44 我慢できる事とできない事
「勇者様、は……」
ぽつりと、セーラが呟いた。
フィストに詰め寄っていたセーラがふらりと振り返り、勇者を見る。フィストに彼女の表情は見えなかったが、ほつれて落ちた金色の髪が、物悲しく揺れた。
「わたくしに、フィストさんとは、深い仲になった事はないと、説明されましたよね……?」
セーラとリンジは、恋人同士だ。
リンジがこの世界に召喚されて、旅に出て、その過程で最初に恋人になったのはセーラだ。
リンジはとんでもない浮気性だったが、必ずセーラの隣に帰って来る。だからセーラは、ヤンデレながらもリンジ以外の事柄では話の通じる相手だった。
そんな彼女は、リンジの女性関係事情にも詳しい。しっかり調べている。フィストも知らない、フィスト似の女性との関係も把握していた。
だからというか、自分の情報だけでなく、リンジにもしっかり聞き込みを行っていた。フィストは現場に居合わせた事があるので知っている。基本的に、リンジは女性経歴を隠さない。その会話で、リンジはフィストとまだ寝た事はないと正直に答えていた。
曇りなき眼だった。
「うん。現実ではまだない」
そして今も、曇りなき眼で頷いている。頷いて、首を傾げた。
「でも、妊娠したんだろ? なら、相手は俺しかいないじゃん。フィストだし」
「なんだそのフィストだしって。私だからこそねぇだろ」
「なに言ってるの? フィストは浮気なんて不誠実しないじゃん」
「しないからこそお前はねぇだろ」
「なんで?」
「くっそ話が通じねぇなんだこれ」
浮気なんて不誠実が嫌いだとわかっていて、何故セーラと恋人関係であるリンジの子供を生むと思われているのか。しかも、現実で関係のない相手に。
「ん~よくわからないわねぇ。リンジってば、フィストと夢でイチャイチャしたから子供できたと思っているのぉ?」
「フィストが妊娠しているならそういう事だろ」
「勇者様が仰るならそうなのでしょう」
「ヴァーシプは黙ってましょうねぇ。でぇ、夢の中でイチャイチャしていたから、不誠実大嫌いなフィストが他の男と寝るはずがないって事ぉ?」
「うん。フィストは不誠実なのはダメだってずっと言っていたから。言っていたから、本人が不誠実するわけないだろ?」
(そう思うなら恋人ありと関係持たないってわかるだろうが……!)
何故そこは繋がらない。
愕然としていれば、リンジは行儀悪く椅子を傾けてテーブルに足を乗せた。
「俺は勇者だから沢山恋人がいても許されるけど、フィストはダメだよ。俺以外の男と結婚とか、フィストが嫌いな不誠実だろ? リルスはそういうキャラだから仕方ないけど、セーラやヴァーシプ、フィストはそういうキャラじゃないからできないし。無理しないで、王都に帰って皆で酒池肉林しよう」
勇者だから許されるってなんだ?
許されるわけがないだろう。
キャラってどういう事だ? リルスみたいにセフレ沢山いるかいないかって事か? キャラの一言で纏める話か?
フィストはリンジを殴り飛ばしたくて仕方がなかったが、同時に指一本触りたくなかった。
フィストは女性が嫌悪を抱く毛虫や蜘蛛、蛇やミミズなどは平気だ。そういった形の魔物も、拳で相手をしてきた。
手応えを感じにくい柔らかい皮膚や脂肪。チクチクと痒くなる体毛にぬるぬるした泥状の魔物を相手にして鳥肌が立つ事はあっても、殴れればなんとかなると自らを奮い立たせてきた。殴れればなんとかなるからだ。殴れればなんとかなる。なんとかなる。なんとか……。
(なんとか……ならねぇやこれ)
気持ち悪くて近付きたくない――触れたくない。
これは無理だ。
夢と現実の違いを認識しているのに、夢と現実を混合している。
夢だとわかっているのに、夢で見た内容が、現実とリンクしていると思っている。
現実で靡かないフィストにめげず、馴れ馴れしいほど気易く接し続けたのは……夢の中での関係が、現実にも適用されると思っているから。
夢だと認識しているのに。
現実と変わりないと思っている。
夢で恋人になったら、現実でも恋人なのだ。この男。
(そうはならねぇから!)
異世界人だから倫理が、価値観が違う。
そう思って接していたが――……これは、そのレベルを超えている。
「勇者様は……」
ゆらゆらと、セーラの金髪が風に揺れる。
いや、彼女本人が覚束無く揺れていた。
「どうしてそこまで、フィストさんをお求めに……? 今まで誰にも固執しなかったのに。わたくしが女達を追い払っても、逃げる女を追わなかったのに。何故フィストさんだけここまでお求めに? 夢で、想いを通わせたからですか。わたくしと眠りながら、フィストさんの夢を見ていたのですか……?」
(あっ)
リンジの気持ち悪さで忘れていたが、そういう事だ。
現実で女を抱きながら、夢で別の女を抱いていたと宣言しているようなもの。
セーラは今まで帰ってきた勇者の隣で、安心して眠っていたはずだ。自分の元へ帰ってくる安心感で、ヤンデレは正気を保っていた。
だというのにこの男。
夢の中でも別の女に手を出して、果てにはそれを現実のように語る。
「それなら、わたくしは。あなたにとってわたくしは……?」
「セーラもヴァーシプも、リルスも当然、俺のだけど……フィストは特別でしょ」
思い悩む女を、男は容赦なく踏みつけた。
リンジにとって、セーラは他の女と同列。少なくとも、リンジを信仰するヴァーシプと同列。リンジ以外の男も誘惑するリルスと同列。
特別ではないと断言した。
つまり――隣に帰ってくる意味など、全く無かったのだ、と。
セーラの膝から力が抜けて、聖女はその場に頽れた。
そんなセーラを不思議そうに一瞥して……リンジは変わらず、フィストを見る。
「何を気にしているのかよくわからないけど……じゃ、帰ろ。それは煩いから、そっちの男にあげなよ。魔王もいなくなったし、後はボーナスステージだし。皆で楽しく暮らせるよね。平和が一番だって皆言ってたし」
肯定が返って来ると信じて疑わない顔をして、フィストを見ていた。
フィストは深く、深く深呼吸をして……。
「お前は勇者じゃねぇ」
我慢できなかった。
夢と現実が区別付かないのではなくて、どっちが夢でどっちが現実かわかっているけど、夢の内容は現実で適用すると思っている。
難産でした。
そしてとうとうぶち切れのフィスト。




