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「答え、求ム。」

放課後のチャイムは、世界の解像度を一段階上げる合図だ。 さっきまでの授業が嘘だったみたいに、モノクロだった教室のあちこちで、カラフルな会話の花が咲き乱れる。


僕の名前は、桜井誠。高校二年生。


その、彩り豊かな世界の片隅で、僕はいつも、自分の言葉の居場所を探している。


「昨日公開されたヤツ、見た? まじ神回! 超わかるんだけど!」


グループの中心で、クラスのムードメーカー的存在の男子がスマホを振りながら興奮気味に話している。


人気の動画クリエイターがやる、「〇〇な時のあるある」とかいうやつだ。 周りは「わかるー!」と軽快に頷いているが、そのうちの二人は、たぶん、よく分かっていない顔をしている。


(わかるのはお前だけで、聞いてる友達はわかってない顔してるぞ)


僕の頭の中では、完璧なツッコミが生まれた。的確で、少し皮肉が効いていて、きっと、みんなを笑顔にできるはずの言葉。


でも、それは、喉の奥で詰まって、決して外に出ることはない。僕の口は、まるで固く閉ざされた金庫みたいに、大切な言葉を閉じ込めてしまうのだ。 僕は、誰にも気づかれないようにそっと息を吐く。


口に出せない言葉だけが、僕の世界の解像度を無駄に上げていく。まるで、高性能なカメラで、誰も気にしないような細部ばかりを映し出しているみたいに。


誰かの言葉の端々に、行動の矛盾に、つい「正解」のツッコミや、「面白い」答えを探してしまう。そして、見つけても言えない。


それが僕、桜井誠の日常だった。この、胸の中に溜まっていく、誰にも言えない言葉の澱が、僕を少しずつ、孤独にしているような気がしていた。


やがて、ほとんどの生徒が部活やバイトの話をしながら教室を出ていき、あれだけカラフルだった世界は、あっという間に色を失う。


西日が差し込む教室で、空気中を舞う埃がきらきらと光っている。まるで、僕の言えなかった言葉の燃えカスみたいだった。


家に帰る気にもなれず、机に突っ伏そうとした時、ふと黒板の隅に貼られた一枚の紙に目が留まった。誰かが剥がし忘れた連絡プリントだろうか。 いや、違う。わら半紙に、手書きの太いマジックで、ただ一言。


『答え、求ム。』


下に小さな文字で『旧視聴覚準備室にて』とだけ書かれている。 答えを、求める? いたずらにしては、あまりに不親切だ。


誰が、なんの答えを求めているんだろう。 この、あまりにも唐突で、意味不明なメッセージが、なぜか僕の心に、これまで感じたことのない微かな引っかかりを残した。


まるで、僕の胸の中にずっとあった「答えのない問い」に、初めて誰かが反応してくれたみたいに。


僕はその不思議なメッセージから、しばらく目を離せなかった。


***


それから数日が過ぎた。 あの貼り紙のことが、錆びた鉄の味みたいに頭の奥にこびりついて離れない。答えって、なんの。誰が、求めてるんだ。 考えたところで、確かめに行く勇気なんて、僕にあるはずもなかった。


誰かに話しかけ、尋ねる。それだけで、僕の心臓は喉から飛び出しそうになる。だから僕は、いつもと同じように、日常の中に答えのない問いを探していた。


僕にとって、大喜利は、誰にも見せない僕だけの呼吸だった。


昼休み、屋上につながる誰も通らない階段の踊り場。

放課後、人通りのない図書室の奥の棚。


僕はそこで、頭の中に浮かんだ「お題」に対して、黙々と「答え」を考えていた。 誰かに聞かせるわけじゃない。誰かに評価されるわけでもない。それでも、僕は、この時間だけが、僕が僕でいられる唯一の瞬間だと感じていた。


(そもそも、大喜利って何なんだろう?)


ふと、そんな根本的な疑問が頭をよぎる。


(『お題』に対して、『面白い答え』を返すこと。ただ、それだけ。でも、その『面白い』っていうのが、一番難しい。常識を壊したり、意外な視点を見つけたり、皮肉を込めてみたり…)


僕は、ノートの片隅に、自分なりの「大喜利論」を書き殴る。 (僕にとっての大喜利は、誰も気づかない「発見」だ。日常の裏側に潜む、奇妙な繋がりとか、当たり前の中に隠れた「ズレ」を見つけ出すこと。


それが、僕だけの言葉なんだ) 言葉を上手く使えない僕が、唯一、世界と繋がれる、僕だけの武器。それが大喜利だった。


その日の放課後も、僕は、人気のない校舎の裏にある、古びたベンチに座っていた。 スマホのメモ帳アプリを開き、そこに「今日のお題」を打ち込む。


『こんなアルバイトは嫌だ。どんなアルバイト?』


指が、自然と動き出す。


(面接官が全員、無言で僕のSNSの過去投稿をスクロールしてる)


うん、これは怖い。現代的な「やりすぎ」だ。


(採用されたら、なぜか社長の家の合い鍵を渡された)


これも嫌だな。プライベートの強要。


(時給が、その日の『やる気』によって変動する)


見えないものを数値化される不気味さ。


僕の思考は、言葉の迷路をさまよう。 しかし、その迷路の中にこそ、僕だけの「発見」が隠れていると信じていた。 お題は次々に変わる。


『〇〇っぽい顔で「ごめんなさい」と言ってください』

『「もう、やめてくれ…」どんな状況?』

『コンビニの店員が、客の顔を一切見ない。なぜ?』

『僕のスマホを勝手に覗き込んだ親友が、絶望した顔で見てきた。何を覗いた?』


そうして、いくつものお題を立て、いくつもの答えを考え、時には消し、時には残す。 頭の中は、言葉の洪水だ。


(噂の伝説のハガキ職人の人は、一日2000個もボケを考えるらしいけど、僕には無理だ。一日30個でも、脳みそが沸騰しそうだ…)


それでも、僕は、指を止めない。 この苦しい作業の先に、きっと、僕だけの「正解」がある。 そして、その日の僕が、一人で考えたお題と答えは、ゆうに30個を超えていた。


『最近のAI、ここが怖い。どんなAI?』

『回答:僕の考えた、最高のギャグを、先にTwitterで呟いていた』


『駅のホームで、急行列車がすごいスピードで通り過ぎていった。次の瞬間、車掌が僕に一言』

『回答:「この駅では、時空が歪むため、通過時刻はランダムです」』


心の中では、爆笑している。


これだ。この、誰も気づかない「裏側」に、僕だけの「面白い」が潜んでいる。 この「発見」の瞬間だけが、僕に、確かな「居場所」を与えてくれていた。


校舎裏の、誰も使わない水道の前。蛇口は赤茶色に錆びつき、固く口を閉ざしている。まるで、もう何年も言葉を発していない誰かみたいだ。僕みたいに。 僕は無意識に、その蛇口にお題を出していた。


「……『ひねる』以外の使い方を教えてください」


それは、誰に聞かせるでもない、僕だけの遊び。僕だけの、答えのない問い。 そう思った、はずだった。


「それ、面白い答えが出そうだね」


不意に、背後から声がした。 振り返ると、知らない上級生が面白そうに僕を見て立っていた。 その瞳は、何を考えているか読めないが、どこか僕の心の内側を見透かしているかのように、真っ直ぐだった。驚いて固まる僕に、彼はニヤリと笑ってこう言った。


「君、もしかしてあの貼り紙、見た?」


心臓が、喉から飛び出しそうだった。 貼り紙。黒板の隅にあった、あの奇妙なメッセージ。なぜこの人がそれを知っている? まるで、僕の心の中を覗かれたみたいで、背筋が冷たくなる。


僕の秘密が、僕だけの世界が、突然侵食されていくような恐怖が襲いかかる。


パニックになった頭で、口から飛び出したのは、本心とは真逆の、一番つまらない言葉だった。


「い、いえ。見てませんけど……」


自分でも情けないほど、声が上ずっている。最悪だ。僕はどうして、こういう時に限って、一番つまらない嘘をついてしまうんだろう。


本当は、誰かが僕に、答えを求めていることに、少しだけ、いや、強く惹かれていたのに。 しかし、上級生は僕の嘘を全く意に介した様子もなく、さらに笑みを深めた。


「そっか。見てないんだ。まあ、いいや」 彼は楽しそうに続ける。 「俺は探してるんだ、世界で一番面白い『答え』をな。…決めた。お前、俺の仲間になれ」


(どこの海賊王だよ)


いきなり何を言い出すんだ、この人は。僕の思考が完全に停止しているのを無視して、彼は満足そうに頷いた。


「行こうぜ、俺たちの宝島に」


そう言うと、彼は僕の返事を待たずに歩き出した。そして、数歩進んでから振り返り、「ほら、早く」と手招きする。


その有無を言わせぬ態度に、僕はなぜか逆らうことができず、まるで本当に海賊に捕まったみたいに、その後ろをよろよろとついていくしかなかった。


西日が差し込む廊下を抜け、僕らがたどり着いたのは、普段は誰も近づかない特別棟の突き当たりだった。『旧視聴覚準備室』というプレートが掛かった、古びた扉。 上級生は扉の前で立ち止まり、満足そうに僕を見下ろした。


「さあ、ここが俺たちのアジトだよ」


(船じゃないのかよ)


扉の向こうから、微かに、楽しそうな笑い声が聞こえる。彼が、ゆっくりとドアノブに手をかけたところで、僕の心臓は、また大きく跳ねた。僕だけの世界が、今、破られようとしている。


でも、同時に、この扉の向こうに、僕の言葉が、僕の「答え」が、初めて報われる場所があるのではないかという、微かな期待も膨らんでいた。

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