Halt
「クロエ君」
声に振り返ると、男が一人立っていた。
少し長めの黒い髪。
背が高く細身な体格。
女顔の容姿端麗な彼は間違いなく、主君ともいうべき上司――イリガル政府軍長の、セア=ラルクだった。
ハッと我に返り、軽く会釈をすると、「よせよ、堅苦しい」と困ったような笑顔を向けられた。どうしたらいいのか分からなくなり、思わず赤くなった顔を下に向ける。ふふふ、と彼らしい穏やかな笑い声が聞こえ、余計に顔が熱くなった。
からかうのは、やめてほしい。ただでさえ、緊張するのに。
しばらくうつむいていると、セアは足を進めて悲惨な現場を捜索し始めた。その光景を見つめていると、手にしたスマートフォンから僅かに声がするのに気付いた。
「はい」
『緊急なら電話を手放すな! セアはいるのか?』
電話先の声は政府長のものだった。怒鳴られたことで罪悪感を覚えるも、あくまで平静を装った。
「申し訳ありません。……現場をご覧になっています」
『ちょっと、代わってくれ』
一時会話を中断し、セアにその旨を伝えると「ちょーっとまって―……」と、心ここにあらずな返事が返ってきた。
一通り現場を見終わったセアは、かがめていた腰を伸ばして僅かに唸り、電話を受け取った。
「とりあえずさっさと探さないとまずい」
セアは、テレビならモザイク加工では済まないレベルだな、なんて思いながら、横目で人間の欠片を見やった。
よくもまあ、こんなことができるもんだ。加害者が、人間ならばの話だが。
『うちの管轄か?』
「いや、俺らの、だね」
『よっしゃ』
あっ、と「しまった」というような声が聞こえた。ふざけるなよ、サボり天パめ。
「言っとくけどあんた自分の仕事じゃないからって職務放棄していい理由にはならないんだからねわかってる!? それにそもそも仮にも部下が命がけで働こうって時によくそんな歓喜の声が上がるよね、ホント人としての性質を疑うよ。それにさぁ……」
『分かった、分かったよ。お前もそんな小姑みたいなことやーやー言うなよな。知ってるか? 人は怒られるとやる気が格段に下が……』
「言わなかったらあんた年中冬眠してるだろ、このサボり天パ!!!」
『ちょっ、おまっ、誰に向かってそんな』
ブチッ
しばらくの沈黙。
セアはやけに「サボり天パ」の部分に力を入れて容赦なく電話を切った。おそらく、いや、確実に、仮にもイリガルのトップに向かってあんな口をきけるのは、彼だけである。
「ありがとう」
容赦なく不満を言い放ったセアは、スポーツをした後のようなすがすがしさだった。なんと返していいのか分からず、「どうも……」と両手でスマートフォンを受け取った。
「とりあえず」
セアは今度は自身のスマホを取り出した。何やら操作した後、目線を日の昇り始めた空へ送り、それを耳に押し当てた。
何とも言い難い、いやな感じのする朝日だった。
「これの処理を、頼まなきゃね」
その後、犯人を捜すから、とクロエに指示を出したセアは、クロエとは反対方向に歩きながら話し始めた。
犯人の目星はついている。見つけるのは骨の折れる作業になりそうだが。
それよりもクロエは、この二人の犠牲者の死を、どういう口実で処理するのかの方が気がかりだった。