25 していなかった意識をはじめたら、早い
「儂が心配するまでもなかった。儂の孫、めちゃんこしっかりしとった。ちょっと抜けとるが、そこがフィストの良いところじゃ」
「赤ん坊に大喜びで私の出産に気付かれたアイアリスに抜けているとか言われたくねぇな?」
「ばぶう!」
「喃語で誤魔化すな」
あと、孫じゃない。
早朝にやってきたアイアリスは、一通り情報交換をした後、早々に出立の準備をした。
まだ昼にもなっていない、とんぼ返りに近い状態だが、アイアリスはさっさと身を翻した。
「一緒に逃げぬなら長居は無用。ちーっと世界中ぐるぐる旅行して残党のほとぼりが冷めるのを待つわい。なぁに、長くて三年程度じゃろ。土産に期待しておれよ。絶対また会いに来るからの。ひ孫が成人して嫁にでるまで死ねんわ」
「ひ孫じゃねぇよ」
当然のようにルミネをひ孫扱いするアイアリスに苦笑する。そもそもフィストは孫ではない。
見送る為玄関先まで来たフィストと、抱っこされたルミネ。嬉しそうにルミネの手を握ってから、同じく見送りに来たアスターへガンを飛ばした。
「本当はこの男に父親を任せて良いのかもっと精査したいところじゃが、それをしとったら残党に追いつかれてしまうからの……無念じゃが、お前さんにフィストとルミネを任せるぞ。うっかり者のようだがフィストの不足を補っておるようだし、そこは本当に任せたぞ」
「う、うん……?」
ガルガルと唸りながら詰め寄られて、アスターは戸惑いながら仰け反った。
「作戦故に許すが、フィストに無体を強いるのは許さんぞ。確実にお前さんよりフィストの方が強いが、無理強いは許さん。フィストの方が強いが!」
「わかってるわかってる!」
「やめろやめろ」
癇癪持ちの子供のように地団駄を踏むアイアリスの足が、アスターの足を踏んづける。大袈裟に絡むアイアリスを、フィストが片手で引き剥がした。
「隠れるのに慣れているとはいえ、気を付けろよ。三年とか言っていないで、ヤバイと思ったらこっち来い」
「こっち来たらいかんじゃろ。ルミネがおるんじゃから」
そう言ったアイアリスに、フィストは思わず笑った。
「ずっと守るとは言えないけどな。お前を見捨てる気もねぇよ」
引き剥がした手をアイアリスの背中に回し、抱えたルミネごと抱きしめる。
「纏めて守る覚悟は決めてるんだ。マジで逃げられねぇと思ったら、ちゃんと帰ってこい」
「きゃはーっ!」
フィストの言葉を肯定するみたいにルミネが笑い、近くにあったアイアリスの頬にぺたりと触れた。
見下ろせば、フィストの面影を保つ幼子が、満面の笑みでアイアリスへ手を伸ばしている。
アイリスは天を仰いだ。
「ッハァー……抱かれた……」
「正気に戻れ」
「嘘じゃろこんなん抱かれたわ……儂の孫がこんなに罪深い……怖いわ人間怖いわぁー。この勢いは彼奴らも抱かれとる。間違いない。信頼も執着も頷ける。この罪作りの悪女め好きじゃ」
「……ありがとよ」
「ばぶぶぶぶぶっ」
「唾を飛ばす顔もキュート」
アイアリスはルミネに唾を飛ばされてから、颯爽と去って行った。唾を吐かれたわけではないのでセーフ。
「ではまた会おうぞ!」
宣言したアイアリスが家の外に出た瞬間、ふわっと空気に溶けるように消えた。
目の前からあっという間にいなくなったアイアリスにびっくりしたルミネが真顔で周囲を見渡している。なんで? と顔に書いている様子が面白くて、フィストはうりうりと人差し指でふっくらほっぺを捏ねた。
そして消えた瞬間を見たアスターも、思いのほか目を煌めかせた。
「今のって瞬間移動!? それとも透明になったのか!?」
「さあ、どうだろうな」
姿を眩ませたのか、この場からあっという間にいなくなったのか、実はフィストも知らない。ただ行方を眩ませるときに、アイアリスがしょっちゅう使っていたのもこれだ。
これがあるから、アイアリスは隠密行動に自信がある。旅の途中も、敵の不意を突くのによく使った。味方同士の諍いが起きた時も、すっと消えている事が多かった。
恐らく、アイアリスと逃亡する事になったら事実がしれただろう。
――アイアリスの手助けがあるのなら、国外逃亡もありかもしれないとは思った。
(一人でルミネと旅をするのは無理でも、アイアリスがいればなんとかなる)
旅も生活も、一人では無理だが手助けがあればなんとかなる。厳しい面は多いが、協力できれば乗り越えられる。
(だけど今は、生活面で支えてくれるアスターがいるからな)
しかも父親役として外堀まで埋まっている。アイアリスも言っていたが、ここまで来たら逃げ出す方が不自然だ。
(西の街は心配だが、あいつらが行ったなら大丈夫だろ……。あいつらが西に行っているって事はつまり、即捕まる事もない、はずだ)
思いがけない形で、時間稼ぎになった。
(その時間で、アスターをヤンデレ達が納得するルミネの父親に仕立て上げてやる!)
決意を新たに、フィストはアスターを振り返った。
「よし、それじゃあ私はいつもの見回りに行くから――」
「わかった」
まだ不思議そうに周囲を見渡すルミネの抱っこを交換する。伸ばした腕の先から重さが移り、そのまま行ってきますの抱擁をしようとして……はたと、固まった。
当たり前のように行ってきた、抱擁。
夫婦として当然と思っていたこれが、熱烈新婚夫婦がする事だと指摘されたのを思い出した。
そんなはずがないと反論したフィストだが、フィストより長生きのアイアリスと、記憶はなくても常識はあるアスターの反応から、どうやらフィストの方がズレているらしい。
という事は、知らなかったが、フィストの両親は万年熱烈新婚夫婦。
その真似をするフィストとアスターも、熱烈新婚夫婦。
気付かぬ内に過剰な接触をしていたと気付き、自分のズレに普段顔を出さない羞恥心が湧き上がってきた。
(もしかしてこれ、結構恥ずかしい行為だったか……!?)
どうしようかと迷いが出て彷徨う手。
気付いたアスターと視線が合った。
フィストの様子に目を丸くしたアスターは、何故かぱっと頬を染めて……そのままフィストを正面から抱きしめた。
フィストの行き場をなくした手がぎょっと跳ね、間に挟まれたルミネが歓声を上げてアスターをドンドン叩く。いつもは遠慮して力を込めないアスターの腕が、力強く背中に回った。
「こ、これはそのっ今まで通りで良いと思うぞ! 新婚に見えるなら、ヤンデレも騙せるだろうし!」
「そう、だな?」
力強さとは対照的に、アスターの声は上擦っている。ルミネがご機嫌にアスターを叩く振動に、フィストも手を背中に回した。アスターの背中に触れて、気付く。
(熱いな)
今まで全く気にしていなかった熱が、やけに気になる。
フィストとしてはお互い頑張ろうぜ、なんて激励のつもりだった抱擁。そういうものだと思っていたモノが、イチャイチャラブラブに繋がるなんて思っていなかった。両親もさらっと抱擁していたし、挨拶みたいなモノだと。
思っていたのだが。
(お……おぅ?)
今度は逆に、離れ時がわからなくなった。
今まではぎゅっとして終わりの三秒ほどの抱擁だったのに、お互いの手が背中から外れない。外れなければふれあい続ける。フィストはもぞもぞ動くルミネと、抱擁したまま微動にしないアスターの違いに戸惑った。
戸惑い、どうしようかと視線を上げて。
こちらを見下ろす、紫の目と。
(あ、ヤバイ)
背中に添えた手が震える。アスターも、フィストも。
(熱、)
耳元で大きく、鼓動が鳴って。
「んぎゃああああああああああああああ!」
挟まれていたルミネが絶叫を上げた。
「ああああああごめんごめん潰れてた!? 苦しかった!?」
「暑かったもんなごめんなもう大丈夫だぞ!?」
慌てて距離をとり、二人揃ってルミネをあやしにかかる。
数秒前までの空気は霧散していた。
本当に今までまったく意識していなかった罪深い女。
やっと温度差に気付く。




