古代生物たちの蒼き楽園
誰かが失敗したわけではない。誰かの思惑があったわけでもない。
本当に偶然だった。
だが、そのタイミングでそれは起きた。
伝声管を使って、トロッコの巻き上げを依頼するテマ。
伝声管から了解の回答があり、トロッコがゆっくり引き上げられていく。ワイヤー自体にも多少たるみがあるのか、二回ほど強く引っ張られる感覚があってから、トロッコは段階的に加速した。といっても、人間の歩行速度より多少速い程度であり、地上に戻る為にはこれから一時間以上、レールに乗ったトロッコに乗り続けなければならない。
下るときは、重力に引かれて加速しようとするトロッコを抑えるような、力強い走行であったが、長い上り坂を登っていこうというトロッコの動きは、力なくとぼとぼと歩く老人のようにも感じられた。
「大丈夫なのか、このトロッコは」
傭兵バスタが、呆れたように呟く。レールの上をゆっくりと回転する車輪の摩擦音と、編み込まれたワイヤーがたわむ音が、時代を生き抜いてきた産業の大事な輸送力の年齢を感じさせる。
不自然な揺れは、引っ張るたびにたわみ、反発するワイヤーがもたらす力の伝導なのだが、たわみ揺れるたびに嫌な予感が増していく。
それは、ファルガだけではなかった。レーテはこの異常な揺れに反応し、テマは様々な音に関心を示した。
テマはワイヤーが結ばれた連結器部分に耳を当てようとしたが、流石に届かない。そこで、持っていた長剣の刃を連結器部分に当て、柄の部分を耳に当てる。
一度も見た事のない調査の仕方に、傭兵達は思わず失笑するが、ウズンだけは馬鹿にすることなくテマをじっと観察していた。テマの音の確認方法は、金属の弾性を考えれば、当然あってしかるべきなのだ。適切な道具がないからこそ、代替の道具を用いての作業なのだ。
テマの表情が曇っていく。
「ワイヤーが切れかけている……」
その結論に至ったのは、トロッコが終点から出発して道程の半分ほどに到達したころであり、時間にして三十分ほど経過したころだろうか。
ファルガたちの乗る先頭車両……下る時は最後尾車両だったが、引き上げられるときには前後逆転する……の連結器部分から、誰が聞いても明らかなほどに音がし始めた。
何かがひび割れるような音。それが連続して発生し始める。そして、徐々に音と音との間が短くなっていく。その音が、ワイヤーが徐々に千切れていく音だということに別の人間が気づくのは時間の問題だった。
「皆、トロッコから飛び降りるんだ!」
考古学者テマが、足元の物品をできるだけ外に投げ捨てながら、トロッコの同乗者に指示を出す。
ファルガはトロッコ内の乾燥食糧の袋を幾つか投げ捨て、最後は残りの二袋を両脇に抱えて飛び降りた。
レーテは、テマとファルガが何故トロッコの中身を投げ捨てているのか理解できなかったが、トロッコのワイヤーが切れる前に車両から飛び降りることができた。テマの指示通り、トロッコについたランタンをできるだけ手に取って。そして、飛び降りた後も、テマの指示通り、できるだけ姿勢を低くした。ファルガとテマはもはや腹這いだ。
傭兵のうちの何名かは、慌てふためく三人を侮蔑の表情を浮かべながら、トロッコの上から見下ろしていた。そんな中、ウズンとバスタは、テマの指示に従いトロッコから飛び降りる。そして、トロッコからできるだけ離れたところで体を低く防御態勢に入った。
突然自分の属する傭兵集団の隊長が、どこの馬の骨かもわからぬ老人の妄言に同調し、トロッコから飛び降りたのに驚いたのは、トロッコに残った傭兵達だった。傭兵達の中で、一番血の気の多いバスタがそれに追随したのも、彼らからすれば驚きだった。今まで人の話に耳を傾けたことなどなかったバスタが、すんなりと言葉を受け入れるとは。
次の瞬間、決して大きくはないものの鋭く通る、バツッという何かが叩き切られるような音がし、トロッコは急減速する。それと同時に、トロッコの進行方向先の狭くなった通路の上下左右で破砕音と共に砂埃が立ち上る。首を斬られた大蛇がのたうつ様に、千切れたワイヤーが回廊の上下左右を激しく打ちながら巻き取られていったのだ。
同時に、トロッコは逆走を始めた。
元々動力のないトロッコをワイヤーで引っ張ったり緩めたりして稼働させていた機構だ。ワイヤーの支えが無くなれば、自由落下の法則でトロッコはレールの軌道に沿って、坂道を走り出す。
「飛び降りろ!」
再度絶叫するウズン。だが、それに反応できたのは、トロッコに残った三人の傭兵の内の一人だけだった。一人はマントがブレーキ用のレバーに引っ掛かりトロッコに吊るされた状態で引きずられていく。もう一人はそんな仲間の様子に目を奪われていたが、トロッコのブレーキに取りつくのが見えた。
だが、そこまでだった。
トロッコは徐々に加速しながら、先ほどまで登ってきたルートを戻っていく。回廊が少しカーブしていたせいか、直ぐにトロッコの姿は見えなくなり、トロッコの車輪がレールを走る音だけが不気味に響き渡る。
やがて、大きな衝突音がし、周囲が揺れる。天井から砂粒が少し降り注いだ。
ウズンは絶句し、トロッコが疾走していった先を見つめていた。
「ヤムギ……、ゾウメ……」
岩から削り出されたような武骨なウズンの表情は、相変わらず読み取ることは難しかったが、その沈黙から、トロッコから降りることができなかった傭兵の仲間の安否を案じているのは間違いなかった。
ファルガは振り返り、トロッコの本来の進行方向を見た。彼の視線の先には瓦礫の壁。
先ほど千切れたワイヤーが、凄まじい力を伴って解放された。結果ワイヤーは激しくのたうち回り、回廊の壁を叩き壊しながら巻き取られていったため、周囲の壁が崩れ落ち、入り口まで戻る為の回廊を完全に塞いでしまっていた。
「……進むしかないのか」
ファルガはテマの方をちらりと見るが、テマは悲しそうに一度頷くだけだった。
「みんな、行きましょう! トロッコがあの壁にぶつかったら、トロッコに乗っていた人たちもただでは済まないわ。早く助けに行かないと」
レーテはランタンをかざすと、足元を取られないように注意しながら、回廊を下り始めた。傭兵隊長ウズンとその配下バスタ、カニマもレーテについて走りだした。
「食料はまた回収に来よう。まずはレーテの言うとおり、怪我人の保護だ」
ファルガは頷くと、遠ざかっていくランタンの光を追うように走り出した。
レーテは、言葉なく立ち尽くしていた。
後から追いついてきたウズンを始めとする傭兵達。そして、稀代の考古学者にして先代のジョウノ=ソウ国王テマと遅れてきた聖勇者の少年、ファルガも息を飲むと、その場に立ち尽くす。
眼前に広がるのは、惨状ではなかった。
ぽっかりと空いた穴。しかも、壁に空いた穴ではなく、壁全てが消滅していた。そして、壁に衝突して破砕したはずのトロッコの破片も。
元々薄い岩壁であることはわかっていた。だが、いくらトロッコが重いとはいえ、木製のトロッコが衝突してもそこまで完全に崩れ落ちるとは思ってもみなかった。むしろ、崩れたというよりは繰り抜いた感じだ。
パーティの行動として、この壁を一部繰り抜いて向こう側に行くことも選択肢になかったと言えば嘘になるが、それは最後の手段にしておきたかったところだ。
確かにここに壁があったのは間違いない。
その証拠に、入り口から続くトロッコの線路がこの場所で途切れている。引きちぎられたのではなく、ここまでしか敷いていない、という線路の車止めが存在している。勿論、それはトロッコの衝突により壊れていたが。
ファルガは傭兵達の更に前に出て、穴の向こうを見ようと、穴の淵まで進んだ。
そこから見えたのは、とてつもなく幻想的な光景だった。
眼下に広がるのは縦横十数キロにも続く巨大な空洞。高さも何百メートルもあるだろう。その空洞の天井には無数の穴が開き、そこから太陽光の光芒が何十本も空洞の中に差し込んでいる。一本の光芒は直径二百メートルを下らないものもあったかもしれない。
空洞には巨大な地底湖が広がり、その地底湖には群れを成す首長竜や手がオール状になっているワニ、そしておそらく人間など一飲みにしてしまう位の巨大な魚が群れを成して泳いでいる。中には見たこともないような姿の動物も泳いでいた。甲冑を身に着けたような古代魚も。その水は青く澄み、巨大魚の下、湖の底に這いずり回る巨大な節足動物の姿も見ることができた。
上空には、やはりかなりの大きさの翼竜や巨鳥が幾つもの群れを作り飛翔する。それよりは少し小さいものの、距離感を考えるととてつもなく巨大な昆虫も、その鳥たちに捕まらないように飛び回っている。
洞窟内には樹木こそ生えていないようだが、穴の周りが緑で染め上げられているところを見ると、天井の穴の向こうには緑の森林が広がっているのだろう。
湖の中には、神殿のような建造物が見え、そのうちの塔の部分が水面から出ていた。
目に飛び込んできた美しき青い空間に、遺跡探索救援隊の面々は溜息をつくしかなかった。
「地上では滅んだはずの古生代の生物たちだ……。しかも、時代もバラバラ。それらがこの空洞の中で生態系を作り上げていた、というのか……」
テマは誰に話しかけるでもなく、呟いた。夢と希望に満ち溢れた少年のように目を輝かせて。
「昨日、ファルガ君が切り落とした鳥型爬虫類。どうやら、あれは大昔……、人間が生まれるよりずっと前にこの世を支配していた進化途中の爬虫類だったようだ」
目の前に広がる絶景は、少年が書物を通じて知ることのできるありとあらゆる情報よりも遥かに古代の代物。夢のような世界を目の当たりにしつつも、忘我の状態を理性で拒絶するように、ファルガはテマに尋ねる。
「でも……、奴らは絶滅しているんですよね? それが何故ここで大量に発生しているのでしょうか」
「それは調べてみないとわからない。
この規模の空洞だ。自然災害などの大規模な環境の変化にはある程度耐えられるだろう。生き残りがいても不思議じゃないということもできる。
だが、この地が『精霊神大戦争』で古代帝国の浮遊大陸が墜落した場所だと考えると話が違ってくる。人類が全ての文明を失い、大多数の人間が死滅したと言われる戦いの中で、そもそもの環境の変化で絶滅したと言われた種族がこの規模で生き残るというのはどうにも考えにくい。
やはり、古代帝国の技術の介入を疑わざるを得ない。
いずれにせよ、ここは彼らの楽園だ。
きっかけはどうあれ、何万年、何億年の時を超え生き続けている彼らの安住の地を壊さずに置きたいものだ」
さて、退路は断たれた。
このまま何も手を講じずに、来た道を戻ることで地上に出るのはまず不可能だ。
先ほどトロッコから取り出してそのままにしてあった荷物を回収し、再度この地に集まった者達は、それぞれ荷物の確認をする。
食料はそれぞれが均等に配分し、更に他の分けられる道具類も同様に配分する。人数分揃っていない物品に対しては、傭兵グループとファルガたちのグループで分けた。
「我々はこのまま先に進む。
貴殿たちのグループはどうするかね?
選択としてはいくつかある。
この崖を降りたところから別行動にする方法と、そもそも崖を降りずに別ルートを探し、地上に出る方法。それから、地上に出るまでは協力体制を維持する方法。勿論、途中で別行動になることは十分ありだとは思うが。
我々の目的は、遺跡からの出土品を得ることもそうだが、古代帝国の遺跡の研究が主だ。そして、退路が絶たれたからこそ、先に進み、地上に戻る方法を探す。
次回の遺跡探索隊組織時に役に立つ様に」
テマの言葉に、少し考えるしぐさを見せるウズン。
今までのウズンからすれば、考えられないような問題だった。
最初、今回の依頼を受諾した時は、ただ某国の貴族に雇われ、古代帝国の遺跡から発見された出土品の中でも、色々使えそうなものをバレないように持ち帰るという、酷く抽象的なものだった。
古代の遺跡など、彼らにとって何の役にも立たない。そして、そういった類の依頼をこなすことにより報酬を貰い、それを分割。自分の取り分の一部を使い、装備や道具を買い揃えて次の依頼に備える。
傭兵はその繰り返しだ。
契約戦士としてはそれでよかった。
彼の力をもってすれば、それで生計は立てられたし、多少難易度は上がっても十分に対応できた。ただ、面白さとは皆無の、肉体労働でありながら延々と繰り返されるルーチンワークの中に、何一つ魅力を感じることはできなかった。
だが。
同じ人間でありながら。
自分より幼い少年少女と、自分よりも遥かに高齢の老人が。
自分の力を圧倒的に超えた者達が、未知の事象に対応しようとしている。
その事実が、とてつもなく眩しく、羨ましかった。
かつて兄弟弟子が、安定のルーチンを目指して一国の兵になった。その時、彼は『あり得ない』選択をするソヴァを案じた。あまりに愚かしい事に命を掛ける、この兄弟をどのように救えばいいのか。
だが、今、自分がかつてのソヴァが望んでいたことを自身が望んでいることに気づいた。
久しく感じた事のないこの昂り。
同志を失ったのは辛い。異常事態も続く。この先、容易に命を落とすかもしれない。二度と旅のできない体になるかもしれない。
だが、その中でウズンの久しく錆びついていた好奇心が満たされていくのを感じていた。
それは、他の二人も同じだったようだ。
三人の傭兵達は、同行する意思を表明した。




