空に気配を感じ、ファルガは天を仰ぎ見た。そして思わず息を飲む。
ビルディングの屋上には、音もなく着地し、翼を休めつつ見下ろす神獣の姿があった。その目からは何の感情も伺い知る事が出来ない。だが、その目は確実に七人の戦士たちを捉えていた。




