疑惑
白亜城に戻ったファルガ。
城門を潜った時も、出て行ったときと同じように、兵士達は敬礼で出迎えてくれた。
恐らく衛兵たちには全く他意はないのだろう。
だが、ファルガにはその敬礼が些か心苦しかった。
戦地に赴く事を拒否して逃げ出したわけではない。誰かを裏切って後ろ指を指されながら城を出たわけでもない。ただ、彼は戦う理由を失い、帰路についただけなのだ。
卑怯な事をして城を出たわけではないから、やましいことは何もない。強いて言うなら、自分が目的を達せられなかったことに対して、自分が悔しいだけ。
他人に対しては何の引け目を感じる必要はない。
それでも。
何処かで後ろめたさがあったのだろう。
テマの言葉に反発することなく、白亜城の城門を潜った。
では、テマと共に白亜城に舞い戻ったからといって、何か新たな正義の志を持ったのかというと、そういうわけでもない。
今後ルブザードでどうやって生きていけばいいのか。仕事の探し方も、人との繋がりも、住居ですら、少年ファルガにとっては何も決められない状態だった。
まずは腹ごしらえを。
抗いようのない欲望に襲われたファルガは、テマ老人に連れられて城内に戻った。
白亜城から貿易港まで、ファルガの足ならば十五分もかからない。多少坂の上りはあっても、帰路もそこまでの時間はかからない。
城を出て、実質一時間も経っていなかった。ファルガが休んでいた来賓用の客室に戻っても、まだ食事の準備は終わっていなかった。
安堵するファルガ。
今は、あの侍女が夕食を勧めてくれたにも拘らず、それを無視して立ち去ろうとした罪悪感だけは、感じなくてもよさそうだ。
ベッドの横の椅子に腰かけたファルガ。
どこかに行こうと思ったが、行く当てもなく、行く方法もなく、行く力もない。
決断をした割には余りにもみじめではないか。
聖剣の所有者であったとしても。聖剣が第三段階まで引き出せるようになったとしても、町では生活することも生きていくこともできない。
食事は無駄にならなかったのは良かった。だが今度は、その食事に次回からはありつけない。一刻も早く住処と、食い扶持を稼ぐ方法とを見つけなければ。
その身体能力を使ってボディガードをするというアイデアはなかった。その類稀な戦闘能力を使って兵士になるというつもりもなかった。そもそも、この国の何を護ればいいのか、誰を護ればいいのかさえもわからない。信念なく、金の為にのみ戦う事は、今のファルガにはまだ無理だった。
椅子に座って窓の外を眺めていたはずのファルガは、いつの間にか頭を抱えていた。
「ちょっといいかな?」
頭を抱えたままのファルガ。どの程度頭を抱えていたかわからないが、ドアの外でファルガに呼びかける声で我に返った。
ファルガは慌てて立ち上がると、ドアを開けに扉に駆け寄った。ドアを開けるまでもなく、声の主はテマだとわかった。いや、感じたというのが正しいか。
「失礼するよ」
テマは他に誰も連れずに、今はファルガの部屋と化している来賓の間を訪れた。かつての城の主だからか、特に遠慮することもなく、ファルガが先ほどまで腰かけていた椅子の、テーブルを挟んで反対側の椅子に腰かけた。
ファルガは恐る恐るテマの方に近づく。だが、何故か向かい合った椅子に腰かけることに躊躇した。
理由は本人にもわからない。
ラン=サイディール国と比肩するほどの規模の国家ジョウノ=ソウ国の先代の王に対して向き合って座る事が憚られたのか。それとも、仇敵ジョー=カケネエの祖父であるこの男と言葉を交わすことを避けたいと思ったのか。はたまた、先ほどまで感じていた居心地の悪さの延長なのか。
だが、その思いを見抜いた上で、それを完全に無視し、ファルガに着席を求めるテマ。その物言いは決して鋭いものではないが、有無を言わせぬ力強さがあった。
自分の意志というよりは、惰性でテマの反対側の椅子に腰かけるファルガ。
テマはファルガの目をじっと見つめた。
まるで深い闇の中を覗き込んでいるような恐ろしさを感じたが、ファルガは目をそらすことができない。だが、ラマの村でジョーと向き合った時のような不思議な吸引力を感じつつも、聖剣の力でそれが無効化されているというような力の衝突も感じられない。
テマの、ジョーに勝るとも劣らない吸引力……『人たらしの覇気』は、ファルガの横を駆け抜けるように通り過ぎていく。目に見えないが、まるで覇気が自らファルガを避けているようだ。
「……その年齢にして、そのレベルまで達したのか」
呟くテマの言葉を、ファルガは聞き返す。
だが、テマはそれをつまらない独り言だと一笑に付し、その事については二度と語らなかった。
「悩んでおるな、少年」
テマは、いささか楽しそうにファルガに問いかけた。
先ほどのテマの厳しい表情を垣間見たファルガからすると、作られた好々爺の仮面を被って語り掛けてくる老人からは、善意の裏にある何かを感じざるを得なかった。だが、それがファルガを貶める類のものであるとも感じられなかった。
ファルガは心の中にある心配事を、正直に話すことにした。
「悩んでいる、というよりは迷っている感じですが」
「今後の事か」
「そうです。俺は、ジョー……、いえ、『カニバル』を仇として旅を続けてきました」
「……ジョーを、ではないのか」
テマ老人は聞きなおす。
「はっきりとはわかりません。許せないのは許せないのです。ただ、許せない対象はジョーではない気がします。強いて言うなら、ジョーの一部分『カニバル』だけなのでしょう」
「それが悩みかな?」
「それも一つです。ジョーを許したか許していないかと言えば許していない。けれども、許せないかと言えばそうでもない。自分の中で心が定まっていない感じがします。自分の中にあるその感情に対して、どう向き合えばいいのか」
テマはゆっくり頷く。
「他にもあるのかな?」
「旅の理由が無くなりつつある、ということでしょうか。
かといって、どこに行けばいいかわからない。帰るところはなくなってしまいました」
ファルガは、ラン=サイディール国首都デイエンでの話をテマに聞かせた。
デイエンはSMGとの戦闘で崩壊してしまった。
実質的な国王であるベニーバ=サイディールはファルガとレーテを指名手配しているはずだ。そう思ったからこそ、SMGの飛天龍に乗り込んだ。
そして、ドレーノでの経験も。
自らが不特定多数の人間に悪意を向けられることになった初めての経験は、自らの心を壊すのに十分だった。
「……だが、君は今ここにいる。カタラットで共にいた仲間たちも、君を待っているのではないか? おそらく、ラマの村の者達も君の帰還を拒みはしないだろう。例え、ベニーバ公が指名手配をかけていたとしても」
全ての話を聞き終わったテマ老人は、優しくファルガに語り掛けた。
彼の言葉が、血の滲みそうなほどに痛めつけられ毛羽立った少年の心に染み込んでいくのは、決して『人たらしの覇気』だけのせいではあるまい。
知らぬうちに、ファルガは涙を流していた。嗚咽するわけでもなく、ただ静かに。
誰かに自分がやってきたことを評価して欲しいわけではなかった。自分が今まで大変な思いをしてきたのだと同情をしてほしいわけでもなかった。
今は、ただ少年ファルガは自分のやってきた様々な事を、誰かに黙って受け入れて欲しかった。やってきた事の良しあしではなく、その軌跡を。
ファルガが話し続ける間、まったく言葉を挟まずに頷いていたテマは、静かに言葉を続ける。
「君は、短い期間にいろいろ経験しすぎた。大人が一生かかっても経験しきれない程の経験を、な。少し心の休憩は必要かもしれない。
やはり、一度ラマに戻ってみるといい。レナという少女に会ってみるだけでも、心の状況は変わると思う」
レナに……。
ラマ村の少女レナは、文字通り『カニバル』の犠牲者だ。
ファルガがラマを去る直前、少女の瞳から光は失われていた。レナの顔かたちをした、何か別の生物になってしまった。
そんな印象だった。
あのままレナが正気を取り戻さなければ、彼女たちの両親がレナの面倒を見ていかなければならないだろう。言葉も通じず、意志の疎通も不可能な少女に、憐憫の心で最初は接する事はできるだろうが、そのうち感じるようになるのは怒りだ。
いわれのない感情で、言葉の刃を対象に突き立てるだろう。そして、その刃を突き立てた事で、レナを見守る者は自ら罪悪感に駆られることになるだろう。
護る者も一人の人間だ。護られる者にばかり時間を費やすこともできない。護る者も生きていかなければならない。
そして、レナの両親の方が、必ずレナより先に旅立つ。最終的に、レナは一人残されることになるかもしれない。レナを護る者も、これから永続的に続いていく『護る』行為を続けていかねばならない。それが両親などの血の繋がった人間でなければ尚更、護る事が苦痛になるのは時間の問題だろう。
心を失ったレナも不憫だが、それ以上に、疎ましがられる存在に成り下がったレナが不憫で仕方なかった。そして、その負の連鎖を、自分には止められないのが腹立たしかった。
「確かに。『カニバル』に襲われた後、そのレナという少女はそのままかもしれない。だが、そうではないかもしれない。
悪くなっているかもしれない。だが、良くなっている可能性もないとは言えない」
ファルガは口を噤んで、テマの表情を窺った。
そんな楽天的に考えられるものか。最悪、死を選んでいる可能性だってある。
「そうかもしれない。だが、それは会ってみないと分からない。ひょっとしたら、ファルガ君が駆け付ける事で消え去る筈の命が助かるかもしれないよ」
流石に、自分が行く事でレナが死を選ぶ可能性があるかもしれない、とはファルガは言えなかった。その可能性もないとは言えないが、どう見ても、テマの提案した事柄に対する純粋な反対事例の提示の域を出ず、そうなる可能性は今のファルガの情報では不透明だ。
マイナスの要素をあげつらい、希望を持たせようと話をするテマの反対意見ばかりを述べていても仕方ないのだという事は、ファルガ自身解っていた。
そこまでレナに嫌われているとは思いたくなかったのが本当の所だ。
テマの心はわかっている。そして、それを彼自身受け入れて行動するべきだという事も。
だが、次に襲ってくるのは現実の問題だ。
「ですが……、デイエンに行く船に乗れないのです。お金も時間も」
「それなら、私にアイデアがある」
次に続くテマの話は、雲を掴むような話だった。
文字通り、テマがカネーガ王に命じ、国王の強権発動でファルガの旅費を肩代わりしてもらうほうが、まだ現実的な話だ。
テマ老人の案はそれほどに異常だった。しかし、シンプルだった。
『飛んでいけばいい』。
これが、ジョウノ=ソウ国先代王にして、稀代の考古学者と言われたテマ=カケネエのアイデアだった。
ファルガは、思わず聞き直した。
「……と、飛ぶ? 空を、ですよね? 急いで、という意味ではなく……」
「そうだ。今の君ならできると思うが」
「俺が、ですか? 一体どうやって……」
半ば呆れたように言葉を続けるファルガ。
だが、テマ老人は大真面目だった。
「君は、レベセス君には会っているな? 彼から術を習ったのではないかな?」
ファルガは、予想外の名前をテマの口から聞き、些か面食らった。
『術』。
先代の聖勇者であるレベセス=アーグからは様々な技術を教わった。聖剣のコントロールに始まり、術の使う際の氣のコントロール。そして、術その物。
レベセスから教わった術については、その後自習したことはない。する環境になかったというのが本当の所だが、術の有効性についても疑問の余地があった。
ファルガが見た術といえば、陽床の丘ハタナハでの戦闘中にガガロの部下が放った火球の術だ。氣功術で見たのは、カタラットでのティタノボアとの戦闘での≪操光≫のみ。
ガガロがドレーノで使ったマナ術≪雷電光弾≫や、レベセスの使った氣功術≪操光・閃≫も見てはいない。
ファルガにとって、術とは飛び道具のような印象だった。
だが、聖剣の発動段階が上がれば上がるほど、身体能力は上がっていく。当然発動段階が上がれば斬撃のスピードも威力も桁違いに増していく。その状態で飛び道具の術を使うよりスピードの上がった体技を用いて間合いを一気に詰め、敵を倒すほうが効率がよい。
そんな認識であったため、術については特段何も考えてこなかった、というのが正しい。習得に関しても、使用に関しても。
そもそも、術その物は見たことがあっても、使用したのは人外が殆どであり、人間が人間の生活、または戦闘の用途で使用しているのをほぼ見たことがない、というのが本当の所だろう。
だが、そんなファルガの認識を変えるのがテマの発言だった。
「君の今の状態なら、聖勇者が皆使っていたという浮遊術≪天空翔≫が使えるのではないかな。術というのは、別に魔族や魔物だけが使える特殊技術ではない。『氣』のコントロールと『真』のコントロールが出来れば、人間でも……小さい子供でも発動させることは可能なんだよ」
テマ老人が、実際にファルガがどこまで術を使えるかがわかっていたわけではない。だが、かつて全盛だったころのレベセスやファルガの父親を見てきた彼が見ても、今のファルガは、ほぼ同等かそれ以上の『氣』を発する力と、コントロールする力を持ち合わせているように感じられたということなのだろう。
氣のコントロールに関して言えば、第一段階よりも、第二段階よりも、第三段階を発現した今の方がうまくなっているはずだ。
理由はわからない。だが、あの黒いヒヒの化け物を屠った時、第一段階や第二段階を発動させて力を解放した時より、ずっと自然に力を呼び出せた。と同時に、聖剣によって引き上げられた様々な能力が、管理しきれずに暴走するような危うさも感じる事はなかった。
第二段階と第三段階。
たった一段階の違いではあるものの、氣のコントロールという点に於いては、相当の壁があるように、ファルガには感じられたのだった。
「……テマさんは、その≪天空翔≫という術を使えるのですか? もし可能であれば手本として見てみたいのですが?」
「私は無理だよ。
ただ、ジョーの持っていた古文書には、何か手掛かりがあるかもしれない。術についても、マナ術と氣功術の双方の記述があった筈だ。そして、聖剣についても」
ファルガは、ジョーが持っていたと呼ばれる古文書を見せてもらう事にした。
「とりあえず、今日は食事をして、ゆっくり休むといい。全ては明日からだ」
そういうと、テマは立ち上がり、ファルガを部屋に残し部屋から退出した。
「あ、そうそう。夕食はカネも一緒に取りたいといっていた。準備ができたら侍女をよこすので、それまではゆっくりしていてくれ」
という言葉を残して。
ジョウノ=ソウ国国王との食事。
只の夕食の筈が、ありつく為のハードルが突然上がったため、ファルガは苦笑せざるを得なかった。
そして、迎えた会食。
カネーガ王との会食は、緊張し通しだったため、何を話したのかは勿論の事、料理の内容も味もほぼ覚えていなかった。
会食を行うための広間に移動したところまでは覚えていた。だが、広間に入った瞬間、視界に飛び込んできた煌びやかなテーブルとそこに準備された料理の数々、何百本もの蝋燭に火の灯る何基ものシャンデリア、席に着く着飾った人々と、今までのファルガには考えられない程の状況が、ファルガの頭の中を真っ白にした。
王宮での礼節など、ファルガが知る由もない。ナイフやフォークの使い方もわからない。食べ方がわからないため、ホストや他の人間の話の内容も右から左。侍女の配膳する料理の食べ方を、傍に座った人間の食べ方を見様見真似で行い、何とか胃袋に収める。
彼等は、ファルガの話を色々聞きたかったようだが、場が白けてしまったようだ。だが、場が白けた事すらわからないまま食事会は終わり、何とか自室に戻ったファルガは、そのまま倒れ込むように眠ったのだった。
翌日目を覚ましたファルガは、飽満感に苛まれた。
昨日の料理が、相当に重い料理だったのか。それとも、食べ終わってすぐに寝てしまった為、体内で消化されていなかったのか。
ゆっくり立ち上がると、窓の外を見た。
まだ薄暗いが、これから夜が明けてくるのだろうか。コノミカ大天蓋の向こうに沈んでいった夕日とは逆の方向が明るくなってきている。
もう少し眠ってもよかったが、もう寝すぎで眠る事も出来ず、胃の飽満感にも苛まれ、快適に過ごす事など出来そうになかった。
剣を背負い、部屋を出たファルガは、人目につかない場所に移動すると、剣の鍛錬をはじめた。特に意図的にそこに行ったつもりはないが、結果的に昨日、第三の力に開眼した時の場所、外壁の上だった。
動き、汗を掻く事で胃袋も動き出す。徐々に体の重さもなくなり、以前の体調に戻ってきた。
ファルガは鞘に剣を戻すと、昨晩体を貫いた圧倒的な力をもう一度呼び戻すために、肩幅の広さまで両足を開き、腰を低く落とすと、腹に力を入れた。
今まで、聖剣の使用段階が上がる背景には、大抵感情の発露があった。勿論、聖剣の第三段階の発動には、それなりの鍛錬と経験によるファルガの実力の向上があるのはわかっている。只の感情の発露だけでは発動の階層を上げる事はできない。
だからこそ、第三段階は恐るべき消耗をファルガの身体に及ぼす。彼はそう考えていた。だが、昨晩の第三段階発動時の身体にかかる負担が、余りに少なかった。
この状態が、レベセスの言っていた、聖剣を用いる必要がない第三段階なのか。それならば、聖剣を横に置き、聖剣に直接接触をしていない所で氣のコントロールを行なってみる必要がある。
聖剣は、少年ファルガの持つ氣の力を、刀身を持つ掌より吸収し、剣の中で増幅したものをファルガに返す。そして、増幅した氣のエネルギーの一部をまた聖剣に送り込み、更にそのエネルギーを増幅する。所謂高速増殖炉のようなものだ。
しかし、武器としてではなく氣を増幅させるための道具として聖剣を考えた場合、今回のファルガの第三段階の発動は、聖剣を介しない方がより多くのエネルギーを楽に得られることになった。
これはどういうことなのか。
聖剣を用いるより用いない方が身体能力をより引き出せるとするなら、聖剣は不要になる。
この矛盾は一体何だ。
勿論、只他の武器よりも切れ味のいい剣、という考え方もできるが、聖剣がただそれだけの目的の為に存在するとは到底思えない。無論、折れたり劣化したりしないという意味では名刀なのだろう。
第三段階が聖剣なしで成立する場合、聖剣は一体どういう意図で存在するのか。レベセスは、第三段階では高次生命体に干渉することが出来る、と言った。それは聖剣で干渉するという事ではなく、やはり第三段階を発動させた人間そのものが干渉する事の出来る認識力を手に入れる、と考えるのが正しい。昨晩の港での黒いヒヒは、恐らくこの世の者ではないだろう。その存在に気づき、滅することが出来たのは、やはり第三段階を発動していたからだと考えるのが自然だ。
ならば、聖剣は何故存在するのか。戦闘能力的にも、そのほかの能力についても、聖剣を介さない第三段階の方が優れているとするならば、聖剣の存在目的はない。
ファルガは、聖剣を抜かず、使わない状態の第三段階を引き出してみた。
ファルガの身体の周りを氣の炎が強く包み込む。この状態で、常人の五十倍の能力を出せと言われれば、恐らく出せるだろう。
ゆっくりと膝を屈め、大きく跳躍する。
上空に駆け上っていくファルガ。街並みが小さくなり、白亜城をも眼下に見下ろす。あの巨大な城が、ラマ村のファルガの小屋より小さく見えるほどだ。
上昇をやめたファルガの身体は徐々に落下する。落下は注意しなければならない。そのまま大地に叩き付けられたとしてもそのダメージは身体にはないだろうが、恐らく周囲の物を壊してしまうだろう。その為には、着地の瞬間に膝でうまくショックを吸収するしかない。強い力で飛び上がるより、落ちてきた時の周囲へのダメージを気にしなければいけないとは。
だが、ファルガの心配は杞憂に終わる。落下による衝撃は、膝のバネで容易に吸収することができた。
次は、聖剣を介しての第三段階の発動だ。
氣をコントロールし、自分の丹田ではなく握りしめた聖剣に送り込む。
次の瞬間、増幅された氣が剣から送り返されてくる。
いつもなら、この時点で増幅した氣を体で受け取り、跳ね上がった身体能力動作に転じる。
……遅い。
自身の丹田で氣を増殖させるやり方に比べ、聖剣を介して氣を増殖させる方が、体に氣が行き渡っての超人的な身体能力の向上効果の発動が遅い。そして、増幅率も聖剣を介したほうが悪い。
これは、気のせいではなかった。
跳躍の高さも聖剣を介しての第三段階発動の方が低かった。
どういうことなのか。
聖剣を所有できる事。聖剣を抜ける事。聖剣を発動させられること。これと、氣のコントロールが出来る事とは違うということなのか? 飛天龍上では、聖剣を使って氣のコントロールをする鍛錬を積んだはず。だが、この鍛錬は聖剣を使いこなす上での技術、という訳ではなかったという事なのか?
普通に考えれば、自分で氣を増幅するより、聖剣を介して増幅するほうが増幅率も増幅時間も短くなるはず。それ用の機能を有する道具を使っているのだから、当然といえば当然の結論のはずだった。
だが、そうはなっていない。
せめて聖剣を発動する事が、第三段階を維持するのに楽だという事実があれば、まだ納得できる。しかしながら、実際に聖剣を発動して第三段階に導くより、自らの身体で丹田を介して第三段階に導くほうが、体も楽なのだ。
今まで漠然と考えていた、聖剣に対する不安がいよいよ現実のものとなってきた。
今、自分には聖剣がいらなくなってきている。
それでは、聖剣は何のために存在している? 四本集めた聖剣は、世界を手に入れられるほどの力を身につけることが出来るという伝説は嘘だったのか。
これは、自分だけなのか? それとも、レベセスもそうなのか? 新しい聖剣の勇者『聖勇者』になったレーテもそうなのか? まだ見ぬファルガの父だという男もそうだったのか?
ガガロは聖剣を抜く事はできる。聖剣の勇者『聖勇者』としての素養は備えている事になる。だが、第二段階を発動させるのに、聖剣を使っている様子はなかった。ガガロも聖剣は単なる武器として持ち歩いているに過ぎない、という事なのか。
聖剣に対して不信感は持ちたくない。今まで彼を護ってきた剣だし、これが父親の形見だというのなら、なおさらだ。最初は実の父に興味がなかったが、行く先々で父親の存在を聞かされると、嫌でも興味が湧いてくる。
その道標が聖剣『勇者の剣』。
この剣のお蔭で、いろんな人との繋がりが出来た。いろんな経験をすることが出来た。いいことも悪い事もあったが、今、ここにファルガがいる事が、その結果だといえる。
その剣が不要になる。
それはファルガ自身考えたくなかった。
聖剣の意義とは何なのか。
ジョウノ=ソウ国に来てからというもの、大前提を覆されることが続く。
ファルガのそのいろんな思いを、ジョーの部屋にあるという古文書が受け止め、何か一つの答えを示してくれることを期待しながら、ファルガは早朝の鍛錬を終えた。




