第22話 菓匠ギルドの魔女③
セラは商業区に足を運んでいた。
——親方の毒殺。その真偽を確かめるためだった。
セヴェリの遺体をこの目で見た直後、精神的な負担を理由に今日の修行を断り、工房を抜け出してきた。
セリーヌも同様に修行を休み、今は一人で自室に籠っている。
セラは深めのローブを羽織り、顔を極力隠している。
商業区では以前、ライと共に行動していた時、通行人が突如暴走する事件を目にしたことがあった。魔女絡みの可能性がある以上、自分が魔女を探していると悟られるのは致命的だ。
また、好むと好まざるとに関わらず、自分の容姿が人目を引きやすいことも理解していた。
不要な注目は、ただのリスクでしかない。
セラは屋台を一つ選び、何気ない様子で商品を買う。
そして、警戒心を解くため、声色を子供のものに変えた。
「おじさーん、最近、この辺でお店の人が急にいなくなったりって、ありますー?」
「ん?どうしたんだい、お嬢ちゃん。そんなこと聞いて」
「取材ですよ、取材! いつかここでお店を出すんです! だから、どんなお店が急に撤退するのかなーって」
「うーん……急に、ってのはあんまり聞かないなぁ。ここは入れ替わりが激しいけど、大体は売れ行きが悪くなって、自然に撤退してくって感じだな」
屋台の男は顎に手を当て、少し考える。
「まあ……あとは、最近噂になってる暴走事件くらいか。あれで大怪我して、そのまま辞めちまった人はいるけどな」
セラは男の目をじっと見つめる。
目は揺れていない。視線は逸れているが、これは嘘をつくときの逃避ではなく、記憶を探るときの仕草だ。
——彼は嘘をついていない。
セラは代金を払い、屋台を後にした。
そう感じながら、次の聞き込み先を探すため、人混みの中へと歩き出した。
セラは屋台や商店を渡り歩き、次々と人に話を聞いて回っていた。
直接的な問いは避け、あくまで雑談の延長のように、間接的な質問を重ねていく。
だが——
決定的な証言は、やはりどこからも得られなかった。
少なくとも、この商業区で「甘いものを食べて死んだ」という話は存在しない。
親方が他ギルドを毒殺していた、という遺書の内容は、外部の情報と一致していなかった。
(これで……遺書の内容が虚偽である可能性は、ほぼ確定ね)
セラは胸の内でそう結論づけ、小さく、しかし確かな手応えを覚えて頷いた。
顔を上げると、商業区の通りはすでに夕暮れの色に染まり始めていた。
セラはそのまま帰路につく……かと思いきや、足を止める。
向かったのは自宅ではなく、菓匠ギルドの前だった。
もっと正確に言えば、目的地はギルドではない。
——その隣に建つ、あの石造りの倉庫だ。
倉庫の扉に手をかける。
だが当然のように、鍵はかかっていた。
ニコに鍵を借りることも考えたが、すでにこの時間では受付は閉まっている。今日は諦めるしかない。
(もし……他殺だとしたら。
それを自殺に見せかける必要があったとして、
どうして、倉庫だったのかしら……)
倉庫という場所。
粉塵、密閉性、人の出入り、そして発見されるタイミング。
答えは、まだ見つからない。
空が完全に暗くなりきる前に、セラはその場を離れ、自分の家へと帰っていった。
セラは、自宅の二階にある灯りのない小さな部屋で、細身のベッドに仰向けに寝転がっていた。
窓から差し込むのは月明かりではなく、今日も変わらず星の光だった。
昼の陽射しの代わりに、それが部屋を静かに照らしている。
(クサンドラ……最も怪しいのは、やはりクサンドラ)
次期親方候補を目指す彼女からすれば、セヴェリを殺す理由も、それを自殺に見せかけ、さらに親方を陥れる理由も、筋が通っている。
——だが。
(本当に、クサンドラが殺したと決めつけていいのか……?)
セラは窓の外の星々を見つめる。
(別の可能性として……もし、セヴェリが魔女だったとしたら)
乗り移り先の候補は、いくつか考えられる。
弟子たちは皆、セヴェリを慕っていた。親方も、おそらくは例外ではない。
その中でも、乗っ取りが自然に成立する相手は——
セリーヌか、クサンドラ。
クサンドラは兄妹愛として。セリーヌは恋人として。
どちらが魔女になったとしても、決定的な違和感は残らない。
セラは、ゆっくりと目を閉じる。
(だが……どうやって、あの大柄な肉体のセヴェリを、縄にかけた?)
セリーヌにも、クサンドラにも、あの体を持ち上げるほどの筋力はない。
残る弟子たちも、そして親方でさえ、一人では困難だろう。
これは、魔女の存在を考えなくても同じだ。
他殺であれ、自殺に見せかけたにせよ、方法そのものが成立しない。
セラは、静かに目を開く。
(……共犯者)
その可能性が、頭に浮かんだ。
(もし、魔女が一人。そして、その手助けをした共犯者が一人)
二人で協力すれば、あの肉体を縄にかけることは可能だ。
それは、魔女が関係していなくとも言える。
(ならば——その共犯者を見つけるまで。
繋がりを、必ず暴いてやる)
次の日の朝。
セラは、いつも通り菓匠ギルドへと向かった。
工房の扉を開くと、すでに親方の修行は始まっていた。
そこにいたのは、親方と3人の弟子だけ——
セヴェリは言うまでもなく、セリーヌの姿もなかった。
工房を満たす空気は、重い。
親方に怒られるからではない。疑心暗鬼と、喪失感が染みついたこの空間で、口を開こうと考える者自体が、ほとんどいなかった。
セラは、今日もバター焼き菓子を作っていた。
基本中の基本。その一つに集中することで、すべての菓子に応用が利く。
生地をこねながら、視線を一人ずつ弟子たちへと向ける。
(親方を嵌めることで、得をする人物……クサンドラ以外にいるのだろうか?)
ジーニョ。ヌノ。
どちらも、得をするとは言い難い。
仮に、セヴェリが魔女で、別の肉体に乗り移ったとしても、セヴェリよりも人望の薄い相手を選ぶのは危険すぎる。
クサンドラ、ジーニョ、ヌノ——いずれも適切とは言えない。
では、共犯者になり得る人物は誰か。
セヴェリが殺される直前、彼と強い接点を持っていた者は、誰だったか。
(ヌノも、ジーニョも、親方も……決定的な接点がない。ニコも同様だ)
残るは、2人。
クサンドラ。セリーヌ。
(仮に——セヴェリが魔女で、セリーヌに乗り移ったとする。そして、クサンドラとセリーヌが協力し、セヴェリの首に縄をかけた……)
理屈の上では、成立する。
だが。
(セリーヌは魔女なのか?もし魔女になっていたなら——
後の、セリーヌが魔女と入れ替わったかを判断するための布石、「距離を取る作戦」を、あの後知っているはずがない)
魔女は、前の人格の感情や細かな記憶を引き継がない。
少なくとも、あそこまで繊細なやり取りを、完璧に再現できるとは考えにくい。
(……違う)
やがて、セラたちは休憩に入った。
工房内で無駄なお喋りをすれば、親方に怒鳴られる原因になりかねないため、休憩中の会話はもっぱらロビーで行われる。
ロビーには、受付の机に突っ伏して寝ているニコ。ヌノとジーニョ、そしてセラの4人がいた。
クサンドラは自室にこもって休憩しているらしい。
「はぁ……やんなるよ……親方が、あんな不正をしていたなんてさ」
ジーニョが、ため息混じりに吐き捨てる。
「ですから、それを決めつけるのは早いですよ、ジーニョ」
セラは、感情を交えず淡々と返した。
「うーん……」
ヌノが腕を組み、天井を見上げる。
「もし他殺だとしたら……それをやったのは、やっぱりうちのギルドの誰か、ってことになるよね」
「だよな」
ジーニョが即座に頷き、2人の顔を見た。
「ヌノ、セラ。お前たちは……誰がセヴェリを殺したと思う?」
ヌノは顎に手を当て、しばらく考え込んでから、ゆっくりと口を開く。
「……申し訳ないけど、僕はやっぱりクサンドラかな、って思ってしまう。
実の兄を殺したなんて信じたくはないけど……動機は、はっきりしているから」
「だよな……」
ジーニョも重ねる。
「クサンドラしか、いない気がする。
不気味だし、何を考えているかわからないし……最近の様子も、ちょっとおかしかった」
二人の言葉を聞きながら、セラは何も言わなかった。
真っ先に疑われるのが、クサンドラであるということ。
それは、誰がどう考えても自然な流れだった。
——だが。
本当に、それでいいのか。
疑いがあまりにも一直線に、迷いなく向かいすぎている。そのこと自体が、セラの胸に小さな違和感として残っていた。
「ねぇ、ヌノ、ジーニョ」
セラは二人を順に見た。
「亡くなる前のセヴェリさんと、何か会話を交わした覚えはありませんか?
それから……ほんの些細なことで構いません。
様子が変だった、違和感があった、そういうことでもいいです」
「俺は……」
ジーニョが少し視線を逸らしながら答える。
「正直、あんまり話さないな。
菓子作りの腕は尊敬してたけど……俺みたいなのとは、元々住む世界が違う感じでさ」
自嘲気味に笑うが、その目には無理に軽口を叩いている色があった。
「僕も同じかな」
ヌノが続ける。
「セヴェリがよく話していたのは、恋人のセリーヌか、妹のクサンドラ、それから親方だね。
もちろん、全く話さないわけじゃないけど……親しい、ってほどではなかったと思う」
二人の受け答えに、虚偽の気配はなかった。
表情も、仕草も、言葉の選び方も自然だ。
そして、ジーニョが少し考え込むようにして、言葉を足す。
「……でもな。変化って言われると、一つだけ気になってたことがある。
アイツ、たまに深夜に外出してたんだよ。
それも、こっそりとだ」
セラの視線が、わずかに鋭くなる。
「夜の店でも行ってたのかもしれないけど……セリーヌがいるのに、妙だと思わないか?
俺、夜更かしすること多いから、何度か見かけたんだ」
(深夜の外出……)
セラの思考が、静かに回転を始める。
(どこへ向かっていた?誰にも見られずに、何をしに?)
偶然の癖として片付けるには、このタイミングで出てきた情報は、あまりにも意味を持ちすぎていた。
セラは、その違和感を胸の奥に留めながら、頭の中で点と点を結び始めた。
(おそらく、この二人は共犯関係にあるとは言えない)
セラはそう結論づけた。
もしヌノとジーニョが共犯であるなら、ジーニョはあまりにも情報を出しすぎている。
誰かを撹乱するために嘘を混ぜるにしても、「深夜に外出していた」という話は中途半端すぎた。
真偽を確かめることができてしまう情報は、撹乱には向かない。
本当に口裏を合わせている共犯なら、もっと安全で、検証されにくい嘘を選ぶはずだ。
少なくとも、この二人が示し合わせているようには見えなかった。
——その時だった。
「お荷物のお届けに参りましたー。鍵をお借りしてもよろしいでしょうか」
玄関の扉が開き、茶髪の男性がそう声をかける。
ニコが、はっとしたように顔を上げた。
「あれ? 今日はカーラさんじゃないんですか?」
セラが小さく首を傾げる。
普段なら、甲高い声で騒がしく現れるカーラの姿がない。
「ええ……数日前に、どういうわけか、ここには行きたくないと言い出しましてね」
無理もない、とセラは思った。
人の自殺を目の当たりにした現場に、もう一度足を運びたいと思う方が少数派だ。
「ふぁーい……はい、これ鍵です」
ニコはあくび混じりにそう言い、鍵を取り出した。
「ありがとうございます」
男性がそれを受け取ろうとした、その瞬間——
「私、手伝いますね」
セラは立ち上がり、ニコの方へ歩み寄る。
そして、ニコの手の中にある鍵へ、指先が触れるようにして受け取った。
ニコは一瞬びくりとし、いつものように頬を赤らめる。
「い、いえ……この荷物、私一人で運べますよ」
茶髪の男性は慌てて両手を振るが、セラはそれをやんわりと遮り、外へ出た。
「いえ。ここの荷物は思った以上に重たいですから」
表向きは親切。
だが同時に、倉庫の様子と、運び込まれる荷物の中身を確かめる——
セラにとっては、十分すぎる理由だった。




