天からの落とし物
主人公同士、初めて出会います。しかし、片方は気を失っていますが……。
日が完全に陽床の丘ハタナハの向こう側へと姿を消しても、辺りは急に漆黒の闇に包まれるわけではない。ただ、そのスピードは思いのほか早く、抜けるような青い空が徐々に赤くなり、紫から黒に近づいていく様は、レーテでなくても一抹の不安を覚えただろう。だが、カゴスに依れば、これは翌日も晴れるという安寧の印なのだそうだ。
ルサーを手伝い、収穫した野菜類を大皿に載せると、窯で焼いたチキンと共にテーブルに運ぶレーテ。昔は、彼女の作ったチキンは香料がきつくてなんとなく食べられなかったのだが、ここ二年は、何故かそれが大層美味に感じられるのだから不思議なものだ。
小屋を建てた時に、その余りの材木を使い、真円とはとても呼べぬものの上品な合板テーブルと、さらにそのテーブルに合わせて作った背もたれのない椅子も、レーテが初めてここを訪れた時と全く変わっていない。そこにルサー手作りの料理が並んでいく。
香ばしいチキンの皮の焼けた匂いに、思わず生唾を飲み込むレーテを見て、カゴスは声を上げて笑ったものだった。テーブルの真ん中に置かれたランタンの火の光が揺らぎ、料理に陰影を付ける。それがまたレーテにとっては酷くムードのあるものに感じられ、少しゾクリとしたものだった。それは、深夜禁断の大人の世界を垣間見た、感受性豊かな子供の興味と罪悪感とのせめぎ合いにも似ている。
小屋の入口そばのランタンにも火が入り、部屋そのものが明るくなる。レーテは今この瞬間を一生懸命楽しもうと、キッチンで小麦麺を茹でるルサーと、その横で木皿を準備するカゴスの姿を目に焼き付けようとした。
来年は、小等学校最終学年。
おそらくこの地を訪れることはないだろう。
その後は中等学校。
忙しくなっているカナールを見る限りでは、夏休みも色々予定が入っているようだ。そして、何とかその間を見繕って遊び回っているカナールとその友人たちを見ると、自分もその仲間に入らざるを得ないのか、と少し辟易するのだった。
ツテーダ夫妻の後の奉公人は、カナールに対して相当甘いようだ、と父レベセスが嘆いていたのを聞いた記憶がある。
とはいえ、中等学校の学生になれば、交友関係も活動距離も広がる、というのはレーテの同級生の兄や姉もそうだという話を友人から聞いている。それを無理に押さえるのも、また難しい話なのだな、と思いつつ、もし自分にその時間があったら、少しでもツテーダ夫妻の家を訪れて、ハタナハの麓の生活を満喫したいものだ、と考えたものだった。
やがて、食事の準備が整った。
三人はそれぞれ席に着き、カゴスは地下に保存してある葡萄酒を。ルサーとレーテは、その葡萄を発酵させずに冷暗所保存だけしておいた葡萄ジュースを掲げ、乾杯をする。
丸太をくり抜いて作ったカップを合わせようとした次の瞬間、それは起こった。
雨雲はなかったはず。ましてや雨も降っていない。だが、轟音が響き渡り、家が激しく揺れる。地震とは違い、その瞬間に何か巨大なエネルギーが地面に叩き付けられた。そんな印象を受けた。
カゴスは、年齢からがとても考えられないほど敏捷に、テーブルの上のランタンと、玄関に立てかけてあるピッチフォークを手にし、扉を注意深く開きながら周囲の様子を確認する。だが、その直後に扉を完全に開くと、そのまま外へ駆け出して行った。残されたのはレーテとルサー。ルサーは不安そうにレーテの傍に寄り添うと、優しく抱きしめながら、外に出て行った夫の一報を待った。
「ルサー! 盥一杯の水を準備してくれ! お嬢様は寝床を」
扉は空いていたが、カゴスの声はくぐもって聞こえた所を見ると、玄関を出てすぐではなく、小屋を回り込んだどこかで叫んでいるようだ。
ルサーは盥に張る為の水を汲みに行くため、木製のバケツを手に外に出て行こうとするが、レーテはそのバケツを半ば奪い取るように受け取る。
「水は私が行きます。おばさまは寝床をお願いします。水の場所なら私もわかるから!」
確かにレーテの主張はもっともだった。寝床を準備しろと言われても、何を使っていいのかはわからない。だが、水の場所ならば日中の農作業で水汲み場もわかる。
レーテは水汲み用の木製バケツを手にもって外に出た。
満月だ。空に浮かぶ白い月は、その輝きを余すことなく地上に送り届けた。
昼間見えた大海原の凪は、天に浮かぶ白球を美しく映す。微かに海に掛かる雲も、月あかりを受けて限りなく白に近い黄色い綿菓子に見える。日中は緑の大海原だった小屋の周囲も、白い大海原として大きく波打っていた。
周囲が輝いている中、一人の人影が立ち尽くしていた。その足元には、月あかりとは異なる青白い光が見えた。
「な……、何……?」
思わず水汲み場へ行く足を止め、カゴスの方に向かってふらふらと近寄っていくレーテ。
「……人だ」
カゴスの言葉に、レーテは思わず絶句する。
カゴスの足もとは深く抉れ、その部分の草は完全に消し飛んでいる。人が十数人は入れるほどの深さと広さのクレーターが出来上がっていた。そしてその中央に、輝く人型の何かが存在している所まで、彼女は見た。
「……お嬢様。水を」
レーテは強く頷くと妙に惹かれるその青白い光に背を向け、少し離れた水汲み場に急いだ。
小屋から少し離れた所にある小さな湧き水の滝は、昼間の農作業の時に、場所は確認している。この滝は、畑に撒く水であるとともに、炎天下の農作業の体力の消耗を防ぐための貴重な水分であり、上昇する体の温度を抑える人工的な汗の役目も果たしている。
レーテは強い綱で出来た取っ手を持ち、滝の水を直接バケツに注ぎ込んだ。徐々に重くなるバケツの取っ手がレーテの手に食い込むような気がする。
少女は、バケツを両手で持つと、腰で体を支えながらゆっくりと歩きだした。
レーテがクレーターの所まで戻ると、カゴスはクレーターの中の人型の影の所に降りていた。
「人、なんですか?」
カゴスの頭がふらりと動いた気がしたが、それが首肯なのか否定なのかレーテにはわかりかねた。その傍まで降りるかと尋ねると、いいという。
レーテが水を汲みに行っている間に、実はカゴスは輝く人型に近づいていた。それこそ一歩近づけば触れるほどに。だが、カゴスが傍に寄ったちょうどその瞬間、人を覆っていた光がじわりじわりと消えていく。そして、その光が消えた所には、剣を一振り抱きしめるように持った少年が横たわっていたのだという。
得体の知れぬ少年の姿をした何か。
先程起きたであろう、常人なら即死でもおかしくないこの状況。それどころか、体の原形を留めていること自体が、何かしら奇跡が起きたとしか思えない。それでいて見る限りほぼ無傷のこの少年を普通の人間と断定するのは誰しもが困難だったろう。
人間が輝く。
それは、天使か悪魔の所業としか思えなかった。その思いがあったので、カゴスは多少その少年の姿をした何かに触れる事を躊躇したのだ。
だが、決意の元、カゴスは少年を背負い、クレーターを登ってきた。
「中の寝床はできておりますかな。確認を」
クレーターから出る前に、カゴスはレーテに指示を出す。レーテは余りの状況にただ無言で頷き、手にしたバケツを小屋の中に運び込むのだった。
推敲前は、墜落先を準備した食卓にしていました。しかし、収拾が困難なのとそれ自体余り面白くなかったのでやめました(^^;書いた当時は19歳。面白かったと思ったんだけどな……。




