その37
「さて、どんな手紙を書こうか……」
友子からアドバイスを貰った夜中、俺は机に向かいながら必至で頭を抱えて文章を考えた。
『拝啓、ジェシカ様。残暑の厳しいお日柄ですがお体のほうは大丈夫でしょうか? 貴君の細くて長い手足を見ると一転びしただけで折れてしまうのではないかと不安で夜も眠れません。私の手足はとても太くて短いので貴君の長い手足を羨ましく思います。いや、羨ましさを通り越して妬みすら感じます。てめぇ、ちょっとくらい背が高いからって俺のこと見下してんじゃねぇぞ!! ちょっとくらい痩せているからって俺のぜい肉を……』
何故だ? とりあえずジェシカの体を気遣い、自然に謝罪の話しにもっていこうと思ったのに途中から喧嘩腰になっている。
これではいかん。それに全体的に固い。もっとやわらかい文章にしよう、そう思った俺は紙をクチャクチャにして新しい便箋を取り出した。
『やあ、ジェシカ。元気? 俺は元気だぜ。ところでジェシカはトマト好きか? 俺は大好きだぜ! リコピンがたくさん入っているらしいぜ。ところでリコピンって何? なんかよくわからないけどとってもいい響きだよな。俺は好きだぜ。ピーマンも好きだぜ。ニンジンも、玉ねぎも、ジャガイモも、あとは肉とカレー粉があれば……』
何故だ? 当たり障りのない話題から謝罪の話しにもっていこうと思ったのに途中から俺の食に対する気持ちがメインになっている。
しかも、何故かカレーを作ろうとしているでわないか!!
これではだめだ。
俺は本当に最低なことをしたとちゃんと反省が伝わる文章にしよう。
『こんにちは。ジェシカ、俺は本当に最低な人間だ。ジェシカの気持ちも考えないで、本当に最低だと思う。あえて死語を使わせてもらうなら俺はチョーベリーバッドだ。略してチョベリバだ。それにとても太っている。これは俺が自己管理の出来ないだめ人間であるなによりの証拠だ。まともな人間だったらここまで太らない。ここまで太れるのは力士か病人か怠け者くらいだろう。それに身長も低いし、鼻が詰まっているし、言葉が濁っていて聞き取りづらいし、性格も良くないし、頭も良くないし、鼻毛出ているし、常に逃げ腰だし……』
何故だ? 俺がジェシカにしてしまった最低な行為を謝罪するはずが、途中から俺は最低な人間だという話に置き換わっている。
次から次へと俺の悪いところが出てくる。
しかも止まる気配がない。
俺の右腕は依然として俺のダメな所を書き続けている。
ここでやめないと俺の心が折れてしまう。
とにかく次の手紙に取り掛かろう……
こんな感じで俺は一晩中手紙を書き続けた。しかし、これだ! という手紙は一つも書けなかった。
「あ……」
翌朝、学校の玄関で高志とばったり会った。
俺はなんだか気まずい雰囲気にいたたまれなくなった。
―――いつもどおり笑顔で話しかければその方ともう一度親友の仲に戻れると思いますよ
友子の言葉を思い出した俺はとても不細工な笑顔で「よう、久し振り」と、高志に話しかけた。
俺は高志に無視されるのではないかと思い、内心とても恐怖していた。
「おう、久し振りー!そうだ太志ー、今度の定例会いつにするー? このまえ発売したエロゲー『ハラハラ!! ドキドキ!? そのハラドキはほんとに恋?』について語り合いたいんだけどー。お前もうクリアしたー?」
俺はあまりにも高志が普通に話しかけてきたので、思わずキョトンとしてしまった。
「……怒ってないのか? 俺のこと嫌いになったんじゃないのか? 俺のこと最低だって……」
「あぁ、なにー? そんなこと気にしていたのー? 太志は俺に何もしてないんだから怒るわけがないじゃんー。確かにお前は最低なことをジェシカさんにしたけどー、お前は最低な人間なんかじゃないよー。どんなにいい人でも時には過ちを犯す事だってあるさー。お前はいいやつだよー。俺が保障するー」
友子の言ったと通りになった。
高志は俺のことを嫌いになんかなっていなかった。
俺は正直泣きたいくらい嬉しかった。
「ところでー太志、ちゃんとージェシカさんに謝ったのかー?」
「それがさぁ、なかなか言い出せなくて……。ジェシカおでのこと避けているみたいだし」
「ちゃんと謝れよー」
「そうだ、実は今ジェシカに謝罪の手紙を書こうと思っているんだけどさ、なかなかうまく書けないんだよね。ちょっと見てくれる?」
俺は昨日書き損じた数枚の手紙を鞄から取り出して高志に見せ、アドバイスを仰いだ。
「……酷いねー」
「そうだろ? おでも自分で書いて酷いと思ったもん」
「とりあえずさー謝罪の言葉を書いたら? どの手紙にも謝罪の言葉が一つも書いてないんだよね」
……なんですと?
確かに、読み返してみると肝心の謝罪文が一つも書かれていない。余計なことばかりが書かれている。
何故だ? 俺はジェシカに謝りたくないのか? いや、しかし謝罪の気持ちはちゃんと俺の胸の内に存在する、これは確かだ。
だとしたらなんで謝罪の気持ちをジェシカに伝えたくないんだ?
「まぁ、とりあえずー手紙でも何でもいいからちゃんと謝れよー。それじゃ、またなー。今度の定例会楽しみにしているぞー」
自問自答をして悩む俺をよそに、高志は自分の教室へと一足先に向かった。
「太志さん。この手紙、謝罪の言葉が一つも書いてありませんよ」
昼休みの屋上、今日の空にはくっきりとして厚みのある個性豊かな雲達が悠々と泳いでいた。
「やっぱりそうか」
俺は友子が高志と同じ事を言ったので再び自問自答を始めた。
なんで俺はジェシカに謝りたくないのだろう?
「太志さんは、きっと、ジェシカさんのことを大切に思っているんですね」
友子はフクフクと笑いながら、わけのわからないことをソフトクリーム型の雲に向かって言った。
「……どういうごど?」
俺には友子の言わんとすることがわからなかった。
「大切だから怖いんです。ちゃんと気持ちが伝わるのかなぁ? もしかしたらもっと傷つけてしまうんじゃないだろうか? もしちゃんと自分の気持ちが伝わらなかったら、この大切な気持ちは行き場を失って迷子になっちゃう。それが怖いんです。私も最近そう思うことがありました。私が絵本作家になりたいとお父様に言って、ちゃんとその気持ちが伝わらなかったら……今までの私とお父様との大切な関係が壊れてしまうのではないかと思って、とても怖かったんです」
友子はいつも俺にとても素敵な言葉をくれる。
そうだ! そうなのだ。
俺は怖かったんだ。
謝ることでジェシカと俺の関係が、大切な関係がバベルの塔のようにもろく崩れ去ってしまうのではないかと、怖がっていたんだ。
「でも私思うんです。たとえちゃんと伝わらなくても、いえ、ちゃんと伝わるまで、思いは伝え続けるべきだと。迷子になるかもしれない、もしかしたら大切な思いを踏みにじられるかもしれない。それでも、胸の内にずっと閉じ込めて賞味期限が過ぎるのを待つよりはいいと思うんです。大切な思いが腐っていくのを黙って見ているよりはいいと思うんです」
友子の素敵な思いは確かに俺に伝わった。
俺は友子と友達になれて本当によかったと思った。
もう一度、自分の気持ちと向き合おう。
もう一度、手紙を書こう。
俺は空に浮かぶ入道雲に向かって決意した。
『ジェシカ、こんにちは。俺はジェシカに伝えたいことがたくさんあります。本当は直接会って声にして伝えたいけど、無理やり聞かせても意味はないし、俺にはその資格はないと思うから、手紙で書きます。無理に読まなくてもいいです。気が向いたら読んでください。
まず、ありがとう。俺が行方不明になったとき、探してくれたこと高志から聞きました。ジェシカが俺を探してくれたと知ったとき、とても嬉しかった。あと、授業ノートもありがとう。ジェシカの綺麗な字のおかげで助かりました。
そんなジェシカに俺は、とても酷いことを言いました。ジェシカの気持ちを踏みにじる、最低なことを言いました。もし、時をさかのぼることができるのなら、あのときの自分に平手打ちをくらわせてやりたい気分です。本当に反省しています。もし、ジェシカがチャンスをくれるのなら、直接会って『ごめん』、と言いたいです。今日の放課後屋上で待っています。もし気が向いたら、来て下さい。
神原太志より
P.S 文化祭の逆上がり、絶対に成功させます。俺が成功したときの罰ゲームは忘れてください。もう、俺が逆上がりに挑戦することは俺とジェシカだけの問題ではなくなりました。俺の挑戦にはみんなの願いが賭けられているのです。最初の頃、俺はただ裸踊りをするのが嫌だから、逆上がりをがんばって成功させようと思っていました。でも今は違います。俺はみんなの気持ちに答えるために、みんなの『きっかけ』になるために、がんばりたいと思います。自分の可能性を信じてあげるために、がんばりたいと思います。もしよかったらジェシカも俺の成功に何かを賭けてください。絶対に成功させます』
俺は思いの全てをB5サイズの便箋に書いた。
ジェシカは読んでくれるだろうか? 俺は正直不安だった。
俺のこの大切な気持ちが迷子になってしまうのではないかと思うと、不安だった。