彼岸過ぎまで。 1
季節ネタを書いてみました。
暑さ寒さも彼岸まで。
そう言われていたのは、地球温暖化のなかった、もしくは穏やかだった遠い過去の事だろう。
日中陽炎が立つような暑さであっても、陽が陰るころには空がふっと暗くなり、ざぁっと夕立が大地を洗って。
ほんの一時ふった後はからりと晴れ上がり、ひぐらしが鳴きはじめると涼しい風を恵んでくれたのは、わたしが小学生の頃までであったか。
夕立の言葉はゲリラ豪雨にとって代わられて久しい。
「猛暑」が当たり前になってからも。
皆さまこんにちは。暑いですね。越谷優29歳。
いま、真夏の陽に焙られながら異世界の、魔導の便利さをしみじみ実感しております。
「…優くん大丈夫かいな。なんや顔赤いで。死んだ魚みたいな目ェになっとるし……」
「あ~いえ。お気づかいなく。魔導の便利さに怠けて、身体を暑さに慣れさせてなかっただけなんで」
心配そうに顔を覗き込んできた阪本先輩に軽く手を振って答えはするものの、自分の声の元気のなさが恨めしい。
ふふっ。まさかこのわたしが、駅をでて十分少々歩いただけでここまでへばるとは、一体誰が想像したろう。
うわ~完璧脚が鈍っている。暑さのせいだけでなく、身体が重い。しかも最近自分の筋力だけで物持つことなんかなかったから、ほんの数日分の着替えを詰め込んだ鞄が重く感じる。
えぇいっなんたる体たらくよ!
「せやなぁ。サカスタンも夏はそれなりに暑いけど、魔導使えば常に適温保てるもんなぁ。しかもクーラーと違て、持ち運べるっちゅうか、自分の周りに展開でけるもんな」
「そうなんですよ、家の中では素敵執事のセバスチャンや可愛いアヌー達が常に適温にしてくれますし、外でる時無意識にはっている結界内は同じく適温ですからね。最近では汗かくの、お風呂に入った時くらいでしょうか」
「……無意識て……。無意識にあんな強力な結界張れるンは優くんくらいやから」
「そうですかね? すくなくともルーカスさんは出来るんじゃないですか?」
「あん人は無意識に魔導を発動させるなんてことないやろ。……優くんがらみ以外では」
先輩の最後の呟きは小さくて良く聴こえなかったが、暑さで脚が止まりそうなわたしは訊き返す気力もない。
あぁ我が家が遠い。バスの待ち時間考えたら、歩いた方が早いなんて思った少し前のわたしを殴りたい。
いやでも異世界で暮らすまでは、こんな距離も荷物の重さも……。
「ちょっとそこらの茶店で休もか? 取りあえず荷物かしぃな」
紳士だ……紳士がここにいる………!
自分だって大きめのスポーツバックとお土産の入った大きめの紙袋を抱えているのに、片手でひょいとわたしの荷物を持ち上げた先輩を、思わず拝んでしまった。
「優くんに拝まれるって、なんや怖いわ」
その発言も、今なら許しましょう。
「は~ホントに日本の夏の暑さ、忘れていましたよ。って言うか先輩は元気ですね」
喫茶店で小休止するかわりに自動販売機でスポーツドリンクを購入し、一息ついたわたくしです。
あ~自販機を見ると、日本に帰ってきたなって気がする。異世界はもちろん、海外にもほとんどないからね。
「いや暑いンは暑いで? でもうっとこの田舎は、ここよりもっと暑いねん。まぁ海が近いんで風がよう吹くし、湿度はそんなないけど。それに俺、夏生まれで暑さに元々強いねん」
「……荷物持ってもらっている分際で言う事じゃないですが、ドヤ顔うざいです」
500+50mlのスポーツドリンクを飲み干して、ぼそりと一言。
暑さというのは人間を駄目にするのですよ。先輩に対する敬意など、この陽炎の前では塵にひとしい。
「……あ~なんや、その。優くん家はまだ遠いんやったっけ? こっちでは魔導は使えへんし、どうせやったら家の近くに扉つなげれば、良かったんちゃう?」
わたしの苛立ちを察知したのか、微妙に視線をそらせて阪本先輩が言う。
「いや今回はちょっと駅で買い物したかったんで。それに、こちらではお便利な魔導や素敵執事さまに頼るわけにはいきませんが」
そう。銀色の執事様は、こちらでは元のスマホに戻ってしまうのだ。哀しい事に。
「それなら、別の便利なものを使えばいいんです!」
わたしは高らかにそう宣言すると、右手をあげてタクシーを止めた。
******
「はぁ~ただいま~」
いつもの四辻でタクシーを降りたら、徒歩30秒で我が家です。
あ、我が家というか実家ですね。
「……? 阪本先輩、なんで突っ立っているんですか。暑いですから中へどうぞ?」
自分の鍵で玄関を開けて振り返ると、何故か阪本先輩が門扉の所で立ち止まっていた。
首を右側に傾げて周りを見渡しておられるようですが、そこにあるのは父さまが自分で彫ってつくった表札と、緑の手の持ち主である母様が切り花から育てた薔薇の生け垣くらいですよ?
ちなみにその切り花の薔薇、わたしが中学一年生の時に母の日にあげたものです。
いや~350円の見切り品がこんな立派な生け垣になるなんて。案外異世界に行ったらば、母様はわたしよりすごい魔導を駆使しそうですね!
「あ……いや、なんやろ。想像してた『優くんの実家』と違てたゆうか……ほならどんなの想像してた言われてもこまるけど……でも薔薇の生け垣て!」
おやおやおや。こちらが突っ込む暇もないくらいに、一人ぼやき突っ込みされていますねぇ。
阪本先輩の黄金の右手が振るわれるの、久しぶりに見ましたよ。
「何に衝撃を受けられているか知りませんけど。薔薇は母上の趣味であって、わたしのではありません。大体玄関くらいで驚いていたら、この家では持ちません---あぁほら言ってる傍から」
「…うぉ、なんや!」
おぉ。さすが先輩。「黒の錬金術師」の名は伊達ではなく。
我が家の番犬レイモンド(雌、5歳)の必殺の突撃をひらりとかわせたのは、日頃魔獣と闘っておられるからですね!
「はいはいレイモンド、そこまでにしよう」
番犬の務めを果たそうと、阪本先輩に飛びかかろうとする愛犬を押さえる。
ま、飛びかかると言っても父さまのお仕込みが効いているので、いきなり噛みつく等はしません。頭突きです。
ただ雑種であっても猟犬の血が濃いのか、大型のレイモンドの頭突きは結構痛いんですがね。
っていうか、久々の帰省だからって、拗ねてわたしにまで頭突き食らわせるのってどうよ!?
目標を先輩からわたしにかえて頭突きを繰り出す愛犬と、それをかわしつつ叱るわたし。犬を止めるべきか迷った結果傍観することになった先輩。
騒ぎを聞きつけたのか家の中から猫達まで飛び出してきて、ブニャブニャワンワンと大騒ぎな状況を止めたのは――――――。
「―――レイちゃん、駄目ですよ。それから優、お帰り。お友達の―――阪本さん。初めまして、いらっしゃい」
我が家の最高権力者、お母さまでございます。
さらりと書くつもりが少々長くなりそうで。
お盆明けまでに終えたい。