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菓子売り少女の魔女殺し  作者: 田川きゆう
第1章

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第7話 ハルバン家の魔女④

セラは、木製のトレーを抱えたまま、地下へと続く螺旋階段を静かに降りていった。

足元から伝わる石の感触と、肌を撫でるようなひんやりとした空気が、胸の奥の不安を強調する。


やがて階段を下りきると、彼女はすぐ手前の独房に目を向けた。

格子の向こうでは、マルタが膝を抱え、顔を伏せたまま小さくうずくまっていた。


ヒタ……ヒタ……

セラの足音が、石造りの壁に反響する。


その音に気づいたのか、マルタが顔を上げた。

目は真っ赤に腫れ、頬には涙の痕が残っている。


「……誰……?」


声はかすれていた。


「マルタだよ!セラさんを助けにきたよ!」


あえてマルタのような無邪気な声色で言うと、マルタの顔に、わずかながら安堵の笑みが浮かんだ。


「セラさんだ!」


無理やり、無邪気な声をあげる。

泣き過ぎて、喉が枯れてしまっているのだろう。

セラは独房の前にトレーをそっと置くと、扉を開く。


「どう?エレーネ姉様を殺した人は見つかった?」


マルタの問いに、セラは首を振った。


「……いいえ」


「そっか……」


マルタは目を伏せたが、すぐに顔を上げた。


「でも……私、逃げなかったよ。怖かったけど……逃げたら、姉様の死が無駄になる気がして」


セラは、マルタの前に静かに膝をつくと、その顔をじっと見つめた。

頬のこわばり、唇の乾き、そして何より——全身から失われつつある熱。

この冷たい独房で、一夜を越すのは大人でも困難だ。

ましてやマルタのような細身の少女には、あまりにも過酷すぎる。


「寒いでしょう」


セラは、マルタの体をそっと優しく包み込む。まるで氷のようなその体温が、じわじわと自分の肌に染み込んできた。


「大丈夫。……セラさんが、ちゃんと見てくれてるから」


その言葉に、セラの胸の内で何かが小さく波打った。マルタは、優しく抱き返す。


この冷えた空間に、たしかに二人の体温が存在していた。

それは、ここに命があるという証として、静かにセラの胸に刻まれていく。


セラは立ち上がり、短く言った。


「……明日までには終わらせる」


「え……?」


「そのとき、すべてを話す。それまで、待ってて」


セラの言葉は、誓いでも慰めでもなかった。ただ、静かな宣言だった。


マルタが何かを言いかけたが、セラは一歩下がり、トレーの上のパンを指さした。


「食べて。少しでも力をつけておいて」


そう言い残し、セラは再び階段を上っていった。

地下の冷気を背に受けながら。




セラは、マルタの部屋のベットへ仰向けに寝そべる。そして、思考を巡らせる。


(今夜だ、今夜中に魔女を見つけ出し、次の日の朝までに殺す。それが制限時間だ。マルタへは先ほど、外で取ってきた数束の藁を渡した。これで多少は防寒にはなるだろう。そして、大量の水を木杯に注いで置いといた。脱水の心配もない。それでも、時間には限りがある。夜明けまでに魔女を見つけられなければ、マルタの命は……。


だが、肝心の魔女がわからない。調査不足の可能性もあるが、今から新たに動き出すには遅すぎる。すでに夜も更け、廊下の灯りも消され、住人たちも眠りについているだろう。それぞれの人間関係を観察することもできない。ならばこの少ない情報の中で、魔女を探し出さなければならない。


まず、魔女は自らの生存を第一に考える。そうであるならば、貴族という、安定した人生を送る世界の人間に魔女が乗っ取るのはよくあることだ。また、乗っ取りを繰り返し、最終的に帝都へと至ることができれば、魔女の永遠はほぼ確約されたものとなる。その点で言えば、ハルバン家の人間に乗っ取ることは合理的である。村の誰かが、エレーネに近づき、エレーネの体を乗っ取った。そして今度は、魔女になったエレーネが別の誰かに。

エレーネはハルバン家という鎖に拘束されているのだろう。マルタとの会話からそう窺える。帝都の貴族であるヴェルティア家の長男がわざわざ、辺境の村へ赴いて婚約するというのもそれを裏付ける。他の一般の村人に乗り移るメリットはない。ならば、魔女はハルバン家の誰かに乗り移ったに違いない。


では、エレーネが魔女だとして、エレーネから乗り移ったと考えられる人物の候補は誰か、クラリッサ、リディア、マルタ、ユリウス、マリーの5人が挙げられる。

だが、まず候補から外れるのが、マリーとマルタ。マリーは侍女として雇われているだけであり、エレーネが心を開く関係を築くのは難しいだろう。また、マルタも同様。マルタが魔女であるならば、私をそのまま独房に拘束した後、わざわざ自らの命危険を冒してまで、私を救出することはない。マルタの行動原理は魔女の冷徹な合理性に反する。仮にマルタが魔女だとして、私に近づいてきたのであれば、私に魔法をかけるはずだ。だが、魔法にかかってしまうほど、私はマルタに心を開いていない。

残るはクラリッサ、リディア、ユリウス。


ユリウスは帝都の人間であり、乗っ取ることは最も合理的だ。しかし、彼はエレーネの婚約者でありながら、リディアと逢瀬を重ねていた。もし今、ユリウスが魔女であるならば、エレーネはユリウスに対して心を開いていなければならない。マルタの証言や、ホールでのユリウスの安っぽい演技を見る限り、ユリウスはエレーネに打算しか抱いていなかったはずだ。心を開いていない肉体への乗っ取りは不可能。また、仮にユリウスに乗り移ったとして、リディアに近づいた理由はなんだろうか。エレーネの方が乗っ取りの成功率は高いはずなのに、予備の肉体としてリディアを近づけるのは回りくどい。ユリウスの線は極めて薄い。


次にリディアだ。リディアはエレーネに対して嫉妬を抱いている。その嫉妬は、自分の美しさへの過剰な執着からくるものだ。リディアがエレーネに心を開いていたとは考え辛い。嫉妬をしながらも、その美点を認め心を開いていたという可能性もゼロではないが、その前提を踏まえたとしても、リディアはエレーネより立場が弱い次女だ。エレーネからわざわざリディアの肉体に移ることは生存の合理性に反する。魔女はより安定的な器を選ぶのが常だ。リディアの線も薄い。


最後にクラリッサだ。クラリッサに関してはあまりにも情報が少なすぎる。クラリッサがエレーネに対して心を開いているということには何ら違和感がない。また、彼女はハルバン家の現当主であり、帝都との水源の交渉権を持っている。その立場を利用すれば、帝都に至ることは容易い。それは合理的だ。だが、クラリッサには、エレーネが死んだ前と後で、感情的な変化が一切見られない。リディアは感情を爆発させたが、クラリッサは常に心を押し殺していた。食堂に入った時から、家族の距離感と、クラリッサが最も遠い場所にいた。それに、私がマルタとしてクラリッサの部屋に呼ばれた時はようやく自らの心を吐き出すように話していたが、それでも嘘を吐き、感情を抑え込んでいた。魔女の乗っ取りによる違和感か、それとも強すぎる母の役割を演じ続けてきたゆえのものか——今の私には判断がつかない。


……どうしよう。ハルバン家全員の候補が、魔女の「乗っ取りの常識」に照らすと論理的に潰れてしまった。


だが、なんだ?どことなく違和感があるような。魔女がトリックを仕掛けて複雑な人間関係を仕組んでいるはずがない。私が、魔女狩りをしていることは魔女たちにはまだ、知られていない。 ならばこれは単純な人間関係であるはずだ。単純なはずだ)


セラの脳内に、思考のどこかが引っかかるような奇妙な違和感が広がっていた。


(こういうときは、一度すべてを根本から見直すべきだ……)


セラは目を閉じ、深く静かに息を吐いた。


心の中を渦巻いていた複雑な思考をすべて押し流し、意識的に無の状態へと自分を導く。

一度すべてを壊すのだ。記憶、推測、直感、疑念。混乱を引き起こしていた要素をすべて、ばらばらの点として切り離す。


セラは、頭の中で出来事を一つずつ並べていく。


会話の調子、目線の揺れ、癖の違い、言葉遣いの微妙な変化。

周囲の反応。誰が笑い、誰が目をそらし、誰が不自然だったのか。


やがて、一本の糸が彼女の内面でつながった。


(……そうだ)


脳の奥で、何かが「カチリ」と音を立てて噛み合う。


それは、全ての違和感を一つに束ねる答えだった。


(複雑に考える必要なんてなかった。ただ……視点を少しずらせばよかっただけ)


たったひとつの、見落としていた単純な真理。

「魔女はいつからそこにいたのか」という時間の断絶を、彼女はようやく見抜いた。


そして確信する。


(……魔女は、アイツだ)


セラはベッドの上で上体を起こすと、懐に手を差し入れ、一つの植物を取り出した。それはトリカブト——そう、毒だ。


窓の奥の遠くの日の出が緩やかに長い夜の終わりを静かに告げる。

彼女はその口元を吊り上げている。


——セラは、魔女を見つけた。

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