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菓子売り少女の魔女殺し  作者: 田川きゆう
第1章

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第23話 菓匠ギルドの魔女④

セラと茶髪の男性の二人で荷車を引き、倉庫の前へ向かった。


「あ、ちょっと待っててください。今、倉庫の中が散らかってまして……片付けますから」


「それなら私も手伝いますよ」


「いえいえ! あの……ほら、菓子作りの成績って倉庫の清潔さに表れるって言うじゃないですか!

あんまり、そういうところ見せたくないんですよ!」


雑に捲し立てた嘘だったが、疑われる理由はない。

茶髪の男性は少し首を傾げながらも頷いた。


セラは男性を外で待たせ、倉庫の中へ一人で入る。


倉庫は相変わらず、ひんやりとした石造りだった。

重たい木箱と、小麦粉の入った紙袋が整然と並び、セヴェリの遺体や、それによる汚れはすべて綺麗に消えている。

まるで、最初から何もなかったかのように。


だが、天井に打ち込まれた杭の跡。

ぽっかりと残る穴だけが、ここで起きた出来事が現実だったと無言で告げていた。


セラは、遺体を発見した瞬間に抱いた疑問を、もう一度反芻する。


(どうして倉庫だったのか……わざわざ天井に穴を開けてまで)


自殺を装うだけなら、ロビーでもよかった。

もっと簡単に、目につく場所はいくらでもあったはずだ。


そして、もう一つ。


(どうやって、あの大柄な肉体をロープにかけたのか)


共犯者がいれば説明はつく。

だが、セヴェリを殺し、なおかつ親方を陥れる動機を持つ人物は、今のところクサンドラ以外に思い浮かばない。


魔女が関与していた場合も同様だ。


セリーヌは、あの「距離を取る作戦」を、セヴェリの死後も正確に覚えていた。

セヴェリが彼女に乗り移っていたなら、あれを知っているはずがない。


ニコも同じだ。

頬を染めるという、自分への淡い恋慕——それはセヴェリが把握していた情報ではない。


ヌノとジーニョについては、会話の中ですでに否定材料が揃っている。

共犯としても、魔女としても、可能性は低い。


それでも、倉庫でなければならなかった理由だけが、まだ説明できない。


セラは、初めてセヴェリの遺体を見た瞬間の状況を、もう一度はっきりと思い返した。


(倉庫の扉を開けた瞬間、白い粉塵が舞い上がった……)


あれは、ただ埃が立った、という量ではなかった。

扉が開いたことで空気が揺れ、床や木箱の隙間に溜まっていた白い粉が、一斉に巻き上げられた——そんな印象だった。


(白い粉塵……白い粉……?)


胸の奥で、引っかかっていた違和感が、今になって強く主張し始める。


(倉庫にある白い粉といえば……小麦粉しかない)


セラは視線を巡らせ、小麦粉の入った紙袋を見る。

だが、目立って破れている袋は見当たらない。


ほぼ毎日のように流通業ギルドから補充が入り、消費量も激しい。

数日前に破れた紙袋がすでに処分されていても、不自然ではなかった。


(……だからといって、粉塵が舞った理由にはならない)


セラは、紙袋とは反対側——

壁際に積み上げられた、巨大な木箱の山へと目を向ける。


そこから、自然と記憶が引き戻される。


(天井には、杭が打ち込まれていて……その輪にロープが通されていた)


セヴェリの大柄な肉体。

それを、首に縄をかけ、宙吊りにするには、相当な力が必要なはずだった。


そして、もう一つ。


(セヴェリは……あの網状のロープを使って、小麦粉の紙袋を運んでいた)


一本一本が太く編まれた、漁獲用のような頑丈なロープ。

重量物をまとめ、引き上げるために作られたもの。


その瞬間、倉庫に散らばっていた点が、セラの頭の中で一気に繋がった。


(……そうか)


セラは、静かに息を呑む。


(重さを利用すれば……人の力を使わなくても……)


木箱。ロープ。天井の杭。


ここには、人一人の体重を持ち上げるための条件が、すでに揃っていた。


(共犯者がいなくても……セヴェリの死体をロープに吊るすことは可能だ)


それならば、あの「自殺」に見せかけた状況は成立する。魔女でなくとも、人間一人の手で。


セラは、ゆっくりと視線を落とした。


(だとしたら……それを可能にした痕跡が、どこかに残っているはず)


それを見つければ、セヴェリを殺した人間が、はっきりと浮かび上がる。




「さて、今日も終わりだ」


親方のその声が工房に落ちると、弟子たちは今日の修行を終え、疲れ切った足取りでそれぞれの部屋へと戻っていった。

誰も余計な言葉を交わさない。空気は、張り付いたまま剥がれなかった。


セラも工房を出る。

だが、今日は帰宅するつもりはなかった。


いつもなら、二階へ上がり、ベランダへ出て、クサンドラと並んで夕日を見る。

それが、ここ数日の習慣だった。


——けれど、今日は違う。


階段を上がりながら、セラは一度だけ視線を横に流す。

ベランダの方角。そこに、クサンドラの気配があることを確認する。


……いる。


それだけを確かめると、セラはベランダへの通路を通り過ぎ、そのまま真っ直ぐ廊下を進み、クサンドラの部屋の前に立った。


一瞬だけ、手が止まる。


(……ここまで来たら、引き返せない)


確信に近いものが、胸の奥で静かに形を持っていた。

この部屋を調べなければ、今夜、眠ることはできない。


セラは音を立てないように扉を開け、中へと足を踏み入れた。


クサンドラの部屋は、驚くほど質素だった。

空の本棚、何も置かれていないテーブル。椅子もない。

生活の痕跡が、最低限しか存在しない。


視線が、部屋の隅へと吸い寄せられる。


鍵のかかった、小さな引き出し。


——隠すとしたら、そこだ。


セラは懐から針金を取り出し、手早く鍵穴に差し込む。

躊躇はなかった。

違っていてほしい、という感情が一瞬だけ頭をよぎる。だが、指は止まらなかった。


小さな音を立てて、引き出しが開く。


(……やっぱり)


そこにあったのは、見覚えのあるものだった。

太く、丈夫に編まれた漁獲用の網。

セヴェリが、小麦粉の袋を背負うために使っていたものと、寸分違わない。


セラは静かに息を吐いた。


これを扱える人物は限られている。

倉庫の構造を知っていて、ロープの扱いに慣れ、なおかつ、あの大柄な肉体を宙に吊るせる手段を知っている者。


証拠は、偶然ではない。

隠し方も、衝動的ではなく、明確に犯行後を意識したものだった。


セラの頭の中で、散らばっていた線が、完全につながる。


(……今回、セヴェリを殺したのはクサンドラ。共犯者はいない。クサンドラ一人だけ)


だが、その結論にたどり着いたからこそ、別の問いが浮かび上がる。


(……それで、私はどうする?)


セラは引き出しを元通り閉め、部屋を見渡す。


(私は、魔女を殺す魔女。殺人鬼を暴くために生きているわけじゃない)


クサンドラは人間だ。

もし彼女が魔女でないのなら、この事件は、本来ならば、セラの管轄外だ。


人を殺した人間を見逃すことは、正しいのか。

魔女でなければ、許されるのか。


答えは出ない。


セラは静かに部屋を出る。

扉を、音を立てないよう、そっと閉める。


そして、廊下を戻り、クサンドラのいるベランダへと足を向けた。


夕日の中で、彼女は何を思っているのか。

それを確かめるために。


「今日は遅かったな……」


夕日の縁をなぞるように、クサンドラは視線を動かさずに言った。

まるで、セラがそこに来た瞬間から気配を感じ取っていたかのようだった。


「え、ええ……少し、お手洗いが長引いてしまって……」


「そうか……」


興味があるのか、ないのか分からない返事。

そして、いつもの沈黙が落ちる。


だが今日は、その沈黙に身を委ねてしまえば、

この先、口にしようとしている言葉が二度と外に出てこない気がした。


セラは意を決して口を開く。


「あの……クサンドラ——」


「セラ」


名前を呼ばれ、言葉が途中で断ち切られる。

クサンドラが、はじめて夕日から視線を外し、こちらを見た。


「オラ、言ったよな。何も考えんといてって」


その声には、静かな怒りが滲んでいた。


「昨日、なんで皆の前であんなこと言った?

親方に疑いを向けさせたままで、よかっただろ」


「……あれは、あの場の空気を収めるためで……」


言い終わる前に、クサンドラは小さく鼻で笑った。


「嘘つくの、下手だな。

アンタ、あの時もうわかっとった目をしとった」


セラの喉が、ひくりと鳴る。


「ギルドの連中も、今じゃオラを疑っとる。

……アンタの言葉一つで、流れが変わった」


クサンドラの視線が、真正面からセラを捉える。


「もう、終わりだ。アンタが何も言わなくても、最終的にオラは兄殺しで捕まる……けどな」


少しだけ声が低くなる。


「これからオラがやること。それだけは、否定せんでほしい」


夕日はいつの間にか完全に沈み、

空は群青色から、底のない闇へと変わっていた。


「セラ……アンタはオラが初めて出来た唯一の——」


クサンドラは何かを言いかけ、口を噤む。

最後まで言葉にはしなかった。


星は、今日は一つも見えなかった。


暗闇の中、クサンドラはフェンスにもたれたまま、動こうとしない。

その背中を前に、セラは何も言えなかった。


引き止めることも、肯定することも、否定することもせず——

セラは静かに踵を返し、一人でその場を後にした。


騒がしかった帝都の夜は、

彼女の背後で、何事もなかったかのように続いていた。

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