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界遊記  作者: かえで
蘇る古代帝国文明

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134/257

リャニップ

 カタラット如きが天下の大盗賊集団SMGと手を組んで、『国家連携』などという大層な国家間条約をぶちあげたところで、所詮観光産業でしか国庫を潤せないような弱小国に従う国家などあるものかよ」

 壊れかけた声帯で呻くように呟くこの男には、自立歩行も恐らく不可能だろう。

 顔と首の境界、胸と腹の境界が存在せず、足は不気味なほどに短い。いや、足が短いというより、腰部下腹部から延びた贅肉が足首までの関節をコーティングしている状態であるが故、そうみえてしまうのか。


 リャニップ=サイディール。

 現在のラン=サイディール国における正統な王位継承者マユリ=サイディールの叔父に当たり、後見人かつ宰相ベニーバ=サイディールの嫡男。

 父親は、人間性はともかく、政治家としては実績を残した人間であったのに対し、その息子であるリャニップは、能力的には父を超えるものを持ちながら、その能力を全て、私利私欲を満たすために使ったとされる。

 ありとあらゆる手段を使って、欲という欲を満たそうとする彼のその実行力と想像力とは、実の父親であるベニーバにすら、悪魔の所業と言わしめたこともある。

 ありとあらゆる快楽を堪能したこの男が、現在最も気に入っている遊びの一つが『悪魔の道楽』。リャニップ本人がそう呼んでいるわけではなく、後世の記録にそのような記述があるようだ。

 例えば。

 往来で目に付いた貴族の娘を突然拐かし、一週間昼夜問わずありとあらゆる拷問を加え、彼女の精神を崩壊させた上で、誘拐犯から彼女を取り戻した体で貴族に戻す。その後、娘の回復を願う同情的な協力者の体で両親と娘に近づいて、その両親が壊れた娘と生活していく過程で絶望し、娘と共に堕ちていく様を間近で鑑賞し、ほくそ笑むのが至上の快楽だというから、史上稀にみる悪趣味な男だ。

 『悪魔の道楽』の証拠は全て金と権力で揉み消し、その証拠を揉み消すために尽力した配下の人間も、腐った果実を袋ごと破棄するように、全てを闇に葬ってしまう。

 この遊びを一度やってしまうと、ラン=サイディールの有能な人材が若干減少してしまう。ある程度有能な人材を確保して、有能な人材が多少欠けても国の運営が出来る状態にしてからでないとこの遊びができないことが、玉に瑕だとリャニップは笑いながら言ったという。

 この男の最後の『悪魔の道楽』がなされたのが、約十数年前だというが、その真相を知る者はほぼ存在しない。ただ、火のないところに煙は立たないとはよく言ったもので、不摂生が祟ってここ数年で一気に立って歩く事が出来なくなったリャニップと、『悪魔の道楽』の関連性を疑う人間が、ほんの若干数いる。

 最後の『悪魔の道楽』では、娘の精神を破壊しただけではなく、道楽主の子を孕ませたとされる。娘が受けた呪いを、孫に全く感染させることなく死んでいった娘に対して、慟哭することでしか愛を伝えてやることができなかったテキイセ貴族が、とある事件を引き起こすことになるのだが、この事件の諸悪の根源が、リャニップであるということを知る人間は皆無だ。

 そんな彼だったが、半年前に発生した『ラン=サイディール禍』の後、直ぐにラン=サイディール国首都デイエンを離れることになった。表向きは避難だが、どう考えても逃亡だ。自分の保身の為に国はおろか、実の父親までも見捨て、デイエンを後にした。

 そして、貴族領を巡視という名目で、ラン=サイディール領を転々として生活をしていたが、何とか生き延びたとされるベニーバからの古代帝国の遺跡調査の命を受け、父を見捨てた事を悟らせない様にする為、率先して兵を集めさせた彼は、そこに彼の輿を運ぶ人足……力者を軍に組み込み、テキイセで発見された古代帝国の遺跡の入口から進行した形になる。

 遺跡を障害なく進行できると考えていたリャニップにとって、カディアン族の襲撃は想定外だった。

 それでも、彼が従える兵は減ってなお六十はいる。本拠地に戻れば、更なる増援も可能だった。

 不思議な構成の軍ではある。いや、元来のラン=サイディール軍の規模を考えれば、とてもではないが軍とは呼べない規模だった。

 斥候や重装歩兵との連携、食糧調達など雑用を行うといった小間使い的な役割を担っている軽歩兵分隊が全く存在せず、大将を護る装甲兵分隊とその内側にいる重装歩兵分隊が火縄銃を装備し、その内側に褌一枚の力者たちが輿を担ぐ。

 実質、装甲兵が斥候とならざるを得ない異常な隊ではあるが、軽歩兵が不慮の襲撃により全滅してしまったため、それも致し方ないと言えよう。ただ、本来であれば撤退して隊の再編成を行うべき深刻な状況ではあるのだが、その撤退の判断をすべき頭脳が存在しない。助言する参謀もいない。軍とは名ばかりの、リャニップ個人の私兵集団になり下がっていた。

 そして。

 問題は大将だ。

 大将そのものが軍の機動力を奪っているため、軍の高速移動は不可能だ。加えて、この戦地に褌一枚の丸腰の力者を何名も連れていること自体がナンセンスだ。

 歩く事すらままならない存在が、遠征に出るどころか、戦地に赴こうというのだ。足手まといどころの騒ぎではない。動く急所だ。そして、同時に恥部でもある。

 だが、それを兵士たちは口にできない。国家最高権力者の子に対して、冗談でも言おうものなら、即座に処断される。

 常に隊にあり続けるのは、『大将』という明確な不安要素……。

 自分以外の人間は敵。油断すれば不実の言動によりあっという間に処分される。それが今までの軍事国家ラン=サイディール国。そして、貿易国家に体制を変革させたはずの、現ラン=サイディール国。

 ラン=サイディール国はそれ以外の人民統治の方法を知らぬ、とでも言わんばかりだ。

「父上は、古代帝国に眠る貴重な技術を持ち帰れと言った。それもいいが、この遺跡内にあるもの全てを俺の物にできたなら、それは最高だな。

 そうなれば、ラン=サイディール国の再興など容易だろう。いや、新古代帝国の皇帝となり、世界を再度圧倒的な力で支配してもいいな。

 なんか楽しくなってきたぜ」

 醜い肉塊リャニップ=サイディールは品性なくグヒグヒと笑った。

 覆われた脂肪により顔と首の境界、首と胴の境界もはっきりしない。また、腰部と足の境界もはっきりしない。横幅に対して腹の厚みがないように見えるが、それは単純に腹の肉が横に流れているからであり、不定形の軟体生物のようにも見える。あまりにも堕落した生活を繰り返したために、人間としての骨格を維持する事すら困難なのだろう。

 余りに弛みすぎた顔の皮は、リャニップの表情すら殺してしまっている。


 醜く崩れ落ちようとする肉塊を、力者は何とか輿の中に収め、移動を続ける。しかし、その超重量は輿を徐々に蝕んでいるようだ。

 先ほどの広場での戦闘後、そのまま広場を進み、神殿に入ったところで、ついに輿が悲鳴を上げた。

「殿下! お乗りの輿に少し休息を取らせとうございます」

 力者の将が、輿上のリャニップに恭しく声を掛ける。

 リャニップの化け物じみた体重に輿が耐えきれなくなり、轅部が傷み始めてきており、そのままリャニップを乗せた状態で移動すると、どこかのタイミングで轅が折れてしまうため、敵襲のなさそうな場所で補修をしたいということなのだ。

 しかし流石に、輿上の人間の体重が重すぎるが故に、輿の強度が限界を迎えているので、一度行進を止めて輿を補修させてほしい、とは力者も口が裂けても言えないだろう。

 オブラートに包み、リャニップの逆鱗に触れないように会話を進めるしかなかった。

「なに? もう輿がくたびれただと? 随分ぬるい輿しかないな。新しい輿はどうした? お前らが持ってくる輿はいつも長持ちせんな」

 リャニップは口元を醜く歪めて、グヒグヒと空気漏れの音を周囲に響かせる。これがこの者の笑い声だとは露ほども思わないだろう。

「よし、お前ら、俺を降ろせ。ゆっくりとな」

 リャニップは大地に降ろされた輿から、転がるように降りる。スライムのような不定形の粘液物質が、大地に流れ出した瞬間だ。

 それでも、リャニップは何とも思っていないのだろうか。ただその場所に腰を下ろし、再度座った自分を中心に輿が再構築されるものだと思って疑わない。

 体を起こしているのが少々だるいらしく、息が上がる。

「俺の背を抑えて少し起こしておけ。その姿勢が一番楽だ」

 二人の力者がリャニップの背後に回り、柔らかいクッションを持ち、肩甲骨辺りを支える。

「足がしびれてきた~」

 当たり前だ。その重い体を大地に置けば、不要な脂肪が血行を悪くし、足に痺れをもたらす。だが、それすらリャニップは自分のせいだとは露ほども思わない。

「おい、お前らのうち誰か、俺の足をマッサージしろよ」

 リャニップが唸ると、更に力者が二人、この醜い男の太ももの付け根から足にかけて、血行を良くする目的にマッサージを始める。

 その様子を装甲兵と重装歩兵は、呆れるように見守っていた。その鉄仮面がなければ、何人もの装甲兵や重装歩兵が処断されていたはずだ。

 ややあって輿の補修が終了し、力者たちがリャニップを輿に戻そうとした。しかし、超重量のリャニップを持ち上げるにあたって、呻き声はおろか溜息すらついてはいけない。

 一人の力者が、他の力者に比べやや大きなため息をついた瞬間、リャニップは手にした剣を、その力者の頭に何の言葉もなく振り下ろした。

 一瞬の緊張があたりを包むが、そのリャニップのアクションについて、何か動きを見せる者はいない。

 重く醜いラン=サイディール国王代行、宰相の男児は、理不尽なのはおろか、法則性すらない言動をいつものごとく振り回し、傍若無人に振舞っていた。

 一時間ほど修理に時間を要し、再度の行進を再開できたラン=サイディール軍は、神殿に入ってから数時間かけて、入り口から数分でたどり着ける大広間にやっと辿り着いた。

 リャニップがイメージしていたのは、黄金で作られた巨大な神像の存在。そして、それを取り巻くように設置された高価な調度の数々。もし持ち帰る事が出来るならすべて持ち帰ろうと考えていた。そうすれば遊ぶ金になる。

 だが、大広間に安置してあったのは、巨大な獣の像だった。

 全長が十五メートルは超えそうな、尾が長く羽毛ではなく体毛をはやした、蝙蝠の様な皮膜の翼。

 所見は巨大な熊だったが、額からは何対かの短い角が生え、そのうちの一対は古代期の草食恐竜を彷彿とさせる、長く太いものだった。

 この像のモデルとなるような動物が古代にいたのかはわからないが、想像だけで作られた割には妙にリアルなデザインだった。

 そして奇妙なことに、この巨獣の像の材質が何なのか、皆目見当のつかない物だった。

「ここが古代帝国の教会なんだろう? こんな化け物みたいな石像をご神体に置くなんて、古代帝国の輩は気でも違っているんじゃないのか?」

 あまりの予想外の風景に、リャニップは吐き出すように呻いた。

 この化け物をどうしろというのだ、父上は。こんなものが世界を掌握できる、聖剣と対を成す兵器のわけがない。そもそも、この石像をどうやって動かし制御せよというのか。

 石像を睨みつけるリャニップ。しかし、その石像からとてつもなく強く攻撃的な視線を感じ、思わず目をそらした。

(生意気な石像風情が、俺を少しの間とはいえ、怯えさせるとは何事だ)

 リャニップには、自分が目を逸らさざるを得なかった、あの石像を壊したいと思う感情が芽生え始めていた。純粋に怒りの感情だ。

 たかだか古代人の作った石像に何故これほどの畏怖を覚えるのか。

 リャニップは、輿を担ぐ力者の頭を突然叩いた。

 力者は一瞬体を固くするが、それに対して言葉も発さず、リャニップの方を向くこともしない。

 力者も必死なのだ。

 欲が皮を被った化け物、リャニップ=サイディール。この男の我儘は、父ベニーバ=サイディールのそれより遥かに質が悪い。

 ベニーバの我儘には、目的がある。

 現状不可能であったりしても、時間を掛ければ何とか道筋が立つ代物であったり、その先にはラン=サイディールの発展、首都デイエンの発展が見えるものであり、周囲の人間は所感がどうであろうと、まあ仕方ない、という諦観を持つこともできた。そして、実現できた時にはベニーバとともに喜ぶこともできた。

 だが、このリャニップという男。

 本性が見えない。何を考えているのかわからない、という表現が一番しっくりくる。

 何も考えていないのではない。何かを考えて行動はしているのだ。

 だが、その行動に全く一貫性はなく、行き当たりばったりで、明らかに不可能だというものに対しても、全く目標が見えないために、周囲の人間が目的を推して行動するということができない。

 それでいて、やれなければ烈火のごとくに怒る。そして、その怒りの表現も、およそ何をしたいのかわからない類だ。

 先ほど、彼は手持ちの剣で力者の一人の頭を割った。だが、それも周囲の人間から見ていて明らかに行動の意図が不明だ。どう見ても、その力者に対するリャニップの心象が、何らかの理由で瞬間的に低下したから、彼は刃を突き立てたのだ。まるで鼻が垂れてきたから鼻紙で鼻をかんだのと同じように……。

 刃を頭に突き立てられた力者は、白目をむき、頭から血液と半透明の粘液の混じった汁を垂らし、口元だらしなく舌を伸ばしながら前のめりに倒れた。

 と、石像の足元で何か小さなものが幾つか動き回る。

 どうやら、力者が倒れた際に起きた音が、息を殺して隠れていたと思われる何かを慌てさせたようだ。キーキーと甲高い声を上げながら逃げ惑う。

 装甲兵がそれらに対して防御の陣を張り、その隙間から鉄砲隊が狙いを定める。

 ……熊だ。

 だが、熊とは少し何かが違うように見える。

 尾が熊に比べてずっと長い。そして、背の部分に膨らみがある。ちょうど肩部に、ラクダの瘤のように力なく垂れ下がった皮が二枚。額に瘤の様な盛り上がりがあるような気がするが、角度によっては見えないところを見ると、大した盛り上がりではないようだ。

 特殊な形状をした子熊が三頭。石像の足元で逃げ惑う。

「なんだあれは。熊か?」

 リャニップの問いに、力者の将が答える。

「あれは熊ではなさそうです。私も見た事のない動物……、捉えて研究すればまた何か新し……」

「撃て」

 力者の将の説明が終わらぬうちに、リャニップは熊もどきに射殺命令を下す。

「殿下……!」

 力者の将が思わず呻くが、その呻きは銃声にかき消され、力者の将は粛清されずに済んだ。正しかろうが、そうでなかろうが、王子に意見した者はとりあえず殺される。リャニップ=サイディールの直属になった者達の不幸だ。

 ノーと言えば殺され、イエスと言っても言い方が悪ければ殺される。そして、正しい言い方のイエスであっても、虫の居所が悪ければやはり殺される。

 彼の配下になった時点で、人生は終局を迎える。

 熊もどきは三頭いた。

 どの個体も子熊くらいで、人間でも容易に抱き上げられる大きさと重さだった。その子熊もどきは、ばたりと倒れピクリとも動かなくなった。

 リャニップは、その遺骸を袋に詰めるように指示する。

 持って帰って剥製にでもしようというのだろうか。

 力者たちはそう思ったが、そこではたと思い直す。

 このリャニップという男が、そんな予想できるような安易な行動パターンを取るだろうか。もっと不可思議な行動をするのではないか? 我々が予想できるような行動パターンなど取る筈もないのではないか?

 この人の皮を被った欲望の塊は、今は何の欲望に従って行動したのだろうか。

 剥製にするにしても、食糧にするにしても、血抜きは必須だ。まずは血が腐り、とてもではないが持ち運びができなくなる。血を抜く技術がないのなら、まずは腐食が進まないように温度を下げねばならない。だが、何の道具もなく、池や川、沼などの水温で死骸を冷やせる場所がない以上は、血抜きを行うしかない。

 だが、リャニップはそれを指示する様子もない。

 耐えかねて、力者が熊もどきの血を抜こうとするが、リャニップに不要を一喝され、しぶしぶ従う。ここで逆らっても何にもならないからだ。

 ……やはり、この男は、何も考えていない。物珍しいが故、袋に入れて持ち帰ろうとするが、数日かからず血が腐敗し、周囲に吐き気を催す臭気をばら撒き始めるだろう。そうなってから、この男は力者達を叱るのだ。何故血抜きをしなかったのか、と。

 力者達は袋に熊もどきの死骸を三つ収めた後、暫くは神殿内の物色をする。これもリャニップの指示だ。

 廃墟とはいえ、神の拠り所である神殿を破壊したり、何かを奪ったりするのは気が引ける。やはり、自分たちの崇める神とは違う神であったとしても、人々の信仰を集めた神ならば、それ相応の対応をしなければ。

 その時。

 咆哮がした。

 獅子の咆哮? 熊の咆哮?

 いや、それよりもずっと大きな物だ。その存在は既存の猛獣よりもずっと大きい。そう想像するのに十分なほどの野太い咆哮だった。

 兵士たちは、最初耳を貫くような咆哮に、思わず耳を塞ぎながら、音の発生源を探す。

 最初は、あの熊もどきの親が戻ってきたのだと思った。子の熊もどきが子熊と同じサイズなのだから、熊もどきも親熊と同じサイズなのだろう、と。そのサイズの存在を、しきりに探す。熊と同じサイズの猛獣なら、この軍に対しての脅威には十分なりうる。ましてや、一頭ならよいが、親が二頭揃っていたとするとなお厄介だ。姿が似ているだけで、熊と同じ習性を熊もどきが持つとは限らないのだ。

 だが、周囲を見渡しても熊もどきの親がいるようには見えない。

 そこで、はたと気づく。

 まさか、この巨大な石像の様な存在が発しているのか。あの腹の底から震え上がらせるような咆哮を。

 力者の将は見た。

 巨大な石像の目が黄色く輝き、体が半透明になると、内側から光が滲み始める。そして、その光に照らされ、石像の内部機構が影絵のように浮き出て見えた。

 心臓の位置だと思われる箇所には、巨大な壺の様な臓器が、口を頭の方に向けるように傾いて鎮座している。そして、その壺には何本かのリング状の何かが巻かれているように見えるが、それが徐々に回転を始めていく。まるでタービンだ。

 その壺の周りのリングの回転が速くなり、その正確な形状が分からなくなると、巨大な石像の皮膚に力が籠っていく。と同時に、皮膚の色が石像の灰色から、茶褐色へと変化する。毛並みを美しく表現した彫刻は、実は本当の毛並みの石化した姿だった、ということだ。

 その茶褐色の体は、少し長めの体毛に覆われていた。

 黄色く輝く熊もどきの双眸は、明らかに輿の上の醜い肉塊、リャニップ=サイディールを捉えていた。

 銃を撃った鉄砲隊の人間ではなく、その指示を出した怠惰な肉塊、我儘な王子に狙いを定める熊もどき。

 大きく開かれた口は、血のように赤く、巨大な犬歯の他に、のこぎりのような歯が並ぶ。

 その喉の奥から、黄色い光が染み出てくる。その光は、熊もどきの口をいつしか覆い尽くし、まばゆい光となって飛び出す瞬間を待ちわびる。

「狙撃兵、あの熊もどきの大物を倒せ!」

 リャニップは濁声を張り上げて、戦闘指示を行う。

 だが、その巨体に銃弾が役に立つとはとても思えない。実際、パンパンという軽い音に対し、熊もどきが身じろぎする様子もない。

 熊もどきの口から、光の弾が打ち出された。その光の弾は軍勢の少し頭上を通過すると神殿の壁を打ち抜き、ややあって神殿の外、はるか遠くに爆発音を響かせる。

 二の句が継げないリャニップ。

 自分の行なった攻撃が全く効果なく、逆に相手の攻撃の破壊力を目の当たりにした、この横柄な臆病者の対象の脳裏には、退却の二文字がよぎる。

 彼の周りにいる装甲兵や重装歩兵部隊が、熊もどきに背を向けて走り出す。名誉ある退却ではない。どちらかというと三々五々逃げ出した、統制の取れない軍になり下がった。

 だが、リャニップは熊もどきに、ではなく、逃げ出した兵士たちに射撃を開始する。

「逃げるんじゃねえ。戦え。この化け物を亡き者にするんだ!」

 神殿の中、不気味な悪魔の泣き声のようなリャニップのヒステリックな濁声が響く。

「逃げる奴は殺す! 俺がいいというまで最後まで戦え!」

 ラン=サイディール国第一位王子であるリャニップ=サイディールは、為政者としては全く看過できない暴言の様な指示を繰り返し兵士たちに向け発するのだった。

 巨獣熊もどきは、自身の鎮座していた台からゆっくりとその巨体を地面に降ろす。動けるようになったが、まだそれほど体の自由は戻っていないようだった。

 熊もどきは、戦う必要は皆無だった。

 己の眼前に広がる、甲冑を身に着けた二足歩行の猿も鉄砲を構えた猿も、そして、不思議な肉の融けた物体を掲げる半裸の猿も、勝手に同士討ちをはじめたように見えた。

 肉塊の繰り出す刃が、何故か傍の力者の頭を削り、徐々に輿が傾いていく。そして、ついに肉塊は神殿の床に落ちた。

 尻に熱く熱せられた小手を押し付けられ、焼き印を打たれた豚の悲鳴のような声が神殿内にこだまする。恐らく、輿が落ちた際に肉塊が床に零れ落ち、体を強打したのだろうが、その痛がり様は尋常ではない。

 誰の目にも映っていなかったが、実はリャニップが輿から墜落する際、彼は膝を可動域とは逆に曲げ、更に無理な負担が股関節部にかかったため、実際には骨盤と寛骨臼が粉砕骨折をしてしまっていた。だが、それを肉塊に伝える者もいなければ、窘める事が出来る人間もいない。

 肉塊は文字通り体内の骨を欠損し、神殿の床に汚らしく広がるしかなかった。

 最初は恫喝にも似た言葉を発していたが、徐々にその勢いは失われ、ついに独り言を発常時口走るようになってきた。そして、その言葉に意味不明の笑いが含まれるようになり、リャニップのリアクションが止まった。その口からはだらしなく唾液が垂れる。

 次の瞬間、石の台座からゆっくりと一歩を踏み出した巨獣の右前足が、その見苦しい肉塊の上に降ろされた。攻撃ではない、巨獣の只の一歩だ。

 ラン=サイディール国第一王子、リャニップ=サイディール。サイディール家の歴史上でこれほど暴虐の限りを尽くした男はいなかっただろう。

 その男は、犯した悪事の数に反して、あっさりと絶命した。

思ったより加筆して長くなってしまいました。

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