術合体
傭兵の宿営地に残ったレーテ。
元々料理は嫌いではなかったが、料理自体は家のキッチンのような、道具が完全に揃えられている場所でした事があるだけだった。
しかし傭兵達は、何もないところに竈を作り、火を起こす。折り畳み用のまな板とサバイバル用のナイフを駆使して、地底湖で汲んだ水で戻した乾燥野菜を刻み、汁物を作る。パンにも似た形状の穀物を固めたものは、握り飯と判断すべきか。
すべてにおいてではないが、その場にある物でいろいろな道具を作り出す。
レーテにとって、それは驚きの連続だった。
一見すると楽しいキャンプの宿営準備にも感じられる光景だが、このパーティは、退路を奪われた半遭難状態のはずなのだ。それでも、傭兵達の表情を見る限り、諦めの様子はない。
この遺跡に挑戦することは、仲間の半分が命を落とす程の難易度だ。当初の想定よりずっと難易度が上がってしまった印象だ。しかし、その危機感を感じさせない雰囲気が、パーティの中に存在していた。
そして、追い込まれているはずのこの環境で、楽しさすら見出しているように見えるこの傭兵集団を、レーテは羨ましいと思ったのだった。
自分もその仲間に入りたくて、彼らと肩を並べたくて、何とか傭兵達の所作を盗もうとする。彼らの行動は、豊富な経験と洗練された技術から生み出されているものだということが分かっていてもなお、彼らのいる高みに手を伸ばす。
人を傷つけることに慣れたいとは思わないが、どのような状況も楽しめる、というのはある意味人生を謳歌しているといえる。今まで、他者に対する憎悪と自分に対する無力感に苛まれてきたレーテにとって、それはとてつもなく眩しい世界だった。
カニマは、卓越した短剣さばきで乾燥野菜を一口サイズに切っていく。水で戻した野菜は、かつての野菜と同じとまではいかず、いわゆる乾燥野菜の域は出ないが、それなりのものになった。
バスタの肉料理は豪快だ。干し肉に酒をかけ、少し戻すとそれを竈の上の熱せられた石の上で炒める。それに水で戻した野菜を加えて炒めた。干し肉はうまみが凝縮されており、調味料が無くとも味気ないものにはならない。とはいえ、所詮は現地調達での道具ばかりを使った料理だ。家庭料理、というわけにはいかないのはご愛敬だろう。
傭兵達の料理する姿を、忘我の体で見つめていたレーテだったが、何かが近づいてくる気配を感じた。
横を見ると傭兵達もそれを捉えているようだ。手を止め、近づいてくる気配の方への警戒を強めていた。
だが、出現したのは光の膜と共に疾走してくるテマと、その背後から追い越さんばかりの勢いで飛行してくるファルガだった。
「レーテ! この人を治してあげて欲しいんだ!」
ファルガは、宿営地に到着するなり、詰め寄らんばかりの勢いで、テマの背負う少女の治療をレーテに依頼する。
だが、レーテには状況が把握しきれない。
テマとファルガが突然連れ帰ってきた少女。
この少女が何者なのかもわからないし、どのような状況なのかもわからない。それに、レーテが知るのはファルガと同じ氣功術の≪回癒≫のみ。レーテからすれば、自分に何をしろというのか、という印象だった。
背負った少女をゆっくりと下ろし、平らな部分に横たえると、テマは改めて少女を包んできたマントを、少女の肢体を隠すように掛け直した。
浅黒く丸顔の少女だ。そして、少女の眉間から鼻筋、そして両口角に向けて斜めに交差するような裂創。そして未だに収まらぬ出血。若いだけになおその傷が痛々しく見えた。
レーテは、少女の傷からまだ血が止まらない様子を見て、小さく悲鳴を上げた。
「この先の広場に、ラン=サイディール軍が駐留していた。
どういう経緯かはわからんが、そこにこの少女率いる原住民の兵士たちが戦いを挑んだ。
結果は原住民たちの壊滅。装備の差は圧倒的だった。
原住民の戦士たちの殆どが瞬殺された中、この少女だけが軍の残党に慰み者にされた上で、惨たらしく殺されそうだったのを見かねて、助け出してきた」
「命に別状はなさそうね。けれど、傷は早く手当てしないと」
少女の体を検めたカニマは、そう呟くと止血をする。
「カニマさん、この人の顔の傷は残ってしまうのでしょうか……?」
ファルガは、少女の顔の傷に酷く気持ちを奪われているようだった。
「思ったより深い。医者に見せて縫合しても、傷は残るでしょうね……」
そうですか……、と肩を落とすファルガ。何かひどく失望したように見える。命に別条がないということより、傷が残る事の方が酷く気にかかるようだ。
暫く俯いていたファルガだったが、視線を上げる。
昔レベセスがやって見せた≪回癒≫を、レーテなら即座に再現できると期待していたファルガだったが、やったことがないと言われれば、自分でやるしかない。少なくとも、自分が出来なくて、レーテにもできないから仕方ない、とは思いたくなかった。
少年は腹を括る。
「……やったことはないですが、≪回癒≫をやってみようと思います。それでこの人の傷が少しでも目立たなくなるのであれば……」
ファルガは思いつめた表情で少女の横に跪くと、顔の上に両手をかざす。ファルガの体が光に包まれた。その光は、戦闘時に敵へ攻撃を仕掛ける直前の冷たい輝きではなく、冬の陽だまりのような、温かく心地よいものだった。その光が掌底に集中する。
「待て、ファルガ君。
≪回癒≫は、傷の治りを早めるが、傷をなかったことにするわけではない。
確か、マナ術にも傷を治す術は確かあったはずだ。ただ、この術は体を治療する、という概念ではなく、破損を元に戻すことに特化した術。
原理は私にもわからんが、物質を元々の組成に戻すものだと聞いたことがある」
ファルガは、掌を少女の額にかざすのをやめ、テマの方に目を向けた。
「……≪修復≫という術だ。
物質が何らかの力を加えられて破損した際に、物質エネルギーの『真』をコントロールし、元々の結合を再構築する術だったように記憶している。
例えば、折れた物は接着剤でつけることができるが、それはあくまで物理的についているだけで、傷自体は存在する。つまり、見た目上は接着されているが、実際には破損したままであり、強度は著しく落ちるということだ。
だが、≪修復≫は接着ではなく、切断されてしまった物体同士の小さな無数の結合を回復させる。その為、物質の強度を落とさずに接着できるメリットがある、という術の筈だ。
時を戻して破損をなかったことにするのではなく、破損した箇所を限りなく元の状態に直していく術だと思えばいいだろう」
テマは、今自分が無理を承知で頼んだ内容を、実現できるような手法で授けようとしている。その期待が否応なしに視線に籠る。
テマは続けた。
「古代帝国の道具術には、≪修復術≫というものがあったという。
古代帝国の医者は、手術で悪い部位を取り除いた後、縫合した箇所にその修復術を施し、病気やケガなどの外傷を、何事もなかったかのように治したという。
確か、その修復術は≪回癒≫と≪修復≫を、同時に道具術で実現したものだったと聞いたことがある……」
マナ術。出来なくはないのだろうが、自分はマナ術を得手としていない。
膨大な『氣』を扱うことができるようになった今、その氣を使い、存在エネルギーの『真』を大量に集めることはできても、そこに繊細な『真』のコントロールを要求されるマナ術は、今のファルガにはまだ無理だ。
集めた『真』を現象に変換するのはそれほど難しくはない。だが、物質の組成を生命体に対して行うことは、ファルガにとっては想像もつかない事だった。
莫大な『真』を用いれば、切断された腕をマナ術で修復することはできるだろう。だが、それはあくまで義手として体に接続させただけであり、その腕を本来の持ち主である生命体の一部として再生することは、マナ術ではできない。
逆に、氣功術の≪回癒≫でその腕を治そうとしても、腕を無くした体の傷を肉芽として傷が塞がるように回復の促進はできても、落ちてしまった腕を落ちる前の状態にする事もまた、不可能な気がする。
腕が落ちてすぐならば……、切断された腕がまだ『真』に遷移する前の『氣』で構成されている状態ならば、氣功術での回復も可能だろう。だが、切断されて暫く経ってしまい、腕の形状をした『真』に性質が変化してしまっているならば……、腕が死んでしまっているならば、もう氣功術でどうにかなるものではない。
ファルガは一瞬考え込む仕草をしていたが、ぽつりと言った。
「氣功術の≪回癒≫とマナ術の≪修復≫を同時に使うことで、その『修復術』ってやつを再現できないものだろうか……」
今度は、テマが驚く番だった。
そんな方法は考えたこともなかった。
確かに理屈で言えば、道具術の修復術は、幾つかの機械を使って≪回癒≫と≪修復≫を実現しているということになる。
だが、それは道具の作業の高い精度があるからこそできる芸当であり、ムラのある人間の術では不可能だろう。そして、機械で行うような修復術は、『氣』と『真』を大量に用いるはずだ。人間の術者が集める程度の『氣』と『真』の量ではできるはずもない。ましてや、人間が同時にマナ術と氣功術を使用するなど、聞いたこともない。
だが。
今、莫大な量の『氣』を使える人間が二人もいる。そして、『真』の取り扱いについてもレーテならば、現存する術者の中では最高水準のセンスであると、レベセスから聞いたことがある。
できるかもしれない。というより、彼らが出来なければ誰もできないだろう。
道具術の修復術を、氣功術とマナ術で再現することが。術者は二人必要になるのは無論の事だが。
「……やってみる価値はあるだろう」
テマは、レーテにマナ術≪修復≫の説明を始めた。
氣功術とマナ術の併用で実現すべき今回の修復術は、術者が明確な修復のイメージを思い描くことができるかどうかが鍵になる。
例えば。
切断された腕を修復した上で切断元の体に接続すると、それは本人の腕であったものを義手として修復することになり、生命体の部位の一部としての腕とは、見た目は瓜二つで素材も完全一致でありながら、全くの別物……腕の形をした物体にすぎない……になる。それが、以前は如何に当人の部位の一部であったとしても。
氣功術の≪回癒≫を用いて体の傷の治癒を促進させるが、切断面の傷口を肉芽にする形での治癒の促進ではなく、マナ術≪修復≫を使い、切り離された腕と体とを再接続させる形での治癒に誘導する、というもの。
治ろうとする傷が肉芽にならないように、という修正を腕と体の双方に『真』で入れるだけなのだ、と。
『氣』の力が強すぎた場合、切断された傷口は、接続すべき腕の傷口を受け入れずに、肉芽として治癒してしまうだろう。また『真』の力が強すぎれば、切断された傷口は腕と接合されるが、それは治癒ではなく、単なる腕の接続になってしまう。
その結果、傷口より先は生物の体肢ではなく、単なる本人の腕を使った義手になる。元々は自分の体の一部であった腕を使って作り上げた、精巧な義手。
生命体としてのエネルギーを失い、物体としてのみ存在するエネルギーとして変換されてしまった腕は、既に生命の一部たりえない。見た目はそのままだが、全く異なる存在となる。そして、その義手となった腕は、只の肉片と同じであり、やがて朽ちて落ちていく、ということだ。
テマの説明を聞く限り、難しすぎて実現が可能な気がしない。
レーテは眉間に皴を寄せ、難しい表情を浮かべていたが、それでも拒否という選択肢はなかった。彼女がやらねば誰もできないし、彼女自身も、目の前の女性の傷を何とかしてあげたいという気持ちはあった。
自信はないが、それでもやるしかない。
「わかりました。やります。
ファルガだって≪回癒≫は初めてなのでしょう? それでもやるという以上、やった事がないということをやらない理由にはできません」
切り離された腕をつけるならともかく、傷部分を接合するだけなら何とかなるかもしれない。口にはしなかったが、テマが掲げた『腕を氣功術≪回癒≫とマナ術≪修復≫を使って元通りにする』例よりは、ずっとハードルが低い気がする。まだどうやったら正解なのかのイメージが湧くだけましだ。
「……レーテ、気負うなよ。気負いは体を力ませる。繊細なコントロールは力んではいけない」
テマはレーテの肩に手を置いた。
元々うまくいくはずのない術なのだ。
≪回癒≫を使うのがファルガだとするならば、そのエネルギーは圧倒的な力を持つはずだ。その力に負けずに、生命力を練りこみながらの傷の補修がうまくいけばよし。うまくいかずとも、この程度の傷ならば多少肉芽の様に淡いピンクに変色するかもしれないが、日常生活を送るのには問題ない程度に治癒はできるはずだ。
二人はタイミングを合わせ、≪回癒≫と≪修復≫を同時に少女の額傷に向けて放った。
ファルガの掌から発せられる温かい光と、レーテの掌から発せられる機械的な光とが合わさり、少女の体を包む。
テマは見た。
人体につけられた傷が、まるで時が遡るように癒着していく様を。それは、彼が今まで目の当たりにした幾つかの奇跡の光景に匹敵するほどの衝撃だった。
少女を包む眩い光が徐々に収まり、周囲を取り巻く人間たちが視覚を取り戻した時には、顔に刻まれた傷は影も形もなく、ただ安らかに眠る少女が姿を現した。
抱き合って喜ぶファルガとレーテ。直後冷静になった二人は顔を赤らめ、ゆっくりと体を離す。
そのドタバタで、気を失っていた少女が目を覚ました。少女が何気なく上体を起こすと、体に掛けてあったマントが落ちる。
ファルガも思春期へと突入しようとする年齢の健全な男子だ。その目の前に現れた、鍛え上げられた異性の美しい肢体に、目が釘付けになる。
その直後、今まで喜んでいたレーテの柳眉が逆立ち、ファルガの視線を少女の体から引き剥がして自分の方に向かせると、周囲の大人たちも気の毒に思うほどの長い説教が始まったのだった。
2025/9/8一部修正




