「伝わらなければ、意味がない」
山田君の地獄の特訓が終わった翌日。 部室に、ピンと張り詰めた空気が満ちていた。 今日のターゲットが、高橋栞だと、神田部長が告げたからだ。
「高橋。お前の課題は、答えが知的で鋭すぎるため、一般の観客に伝わらない可能性があることだ」
「…否定はしませんわ」
彼女は、腕を組んで、優雅に、しかし少しだけ不満そうに答える。
「そこで、これだ」
神田部長が指差したのは、ポカンとした顔で座っている山田君だった。
「今日、お前の答えを審査するのは、俺じゃない。そこにいる、山田だ」
「は…?」
高橋さんの、完璧な笑顔が、初めて固まった。
「私が、山田くんに…審査される…ってことですの?」
「マジすか部長!俺、審査員!?よっしゃー!」 自分の新たな権力に、山田君は無邪気に喜んでいる。
名付けて、「仮想オーディエンス大喜利」。
高橋さんの答えに、山田君が「面白い!」と心の底から笑うか、「なるほど!」と唸らなければ、即「スベり」扱いとなる、彼女のプライドをずたずたにするためのルールだった。
「では、お題」 神田部長が、非情にも最初の問いを放つ。
「『IT企業の面接で、面接官を唸らせた意外な自己PRとは?』」
高橋さんは、一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに自信を取り戻し、スッと手を挙げた。 彼女は、僕と佐藤君、そして神田部長という、「分かる」人間たちの方を向いて、こう答えた。
「『御社のサーバーの脆弱性を、三つ、発見してきました』」
僕と佐藤君は「うわ、頭いい…」と感心し、神田部長も「なるほどな」と頷く。
しかし、たった一人。審査員である山田君だけが、腕を組んで、本気で首を傾げていた。 やがて、彼は、悪気なく、残酷な一言を放った。
「……え? すんません、ぜいじゃくせい…?って、どういう意味すか?」
ピキッ。
高橋さんの、綺麗な顔のどこかから、そんな音が聞こえた気がした。 神田部長が、無慈悲な宣告を下す。
「高橋。今の答え、山田には伝わらなかった。…つまり、『スベり』だ」
その瞬間、高橋さんの手元で、単語カード帳が、ミシリと音を立てた。 彼女の苦難は、その後も続いた。
僕たちが「面白い!」と唸るような、知的で、文学的で、皮肉の効いた答えを出せば出すほど、審査員・山田の「どういう意味すか?」という、純粋な刃が、彼女のプライドを切り刻んでいく。
「もう、いい!」
ついに、彼女がキレた。
「どうせ、私の答えなんて、この筋肉バカには伝わらないのよ!」
「誰が筋肉バカだ!」と山田君が怒る。
部室の空気が、最悪になった。 その時、神田部長が、ポン、と手を叩いた。
「…よし、高橋。ラストチャンスだ。これが、最後のお題」
彼は、静かに言った。
「お題:フラれた友達にかける、一番優しい言葉とは?」
それは、知識や教養を問うお題ではなかった。ただ、人の心を問うお題。 高橋さんは、ハッとした顔で、山田君を見た。 彼女の脳裏に、いつか山田君が、大喜利勉強会で言っていた、あの悲しい失恋の答えが蘇ったのかもしれない。
彼女は、初めて、僕たちや神田部長ではなく、まっすぐに、審査員である山田君だけを見て、言った。 その声には、もう、皮肉の色はなかった。
「…よしよし。俺が、代わりにぶん殴ってきてやろうか?」
少しだけぶっきらぼうな、でも、心の底からの優しさがこもった、その一言。 それを聞いた山田君は、一瞬、きょとんとした後、顔をくしゃくしゃにして、叫んだ。
「……高橋さんっ…!あんた、最高だよ…!」
彼は、面白い、というより、感動していた。 神田部長が、静かに頷く。
「…伝わったな。高橋、座布団一枚だ」
高橋さんは、何も言わなかった。
ただ、少しだけ顔を赤らめて、俯いた。 彼女が、自分の「鋭さ」だけではない、新しい武器、「相手の心に寄り添う」という武器を手に入れた瞬間だった。




