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菓子売り少女の魔女殺し  作者: 田川きゆう
第1章

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第17話 菓匠ギルド

2日後。


セラは、久しぶりの感覚を覚えていた。

一つの扉を前に立ち、大きく息を吸い、そして、ゆっくりと吐く。


視線を上へ向けると、赤煉瓦造りの大きな建物がそびえ立っている。

ステンドグラスには、守護聖人の姿が描かれていた。


ここは——菓匠かしょうギルド。


帝都で商売を行うためには、あらかじめギルドに所属しなければならない。

セラは、その選択肢としてここを選んだ。


青々とした空を背に、赤く聳える建物は、こちらへ倒れかかってくるのではないかと錯覚してしまうほどの威圧感を放っている。

もちろん現実にはそんなことは起こらない。だが、それほどまでに、今のセラは緊張していた。


もう一度だけ呼吸を整え、目の前の扉に手をかける。

そして、手のひらに扉の感触を感じ取りながら押し開けた。


内装は、外壁と同じく赤茶色を基調とした落ち着いた色合いで統一されている。

中央には黒いオーク材のテーブルが据えられ、落ち着いた雰囲気を持たせている。


それに加えて、どこか菓子を思わせる甘い香りが鼻をくすぐる。

高ぶっていた緊張が、少しずつ、ほどけていくのをセラは感じた。


「君は、新しいギルド加入希望者かな?」


不意に声をかけられ、左へ視線を向ける。

そこには、カウンター越しに、受付と思しき少年、あるいは、まだ若い青年が、こちらを見つめていた。


「初めまして。セラと申します。よろしくお願いします」


セラは、丁寧に頭を下げる。


「はいはい。じゃあまずは、こっちに来て手続きをしてもらおうか」


そう言って、彼は軽く手招きをした。

セラが近づいてきたのを確認すると、カウンターの下から一枚の紙を取り出し、床に置いてから、指先でトントンと二度、音を鳴らした。


「じゃ、まずはここに名前、出身地、年齢、それから現在の生業なんかを書いてくれ」


セラは横に置かれていた羽ペンを取り、言われた通り、順に書き込んでいく。


それを青年は拾い上げ、目の高さまで掲げて眺めた。


「ほぉ……セラ、ってそのままこう書くんだねぇ。

それに、この村……ああ、ハルバン家の領地か。難儀なところで暮らしてたんだねぇ。

それで……村での菓子造りの経験あり、と。

——うん、期待できそうじゃん」


青年は紙をしまうと、今度は指を立てながら説明に入った。


「じゃあ次は、このギルドについて説明するね。

うちの菓匠ギルドは、親方が一人いて、その下に弟子が何人か付く形。

みんなで菓子を作りながら、腕を磨く——まあ、修行ってやつさ」


「その修行には、どれくらいの期間が必要になるのですか?」


「うーん……人それぞれだけどね。

早くても最低7年、遅ければ10年くらい、ってところかな」


セラは、その言葉に思わず半歩後ずさった。


菓子売りとして帝都での情報を集め、そして魔女を追うためには、一刻も早く動き出したい。

それなのに、最低でも7年もの間、修行という名目で足止めを食らうなど——


「……その期間、もう少し短くすることはできませんか?」


「無理だね」


即答だった。


「最低限の品質を保って商品を出せるようにならないと、親方は絶対に首を縦に振らないしさ。

それに、未熟なまま商売に出して客から悪評が立ったら、その責任は全部ギルドに返ってくる。

……それだけは、どうしても避けなきゃいけないんだ」


セラは顎に指を当て、修行期間という壁をどうにか崩せないかと思案した。


青年の「何やってるの……」という言葉を無視して、セラは顎に手を当てて唸る。


そしてピン!と一つ。とっても良いアイディアが思い浮かんだ。


青年の方を見つめ、重みのある布袋を取り出す。

そして青年の方を射貫くように見つめ、布袋の中へ指を滑り込ませた。


指先で、金貨の縁を弾く。

——パチン


静寂に包まれたギルドのホールに、乾いた、重厚な金属音が響いた。

セラはそれでも視線を逸らさない。青年の灰色の髪の隙間から覗く、蒼く澄んだ瞳。その奥にある、黒い眼をじっと見据える。


——パチン、パチン。

あえて一定のリズムを刻み、音を鳴らし続ける。

青年はその異様な圧に気圧されたのか、一瞬頬を赤らめ、「なんだよ」と掠れた声で毒づいて視線を外した。


だが、その視線の先には、すでに三枚の金貨が鎮座していた。 カウンターの上、窓から差し込む光を反射して、暴力的なまでの輝きを放っている。


驚愕に目を見開く青年。セラは、青年の視線が金貨を捉えた瞬間を逃さず、今度は一枚、また一枚と、カウンターに金貨を叩きつけるように並べていった。

——パチン。パチン。パチン。


抗いがたい黄金の音が何度も打ち付ける。

青年の視線は激しく彷徨った。何度も意味のない空虚を見つめては、磁石に吸い寄せられるように、音の鳴る方へと引き戻される。


逃げ場のない二人の空間に、喉を鳴らす音が、欲望を隠しきれずに漏れた。青年の瞳からは理性の色が薄れ、代わりに、金貨に反射した黄金色の欲望がじわじわと染み込んでいく。


セラは、あえて無言を貫いた。

言葉で説得する必要はない。ただ音を鳴らし、相手が自ら崩壊するのを待てばいい。


やがて青年は、耐えきれなくなったように肩を震わせ、浅い呼吸を繰り返した。

彼の視線は、もう金貨から剥がれない。


「わ……わかった! そうだ、特例だ。特例を適用する……!」


青年は、カウンターに並んだ金貨を一枚、また一枚と、震える手で丁寧に、強欲にかき集めた。


「2年だ。2年の修行で済むよう、俺が親方に話を付けてやる。それで……それでいいな!?」


顔を上気させ、縋るような視線を向けてくる青年に、セラはふっと、表情を緩め、子供のような笑顔を見せた。


「やった!交渉成立ですね!」


「お前、恐ろしいやつだな」


セラの笑顔を見た青年は、先ほどの緊張は嘘であったかのように息を吐く。


「んじゃ、あの部屋の奥が工房で、そこに親方がいるから、顔を合わせに行ってきな」


青年は、親指で、奥にある一つの扉を指差した。


「結構気難しいというか、変というか、まぁ独特な人だから気をつけてな……」


「わかりました!ありがとうございます!」


セラは奥の扉へ向き、歩き始めたが、ふと気になったことがあって振り返る。


「そういえば、あなたの名前は聞いてなかったわね。あなたの名前は?」


青年はいきなり声をかけられて困惑するが、やがて、照れたように呟く。


「い、いや、俺は親方から低賃金で働かされて、正式に雇われているわけではないから、君とは今後あまり深く関わることなんてないと思うよ……」


セラは首を振る。


「ううん……それでも気になります。あなたのことが少し気になります」


やや恋愛めいた言葉になってしまったが、セラにとっては計算の内だった。

これから深く関わることになる菓匠ギルドで、人を知り、関係を築くこと。

それは、魔女を見つけ出すための、何よりの近道でもある。


やはり、青年は勘違いをしたのか、頬を赤らめ、視線を外し、しばらく迷ったあと、前髪を掻き分けてこちらを見た。


「俺はニコ。よろしくな」


「うん、よろしくお願いします」


セラは、ニコのその手を取った。その手は少し、マメができてるようだった。彼はまた、頬を赤らめた。


そして、セラは手を離し、扉へ向かって進んだ。


セラは扉のノブに手をかけ、引いた。

その一瞬、ニコが「あ、ちょっと待って!」と

言いかけていた気がするが、気にせず引く。


そこは大きな工房であり、5つのテーブルに、それぞれ弟子が一人ずつ張り付いており、その奥に親方らしき人物がいる。小麦の香りと、程よいバターの香りに菓子作りの最中であると想像させる。


「よろしくお願いしま——」セラは挨拶を言いかけたその瞬間、ドスッと音が空気を切り裂き左耳を掠める。

何かが飛んできたと一瞬悟り、左に視線を寄せると、背後の木製の柱に一本の包丁が深々と刺さっていた。

もともとそこに存在していたのではなく、今この瞬間音を鳴らして包丁が飛んできたのだ。


セラの脳は、視界に映る現状と、その理由を結びつけられずにいた。それまで積み上げてきた情報が、すべて前座だったかのように霞んでいく。

そこに加えさらに理解できなくなる情報が耳から入ってくる。


「死ねぇぇぇぇぇぇ!!!!!」


耳を劈き、空間を震わせる怒号。


(……死ね?)


その言葉に理解を拒絶してしまうセラ。そこにさらに追い討ちをかける。


「テメェ!!!死ねぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


今度は右頬のすぐ脇を、風を切る音が通り過ぎる。右を見るとやはり包丁が刺さっていた。


本能的に拒絶していた脳味噌がゆっくりと、その現状を把握していく。

奥の親方が——卵のように頭も髭も剃り上げた、丸っこい顔の親方が、顔全体に青筋を浮かび上がらせセラに「死ね」と言いながら包丁を飛ばしていたのだ。


その表情はまさしく悪魔。


その悪魔は、一歩、また一歩と、木床を踏み締めながらセラへと近づいてくる。

乾いた足音が、異様なほど大きく響いた。


その手には、包丁が握られていた。


あまりの威圧感に、セラは思わず視線だけで周囲に助けを求める。

だが、5つの作業台に張り付く弟子たちは、皆どこか「やれやれ」といった諦めの表情を浮かべ、極力セラから視線を外そうとしていた。


セラは再び、親方の方へ視線を戻そうとした。


……だが、そこに親方の姿はなかった。


——いや、いた。

すぐ眼前に。


いつの間に距離を詰めたのか、親方はすでにセラの目前に立っていた。


「オメェ……ここがどこだか、わかってんのか?」


怒りに染まった白目は真っ赤に充血し、大きく見開かれていた。

逃がさぬとでも言うように、執拗な視線がセラに突き刺さる。


「ここはナァ……聖域なんだよ……」


湿り気を帯びた、獣の唸りのような声。

吐き出される言葉の一つ一つが、異様な重さを持っていた。


「オメェのその汚ねぇ服でなぁ……この聖域を汚そうとしてるんだよ……」


おそらく親方にとって、セラの古ぼけた焦茶色のチュニックは「汚れ」そのものにしか見えなかったのだろう。


周囲の弟子たちは皆、白を基調とした清潔な服を身にまとっている。

粉も、油も、汚れも許されない——ここは、彼にとって神殿に等しい。


「オメェの血で……この聖域を浄化しねぇとなァ?」


包丁の刃が、ひやりと首元に冷たさを伝える。


金属の冷感が、皮膚のすぐ下を這った。


(……まさか、ここで……死ぬの……?)


理解を拒絶していた思考が、ようやく現実に追いついた。


あまりにも理不尽。


セラの懐にしまい込まれたナイフへ、無意識に手が伸びる。


すると、何者かに後ろから襟元を掴まれ、ぐっと後方へ引き戻された。

驚いて振り向くと、それはニコだった。


ニコはセラを引き寄せたまま、片足で扉を乱暴に蹴り閉める。

さらに、すぐそばにあった本棚を必死に押し動かし、扉の前へとずらして完全に塞いだ。


「ふぅー……危なかったー……」


ニコは額を伝う汗を、袖で拭う。


「な、なんだったんですか……今の……」


セラの視線の先では、本棚の向こう側から、扉を叩く鈍い音と、くぐもった親方の怒号が響いている。


「いやー、変な人でしょ? 妙に潔癖症というか、妙に職人気質というか。

ま、悪い人じゃないんだけどさ」


ニコはそう言いながら、まだ塞いだ扉をちらりと確認する。


(……初対面で殺そうとしてきたのに、悪い人じゃないってどういうこと……?)


「でも、どうしましょう……。ここのギルドに入りたいのに……」


「それなら大丈夫だよ」


ニコは、どこか楽観的な調子で言った。


「うちには制服があるんだ。作業用のやつ。あれを着て工房に入れば……まぁ、うん、多分、なんとかなると思う」


「なんとかなる」その曖昧すぎる言葉一つで、セラの命が左右されるかもしれなかった。

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