第25話 菓匠ギルドの魔女⑥
セラは自分の家の玄関扉を開け、外へと出た。
明け方の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、強く吐き出す。
一歩、また一歩。
歩みは、あの場所——魔女のいる場所へと向かっている。
決して正体を悟られぬよう、ローブを羽織り、顔を伏せたまま進む。
菓匠ギルドの建物を横目に通り過ぎ、さらに先へ。
やがてセラは足を止めた。
木造の簡易な倉庫。海に近く、交易に向いた場所。
——流通業ギルド。
セラは建物の陰に身を潜め、玄関から死角になる位置で息を潜める。
しばらくして、扉が軋む音を立てて開いた。
周囲を警戒するように視線を巡らせ、誰もいないことを確認してから、その人物は外へ出てきた。
「お疲れ様です。すみません、ちょっと取材したいことがあっていいですか?」
セラは声色を一変させ、子供のような、無邪気な声で話しかける。
「え? あ、はい。大丈夫ですよ」
相手は戸惑いながらも足を止めた。
「ここだと恥ずかしくて……」
そう言ってセラは、自然な仕草で路地裏へと誘導する。
「えっと……取材って、なんですか?」
その問いに答える代わりに、セラは静かにローブを脱いだ。
「あ……え?セ、セラさん!?」
「ええ、お久しぶりです」
声はもう、子供のものではなかった。
「取材というのはですね。以前あなたと話した、恋愛テクニックの件です。ほら……プレゼントをあげることと、あと一つ、何でしたっけ?」
一瞬、相手の喉が鳴る。だが、それを誤魔化すように笑い、言葉を並べる。
「え、あぁ……はい!
そうですね、プレゼントと……その人と親密になる、っていうのが大事なんですよ!」
その瞬間、セラの表情から一切の温度が消えた。
——次の瞬間。
ナイフが閃き、魔女の首を切り裂く。
「言ってないわよ?そんなこと」
血を押さえながら崩れ落ちる相手を、冷たく見下ろす。
——魔女の正体は、カーラだった。
「ふざけるな……何者だ……」
喉を掻き切られ、血を押さえながら掠れた声を上げるカーラ。
その姿を見下ろし、セラは口元をわずかに歪めた。
「どうも……私は、魔女よ」
「い、意味がわからない……魔女が、魔女を殺すはずがないだろう……!」
カーラの声には、恐怖よりも混乱が滲んでいた。
「同族を潰し合うなんて、そんなこと……」
セラは小さく首を傾げる。
村では、自分が「魔女」だと名乗れば、
魔女狩りの魔女——セラ の意味まで伝わるものだと思っていた。
だが、彼女はそれを知らない。
「あら……残念ね」
どこか芝居がかった調子で、セラは笑う。
「結構、魔女の間では知られているつもりだったのだけれど……私の努力不足かしら」
歪んだ笑みを浮かべたまま、視線を落とす。
「クサンドラ……あなたの妹、いいえ……妹だった彼女に、何か言いたいことはない?」
「……あるはずがない」
カーラは血の混じった息を吐き、乾いた笑い声を漏らす。
「あの子は……私のために生きた。
そして……私のために、死んでいくんだ……ははは……」
その笑いは、最後まで自分の正しさを疑わない音だった。
セラは何も言わない。
冷え切った目で、その狂気を見下ろしていた。
魔女になったセヴェリは、些細な変化からクサンドラに察せられてしまった。
そのため、危険を回避するために次の肉体へ移り変わる決断を下す。
そこでセヴェリは、時期親方になろうとしているクサンドラの心につけ込んだ。
親方になる方法を餌にし、期待と焦燥を煽り、精神を徐々に弄んでいった。
次にセヴェリは、新たな肉体の候補を探した。
そこで狙いを定めたのが、流通業ギルドのカーラだった。
クサンドラと接点の薄い人間であれば、万が一異変に気づかれても、行動の線を辿られる危険は低い。
そのためセヴェリは深夜に外出し、セリーヌという恋人がいながら、密かにカーラと関係を持った。
それは恋愛ではなく、感情と身体を結びつけるための準備だった。
何度も流通業ギルドと顔を合わせているはずの受付のニコが、カーラの名前を聞いてもすぐに思い出せなかったのに、セヴェリだけが真っ先にその名を口にした理由も、そこにある。
——そして、セヴェリ自身が、首吊りの滑車装置を作り上げた。
これはクサンドラ一人では不可能だった。
ロープを固定するための木箱を持ち上げることも、切断後に落下する小麦粉袋を扱うことも、
大柄なセヴェリでなければ成立しない作業だったからだ。
カーラの肉体に乗り移った後は、「セヴェリの自殺を見て精神的に不安定になった」という理由で、菓匠ギルドへ近づかない口実も簡単に作れる。
仮に、自殺偽装が見抜かれたとしても構わない。
疑いはすべてクサンドラへ向かう。
そのために、セヴェリはあえて粗の多い遺書を残した。
少し考えれば不自然だが、感情が先行した人間ほど、真っ先に飛びつく内容。
証拠も、動機も揃えば、あとは捕まるだけだ。
家族殺しと偽装工作は、この帝国においてほぼ確実に処刑。
魔女の存在が知られていない世界では、クサンドラの弁明が信じられることはない。
こうして、セヴェリが魔女だったことを知る唯一の人間——クサンドラは処刑され、カーラの肉体に移った魔女は、何事もなかったように日常へ戻る。
セラは、呆れたように小さく息を吐いた。
「……最低ね」
セラは、カーラの肉体を蹴り飛ばした。
バランスを崩したカーラは尻餅をつき、そのまま後方へ倒れ込む。
首元を押さえていた手を力づくで払いのけ、
セラは傷口に、さらにナイフを突き立てた。
「ははは……ははは……楽しいぞ……」
血を吐きながら、魔女は狂ったように笑う。
「他人の人生を弄ぶというのは……こんなの、魔女にしかできない……」
その言葉ごと、セラは首元を何度も切り裂いた。刃が皮膚を割き、骨に近づいていく感触が、手に伝わる。
魔女の呼吸は次第に細くなる。
それでも笑い声だけは、途切れなかった。
セラの体の底が、理解できないほど熱くなる。
その熱はナイフを媒介に、抑えきれない殺意となって溢れ出す。
やがて刃は、首の骨に到達した。
鈍い音が鳴る。それでも手は止まらなかった。
金髪を鷲掴みにし、最後まで引き裂く。
焦茶色のローブは、いつの間にか真っ赤に染まっていた。
切り裂き続けるうち、ナイフに伝わる感触が消える。
カーラの肉体は、頭部と胴体が完全に分かれていた。
セラは舌打ちをし、理解できない感情のまま、その頭部を乱暴に投げ捨てた。
——その直後。
何者かの足音が、静寂を切り裂いた。
セラは反射的に振り返る。
逆光の中、黒く縁取られた影が、確かにこちらを見ている。
(……しくじった。見られた)
影はまっすぐこちらへ歩いてくる。
セラは血に濡れたナイフを、強く握り締めた。
やがて、男の声が聞こえる。
「……なにを、やっているんだ……セラ」
逆光が解け、その顔がはっきりと見える。
——ライだった。
セラは、ライに連れられ、いつもの商業区、丘の上の公園に来ていた。
「……なんのつもりですか?」
感情を抑えた声で、セラは問いかける。
ライは相変わらず、場違いなほど軽い調子で笑った。
「さあな。俺にもよくわからん」
「はぐらかさないでください」
「怖い怖い」
肩をすくめながら、ライは続ける。
「それよりさ。どうして、まず礼を言わない?」
「……?」
「死体の処理、手伝ってやっただろ?」
セラは一瞬だけ黙り込み、眉をひそめる。
「……正直に言えば、助かりました」
吐き捨てるように言ってから、続ける。
「カーラの死体を6分割して、重しをつけて海に捨てる。
あれは……一人でやるには骨が折れました」
「よし。及第点」
ライは満足そうに頷く。
「……なんかムカつきますけど。ありがとうございます」
「素直じゃねぇなぁ」
セラは溜め息をつき、改めて問い直す。
「で、答えてください。殺害現場を見たのなら、私を衛兵に突き出せばよかったはずです」
「そうだな」
「それで終わりでしょう?」
ライは、ゆっくりフェンスに体を預け、
遠くに広がる商業区を見下ろした。
「今日はさ、お前、だいぶ自棄になってるな」
「自棄になってません。ただ、早く理由を聞きたいだけです」
ライは小さく笑い、空を仰ぐ。
「まぁ、その話は——
ここに来た理由と、一緒に話そうぜ」
セラは一瞬だけ迷い、それからライの隣に立ち、同じ景色を見た。
「12年前だ」
ライは、公園の景色を見つめたまま語り出した。
「地方の小さな村で、孤児院が燃えた。
本来なら煉瓦で建てるはずの建物を、簡易な木造で済ませていたらしい」
セラの胸が、わずかに軋む。
「全焼だった。なのに、死んだのは管理人が1人と、子供が2だけだ」
「……」
「妙だと思わないか?」
ライは淡々と続ける。
「奇跡が起きることはある。でも、起きた奇跡には、必ず理由がある」
セラの喉が、ひくりと鳴った。
「俺はその火事の話がどうも引っかるんだ。そこで、俺個人で、調査しに行った。
孤児院は再建され、生き残った子供たちはそこに移された。俺は村まで行って、当時の話を聞いた。
——ある子供が言った」
セラの呼吸が、浅くなる。
「1人の子が、みんなに星を見に行こうって外に連れ出したってな、その間に、孤児院は天を焼くみたいに燃え上がったらしい」
ライは低く笑った。
「おかしいだろ。火事ってのは、普通もっとゆっくり広がる。
それに、まるで燃えると分かってたみたいじゃないか」
セラは何も言えない。
「しかもな、火災で死んだ2人の子供。子供たちの証言では、火災の前に亡くなっていたと。
火災で亡くなったのは管理人1だけだとな」
セラは息を吐く。意識して、平静を作る。
「……なるほど。それで?」
ライの声が、わずかに低くなる。
「全員を外に連れ出した子供の名前を聞いた
——セラ、だ」
セラの肩が、微かに震えた。
「……偶然の一致ですね同じ名前の人がいたなんて」
絞り出すように言う。
ライが、ようやくこちらを見た。
「何言ってんだ?あの孤児院を燃やしたのは、お前だろ。
管理人を殺すためか……あるいは、殺した証拠を隠すためか」
セラの背中を、冷や汗が伝う。
拭う余裕すらなかった。
「遠い村からやってきた、常識はずれの古びたチュニックを着た村娘がいた。名をセラと名乗った。そして、その村娘を追った。
俺はその村娘が、人を殺した直後の現場を見た。そいつは、自分を——魔女だと名乗った」
セラの呼吸が乱れる。
ライの手が、セラの肩を掴んだ。
「なあ……お前さ……何か“目的”があって、動いてるだろ?」
警報のように、頭の奥が鳴り続ける。逃げ場がない。
——と。
「……なんつって!」
ライの顔が、一瞬で崩れた。
「ははは!その反応、図星だな!」
肩を掴んだ手が、軽く叩くように離れる。
セラは、今になって自分が息を止めていたことに気づき、荒く息を吐いた。
「いやぁ、すげえ顔してたぞ今」
ライは楽しそうに笑い、話題を切り替える。
「でさ。ちょっと頼みがあるんだけど」
セラは目を細める。
「帝都で何でも屋なんてやってるとさ。
どうにも、表じゃ動けない案件が出てくるんだよ——それ、手伝ってくれない?」
「……断ったら?」
「うーん」
ライは指を立てる。
「この人、人を殺しましたー!って衛兵にお話ししちゃうかも!」
脅しだった。分かりきった、だが確実な。
「……なるほど」
セラは苦く笑う。
「そういうことですか。見事にやられました」
「はは、だろ?」
ライは満足そうに頷く。
「ま、遠い国の偉い人が言ってたらしいぜ。
恩を知りて、報いるを図れってな。
俺の恩、忘れんなよ?」
肩をすくめる。
「で……具体的に、何をすればいいのですか?」
セラが問う。
「んー、それはな」
ライは顎に手を当て、わざとらしく考える素振りを見せた。
「明日、来てくれ。その時にまとめて話す」
「……明日は、少し厳しいかもです」
視線を逸らし、探るような言い方。
「へぇ?」
ライは一瞬だけセラを見るが、すぐに肩をすくめる。
「じゃあ、明後日でいい」
あっさりとした返答だった。
セラは小さく舌打ちを飲み込む。
「……わかりました。お受けいたします」
「おっけぇ!」
ライは手を叩き、楽しそうに笑う。
「じゃあ、明後日の昼頃。ここでな!」




