その56
夕陽で真っ赤にそまる川原にすでにジェシカはいなかった。
俺はガックリと肩を落とした。
「おっぱいいっぱいおっぱいいっぱいおっぱいいっぱい……」
川の近くから奇妙な声が聞こえた。
俺は不思議に思いその声がする方に向かった。
するとそこにはとても幸せそうな顔で鼻血を出して倒れている老紳士の姿があった。
「大丈夫でずか!?」
「おっぱいいっぱいおっぱいいっぱいおっぱいいっぱい……」
どうやら大丈夫ではないらしい。
とりあえず、このまま放置しておくわけにもいかない。
どうしよう?
「おーい、太志ー。こんなとこでー何やってんの?」
俺が困っていると、丁度よいタイミングで高志がやってきた。
「高志、これをみてくれ……」
「おっぱいいっぱいおっぱいいっぱいおっぱいいっぱい……」
「これはー酷いねー」
「おっぱいいっぱいおっぱいいっぱいおっぱいいっぱい……」
「ほんと、惜しい人を亡くしたよ」
「おっぱいいっぱいおっぱいいっぱいおっぱいいっぱい……」
「冗談はいいからー。とりあえずこの人をどこか安全な場所に移動してあげようよー」
俺と高志は協力して老紳士を学校の保健室へと連れて行った。
とりあえず病院より学校のほうが近い。
それに、こんな「おっぱい」と連呼している老紳士を病院に連れて行ったところで、追い返されるか精神科を紹介されてしまうことになるだろう。
保健室に着いた俺と高志はベッドに老紳士を置いて、一息ついた。
この老紳士、意外に重い。
よく見るとかなり筋肉質だ。きっと友子を守るために普段から体を鍛えているのだろう。
こんなに強そうな老紳士がなぜこんな状態に……
「おー。神原、細山。お前達何やってんだ?」
保健室には高橋先生がやってきた。
「先生こそ何やっでんでずか?」
俺は冷たい態度で高橋先生にたずね返した。
ここ最近、高橋先生の良くない噂を耳にしていたからだ。
どうやら、キャバクラに通っていて酒に女にタバコに溺れているらしい。
朝方、道路のゴミステーションで寝ているところを目撃した人もいるという。とにかく、ここ最近の高橋先生の生活はかなり荒れているようだった。
俺はあらためて高橋先生に『だめ教師』という烙印を心の中で押していた。
「ちょっと体育の授業で怪我してな」
高橋先生はそう言うと椅子に座った。
「……はっ!! お嬢様!! 友子お嬢様は!?」
高橋先生が椅子に座ってすぐ、老紳士は目を覚ました。
「大丈夫ですか? 何があったんですか?」
俺の質問を余所に、老紳士はとても素早い動きで電話をかけた。
「もしもし、緊急事態だ。友子お嬢様が誘拐された。すまん、ワシが付いていながら……。とにかくすぐに友子お嬢様の居場所を突き止めてくれ。犯人の特徴? 犯人は……おっぱい? ……くそ!! おっぱいしか思い出せない!! とにかく、頼んだぞ。分かりしだい早急に連絡してくれ!!」
携帯の電源を切った老紳士は深いため息をついた。
「あのー……友子が誘拐されたって本当ですか?」
俺は恐る恐る尋ねた。
「あぁ、神原さん。あなたが私をここまで運んでくれたのですね? ありがとう。……友子お嬢様が誘拐されたというのは本当です。つい先ほどの出来事です。私は、自分が情けない。齢70にもなってまだ、おっぱいなどという低俗なものに負けてしまうとは……」
老紳士はさらに肩を落として深いため息をついた。
「おっぱいの力はすごいですからね」
高橋先生がわけのわからない相槌を入れた。
「みなさん。私のことを介抱していただきありがとうございました。私は、おっぱいに打ち勝つために今すぐ修行に向かいます。それでは」
そう言うと、老紳士はスッと立ち上がり、保健室から出ようとした。
「待ってください。私もおっぱいを克服したいです。ついでに酒とタバコもやめたい! 私もその修行とやらに参加させてください」
高橋先生が老紳士の背中に向かって中途半端な覚悟で言った。
「おでも、友子をだずげたい!! 俺も連れでってくだざい!!」
「僕も、お願いします」
高橋先生に続いて俺と高志も覚悟を決めた。
「……みなさんのお気持ち、よくわかりました。非常に辛い修行になります。本当に大丈夫ですか」
俺と高志は力強く頷いた。高橋先生は軽く頷いた。
「わかりました。みなさんも付いてきてください。人数は多いほうが友子お嬢様を助けられる確立もあがるでしょう。そうだ、まだ自己紹介していませんでしたね。私の名前は室松真一と申します。学校の教員、生徒の顔と名前は全て把握していますので皆さんの自己紹介はいりません。さぁ、急ぎましょう」
こうして、俺と高志と高橋先生は老紳士が運転するリムジンに乗り込み、修行を行う場所へと向かった。
明日は文化祭の日。
こんなことをしていて、逆上がりは大丈夫だろうか? そんな考えが過ぎった。
でも、逆上がりより、友子の方が大切だ。
俺はそう割り切り、とりあえず気持ちに整理をつけた。