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「座布団一枚!」

月曜日の放課後を告げるチャイムが、やけに高らかに鳴り響いた。 教室のあちこちで、週末の出来事を報告し合う楽しそうな声が上がる。僕は、その喧騒をどこか遠くに聞きながら、一人、静かに決意を固めていた。


(今日は、ただ見ているだけじゃない。ただ圧倒されるだけじゃない。何か、一言でもいい。僕も、あの『セッション』に加わるんだ)


先週末、図書館で感じた、あの温かい感覚。高橋さんと交わした、「部室で」という約束。 その二つが、臆病な僕の背中を、今、確かに押してくれていた。


僕は、カバンを持つ手にキュッと力を込め、ゆっくりと席を立った。 教室のドアを開けると、廊下で高橋さんと山田君が、楽しそうに何か話しているのが目に入る。 以前の僕なら、気づかれないように壁際に沿って、そっと通り過ぎていただろう。しかし、僕がためらうより先に、高橋さんがこちらに気づいた。


「あ、桜井くん。行こっか」


それは、あまりにも自然な一言だった。まるで、毎日こうして一緒に帰っている友達にかけるような。 隣で山田君も「お、桜井!来たな!」と、太陽みたいな笑顔で手を挙げる。 彼らは、僕を待っていてくれた。その事実が、じわりと胸を温かくする。


三人で連れ立って、旧視聴覚準備室へと向かう。 僕はまだ口数は少なかったけれど、二人の「昨日アマプラで始まったあのアニメさー」「あー、見た! 原作のあの部分、めっちゃ良かったよな!」なんていう会話を隣で聞いているだけで、もう孤独ではなかった。


部室の前に着くと、山田君が「うっす!」と言いながら、慣れた手つきでガラリと扉を開ける。 僕が、あれほど開けるのをためらった扉だ。でも、今はもう、不思議と怖くはなかった。


「お疲れ様でーす!」


山田君の元気な声に続いて、僕たちも部室に足を踏み入れる。 すると、そこに広がっていたのは、予想だにしない光景だった。


神田部長が、こたつではなく、部屋の真ん中の床に座り込んで、何かの作業に没頭している。 床には、何種類もの新聞紙が、まるで絨毯のように広げられていた。そして彼は、ハサミを片手に、黙々と記事の見出しを切り抜いている。その姿は、傍から見れば、脅迫状でも作っているかのようだ。


「……部長、何やってんすか? なんか、めっちゃ物騒っすよ」


山田君が、恐る恐る尋ねる。 神田部長は、床に散らばる文字の海から顔も上げずに、ふっふっふ、と不気味に笑った。


「今日のウォーミングアップは、これを使う」


彼の足元には、「衝撃」「悲願」「まさかの」「大逆転」といった、やけにドラマチックな言葉の切り抜きが、小さな山を作っていた。 名付けて、『ニュース見出し大喜利』だ、と部長は言った。 彼が読み上げる、どうでもいいニュースの書き出しに、切り抜いた見出しの単語を付け加えて、面白いニュースを完成させるらしい。


「例えば…」と部長が紙切れを読む。「『本日、近所のスーパーで、恒例のタイムセールが行われ…』」 山田君が早速、単語の山から一枚をひったくった。 「はいはいはーい!俺から!…衝撃!」 「普通だよ!」と高橋さんがすかさずツッコミを入れる。 「じゃあ、次は私ね」と彼女が選んだのは、「悲願」という言葉だった。タイムセールに「悲願」という言葉を乗せるだけで、切実な物語が生まれる。やはり、面白い。


神田部長は、二人の答えに満足そうに頷くと、最後に、僕に視線を向けた。 「どうした桜井。見てるだけか?お前もやってみろ。好きな切り抜きを引け」


心臓が、大きく跳ねた。 また、僕の番だ。けん玉の時の、あの気まずい失敗が脳裏をよぎる。 震える指で、僕は新聞の切り抜きの山に、そっと触れた。一枚、指先に吸い付くように持ち上がった言葉は、「値上げ」だった。


(終わった…) 「タイムセール」というお題に対して、「値上げ」なんて、真逆の、一番面白くない言葉を引いてしまった。 パニックになった僕の指先で、その小さな紙片が、ひらりと裏返った。その時だった。 僕の目に、裏面に印刷された、別の記事の見出しの一部が飛び込んできた。


『――宣戦布告』


その、あまりにも場違いで、あまりにも力強い言葉を見た瞬間、僕の頭の中で、絶望が、一瞬で希望へと反転した。 これだ。これしかない。 僕は、一度だけ、深く息を吸った。 そして、震える声で、でも、はっきりと答えた。


「『本日、近所のスーパーで、恒例のタイムセールが行われ……宣戦布告』」


シン、と部室が静まり返る。 「……宣戦布告? そんな言葉、あったか?」 山田君がそう言って、こたつの上の言葉の山を探し始めた。僕は、おそるおそる、手に持っていた「値上げ」の切り抜きを裏返して見せた。


「あ! 裏の文字じゃん! ずるっ! ……いや、すげえええええ!!」


山田君の驚きの声。 高橋さんが、信じられないというように目を見開き、「…特売品を巡る、主婦たちの戦争…ってこと? ふふ、映像が浮かぶ」と心の底から感心したように呟いた。


そして、神田部長が、僕を見て、静かに笑い始めた。 最初は、ふっ、と息が漏れるような笑いだった。それが次第に大きくなり、やがて、腹を抱えて「ふはははは!」と、最高の笑顔で笑い出した。


「面白い! 最高だ、桜井!」


涙を拭いながら、部長は僕を指差した。 「お前は、誰も見ていなかった『ルールブックの裏側』を読んだんだ。大喜利で一番大事なのは、発想のジャンプ力だけじゃない。こういう**『機転』**だ。――座布団、一枚!」


その言葉は、僕にとって、何よりも嬉しい、最高の褒め言葉だった。 僕のたった一言の答えが、その日の主役になった。彼らは、僕の答えがいかにして生まれたのかを、まるで世紀の大発見みたいに、目を輝かせながら語り合っている。自分が会話の中心にいるという、生まれて初めての経験に、僕は戸惑いながらも、胸が熱くなるのを感じていた。


キンコンカンコン――。 無情にも、下校時刻を告げるチャイムが鳴り響く。 「おっと。盛り上がってるところ悪いが、タイムアップだ。今日の活動は、ここまでだな」 結局、ウォーミングアップだけで、その日の活動は終わってしまった。


帰り道、僕は一人、自分の手のひらをじっと見つめていた。震えが、まだ少しだけ残っている。 僕は、気づいていた。 僕の武器は、神田部長のような圧倒的な「発想」じゃない。高橋さんのような鋭い「視点」でもない。山田君のような「瞬発力」でもない。


誰も見ていないものを見つけ出す、「発見」。 それこそが、僕の戦い方なんだ、と。


僕は、初めて自分の「武器」を自覚した。空はすっかり暗くなっていたけれど、僕の心は、不思議なくらいに晴れやかだった。

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