第8話 奈菜実とこれから
ぼくが家に帰り着いて。
ここで不思議なことが起こっていた。
ぼくの部屋にあったはずの『銀色の翼に乗って君のもとへ 3』のゲームが跡形もなく消えてしまっていた。
ぼくと姉貴が家中を探したが、結局何処にも見つけることができなかった。
「……『銀君』のほかのシリーズは全部あるのに、『3』だけがないなんて……」
ここは台所の、普段食事をするテーブル。
ぼくと姉貴はいつも使う、向かい合ったそれぞれの指定席に座り、『3』だけがないこのゲームのほかのシリーズを前に難しい顔をしていた。
でも、あれ『銀君』って略されてるんだ……なんだそれ?って感じだな。
「やっぱ、あのゲームとこの世界とは絶対何か関係があるんだよ」
「私たちが、『銀君3』の世界に入り込んでしまった。ということなのかしら。
……変なこと考えなきゃよかった……」
「お姉ちゃん、今なんて言った?」
姉貴が変なことを口走ったことを、ぼくは聞き逃さなかった。
このあとぼくが問い詰めると、どうもこんなゲームに毒されていた姉貴は、『銀君3』の世界のようにぼくの友達を唆して、リアル乙女ゲームの展開のように劇的な恋愛をさせてやろうと、余計なお世話を考えていたらしい。
本当に余計なお世話だ。
まぁ。それがこの世界に入り込んだきっかけとはぼくも思ってない。
腹はたつけど、今は姉貴を怒っても仕方ない。
なんとかこの世界から出る方法を考えないと。
「前、姉貴がweb小説でこんな話が今は流行ってるんだって教えてくれた展開そっくりになったね……」
これはぼくの嫌味。これぐらいは言わせてくれ。
「……本当にごめんなさい。
こんなことが現実に起こるなんて考えてもみなかった」
姉貴は顔を俯けて小さなため息をついている。
これを機会に少しは――ううん。大いに反省してくれ。
「謝ることじゃないけど。これで『銀君3』のことについて知っているのは、お姉ちゃんだけになっちゃったね」
「……そうね。そうだわ」
ぼくの話に、思い出したように姉貴は顔を上げて何度も頷いた。
一番頼りにしたい人が、実は一番頼りないという事実。
「ぼくは一学期の最後までプレイしなかった。
お姉ちゃんはどこまでやったの?」
ここはその『銀色の翼に乗って君のもとへ 3』のゲームの内容をちゃんと把握しないといけない。
「隅々までやってるわ。
一学期までの攻略キャラは五人いたのは知ってるでしょ?」
姉貴はとんでもないことを言い出した。どう言う意味?
「……は?あれ、一学期の攻略キャラなの?」
修平たちによく似た五人のキャラたちだ。
「そうよ。一学期の終わり頃からあと二人……ううん。女の子が二人入って、鈴那ちゃんも加わって全部で五人、攻略可能キャラが増えるの。
中には二学期の中盤から加わるキャラもいるから、時間がなくて攻略が大変なのよ」
「……女子も攻略可能になるの?」
まずぼくが訊きたいのはその点だ。何?なんで女子も入るの?
「『銀君3』の主人公である『柏葉紅』ちゃんはイケメン女子だから、彼女に憧れる女子は多いのよ。その中でも、親友の鈴那ちゃんと、あと二年生から二人攻略可能で増えるの。
名前は『水田唯』ちゃんと『棚橋瑞羽』ちゃんね。
たしか七月ごろに出てくるキャラだわ」
ぼくは朝以上の激しい眩暈に襲われそうになった。何、それ?
「でもね。女の子とのハッピーエンドは「ずっと二人で仲良く過ごしましょうね」っていうソフトな感じで終わるのよ」
「……お姉ちゃん。さっき話したよね……『須藤鈴那』はすでに出てきてるんだって」
「そうねぇ」
姉貴。もう少し困った顔してよ。何、その苦笑い止まりは?
「かっくんの話だと、修平くんが紅ちゃんの幼馴染の『柴田有貴』くんに当たる役。
高梨久遠くんがクラス一のイケメン『一本槍蒼麻』くんかぁ。
あとは蒼麻くんの親友の『松村輝』くんに笹井右京くんという子で。
岬ちゃんには『神楽ひかる』ちゃんね。
紅ちゃんのクラスの担任が『金谷広海』先生……本当は数学の先生なんだけど、私が連絡を受けたとき、奥谷先生が三年一組の担任って言ってらしたし。
確かにゲームの中の世界と私たちの住んでいた世界のことが、ごっちゃになってしまっているみたいだわ。
紅ちゃんと有貴くんの家も隣同士で、二人は窓から行き来していたんだもの」
もう眩暈どころじゃない。頭が痛い……。
ツッコミを入れる気力もない。
「さてと。これからどうしましょう?」
まるで興味のないかのような、姉貴の声。
ううん。これがこの人の困った声なんだ。普段はこうのんびりとしていて、困ってるんだかそうじゃないんだかわからないような人なのに。
こういう乙ゲーとかBL系のことになると、いつもの姉貴じゃ考えられないような肉食獣のような鋭い嗅覚と俊敏な動きで見逃さない。普段からそうならいいのになぁ……。
でもさすがにこういう状況になったら、リアル乙女ゲーを望んだ姉貴でもそうはいかないらしい。
「午前中は買い物に行ったんでしょ?どうだった?」
「うん。修平くんの家が隣にあるぐらいで、ほかは特に変化は今のところ」
「……そうか」
ぼくの周りが一番変化してるってことなんだろうな……。
まさに『銀君3』の世界のごとく。
「でもさ。その『銀君3』のイベントとかエピソードとか、この世界でも同じように起きるのかな?」
「これが私の読んでるような小説とかなら、その世界に転生しちゃった主人公が、そのイベントをどうするかっていうことが面白かったりするんだけど。
まったくその通りに起きるのかどうなのかも……」
「ねぇ、お姉ちゃん。わかる限りでいいから、ゲームに起こるイベントとかの予定を書き出してくれない?
ダメだとは思うけど、ぼくはネットで『銀君』のことを調べてみるよ」
「……うん、それはいい考えだわ。さすが、かっくん!!」
こんなこと普通なんだけど。
少しでも姉貴がやる気になってくれれば、いいか。
ぼくたちも何もしないわけにはいかない。出来ることはやらないと。
淡い期待でも、何か手がかりがあるかもしれないから……。
◆◆◆
姉貴は膨大なイベントの内容を全て記憶していたみたいだ。
本当に感心する。
ぼくはその一覧を見て――大きなため息をついた。
で、ぼくの方の収穫はゼロ。まったくなかった。
というよりも、『銀君』というゲーム自体がこの世界に存在していない。
だからネットでいくら調べても、ひっかかるはずもない。
わかったのはそれだけ。
設定だけはぼくたちの世界のことにして、この世界そのものが『銀君3』の世界そのものなんだろう。
気がついてみれば、もう午後の二時を回ってる。
「おなか空いちゃったわね。遅くなったけど、お昼にしようか」
「……そうだね」
ぼくはあまり食欲がないけど。
ここで落ち込んでいても仕方がない。どうにかしないといけないんだし。
近くにこうして姉貴がいてくれるのも、ぼくにとっては心強い。
「ねぇ、かっくん」
「何?」
冷蔵庫を開けながら、姉貴がぼくの名前を呼んだ。
「今は焦らないで、少しこの世界で様子を見ない?
お姉ちゃんがこのゲームが好きだからというんじゃないの。
焦っても何も変わらないときは、じっくり腰を据えてチャンスが来るのを待ってもいいと思うのよ」
「……うん。そうだね」
「そうでしょ?だからもう少し様子を見ましょう」
「そうする……」
ぼくが焦っているように見えていたんだろう。
姉貴がぼくを元気つけるように言ってくれたんだと思う。
頼りないように感じても。やっぱ、姉貴は姉貴だった。
ぼくも何とか頑張る気持ちになってきたよ……お姉ちゃん。
◆◆◆
夜に一度、修平にメール。
その前に、久遠や右京……岬。いつの間にやら鈴那。
ほかのクラスの連中からもメールが来てた。
それをすべて返信してから、落ち着いて修平にメールをした。
あいつからも「ゆっくり休め」とだけ、顔文字を使わないあいつらしいメールが届いてた。
ぼくがメールを返したあと、隣同士という側の窓を覗いてみる。
そしたらあいつも覗いてた。
でもぼくに気を使って、そのときは窓を開けずに口だけ「おやすみ」と動いてるのがわかった。ぼくは笑いながら、頷いて「ありがとう。おやすみ」と言ってみたけど。
あいつわかったのかな?でも見たら笑って頷いてたから。
なんか隣同士というのも――少しいいかな?なんて思った。
明日は土曜日。
姉貴とこの周辺を回って、色々と調べてみることにしてる。
そして問題は日曜日。
もとの世界で約束した、久遠たちがぼくの家に来る日。そういうことは継続してこの世界にも受け継がれてる。
鈴那のメールで、「日曜日に元気な顔を見せてね」と書いて来た。
岬のメールでそれを確認したら、来るのは全部で五人になっている。
そしてそれは『銀君3』のゲームにはないエピソードになる。のかな?
――何が起こるのか。
ぼくの考えすぎかもしれないけど、少しも油断はできない。
肩に力が入ってる……ぼくは肩の力を抜きながら、大きく息を吐き出した。
焦ってもしかたない。
ここは様子をみるんだと、自分に言い聞かせて。




