出立
行動を開始してからのテマは速かった。
カネーガ王にだけ旅に出る旨を告げ、旅支度に入る。
だが、先代が旅に出るという話は一日にしてルブザードを駆け巡った。
泡食らったのは王城のスタッフたち。そんな話を聞いたこともなければ、その兆候もなかった。だが、その話は間違いなくテマからなされ、カネーガ王に伝わっている。
先代が旅立つ。
目的も目的地も不明。それでも、何かはしなければならないだろう。
武器防具、旅の為の道具は何を準備すればよいのか。供は何人つければよいか。馬で行くのか、馬車で行くのか。旅先の宿の手配はどうなっているのか。行く先の道中に宿がなければ、野営も視野に入れなければならない。ならば、宿営地の造営も項目には入ってくるだろう。
揃える物は無数にある。懸案も無数にある。先代とはいえ、一国の王が動くとなると、その準備は一朝一夕という訳にはいかない。
だが、準備すべき物もその手順もわからず、慌て右往左往する侍女たちや先代王の出立の準備を過去の慣例に従い指示しようとする大臣たちを止めるテマ。勿論、そこに怒りや諦めの感情はない。自分を気にかけてくれる民に対する感謝のみだ。
もともと、民が慌てるのも無理もない。
大臣ですら、先王の国外出立の情報を持っていなかったのだ。準備がしてある方がおかしい。ましてや、先王テマからしても一日前まで国外へと旅立つことは想定していなかった。文字通り急遽決まった内容なのだ。
彼等の気持ちと面目を重んじるなら、彼等に準備をさせ、彼等に懸案を検討させ、答えを導き出させてから動いてもよかった。
だが、今はスピードが最も優先される。巨悪襲来という期限は決められている。
そして、今回のテマの活動はジョウノ=ソウの人間としてではなく、SMGの特派員として行われる物だ。ジョウノ=ソウの人間に準備を依頼するわけにもいかない。もっとも、この活動も世界存続の為と考えれば、ジョウノ=ソウ国も十分すぎるほどに当事者なのだが。
今回の行動の骨子。
それは、国家間の壁を取り払って、共同作業を行うための下準備をSMG主導で行う事。そして、ゆくゆくは世界国家を疑似的に作り出す事。外の世界からの敵の来襲に対する行動に対し、国家という壁で様々な制限をかけていたら、太刀打ちできるものもできなくなる。
それは、誰しもが漠然と持つイメージだった。強大な仮想敵国が、もし同盟国となればこれほど心強い友はいないだろう。可能であれば。そして、その状態であれば自国は栄華を極める事も出来るだろう。
ならばいっそのこと、世界中が一つになれば、平和になるに違いない。
だが、それを邪魔するのが、眼前に存在する既得権という壁。種族としては滅亡に向かっていたとしても、自身や目に映る親族が安泰ならばそれでよい、という社会文化独特の感覚。既得権を失ってまでの平和や統合を望む事は、人の本心として難しい。
それを誰かが排除せねばならない。世界を襲う脅威は、間違いなく各国平等に訪れる。その時、『巨悪』に迎合する国家があってはならない。
強大な敵に対抗するには徒党を組むしかない。できれば、一つの巨大な勢力として対抗するしかない。
その足掛かりとして。
全世界からありとあらゆるジャンルのエリートを集め、国家を超えた古代帝国の遺跡探索隊を組織する事を、SMG頭領に対し提案、承認させねばならない。そして、遺跡探索隊では各国の国際上の関係を無視し、各国平等の状態を宣誓させた上で、隊の様々な決定はSMGの頭領が主導で行われなければならない。
主導がSMGである事により、それぞれの国家に裏方として潜入していた特派員がSMG代表として各国の王と会談し、各国がそれぞれ出せる自国の様々なジャンルのタレントを選出する。そして、彼等をカタラットに集めさせ、遺跡探索隊を発足させる。
現在、表だって戦争状態の国家はないとされるが、それでも国家間の関係が全て良好であるとは限らない。国家の謀略が錯綜している可能性は十分にある。それを事前に封じなければ、『巨悪』襲来の前に世界が荒れてしまう事は想像に難くない。如何に各国の王を懐柔できるかが特派員の腕の見せ所になる。
そうやって組織された遺跡探索隊は遺跡に潜り、『巨悪』に対抗する為のありとあらゆる技術や道具を発掘し、更にそれを研究し、応用、量産する。賛同した国家には、出土した技術や道具を均等に配分する事で、差がないようにする。
もっとも、何を以て配分が均等と言えるかは難しい所ではある。人口なのか、国家の領土面積なのか、国民による総生産量なのか。
しかし、そこを詰めてからでは正直遅い。そこを詰める頃には、『巨悪』の襲来を許してしまっているだろう。正確な基準はなくとも、ある程度の点で渋々納得させられる線を探らねばならない。
一歩間違えれば、SMG主導の世界国家を興すと誤解を招いても仕方ない状況ではあるが、『巨悪』の来襲が約三年後に迫っているとするならば、国家間で争い覇権を確立する事に躍起になっている時間などありはしない。
正直な所、同じ世界の人間たちの戦争ならば、まだいい。
沢山の命が失われるかもしれない。歴史的な資料が失われるかもしれない。
それでも。
圧倒的な力で襲い掛かってくる『巨悪』さえ凌げれば、人の叡智は失われない筈。
『巨悪』を凌げなければ、世界は失われ、全ての命が失われる。かつて、古代帝国が滅び、国家が存在しなくなったように。
消去法の選択ではあるが、被害の小さいほうの選択をするしかない。
その為には、一刻も早く探索隊を組織したい。それがレベセスの意図であり、ヒータックやレーテの今の目的だった。
それを汲んだテマだからこそ、彼は国内に於いて自ら命令を下した。
自分の為に皆がわざわざ行動する必要はない。これから旅に出る自分を見送ってくれればそれでいい。無事に帰って来ることを望んでさえくれていればそれでいい。それこそが自分にとっての最大の護衛である、と。
テマは元々、遺跡に入り、自給自足で研究を行なってきた。無論、即位中は一人で遺跡に入る事はしなかったが、退位後初めて古代帝国の遺跡に入ると宣言した当時も、城内は騒然となった。が、結局前述の対処が間に合わず、テマは単身遺跡に入り、いくつかの発見をして無事に戻ってきた。
流石に、一人の方が楽であるとは口が裂けても言えない。『青の指輪』を手に入れてからは、その感情が殊更顕著になった。
「自分がいない間、国を守ってほしい」
国民にそう告げた。
今回、ジョウノ=ソウ国の民はテマの旅の理由をまだ知らない。また、テマはそれをわざわざ伝える必要はないと判断した。
言ってしまえば、国民が不安に煽られ、怯えるのはわかりきっているからだ。
SMGとの交渉。そしてその目的となるのは、全世界を上げての古代帝国遺跡探索隊の組織編成。
そこには、ヒータックとレーテの言った『巨悪』対抗と『精霊神大戦争』の回避という、物騒な話が持ち上がってくる。いずれは国民に伝えなければならないのかもしれない。だが、今の時点で国民に告げても、悪戯に不安を煽る事になりかねない。
テマはそれを避けたかった。
真相は、国王にして実子であるカネーガ王にしか伝えていない。
カネーガ王はそれを聞き、神妙な表情を浮かべると共に、一瞬悲しそうな顔をした。
今は亡きカネーガ王の実子、リンジョーグンの字を即位前に与えられた彼も、それを危惧していた。彼もまた、その情報を古代帝国の文献で得た。『巨悪』についても『精霊神大戦争』についても、彼は必死に調べた。その結果はある程度、ジョウノ=ソウ国の図書館に資料として残っている。だが、彼がそこに関わる事はもうない。
彼が集めたのは膨大な資料。だが、それでも恐らくは巨悪を知り尽くすという意味では、蓄積が全く足りていない。
だからこそレベセスは、各国の知識人がシンクタンクとして世界の為に切磋琢磨する為の世界頭脳組織の構築の必要性を説いた。超国家組織となる遺跡探索隊の編成は、その前段階の組織運営であり、予行演習なのだ。
世界頭脳組織の必要性は、確かにある。
『巨悪』に対抗する手段ばかりを講じているが、『巨悪』の正体が何なのかを知ることが出来なければ、攻略はありえない。そして、『巨悪』の目的が分かれば、『巨悪』との戦闘を回避できるかもしれない。戦わないで済むならば、それに越したことはない。
『巨悪』が悪ではないかもしれないのだ。
もっとも、これはテマが漠然と考えていることなのだが。
レベセスは、『巨悪』に対抗するための方法を模索している。それはそれで大事なことだ。
だが、『巨悪』の来襲に意志があり、目的があるならば、その目的を知ることで戦闘という衝突を回避できる可能性があるのではないか。『巨悪』との意思の疎通が可能であるならば。
『巨悪』について、調査検討する部署が、世界頭脳組織内に必要なのではないか。
レベセスなら一蹴するかもしれないその考え方を、テマは検討の必要性を強く感じていた。
「皆さん、この国をお願いしますよ」
王城の前で群がる国民に一言発すると、テマ老人は、ヒータック、レーテと共にクロガナイレの森の中に隠してある飛天龍の元に急いだ。
ルブザードの遥か上空を一度旋回した時に、視認できないはずの人々が飛天龍に手を振るのが見えた気がした。
人々には告げていない。テマはSMGの移動兵器『飛天龍』に搭乗していることを。
だが、人々は薄々勘付いているかもしれない。愛すべき元国王は、何か国の為に……、世界の為に行動を起こそうとしている事を。
テマはジワリと心が温まるのを感じた。
少女レーテは、そんなテマを見て嬉しくなった半面、もの寂しさを感じていた。
事態は急展開で進んでいる。その最前線にレーテはいる。
だが、今まで共に歩んできたファルガがいない。
生存していることはわかった。何か新しい力を身につけたこともテマから聞いた。
だが、彼女の横にいない。
今までは、彼に守られてばかりだった。今回、カタラットでの大陸砲をめぐる攻防では、初めて彼女自身が体を張って戦った。
レーテも、ついに自分で自分の身を護れるようになり、更に、仲間を護るための技術を身につけた。先のカタラットの戦いでは、レベセス曰く『不完全な術剣』を駆使し、灼熱の戦場の状況を打開した。
ノウハウはまだそれほどない。だが、幾度も死線を潜り抜けてきた経験は、きっと彼との行動の役に立つはずだ。
やっと、ファルガの横で戦える。護られるだけのか弱い少女ではなくなった。
それをファルガに見せたかった。
だが、ファルガはラマへと旅立ったという。
本当は今すぐにでも追いかけたい。彼が行おうとしている過去との決別を、レーテ自身の手でサポートしてやりたい。
けれど、ファルガは言う筈だ。レーテは今できる事をやってくれ、と。
そして、彼がラマに行くならば、いずれSMG頭領リーザから発せられるだろう古代帝国遺跡探索隊の招集も彼の元に届くだろう。
再会は、別れの地カタラット国首都ワーヘで。
少女は後ろ髪を引かれる思いを抑え、SMGの拠点ルイテウへと向かう決意を強くしたのだった。




