第10話 突然の雨
左右に木々が立ち並ぶ、整備された土の街道を、セラは荷車を引きながらまっすぐ進んでいた。
木々のあいだからは淡い木漏れ日が落ち、森に住む鹿がじっとこちらを見ている。空気は澄んでいて、鼻の奥に新鮮な樹の香りが広がった。
数週間前まで残っていた雪の冷たさはもうほとんど感じられず、今は真上から照りつける太陽が、白い肌をじりじりと焼く。
荷車を引く腕には汗がにじみ、額から頬へと流れ落ちるそれが、道のりの長さをいやでも実感させた。
数時間、重い荷車を引き続けた腕には、ヒリヒリとした痛みが張り付いていた。力を込めるたび、足の筋肉から熱と共に力が抜けていく。 無心で進もうと呼吸を整えても、帝都はまだまだ先だという焦燥感が、すぐにそのリズムを乱してしまう。
——セラは、この旅が完全に誤算であったと悟った。
村から帝都までの道のりが、ここまで果てしないとは思っていなかった。
「……最悪だわ。馬車を雇うべきだった。変なところでケチる、この悪癖が……」
当然、その呻きは整備された土道の乾いた空気に吸い込まれるだけで、帝都は一歩たりとも近づかない。
顔を下へ俯かせ、滴る汗をそのまま地面に落とす。
数回に分けて息を吸い込み、一気に吐き出す——
その呼吸を、何も考えずに繰り返す。
気づけば、ほんの数時間でいちばん楽に呼吸できる方法を、身体のほうが勝手に編み出していた。
ふと前を向くと、空はすでにオレンジ色に染まり始め、1日の終わりを告げていた。
だが、このまっすぐなだけの街道は、どう頑張っても帝都にはまだ辿り着かない。
セラは深いため息をひとつ吐く。
その吐息をかき消すように、遠くでゴロゴロと地鳴りのような音が響いた。
「……雷? こんな天気で、まだ雨なんて降るはずないのに……」
上を見上げる元気もなく、目だけを動かして空を確認する。
そこには雲ひとつないオレンジ色が広がっていた。
——それなのに。
風が少しずつ強まり、空気もざわつき始める。
あたりが暗くなったのは、日が沈んだからではない。
いつの間にか、黒い雲が上空を覆っていたのだ。
「……まさか……」
いやな予感が胸を締めつけた、その矢先。
最初は、汗と区別のつかないほど小さな雨粒が落ちてきた。
だが、それはすぐに勢いを増し——
「うわぁぁぁぁぁ!! なんでこんな大雨に!!」
セラは荷車の取っ手を握りしめ、雨宿りできる場所を探して駆けだす。
靴は泥水でベチャベチャと音を立て、泥が中にまで侵入して不快感が全身に広がる。
足元の土は急速にぬかるみ、荷車の重みが倍になったように感じられる。
そのとき、木々のあいだに大きな屋根付きの建物が見えた。
吸い寄せられるように、セラはそこへ向かって走り始める。
セラは切妻屋根の下へ滑り込んだ。
荷車も濡らさないよう、壁と車輪の面を向かい合わせて押し込む。
想像以上に大きな屋根で、荷車全体をしっかり覆ってくれていた。
外では、ザーザーと雨が降りしきり、
屋根に溜まった雨水が縁から落ちて、水たまりにポタ、ポタと一定のリズムを刻んでいる。
その音だけで、まだ当分は止みそうにないことが嫌でも分からされる。
セラは大きくため息をつく。
「……どうしよ。これじゃ進めないわね。しかも、もうほとんど夜だし……近くに泊まれる場所でもあればいいんだけど」
言いながら、雨に紛れてほとんど気にも留めていなかった建物を改めて見上げる。
樫の柱と梁が組まれた木骨造り。
木材の隙間には白い石膏を混ぜた充填材が塗り込められ、
高さはおそらく二階建て。
見た目からして、普通の民家よりずっと大きい。
ふと横を向くと、馬小屋の中から一匹の馬と目が合った。
丸く澄んだ瞳で、じっとこちらを見つめている。
入り口らしき扉の上には吊り看板が揺れていた。
「……あれ?」
セラは雨を避けるように看板の下へ近づき、文字を確かめる。
そこには、はっきりと——
「宿」
とだけ書かれていた。
「……ああ、よかった……」
ほっと肩を落とし、濡れた服を小さく震わせる。
セラは荷車から必要な貴重品だけを急いでポケットに詰め込み、
木製扉を引いて建物の中へと入っていった。




