31 喪失中の正体証明
熱を出していた村人の大半が回復傾向にある現在。
アスターは帰ってきたフィストの家で、床に転がりグッタリしていた。
清潔にしろと口を酸っぱくして繰り返していた本人が、長い間不在で埃のたまった床に落ちている。
「ワクチンが必要な病気じゃなくてよかった。抗生剤とか作れない。肺炎とか肺結核とか肺の病気だったら詰んでた。インフルでも詰んでた。コロナだったら危なかった。身体に湿疹がなかったからいけると思ったけどなんとかなってよかった。マジでよかった……」
「行き当たりばったりかよ」
頼もしかった背中はへっぴり腰だったらしい。
自宅を掃除する為に村から抜けてきたフィストとアスター。ルミネは現在、回復したエンと一緒にお昼寝をしている。早めに罹ったエンも、集会場で纏まった看病を受けて回復し、家に帰された。
アスターの発言に間違いはなく、今もマスクをした健常者が看病に当たっている。
「びょ、病気が治るのは賭けだったけど、うがい手洗い掃除洗濯が病気の予防になるのは本当だから! 清潔にして身体を温めて栄養のある物を食べれば回復するし!」
「嘘ついたとは思ってねぇよ」
半泣きで叫ぶアスターは、本当に疲労困憊だった。
やはり彼が何を言っているのか半分もわからないが、的外れな事を言っているわけでないのは分かる。
アスターは自分が言い出したからと、率先して看病に当たり、炊き出しだって自ら行った。水を汲んで湧かす事しかしていないフィストは、その疲労に申し訳なくなる。
しゃがみ込んで、色あせて見える銀髪を労るように撫でた。
埃の絡んだ銀髪は指通りが悪い。長い髪はまとめられているがほつれにほつれ、大変見窄らしい。
それでも美しいのだから、顔が良い事実が恨めしい。
「キラキラしやがって……」
「俺なんで怒られているんだ……?」
本格的に力尽きているらしいアスターは、撫でるフィストにされるがままだった。
触れ合いが嬉しいのか、まんざらでもなさそうな顔をしている。
気分的には毛並みの悪い大型犬を撫でながら、フィストはじっとアスターを見下ろした。
「お前……お前が病気の感染とか予防とか、やけに詳しかったのは、専門職だったからと思うか?」
「どう、だろう……? 当たり前な事ばかりだったし、わからないな」
(当たり前、か)
アスターは記憶喪失だ。
彼の経歴や知識の情報源は不明だが、それでも行動に移すだけの確信を持っていた。
つまり、身についた常識と同じくらい、当たり前の知識だったという事だ。
普通に過ごせば、そんな知識は身につかない。フィストの知る病の予防は身体を冷やさない事。そして病人に近付かない事くらいだ。
それ以外の対処に詳しいという事は、だ。
「もしかしたらなんだが……お前、聖人かもしれない」
病症に詳しいのは、医者が薬師か……教会に属する、聖女や聖人だ。
神官の可能性もあるが、神官は階級を示す為に決められた服装で過ごす。聖女や聖人は、身分証になる虹色のブローチを持っていれば、格好は自由だ。セーラは真面目なのでしっかり法衣を着ていたし、身分証の虹色ブローチを常に身につけていた。
アスターはどこにでもいる服装だったが、荷物を紛失している。
なので、聖人の可能性が浮上した。
聖女や聖人は、基本教会に所属している。一番の能力者はセーラだが、聖女や聖人は他にもいる。彼らは各地を転々として、人々に救いの手を差し伸べ続けている。
旅をして知った聖女や聖人と、アスターのあり方が合致する。
「いや多分、違うけど……」
しかし妙な顔をしたアスターに否定された。
何故か眉間に皺が寄り、口がもごもごしている。
「記憶がない癖に否定すんのか? なんか思い出したか?」
「何もわからないけど、違う気がする」
「気がするってだけかよ」
「でも違う。そんな特別な事はしていないんだ。本当に皆知っているはずの事くらいしか、できていない」
もぞもぞ身を起こしたアスターは、困ったようにフィストと視線を合わせた。
「俺にできたのは、自己回復力を高める手伝いだけだ。実際、まだ寝込んでいる人だっているだろう?」
言うとおり、全ての人が回復したわけではない。
特に危ないのが、エンに続いて発症したスートだ。
魔物に襲われて足を悪くした彼女は、身体に微量ながら魔物の瘴気が残っている。他の人と比べてその影響で、病を身体に棲まわせ易いのだそうだ。瘴気が身体を蝕むので、病も長引きやすい。アスター曰く、回復力が負けている状態、らしい。
それでも悪化する様子ではないので、ひとまず落ち着いた状態と言える。
「もし俺が本当に聖人だったなら、こんな遠回りをしなくても助けられたと思う。今頃皆回復して、スートさんも子供達と旦那さんの居る家に帰れているよ」
困ったように笑うアスター。
彼は本当に、特別な事をしたつもりはないようだ。
知っていたから行動した。できる事だったからやった。ただそれだけ。
アスターは違うと言うが、フィストは彼が聖人の可能性を否定しきれずにいた。
だって行動が、献身が、旅で見た聖女の行動と重なるから。
だけど。
「……事実確認はできねぇけど、そこじゃねぇよな」
フィストはアスターの手を取った。
皹だらけの、節くれ立った男性の手。
擦り傷切り傷なんなら火傷だらけだが、人の為に行動できる手だ。
「お前の言う、できる事をしてくれてありがとう」
人は、できるかできないかではなく、やるかやらないかだという。
できる事。知っている事。それを指摘して改善する声を上げるのには、勇気と労力が必要だ。それを自ら行える人間は、思っているより少ない。
「お前がいてくれてよかった」
手をとり感謝を述べるフィストを見て、アスターの疲れ切った顔に朱が差す。
感謝を述べたフィストは、そんな彼の頬を引っ張った。
「いたいいたいいたいなひぇ!?」
「でも相談なしに無茶したのはどうなんだテメェ。自分だけで村長達に話付けに行きやがって。私が間に挟まった方がスムーズにいけただろ」
喜ばしい事に、フィストは村から一定の信頼を得ている。
だから予防策を講じる時だって、アスターからではなくフィストから進言した方が聞き入れられ易かったはずだ。言い訳には困っただろうが、ネクとのにらみ合いは起こらなかっただろう。
しかしアスターは首を振った。うっかり掴まれた頬が更に伸びて、慌ててフィストの手を掴んだ。
「さっきも言ったけど、運がよかったんだ。これが自己回復の望めない病気だったら、俺は死人を出していた。そんな博打を、フィストの信頼を利用してまでできない」
予防はできても、病症が必ず回復すると断言できなかった。
もしかしたら対策をしても流行は止まらず、村は全滅したかもしれない。
「責任は俺にあるんだから、フィストの信頼を踏み台にする訳にはいかない」
そう言ったアスターは、普段の情けなさを忘れるほど、覚悟に満ちた顔をしていた。
「お前……」
やつれてボロボロなのに、何故かキラキラとまばゆく見えて。
フィストは驚いて、ゆっくりと瞬きをした。
「……いい男だなぁ」
「……んっ!?」
びゃっと驚いたアスターは咄嗟にフィストの手を放し、何故か無実を証明するように両手を挙げ、うっかり勢いを付けすぎてそのまま床にひっくり返った。
埃が舞って日の光でキラキラ輝く中で、フィストは堪えきれず声を上げて笑った。
この記憶喪失、一体どこ所属の何者なんだ……。




