その35
「ということでここの漢文は……」
それは6時限目の国語の授業中におきた。
国語の美山先生の授業はつまらないことで有名だ。
みんなまともに聞いていない。
今日もいつもの様に生徒は静まり返り、先生の独り言だけが教室に響いていた。
「ぐぅー」
突如、静寂を破るように後方の席から腹の鳴る音が聞こえた。
俺は、まさか!? と思い、後の席をチラッと見た。
俺の予想通り、友子は恥ずかしそうにうつむいていた。
「誰だ? 今腹が鳴る音聞こえたよな?」
「おい、今の後から聞こえたよな」
「もしかして転校生?」
野蛮なヒソヒソ声が聞こえた。
友子はさらに恥ずかしそうにうつむいた。
やれやれ、だから俺は不安だったんだ。
しょうがない、助け舟でも出してやるか。
俺は座る位置を直すと深呼吸をした。
俺には48の殺人技、もとい特技がある。
その一つに『腹を鳴らす』という特技がある。
ちょうど俺の腹は空腹状態で腹を鳴らしやすい状態にある。
俺はすぐに自らの腹を鳴らそうと下腹部に力を込めた。
「静かにしてください。静かに……」
「うるせぇな!! 今ダイエット中なんだよ!! 腹ぐらい鳴るだろ!! 悪いかよ!! あ!?」
美山先生のか細い声をかき消すように、ジェシカが怒鳴った。
「さっきの腹の音はジェシカだったの?」
「でも波風さんの方から音したよね?」
「ジェシカが昼飯ガツガツ食っているところ見たぞ」
クラスは再びざわついた。
「静かにしてください。静かにして……」
「ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー」
美山先生のか細い声をかき消すように、俺の腹が奇怪な音をたてた。
「なんだ今のカエルみたいな気持ち悪い音」
「三段腹だ! 三段腹の腹から悪魔のうめき声が聞こえる」
「ちょっとやめてよー。マジうけるんだけど!!」
生徒の注目は一気に俺の方に集まった。
「静かにしてください。授業を続けます。ここの文章は……」
「ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー」
「静かにしてください。いいかげん怒りますよ」
「ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー」
「静かに……」
「ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー」
「グスン……」
「ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー」
少し腹に力を入れすぎたらしい。
俺の腹は授業が終わるまで鳴り続けた。
「キーンコーンカーンコーン」
「今日の授業は終わりです。みなさんお疲れ様でした……」
授業の終わりを告げるチャイムと同時に、美山先生は泣きながら退室して行った。
先生ごめん! 俺は心の中で美山先生に謝罪した。
「あの……太志さん、先ほどはありがとうございました」
とてもバツの悪そうな顔をした友子が俺のもとへとやってきた。
「私やっぱりお腹空いちゃって……我慢できなくて……お腹鳴っちゃいました」
「何の話?」
俺は白々しい笑顔でおどけてみせた。
「ですからさっきの授業中に……」
「ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー、ゲォー」
友子の話を遮るように俺の腹が鳴った。
それを聞いた友子は思わず笑った。
「くすくす。すごい音ですね。私ビックリしちゃいました。……太志さんっていい人ですね。ジェシカさんもすごくいい人です。綺麗だし、身長も高くてスラッとしているし、スタイル抜群だし、少々言葉使いは美しくはなかったですけど、とても魅力的な人ですよね。私うらやましいなぁ……」
友子はうるっとした瞳でジェシカのことを見つめ、賞賛の言葉を発した。
俺は正直、ジェシカが友子をかばったのが信じられなかった。
俺は友子と一緒にジェシカを見つめた。
あいかわらずジェシカは冷たい目でこっちを睨んでいる。
今こそ謝ろう、そう俺が思い席を立とうと思った瞬間、
「太志さん、今から学校案内お願いしてもいいですか?」
やわらかい夕刻の光を浴びて綺麗に映し出される友子の輪郭。微笑むえくぼからは幸福が溢れ出していた。
友子の幸福ビームで幸せになった俺はNOと言うことができずに頷いた。
「じゃあ早速案内してください。まず、図書館を見てみたいです」
友子ははしゃぐ子供のように俺の汗ばむ手を引いた。
「ちょ、ちょっど。そんなにはじゃがなぐでも……」
俺は手綱を引かれるブタの様に友子の後について行った。
結局この日はジェシカに謝ることができなかった。