私の婚約者の好きな人が、よりによって舞踏会の真っ最中に愛を語り始めた件について~正直、目も当てられませんでした~
「エリーゼさん!ねえ、聞いてくださります?あの男──」
婚約解消を告げようとしたら、彼の浮気相手が愛の告白をし始めました。
……、え?何この人、ちょっと怖い。
***
私──エリーゼ・アーデント伯爵令嬢の婚約者には好きな人がいる。
それは由緒正しき公爵家の長女、ソフィア・エーデルシュタイン様だ。
「これを受け取って欲しいの。輝く金と紫の色が私達にぴったりだと思って、気付けば入手していましたわ。素敵でしょう?」
深紅のドレスを翻し、彼女は私の婚約者──アレク・ナイトレイ公爵令息に駆け寄った。
アレクの金髪を映した、ソフィア様の瞳がきらりと輝く。そんな彼女の瞬きには目もくれず、彼の双眸はくだんの宝石へと吸い寄せられていた。
「そ、そうだな。素敵だと思うよ。でも、君からのプレゼントなんて──」
「そんなこといいじゃない!何なら私は今すぐにでも抱き合いたいくらいだわ」
「い、いや。それは流石に……」
ため息交じりの返事をしておきながら、アレクの瞳は宝石を捉えて離さない。
口角は小さく上がり、頬は心なしか赤らんでいる。きっと思いがけない贈り物に、胸を躍らせているのだろう。
「立場ってものを考えてくれよ、お願いだから……」
アレクは力無く呟くと、小さく唇を噛み締める。眉間に皺を寄せ、ぎゅっと瞼を閉じた。
ああ、本当に。
彼ってば、どうしてこんなにも分かりやすいのだろう。
だって、あんなの。誰がどう見たって愛し合っている二人じゃないか。
二人して頬を真っ赤に染めて、しどろもどろになって、手を重ね合わせることすら躊躇しちゃって。お互いに好きだって言えばいいのに、心のままに抱き合ってしまえばいいのに。
それなのに、彼はいつだって私を一番に置く。朝の挨拶も、ダンスのお相手も、礼拝での腕組も、決まって私に捧げてくれる。
そう、私が高熱を出したあの夜も。大事な式典を抜け出してまで一晩中、傍に居てくれた。その優しさがいちいち私の胸に突き刺さって、抜けてはくれない。
「何よもう!釣れないんだから!」
ソフィア様の声が夜風の抜けるバルコニーに響いた。亜麻色の髪が風に揺らめき、わずかに滲んだ藤色の瞳が煌めいている。本当に綺麗な人って泣く姿すらも絵になってしまうらしい。
「なんだよ泣くなよ」
アレクはソフィア様の肩を抱こうと手を伸ばすが、寸前のところで引っ込める。
「仕方ないだろう?君とは何の関係も無いんだから。名目上はさ」
そして、宙に浮いた宝石を強く押し返した。
彼女を好きだとはっきり言ってくれたなら、彼女からの贈り物を手に取ってくれたなら。抱き合うところでも、何なら口づけを交わすところでも、いっそ目の前で見せてくれたなら。
そうすれば、私のこのちっぽけな恋心も、とっくに冷めていたはずなのに。
それすらも彼は許してくれない。
見捨てることも見限ることもせず、私はいつまでも宙ぶらりんなまま。だからこそ、残された道はただ一つ。私から、全てを終わらせる。冷めてしまうその前に、終わらせるしかないのだ。
それに、そうすればきっと、何の後腐れも残らない。
そう、婚約の解消は恋心の冷めるその前に。
大広間から流れるワルツの三拍子が、やけに騒めいて響いている。
私は決意を胸に、一歩を踏み出した。
「アレク、私との婚約は解消致しましょう?」
その瞬間、ワルツの音がふと、遠くに感じられた。
やっぱり。今夜、終わりにしよう。私のこのちっぽけな恋を。
***
二人が恋に落ちたその瞬間を、私は丁度目撃していた。
去年の観劇会のあの日。
一人倒れそうになっていたソフィア様と、彼女を颯爽と抱き上げ医務室に運んだアレク。それまで真っ青だったソフィア様の顔色は、気付けば淡いピンク色になっていた。
『ナイトレイ令息。わたくしは今日、恋に落ちてしまったみたいですわ』
大事には至らなくてよかったと安堵していると、ソフィア様は冗談めかしたように呟いた。医務室の薄い扉の向こうで、二人は笑い合う。
『何を馬鹿なこと言ってるんだ?』
呆れているようなその声は、それでも浮かれているように聞こえてならなかった。
この日からだ。二人が、廊下で、サロンで、教室で、密かに逢瀬を繰り返すようになったのは。
「──私たちの婚約は解消致しましょう?」
「エリーゼ。何を馬鹿なこと言ってるんだ?」
その言葉は、あの時と同じ言葉のはずなのに、突き放すような声色だった。
私の姿を確認すると、ソフィア様が慌てて宝石を隠した。それでも、にやりと微笑んだ姿はまるで、勝ち誇った女神のよう。すっと伸びた背筋と凛とした紫の瞳。
どうして、こんな時ですら、彼女は美しいのだろう。
「いえ、馬鹿なことでもございません」
私はまっすぐにアレクを見た。彼の瞳が揺れている。
「婚約の解消は恋心の冷めるその前に。それが一番、後腐れが無くて済むわ」
「意味が分からない。なんでそんなこと言うんだよ」
「だってアレク。あなたはソフィア様が好き。それが疑いようのない真実だわ」
あの医務室で漏れ聞こえてきた囁きが答えだ。それなのに。
「僕は別に彼女のことが好きなわけじゃない」
「そんな事言ったらソフィア様が悲しむわ」
「違うんだよ。彼女はちょっと僕の手には負えな──」
「いいえ、アレク。強がりはもう、お辞め下さい」
彼はこの期に及んで、煮え切らない態度をとる。
その態度に、声が震えた。目の前が歪んでいく。アレクは私を一瞥するとハッと息を呑んだ。
「それに、これなら綺麗な思い出のままで終われる。そうでしょう?」
「そ、それは君だけだろ──」
その時──
「ちょ、ちょっと!」
叫び声が聞こえた。声の主はソフィア様。
「エーデルシュタインご令嬢、君は少し、黙っててくれな──」
「黙ってるのはあなたの方よ!」
アレクが静止を試みるがソフィア様は止まらない。
心なしか鼻息が荒いような気がするのは気のせいだろうか。
「もう我慢ならないわ!いい?エリーゼさん。いくらこの婚約者が不甲斐ないからと言って、そんな悲しいこと言っちゃ駄目よ!」
「そ、ソフィア様?何を仰って──」
頬を両手で挟まれ、無理やり顔を上げさせられる。
潤んだ私の瞳をごしごしと乱暴に彼女の親指が擦った。
「エリーゼさん!ねぇ、聞いてくださります?あの男、わたくしに、こう言ったんですの!『エリーゼの平穏のため、学園では楚々と振る舞うべし。みだりに近づき、麗しき頬を撫でるなどもってのほかだ』って!」
撫でると言うか、そんな生易しいものじゃなく、捏ね繰り回されている気もしないでもないが。アレクが反論するように声を上げた。
「い、いやだって。君をエリーゼに接触させたら、刺激的すぎて彼女、寝込んじゃうかもしれないだろ?」
「うるさい!わたくしの秘儀【泣き落とし】も効かない石頭!こうなったらもう、まどろっこしいことは辞めて、直接交渉ですわ!」
気のせいだろうか?鈴の音のような美声に皮膚が粟立つ。
目の前のソフィア様は満面の笑みを浮かべている。
「ねえ、エリーゼさん。そ、その。わ、わ……、わた、わたくしの友達に、なって下さる?」
あの麗しき公爵令嬢様とは思えないほどの狼狽具合。そして、彼女は独り言ちる。
「あら、やだわたくし、心友とかの方が良かったかしら?」
慈悲深き笑みを浮かべているソフィア様。視線だけが凄く怖い。
目をぱちくりとさせ、じっとりと見つめられる。
逸らそうとしても、グイッと頬を持ち上げられた。
「……は、はい。喜んで……」
その瞬間。ソフィア様の瞳から、大粒の涙が飛び出していった。
「す、素晴らしいですわ……!わたくしたちの同盟、その名も金紫双星の爆誕よ‼」
そう叫ぶと、エリーゼ様はガサゴソと小さな鞄を漁り、何かを取り出した。
「こ、これは……私たちの瞳の色と同じで……、ソフィアの藤色と、エリーゼの金色で……、う、美しすぎて購入してしまいましたの。……その。つけて、下さる?」
そういって手渡されたのはあの金と藤の色の宝石があしらわれたプレスレット。
ソフィア様は、ぱちくりと激しい瞬きを繰り返し、視線を惑わせていた。
「は、はい。ありがたく頂戴いたします……」
私が答えると同時に、アレクが深いため息をついた。
「エーデルシュタインご令嬢。頼むから普通にしてくれ。エリーゼが困ってるだろ?ああ、もう……」
柔らかな金髪をかき乱し、彼は呟く。ソフィア様はそんなアレクを気にもせず、鼻歌交じりにへんてこな踊りを踊っていた。
「こうなるから合わせたくなかったんだよ……」
小躍りをするソフィア様を放置気味にアレクは私に話しかけた。
「ねえ、エリーゼ。分かる?彼女、ちょっとばかし過激で。僕の手に負えなくてさ。君への想いが強すぎるからちょっと合わせづらくて。君に危害が及んでも嫌だし、ずっと阻止してた。そしたらこんな誤解を招くことになって。本当に、ごめん……」
「ごめんって……。でも、それじゃあ。アレクもソフィア様も報われないじゃない。突き放すなり、私に合わせるなり、何かすれば二人とも苦しまずに済んだわ」
私が答えるとアレクは小さく笑い、そして首を横に振った。
「それだけでもないんだよ。過激なところをもうちょっと矯正出来たらもしかしたら、エリーゼの本当の親友になってくれるんじゃないかって、そう思ったんだ。君はさ、認めようとしないけど、本当は寂しがり屋だろ?君が熱を出して寝込んだあの式典の日。公務で各地を駆け回っている、お父さんとお母さんの名前を何度も呼んで、泣いてた」
彼の言葉に思わず心臓が跳ねる。口からポロリと言葉が零れ落ちた。
「そ、そんな話……、掘り返さないでよ」
「君も大概、意固地だな」
悪態を吐いたはずの私の言葉に彼はまたしてもクスクスと笑った。
「君の親友になってくれるなら、君のその寂しさも紛れてくれるんじゃないかって。まあでも、実際は君の寂しさを埋めたいって思いながら、君を取られるのが怖かっただけなのかもしれない」
「アレク……」
頬に熱が集まるのが分かる。言葉を紡げない。
今までの煮え切らない彼とは違って、アレクは真っ直ぐに私を見つめていた。
「だから、どっちつかずの態度取って、君も、エーデルシュタインご令嬢も困らせた。二人ともごめん」
「でも、アレク。ソフィア様に話しかけられるとあなた、いつも笑顔だったわ」
「いや、その……」
頭を深く下げるアレクに向かって、ずっと見つからなかった問いを投かける。
すると言い淀みながら、彼は観念したように頭を掻いた。
「それは、エリーゼのこと褒められたら嬉しくて、つい……」
ハッと喉が鳴った。そんなの、ずるい。
視線がするりと下に落ちていく。カッコ悪くて、みっともなくて。やっぱりずるい。
それでいて、どうしようもないほどに胸の奥が温かくなってしまう。
「ねえ、エリーゼ。変なこと言ってもいい?」
俯く私にアレクは問いかける。
「変なこと?」
「ああ。何だか今、すごく踊りたくなってしまったんだ。もちろん、君と二人でね」
彼は片膝を突き、私に手を差し伸べた。目頭が熱くなり、声が出せない。
「僕と一緒に踊ってはくれないかい?」
だから、私は小さく頷いてその手を取ることしか出来なかった。
***
ワルツの三拍子が鳴りやんだ頃。私達は大広間の中心にいた。
「ねえ、エリーゼ。婚約の解消は恋心の冷めるその前にと、そんな悲しいことを君は言ったよね?でも、僕は一つ、疑問に思った」
「……疑問?」
私の問いかけにアレクは悪戯っぽく笑った。
「それならば、愛の告白はいつすればいいのかな?ってね」
その問いかけに、頬は赤らんでいく。それはまるで、心に消えない炎がともってしまったかのよう。つい、彼みたいな子供っぽい笑みを零してしまう。
「それはきっと、熱いうちに……、ですかね」
アレクは目を見開き、くすくすと声を漏らす。そして、冗談っぽく返事をした。
「つまりは、一生伝え続けても何ら問題は無いってことだね。だってさ、昨日も今日も明日も。これからもずっと、冷める気が全くもってしないんだ」
私の頬の紅はいつの間にか、彼の頬にも灯っている。
彼は今までで一番優しくて、一番飾り気のない笑顔を浮かべた。
手の甲に彼の口づけが落ち、彼は真っ直ぐに私を見つめた。
「エリーゼ、ここに誓わせておくれ。僕は生涯、誰よりも永遠に──」
真剣な眼差し。嘘も、偽りも、誤魔化しも、そこには存在しない。
勿論、次に紡がれる言葉はすでに知っていた。
だから──。
「貴方を愛しています」
「君を愛している」
重なった声に、私達は笑い合う。
恥ずかし気も無く見つめ合う私達に、誰もが視線を彷徨わせ目を背けていくのが分かる。
でも、そんな事どうだってよかった。
***
「ねえ、ソフィア。あなたはどうして、私と友達に……、いえ。金紫双星を結成しようと思ったの?」
準備が終わり、私はかねてから気になっていたことをソフィアに尋ねてみた。
「何よ、エリーゼったら今更。貴方は覚えていないかもしれないけどね。アレクがわたくしを医務室まで運んでくれた観劇会の夜のことよ」
観劇会、学園で一年に一度開かれた催し。卒業して数年も経っていないはずなのに、その響きすらも、すでに懐かしい。
「あの夜、わたくし、人混みで少し気分が悪くなってしまって……、でも公爵令嬢として弱みを見せる訳にはいかなくて。それで一人で耐えるしかなかった」
当時を振り返るように遠い目をするソフィア。同盟を結成したあの日の彼女が幼く思えてしまうほど今のソフィアは、ゆるぎない眼差しをしていた。
「でもその時、エリーゼがそっと水を差し出してくれたの。『大丈夫ですか?少し休みます?あ、アレク!ちょっと手を貸して!』なんて、驚くほどにテキパキと。それで恋に落ちたって勘違いまで……」
彼女の左腕にはおそろいのブレスレット。金と紫の宝石のあの贈り物だ。
あの時既に自分のブレスレットまで購入済みだったなんて、彼女は本当にちゃっかりとしている。
「そう、だったのね。ソフィアって本当。騙されやすいと言うか、人たらしと言うか。気を付けて頂戴ね。詐欺とかに引っかからないように」
「う、うるさいわね!ほら!アレク……、いえ、新郎が待ってるわよ!」
「──ヴッっ!!」
背中が少し強く叩かれた。前言撤回。
彼女は未だに幼くて、ちょっと変わっていて、ちょっぴり愛が過剰だ。
ソフィアに促されるように私は立ち上がった。ゆったりと揺れる純白のドレス。鏡の前に立ち、小さく笑ってみる。
私はもしかしたら、ソフィアに負けず劣らず、ちょっとは綺麗になれているのかもしれない。
あの日、大広間中心で愛を誓い合ったアレクと私はどうやら今日。神様の前で愛を誓い合うらしい──。
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