ラマ村への帰還3
眠りは酷く浅かった。
いや、浅いというより、短い。短く深く鋭く眠り、すぐに目覚める。
その繰り返しだった。
体は疲れているせいかすぐ眠る。しかし、直ぐに違和感を覚え目が覚める。そして、眼前に広がる見覚えのある暗い天井を見るたびに、今までの冒険が夢であったかのような不思議な感覚の中、再び目を閉じる。
それを何回繰り返しただろう。眠くはないが、寝た気もしない。
家の外に気配を感じた。
敵?
いや、この村には敵はいない。ここは平和そのものなのだ。かつては、とある存在に平和を荒らされ、深い闇に沈んだ時期もあっただろう。だが、その脅威は、今はいない。
ファルガは、かつて移動中に飛天龍で行なった、周囲の物体に『氣』を這わせ、そのものの正体を探る方法をとった。
今ならよくわかるが、普通に自分の周りに薄く漂う『氣』を、自身を中心とした球状に拡大させてレーダーのように敵の様子を感知する氣功術『索』の場合、相手も氣功術師であれば、自身が発見されたことに感づいてしまうが、指向性の『索』ならば、感づかれる可能性が極端に減る。とはいえ、ファルガが知る限りの氣功術師は、レーテの父レベセス=アーグと、死神剣士ガガロ=ドン、そして、半人前のレーテ位だ。そこまで慎重を喫する必要はないのかもしれないが。
探索氣功術に検知されたのは、ファルガのよく知る人物だった。検知されてからも、玄関の前で立ち尽くしている。やがて、その人物は、小さくドアをノックし、ファルガの名を呼んだ。
「ファルガ……、起きているか?」
声の主は、幼馴染にして兄貴分のナイルだった。
なぜ、彼は寝静まった夜更けにファルガの家を訪問したのだろうか。
しかも、どこかに躊躇いを感じている。
ファルガはベッドから起きだすと、養母ミラノが準備してくれていた麻の寝巻を羽織り、玄関を少し開けた。
「どうしたんだ、ナイル。こんな夜更けに」
そう呼び掛けても、ラマ村の長兄ナイルは、ファルガに視線を合わそうとしない。だが、秋の月光が彼の表情を映し出した。その表情は躊躇いながらも、何かを告げたいような、思いつめた物を感じさせた。
「すまん、ファルガ。今から、手合わせを願えないだろうか」
ややあって発せられた予想外の言葉に驚くファルガ。
手合わせ、ということは、模擬戦闘をしてほしいということ。しかも、ファルガとナイルでは武器も違う。ファルガは、ここ半年で剣術を大幅に身に着けたが、ナイルは徒手空拳だ。それに、ラマを飛び出した時には、徒手空拳ではナイルの方がはるかに実力は上だったはず。それを知っていたナイルは、わざわざファルガに手合わせを頼むことなど今まではなかった。ファルガが頼んで手合わせをしてもらうことはあったとしても。
「……本当に、どうしたんだよ」
戸惑いを隠さないファルガに対し、ナイルは深く頭を下げるだけだった。
しぶしぶ了承したファルガは、寝巻から軽作業着に着替える。
数分後、身軽ながらも動ける格好の二人が、ファルガの小屋の前で数メートルの距離を挟んで向かい合っていた。
「一本勝負でいいのか?」
ファルガはそう尋ねたが、ナイルは短く応じるだけだった。ナイルは体を半身にすると腰を落とし、左腕を前に、右腕を腰に溜めた。
ナイルからは凄まじい気迫を感じる。だが、不思議とその気迫に恐ろしさや勢いを感じない。ファルガも両膝を軽く曲げ、左右の動きにも対応できるようにと構える。
一瞬、ナイルの表情に激しい怒りが浮かんだ。次の瞬間、ナイルは突進、右の腰に溜められた右拳を、体の回転に乗せ突き出す。
ナイルの拳は速かった。右の拳がファルガの左頬の横をすり抜け、次の攻撃である左突き、その勢いを利用した右回し蹴りの踵はファルガの顎先を通過した。その回転の勢いそのままに、今度は左足の甲がファルガの脹脛を狙い、その回転の最後に右肘打ちがファルガの右頬を狙う。
傍目には、ナイルが寸止めしているように見えただろう。
だが、悔しさを滲ませているのはナイルだった。
「奴は……、食人鬼のあいつは、こんなものじゃなかったのか?」
右の肘打ちだけは受け止めたファルガ。それも躱してしまっては、ナイルの攻めは終わらない。ナイルの攻めを終わらせることで、ファルガはこの手合わせを終わらせた。
「俺は……『カニバル』とは戦えなかった。あの戦闘以後、戦う機会すら与えてもらえなかった。けれど、今のナイルの技術なら、負けはしないと思う……」
ファルガの答えは、半分本当であり、半分嘘だった。ジョーの持つ人たらしの覇気を攻略しなければ、どれ程に強かろうがジョーを倒すことは不可能だ。そして、幾ら天才と言われたジョーでも、身体能力については人間の域を大幅には逸脱していない。人間でいえば、ジョーは最強に近い部類だろう。そして、ナイルは強さだけならそれに匹敵する。
だが、それだけだった。強さという物は身体能力や技の切れだけでは決まらない。その者の持つ覚悟如何で、拳は大砲に匹敵し、手刀は真剣の域に達する。
ファルガはナイルの肘を受け止めた左手を、ナイルの肘をおろすように促しながらゆっくりと離した。
その行動こそが、ファルガの一本だった。
決着はついた。
ナイルの表情からは怒りが消えうせ、諦めたような笑みが浮かぶ。
「これが、聖剣の勇者の実力か。半年間会っていないだけで、これほどに力の差がつくものなのだな」
ラマを飛び出した後の半年の間に、ファルガは死線を何度も潜り抜けてきた。聖剣を手に入れ、死線の度に発動段階も上がっていく。それは、聖剣によって身体能力を上げる効果もあるが、純粋に戦闘経験も積んでいたことになる。
『氣』を頻繁に扱うようになり、身体能力も向上していた。
『作業用氣功術のすすめ』という書物にも記してあった内容。それは、『氣』のコントロールをし続ける者は、無意識のうちに体も『氣』のコントロールを覚え、常人より遥かに能力的に向上しているような状態を常時作り出すことができる、というもの。
今回の戦闘で、ファルガは無意識のうちに『氣』のコントロールをして、身体能力を上げ、ナイルの攻撃を完封した。これはナイルにとっても驚きだったが、ファルガにとっても驚きの事実だった。日々の『氣』のコントロールが、これほどまでに体の反応を改善させているとは、ファルガ自身思ってもみなかった。
「……これで、諦めもつく」
「諦め?」
「情けないことだが、俺にはまだ覚悟ができていなかったようだ。
いや、したつもりではいた。
だが、ファルガ、お前が戻ってきた事が、俺の中では衝撃だった。
勿論、生きて戻ってきてくれたことに対しては純粋にうれしいと思っているし、俺がやりたかったことを代わりにやろうとしてくれたことに関しては感謝もしている。
だが、その反面、俺もお前のように旅に出たかったらしい。腕試しというと聞こえは良くないが、世界を回って、色々見てみたかったんだという自分の気持ちに気づいたんだ。
これから、父親になってレナと、子供を守っていかなきゃいけないのに、だ。
そんな立場の俺が、お前のように世界を自分の腕一本で旅してみたい、と思うことそのものがおこがましい。今の俺の立場でそんなことをしたらレナと子供はどうなるのか。そう考えると諦めざるを得ないのに、どこかで俺も外の世界を見て冒険をしたい。そんな思いが、日に日に大きくなるのが自分でも分かった。
それでも、無意識のうちにどこかでその気持ちを抑え込んでいたんだろうな。
だが、昨日のお前を見て、俺も世界を見てみたかったのだという自分の気持ちに気づいてしまった」
ファルガは、ナイルの葛藤する姿を見て、言葉がでなかった。
家族を持ち、護るべきものが明確に存在するというのは、大変なことなのだ。敵を倒すことで護れるものもあるが、護る、というのはそれだけではない。
ナイルは、レナに添い続けることで、レナを護った。この時のレナやナイルに明確な敵がいたわけではない。強いて言うなら、レナの中に巣くう弱いレナ自身だ。その自分にレナが負けないように、ナイルは半年間サポートし続けなければいけなかった。自分が代わりに戦うこともできず、倒すという明確な『勝利』はない。ただ、『敗北』だけははっきりしている。明確なゴールのない戦いほどしんどい物はない。
こういう戦いもあるのだ。
ファルガは、ナイルという男が、自分がこなしてきた戦いとは明らかに種類の違う戦闘を潜り抜けてきた、戦士なのだと実感した。
肉体的な強さや精神的な強さが、戦士としては必要だ。だが、戦闘の技術に特化せずとも、負けないための戦士でいることは大事なこと。ファルガはナイルの言葉を噛みしめた。
「お前の強さを見て、分かった。俺の実力では外の世界では戦えない。これで、諦めもつく」
ナイルは寂しそうに笑った。
「……ナイル。俺はまたラマを離れる。そのことはまだ、親方とミラノさんにしか話はしていないけど。
多分、聖剣を使った戦いはこれから激化する。今まで俺がしてきたのは、聖剣の力を借りて仇討ちをする旅だった。これからは、聖剣の力を使って、本来聖剣が戦うべき相手との戦いになる。
相手はまだはっきりとはわからない。でも、その相手は確実に迫っているようだ。
そいつは俺たちが何とかする。ナイルは、それ以外の村を襲う敵からレナやインジギルカ、ズーブたちを守ってくれ。
この村には強い人たちはいる。でも、これから一番強くなるし強くなきゃいけないのはナイルだと思う」
ナイルは、今度はニヤリと笑う。
「ファルガよ、随分敷居を上げてくれたな。力や技術だけじゃない敵も俺が相手をしろというのか。
でも、そうだよな。爺ちゃんも、親父もそうやって村を守ってきたのだな……」
ファルガもニヤリと笑う。
「ナイルの敵は相当手ごわいぞ。俺が帰る場所を残しておいてくれよ」
ファルガはそう言ってナイルの右手をがっちりと掴んだ。ナイルも、ファルガの右手を力強く握り返す。
「負けるなよ、兄貴!」
ファルガは、ナイルを初めて兄と呼んだ。
血の繋がっていない関係ではあるが、心の兄。今までは兄のような存在、だった。今、少年は初めて自身の心を伝える。
同じ環境で生まれ育ち、価値観も同じ。四六時中共にいて、生活を共にした。兄と呼んでもよいだろう。ファルガはそう思った。血の繋がった家族はいない。だが、心の通じ合った親兄弟はいる。十二年間共に暮らしてきたより、今この瞬間のやり取りが二人の心の絆をより堅固に結びつけた。帰るべき場所、護るべき場所は明らかにそこにあった。
半年ぶりに、穏やかな目覚めを迎えたファルガ。
半年間抱え続けていた心の闇が、全て浄化された。どす黒い感情も、激しい怒りも、幼き頃の恋心も、全て過去へと昇華されている。
まだ旅を続けていた頃、夢の中で何度もうなされては目覚め、或いは仇を取って、歓喜の雄叫びを上げた所で目覚め、実は何も解決していなかった現実に引き戻されては愕然とした。一時期は眠りにつくのすら恐ろしかった。眠る事で、またあの悪夢と戦わねばならない。勝っても負けても何も解決していない。夢の中では何度か、今眼前で繰り広げられているものを夢だと認識できたこともあった。所謂明晰夢だったが、仇と戦う事をやめたこともあった。だが、その時は光を失ったレナからも狂気の笑みを浮かべた『カニバル』からも激しく口汚く罵られた。勝手に仇討ちをやめるな、お前はずっと出来ぬ仇討ちを続ける運命なのだ、と。
ジョーが『リンジョーグン』として埋葬されたのは、カネーガ王やテマの意志ではなかった。ジョウノ=ソウ国首都ルブザードの民の殆どの願いだったという。幼少期から覇気を纏っていた天才児は、国民から罪を許され、英霊として祀られることになった。
ジョー=カケネエという男を知れば知るほど、以前は持ち続ける事の出来た激しい怒りが、悲しみに変わった。『カニバル』発生のあの出来事さえなければ……。
だが、それも全ては仮定の話。
ファルガの旅は、全て終焉へと向けてピースを揃えていた。そして、昨日のレナとの邂逅で、最後のピースがはまり、旅は終わった。
ベッドの中で、大きくゆっくりと息を吐くファルガ。
快適というのとは違う。だが、何事にも追われなくなった状態での目覚めは、酷く落ち着いていた。余りに落ち着きすぎていて、ベッドから起きるのを忘れていたくらいだ。
鍛冶屋の親方ズエブの娘ズーブと養母ミラノが起こしに来るまで、ラマを飛び出してから再びラマの地に戻るまでの出来事に思いを馳せ続けていた。
ズーブの呼びかけと、ミラノのドアを叩く音で我に返ったファルガは、慌てて装束に着替え、表に出た。
「疲れが出ていたのね。まだ休む?」
「いえ、出発の準備に入ります。でも、その前に一度工房に行きますよ。親方が待っているはずです」
ミラノはにっこりと微笑むと、上下の服を出した。
「今はこれに着替えて。その装束は洗濯しておきます。多分、この服は今までの貴方の戦いと共に過ごしてきた服。だから、家に他の服があっても迷うことなくそれを着たのでしょう。なら、せめて旅立ちの時くらいは綺麗なその服で」
「これは、SMGの戦闘服らしいんです。でも、いくつかの戦いを経て、俺の一部になりました。こいつで旅に出たいです。
洗濯、お願いします」
そういうと、ファルガはミラノから服を受け取り、一度部屋に戻って袖を通した。そして、生地の厚いSMGの装束をミラノに預けた。そのまま、工房へと駆け出す。
工房では、ズエブが窯に火を入れ待っていた。
無言で槌をファルガに差し出す。ファルガはそれを受け取り、ズエブの反対側に位置取った。
窯から赤く焼けた鉄鉱石を鉄鋏でつまみだし、槌で打つ。その相槌をファルガが担った。ズエブからの言葉はない。ただ、二人は無言で打ち続けた。
ズエブが何を作ろうとしているのかはわからない。だが、どう打てばいいのかは、長年の経験から何となくわかった。ズエブからの苦情が出ない事も、その打ち方が正しい事を物語っていた。
やがて、最後の焼きを入れ終わった後で、水に浸けられ激しい水蒸気を上げたそれは、美しい刃紋を持つ短剣だった。ズエブはそれになめし革を握り布として巻きつけ、簡易の柄とした。また、壁に掛けてあった幾つかの鞘を短剣に合わせ、調整した。
鞘に納められた一振りの短剣を、ズエブはファルガに向かって突き出す。無言ではあったが、そこには大きな愛情を感じることが出来た。
「持って行け。お前の短剣だ。聖剣は良い剣だと思う。だが、戦い以外には不向きだ。戦い以外の事に、役立つだろう」
「ありがとうございます、親方。全てを終えたら、また戻って来ます」
ズエブは何も言わずに背を向けると、再び窯から赤く焼けた鉄鉱石を取り出し、打ち始めた。
ファルガは、一礼すると、ズエブの背に言葉を投げかけた。
「行ってきます!」
ズエブの槌の音が、ファルガを送り出すエールに聞こえた。
工房を離れたファルガの耳に、いつまでもズエブの槌の音は響き続けた。
SMGの装束が乾いたその晩、ファルガは数少ない人間に見送られて旅立つ。
見送ったのは、養母ミラノ。妹ズーブ。そして、兄になったナイル。
ズエブは来なかった。彼は工房で別れを済ませていたのだ。
ファルガは、初めて氣功術を見せる。
まだ、それほどうまくは飛べない≪天空翔≫。
だが、ジョウノ=ソウ国からの飛翔で、方向転換の技術はわかった。コツさえつかめば、レベセスのように戦闘に≪天空翔≫を織り交ぜることで三次元的な戦い方もできるようになるだろう。
ただ、どうしても飛翔の出だしは、背後に飛び出してしまう。
「まるで、逃げる海老だな」
笑いながらナイルに言われて、思わず頭を掻くファルガ。だが、それは少年にとって、最大の称賛だった。そんな力を、自分は一生かけても身に着けることはできない能力。その羨望の裏返しなのだ。
ナイルは、レナから預かってきたバンダナをファルガに手渡した。
真っ赤なバンダナ。
話してはいないが、レナもファルガの再度の旅立ちは察していたのだろう。
「お前の姉さんも、中々勘がいいぞ」
ファルガの癖毛が目に入らないように額に巻かれたバンダナ。レナはファルガに気持ちを送った。
半年間の旅でさらに伸びた後ろ髪をばっさりと切った少年の、少し寂しくなった首元に、赤いバンダナの尾がはためく。
ズエブの小屋のすぐ後ろの崖に向かって、ファルガの≪天空翔≫は打ち出された。
青白い炎の尾は、ファルガの姿が見えなくなった後、ゆっくりと周囲の景色に溶けていった。
珍しく筆が走りました。勢いで書いてしまったので、後で修正するかも……。




