表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
界遊記  作者: かえで
ジョーの祖国で

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

105/256

少年の目覚め

 叩き起こされるのではなく、眠りの深淵からゆっくりと浮き上がり、自然に意識が戻った。頭が霞に包まれたまま瞼を開くと、一筋の光が脳を包み、心地よい刺激を与える。視界が戻ったその先には見慣れぬ天井があった。

 薄暗い部屋に、丸太を組み合わせて作ったと思われる天井。丸太は針葉樹を切り倒して作ったのだろうか。丸太はそれぞれが平行に並べられて組み上げられており、その端を綺麗に削り揃えてあるため、樹木の切断面が繋がり、なだらかな斜面を作り出していた。

 天井からゆっくりと斜面に沿って視線を動かすと、途中屋根の一部がくり抜かれて作られた外気取り込み用の木窓があり、それがほんのわずかに開けられている。

 四方の壁のうち、ドアがある壁以外にはそれほど大きくないガラス窓があり、その外には観音開きの木製雨戸が半端に開かれている。一番近くの窓からは、外の様子も伺えそうだ。

 霞の中にいるようなふわふわした感覚と、温かい何かに包まれた安心感とで、夢見心地で暫く様子を窺っていたが、人の気配はしない。

(滝の裏を歩いていたら、突然科学の進んだ部屋の中にいて、そこから大きなワニに食われて、川に引きずり込まれた……。変な夢だったな……)

 何となく体を起こそうとして、全身に迸る激痛に思わず体を竦める。自分の意志とは無関係に呻き声が漏れた。

 だが、その呻き声が聞こえたのか、小屋の外から人の気配が近づいてくる。

「いや……夢じゃない。どこだ、ここは。レーテは? レベセスさんは?」

 ファルガは歯を食いしばって上半身をベッドから起こした。

 次の瞬間、木造の扉が開き、一人の老人が入ってきた。

 見知らぬ老人。だが、初めて会ったにも拘わらず、どこか懐かしい笑顔。異常なほどの安堵感が彼を包む。

 だが、逆に少年ファルガはその安堵感に怖れを覚えた。

(気を抜くと骨抜きにされる……。心が警戒することを拒絶している……)

 ベッドから立ち上がろうとして、先程とは比べ物にならない程の激痛がファルガを襲う。

「……!」

 言葉にならぬ叫び声をあげたファルガを見て、老人は少し揶揄するように口を開く。

「無理をしてはいかん。君は本来、起き上がる事すら出来ない筈の重傷を負っていたのだからな」

 その言葉を鵜吞みにしたわけではないが、ファルガは改めて自分の体の状態を確認した。

 何処か欠損をしている訳ではないが、全身が痛む。特に痛いのは左腕と右足首。それでも、徐々にその痛みが溶けていく。そんな感じがした。

「そう警戒しなくてよい。何か君にどうこうするつもりなら、意識を取り戻す前に既にやっている」

 ファルガはその言葉を聞き、それもそうだと警戒を解いた。だが、この老人の持つ独特の雰囲気は、本来覚えぬほどの異常なほどの安堵感を彼に与える。逆にそれがファルガの警戒心をすんなり解くことを阻害させた。

 老人は外套を脱ぐと、入口横のコート掛けにひっかけた。外套を脱いだこの老人は、外套を羽織っていた時に比べ、ずっと若いように見えた。背こそ縮んでしまったのかもしれないが、腰も曲がっておらず、銀色となった頭髪を後ろに撫でつけたその容姿は、上品な壮年の紳士そのものだ。実年齢もそれほど高齢でもないのかもしれない。

 身に付けている衣服も、決して豪華な装飾が成されている訳ではないが、かといってボロと呼ぶには余りに上質な材料を使って作られたと思われる上着と、機能性の高そうなパンツを履いている。

 老人は、そのまま丸太小屋の奥の台所に立つと、竈の上の五徳に置かれた鍋から木のお椀に温かい汁をよそった。老人がファルガの元に持ってきたのは、温かいポタージュだった。

「少し熱いかも知れんが、ゆっくりと食べるといい」

 ファルガは礼を言うとお椀を受け取り、木のスプーンで少し掬う。

 微かに湯気が立ち昇るスープは、ファルガの目には酷く刺激的な食べ物に映った。

 一口啜る事で、ヤギの乳とトウモロコシの豊潤な香りが鼻に抜けていく。

 その風味は、身体中の痛みが引いていき、代わりに力が際限なく漲るような不思議な感覚を少年に与えた。

 同時に、彼が先程夢だと思っていた状況は、実は少年ファルガにとっては実際に起きた事であり、今自分がこの場所にいること自体が奇跡に近いことなのだということも、少年に悟らせた。

 温かいポタージュを口に運びながら、徐々に険しい表情になっていくファルガの様子に気付いた老人は、笑いながら語り掛けた。

「何があったかわからんが、今はとりあえず落ち着いてそれを食べなさい。空腹の状態で動き出してもロクな事にならん。元々は全身打撲に左腕と右足首の骨折と、結構な重傷だったが数日眠っているうちに、怪我はある程度『勇者の剣』が治療したようだ。だが、肝心の君の体力が戻っていなければどうにもならない」

 ファルガは、ポタージュを口に運ぶ手を止めた。

「貴方は、一体誰なのですか? この剣の名前を知っているなんて」

 ファルガのそんな仕草を見て、老人は表情を緩めた。そして、窓の外に視線を移すと、懐かしそうに目を細める。

「数日前の大雨の晩、一人の男性剣士が君を背負ってここに現れた時には、心底驚いたよ。私のかつての研究仲間であり、弟子であり、師匠でもある男にそっくりだったからな。持っている剣まで同じだとは恐れ入った。しかも、その剣はこの国の国宝でもあった」

 老人はそばの木造テーブルセットから椅子をベッドの傍に置き、そこに腰かけた。

「『勇者の剣』が国宝? 聖剣が国宝だったんですか? という事は、本来の所有者がこの国の王様か誰かなんですか?」

「言い方が悪かったかな。この剣は、私の友人から預かった物だ。君の父親にね」

 少年ファルガは、無言だったが、ひどく驚愕したようだった。

 自分の父親が、自分の傍にいないことは知っていた。特に知っていることを隠すわけでもないが、取り立てて育ての父であるズエブに実の父親の事を尋ねることはなかった。ズエブの事を実の親ではないという事を、ファルガが知っている事を知られることを是としなかったからなのだが、それでもどこかで実の両親の事を気にはしていたのだろう。自分の手元に何故か訪れ、そのまま居座った剣が、かつて自分の父が使っていたものだったとは因縁めいたものを感じる。それでも、今の彼は、実の両親が生きているのか死んでいるのかを進んで知ろうとはしなかった。知った所で、今の彼にとっては何も変わらない。それならば、わざわざ他にやるべきことがある時にやるべきではない。ファルガはそう考えていた。機会があれば、自然にわかるだろう、と。

 老人は、ファルガの枕元に立てかけてあった聖剣を手に取った。そして、鞘から引き抜こうとする。しかし、この老人に聖剣を抜くことはできなかった。

「この通り、我々は聖剣の所有者足りえない。ただ、私たちは君の父親から剣を預かっていただけだ。

 だが、この国の王子が、その剣を欲した。

 確かに、彼は有能だった。

 勉学に優れ、兵法にも秀で、特に剣術、格闘術は比類なき実力を誇っていた。だが、特筆すべきはその能力だった。彼は、全ての人間を魅了してしまうのだ。彼に魅了された人間は、仮に剣で首を切り落とされたとしても、幸福のままその命を終えたと言われる。実際、末期の癌で痛みに苦しみ、死の恐怖に怯えていた老婆の手を握り、語り掛けただけで、老婆は痛みを忘れ幸せそうな表情で亡くなっていったのを私も見た。

 人々は、その王子を神の化身として怖れ敬った。

 だが、それでも聖剣は彼を選ばなかった。

 国内で大罪を犯した彼は、裁判で有罪を言い渡されるも、刑の執行直前に、魅了された執行官に逃され、王城の宝物庫から剣を持ち去った。共に行動してさえいれば、いつかは聖剣に認められ、所有者になることが出来るだろうと考えたからだろうな。

 その王子がこの国に戻ったようだ。今、王都ルブザードは騒然としている」

 ファルガは空になった器を横に置き、ベッドから起き上がろうとした。ポタージュはファルガの力を取り戻させたようだ。ふらつきながらではあるが、支え無く立ち上がることが出来た。

「聖剣の力か、はたまた『あの体』の力なのか、回復が凄まじく速いな」

 老人はファルガに聞こえぬように呟くと、椅子から立ち上がり、ファルガが使っていた木のお椀を下げた。

 ファルガは聖剣を手に取り、背負うと小屋の玄関に向かって歩き出す。

「もう行くのか、少年よ。もう少し君の父親の話を聞きたかったが……」

「すみません、俺は、自分の父親の事を何も知らないのです。

 多分、貴方の方が俺の父親の事を知っている筈です。ただ、今は自分の父親がどんな人間だったか知る事よりも、先にやらなきゃいけない事があります。もし、それが終わったら、また来てお話を聞かせてくれますか?」

「もちろんだとも。君の名を教えてくれないか?」

「ファルガ……、ファルガ=ノンです」

 やはりそうか、と老人は微笑んだ。

「私の名は、テマ。近隣ではテマ爺さんとして名前が通っているよ。一応考古学者のはしくれなのだが、どちらかというと、否かの川沿いに住む偏屈な年寄り、と言った方が通りはよさそうだ」

「テマさん、助けていただきありがとうございました」

 ファルガは頭を下げた。

「いや、助けたのは私ではない。先程も言ったが、蒼い髪の男性が君を背負って、この小屋を訪れ、君を私に預けた。その後、彼は掻き消えるように姿を消したのだ。恐ろしく目付きの鋭い男で、フードを被っていたが、南国の海のような髪の色をしていた」

 青い髪の剣士。ファルガには心当たりがあった。ただ、ガガロの髪も青髪ではあったが、テマの言うような鮮やかな青……どちらかというと水色に近い髪……ではなかったはずだ。

「まさか、瞳は赤くなかったですか?」

「いや、瞳の色は覚えていないが、緋の目だったならば私も記憶に残るだろう。だが、私は会った事のない男だった」

 ファルガは、今度は『緋の目』という表現に引っかかった。『緋の目』はガイガロス人に対してしか用いられない表現だ。その表現をこの老人は使った。

 父の事と言い、ガイガロス人の事と言い、どうもこの老人は酷く自分の事を知っていそうだ。そしてどうやら、今回自分を助けてくれた人間というのは、ガガロではなさそうだ。

 本心から、この老人には色々聞いてみたい気もしたが、そもそもファルガは自分の過去を失ったわけではない。ラマ村で養父ズエブ=ゴードンという鍛冶屋の息子として育った。物心ついた時から彼は、ラマ村のファルガ=ノンだ。この老人はどちらかというと、ファルガの事というよりは、自分の生まれる前の事を知っているようだった。

 興味はある。

 自分には存在しないと思っていた両親が存在するというのだから。

 この剣のかつての所有者が、自分の本当の父親だという事がわかった。その父親が、剣をこのテマという老人に預けた。そして、どこかに姿を消した。どこに。何の為に。なぜ自分を置いていったのか。

 疑問は湧き出る。

 とはいえ、長居はできない。一刻も早くレーテとレベセスの元に戻らなければ。

「これから、どこに向かうのかな?」

 ファルガは、テマによって洗濯されたと思われる装束に袖を通しながら、カタラット国に戻るのだと答えたが、ここで初めてテマの表情から笑みが消えた。

「な……何? カタラット国だと? カタラット国といえば、このディカイドウ大陸の最南端の国家だぞ。同じ大陸とはいえ、このジョウノ=ソウ国から最も遠い地点にある。陸路なら何十日もかけて山脈も越えねばならん。しかも、まだ街道が整備されていないから、陸路は遭難してくれと言わんばかりの森林を何日間もかけて切り開き、横断することになる。

 船なら、数日後にカタラットに行く便が出るから、それに乗っていけば、一か月ほどでカタラットには入れるだろう。だが、それでは君のいう『やらなければならない事』に間に合わない。君はいったいどういうルートでカタラットからジョウノ=ソウに来たのだ?」

 このテマという男は、言葉上では非常に困っているように見えた。それでも、老人テマの表情は、何故か酷く生き生きしてきたようにファルガには感じられた。

 学者たるもの、事象の説明できない事は苦痛でしかない。新しい理論の構築はその苦痛や違和感から逃れる為にするのだと、テマの弟子であり、ファルガの父は言ったとされる。

 だが、その理論の構築の最中というのは、また限りない快楽でもあるらしい。

 理論で説明できぬサンプルが、また眼前に現れたのだ。学者であるテマにとって、これほど刺激的なサンプルも無いだろう。

 ファルガという少年は、物理的に不可能な時間でカタラットからジョウノ=ソウ国にまで移動をしているという事実。通常であれば考えられない程のミステリーだ。

 恐ろしいほどの速度での移動方法、或いは思いもよらぬようなルートでの移動方法があるのだろう。この少年ファルガの全身打撲と数か所の骨折という重傷がそれを物語る。だが、それでも移動は可能なのだ。

 テマという老人の一種狂気にも似た表情が、自分の感じたテマに対する危機感なのだと、この時ファルガは察した。

「お、お世話になりました!」

 ファルガは背に聖剣を背負うと、逃げるように扉から外に出た。

 眼前に飛び込んできた景色に、ファルガは思わず足を止め、息を飲んだ。

 テマの住む丸太小屋は、少し高台に建てられていた。

 丸太小屋から少し離れた所で、右手から左手に掛けて黒い川が流れる。黒いといっても、水が実際黒いわけではなく、水深が深いからそう見えるのだろう。小屋の位置からはかなり離れているようだが、それでも緩い勾配を下っていくと数分で川の袂に到達しそうだ。その距離から考えても、川は割と太く、流れも速いようだ。流石にディカイドウ大河川とは比較にならないのだろうが。むしろ、初見であれを川だと分かった人間がいたとするなら、その方がおかしい。

 川のさらに奥から右手にかけて、巨大な山脈が広がる。少し肌寒い空気の様子から、今の時期は秋の終わりだと思われるが、針葉樹の大森林は常緑樹で構成されており、森の色から季節を知る事は困難だった。そして、その山脈の頂上付近は万年雪に覆われている。上空には何羽かの猛禽が旋回していた。尾根はまるで鋸の歯の様に連なり、ファルガの後方、更に小屋の向こう側にまで広がっていた。

「……歩いていくのはあの雪山を超えなきゃいけないのか。やはり船しかないのか」

 ファルガを見送るために小屋から出てきたテマも、ファルガの考えに賛同した。

「君がその剣を第何段階まで使いこなせるかはわからんが、移動に聖剣の力を使うのは良くないな。まだ体も完治していない以上、負担が大きすぎるだろう。速く移動したい気持ちはわからんでもないが」

「そうですね。そうすることにしますよ」

「川に沿って歩くと、一日ほどで街道に出る。この街道を、川を右手に見ながら降りると帝都ルブザードが見えてくるはずだ。そこでカタラット行の船を探すといい」

 ファルガははっと気づき、装束の太腿部分をまさぐるが、やはり、貨幣の入った袋はない。だが、よく考えてみれば、ジョウノ=ソウ国でカタラットの金が使える筈もない。

「二日分の干し肉と水だ。川の水は非常に硬い。ディカイドウ大陸を山脈から延々と流れてきているからな。飲めなくはないが、余り大量摂取には向かん。その水は沸騰させてあるので、大分柔らかくなっている」

 ファルガは礼を言って受け取ると、干し肉の袋を腰回りにぶら下げた。

 金は、道中で金になりそうなものを探して、街で売って作るしかないだろう。こういう時は、ラマでの生活が本当に役に立つ。木の実を集めたり、木材を加工したり、様々な物をお金に変える手段を、習うよりは慣れるといった風に、ラマ村の子供たちにとっては遊びの様に行われ、その技術を習得していたからだ。そして、その発表の場こそが『お上り』だったのだ。

 彼が選択した海路というルート。そのルートをとる為には、定期船に乗るために、首都ルブザードに歩みを向けねばならない。だが、ルブザードに到着することで、結果的にファルガの旅の一つが終わりを告げる事を、ファルガはまだ知らない。

新章スタートします。書き溜めが徐々に無くなってきていますが、何とかペースは落とさないように頑張ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ