45 本気の噴火は母として
フィストの言葉に、リンジは心底わからないと首を傾げた。
「なに言ってるの。俺が勇者だよ。知ってるじゃん」
「立場としてはな」
「そうだよ。この国に異世界召喚されて、魔王を倒したのは俺なんだから、間違いなく俺が勇者でしょ」
「そうだな。間違いないな――それでもお前は、勇者じゃねぇ」
異世界から召喚されて、勇者という役目を得ただけだ。
リンジは相変わらず、不思議そうだ。
しかしヴァーシプは無言で杖を握っている。彼女はフィストからの、勇者への罵倒に気付いた。いつも弱々しい表情が、完全な無になっている。
フィストは柔らかなルミネを怒りで抱き潰さないように、そっとアスターへ手渡した。
ずっとリンジとフィストの間で壁になっていたアスターは、フィストが前に出る気配を察知して止めようとしたが、ルミネを手渡されて慌てて抱き直した。緊迫した空気を感じ取っているのか、ルミネも緊張して丸まって大人しい。少なくとも、リンジより空気が読めている。
――彼がここまで増長したのは、勇者という立場あっての事だろう。
リンジは、勇者だから、全部思い通りになると思っている。
魔王を倒せるのが、異世界から呼ばれた彼だけだったから。勇者の機嫌を損ねては、魔王討伐を渋られては世界が救われない。だから、世界中がリンジの機嫌をとっていた。
この世界の人間は、魔王にとどめを刺せない。
――フィストがどれだけ殴っても、魔王に致命傷を与えられなかった。
全部奪ってしまいたかった。でも、とどめはリンジに任せてしまった。
任せるしかなかった。魔王を殺す為に呼ばれた存在が、勇者だから。
だから、フィストはひたすらに、彼らが魔王討伐を成せるよう。それだけを念頭に旅をした。彼らが旅をやめないように、それだけ――。
世界中が同じ事をした。矢面に立ったのはフィストだが、意を汲んで醜聞も失態もなかった事にしたのは世界中の人間達だ。
それがダメだったのだろう。
本当は、能力があるからって媚びて諦めず。もっと言い聞かせるべきだった。
魔王を倒して欲しいから持ち上げ続けるのではなく、もっと話し合って常識を擦り合わせ、矯正していくべきだった。
勇者だからと問題を、醜聞をなあなあにせず、責任は本人に取らせるべきだった。
だからこんな、勇者ならばなんでも許されると言い回る、厚顔無恥になってしまった。
フィストはリンジの母親ではない。彼の教育は、矯正はフィストの役目ではない。
召喚したこの国が、責任を持って勇者としての彼を矯正すべきだった。
でもそれも、今更だ。
「お前は勇者として、国の望みを叶えたよ。魔王を倒して世界を救った。その名の通り英雄だ。でもな、だからって、なんでも許されるわけじゃねぇ」
「許されるよ。俺は勇者だから」
「勇者だろうと――ああもう! 国が許したとしても私は許さねぇぞ馬鹿にしやがって!」
腹の底から吠えた。
迫力ある怒声に、リンジの肩が跳ねる。杖を握って立ち上がっていたヴァーシプとリルスも身を竦めた。後ろにいたアスターも勢いよく跳ねて、ルミネが大きな目を見開いて母の背を見詰めていた。
――頽れたセーラは、まだ地面を見ている。
「さっきから気色悪い事ばっかり言いやがって! お前が私をどう見ていたのかとか今更どうでもいいけどな! 勇者とか以前にそれを直接言ってくるのが本当に気持ち悪ぃ! 夢と現実の区別が付いていないあたりとかマジできっもちわりぃ!!」
「えっあれっ?」
怒濤の勢いで怒鳴られて、リンジの目が丸くなる。
「そもそも私はお前と恋人じゃねぇし遊んでやる気もねぇしおわかりだろうが不誠実は嫌いなんでな! 複数人と付き合うような男は地雷だ! 率直に言って好きじゃねぇ! 妄想だらけの夢ならともかく現実で好きでもねぇ奴と同衾しねぇわ覚えとけ!」
行儀は悪いが、フィストの片足がテーブルの角を踏みつけた。テーブルが勢いよく揺れて、同じく行儀悪く足を乗せていたリンジがバランスを崩してひっくり返る。ヴァーシプが慌てて助け起こしたが、リンジはびっくりした顔でフィストを見上げ続けていた。
「なにより――私の愛する我が子を! 侮辱するのも大概にしろ!!」
ルミネは。
どんな形であれ、フィストが愛した男との間の子だ。
心許して、気を許した。裏切られたと勝手に失望して、憎さ余って殺意が滲んだ。フィスト一人ではどうしようもない巨悪なのに、迷子より頼りない一人の男だった。
愛してしまったフィストの負けでいい。
奪われた。でも同じくらい奪ってやった。そう確信できるくらいには、あちらも満身創痍だった。
奪い合ったくせに最後の最後に与えられたのが、ルミネだ。
愛した男が死んで、アイツが寂しがらないよう死に場所を求める中で――生きろと輝いた、生命の光。
そんな可愛い我が子を何度も何度も「それ」呼ばわり。
煩いからと存在を全否定。
勝手な言い分で自称父親を主張する妄想男に、我が子の存在を貶められて許せる親がいるだろうか。
それに。
「この子の父親は、私が何より愛した男だ!」
侮辱されたのはルミネだけじゃない。リンジが割って入るという事は、フィストが愛した男の存在もなかった事になる。
そもそもフィストにはそんな気がないのに、当たり前のように酒池肉林に参加させる気でいるのも頂けない。
どこまでも身勝手で、他者を尊重しない。自分が一番楽しければ良い。
そんな男を、フィストの正義感は勇者と認めない。
「愛した男しか座れねぇ席に、勝手に座ってんじゃねぇぞリンジ!」
椅子から転がり落ちたリンジを見下ろして、腹の底から恫喝した。
魔族と戦う時のような形相に、リンジはぽかんとフィストを見上げ。
「フィスト、俺の事好きでしょ?」
「まだ言うか」
獣のような呻き声が出た。
仲間としての情はあったが、それも今日この瞬間砕け散った。
だから正直に、誤魔化す事なく、誤解できないよう断言した。
「私は、お前が、嫌いだ!」
子供のような言い分になったが、相手が曲解しないよう伝えるには最適だった。
そう――頭がおかしい相手は、どれだけ言葉を尽くしても、相手の発言を受け付けない。
だから誤解する暇を与えない――その対策は、元は勇者大好きヤンデレ聖女に対してだった。
嫌いと言われたリンジは、ぱちくりと黒い目を瞬かせた。
言われた内容を咀嚼して、理解しようと唸ったり首を傾げたりを繰り返し――理解できないと不可解そうな顔をする。
「一緒に旅をした勇者とその仲間なのに、俺の事嫌いなんだ?」
「肩書き一つで好かれる訳じゃねぇんだよ」
「俺が選んだメンバーなのに、俺の事嫌いなんだ?」
「感謝してるが選考基準って絶対顔だろ。無条件で好感度は上がらねぇよ」
「えー……ふぅんそっかぁ……」
リンジは残念そうにため息をつき、ゆったりした動作で立ち上がる。
土や草を手で払い、その手をくるりと返して。
「じゃあ仕方ないか」
出現させた剣を、フィストの喉へ突き出した。
「フィスト!」
問答無用で殴りかからないフィストはまだ理性的だったけれど。
問答無用で武器を出す勇者はマジで勇者の肩書きを返上した方がいい。




