捨てた女は地を這って天を掴む。これはざまぁ系ということでいいだろう。
あたし、佐伯まなみ。一六歳。高校一年。
その日、コンビニで買った検査薬がくっきりと示した「陽性」の二文字を見て、全身が凍った。
まさか、そんなはずないって何度も思ったのに、現実は容赦なかった。
相手は同じ高校の彼氏、長谷川聡。サッカー部のエースで、顔も悪くない、モテるやつ。……だった。
意を決して、放課後の公園で伝えた。「……妊娠したかも」って。
彼の顔は、驚きから恐怖に、そして瞬時に冷たく変わった。
「……で? 俺にどうしろってわけ?」
「え……一緒に、考えてくれないの……?」
「俺、大学行くし。人生潰したくねぇんだよ。勝手に産めば?」
「そんな……聡……」
「てか、お前、他にも男いんだろ? 俺の子か証拠あんの?」
その言葉で、すべてが終わった。
次の日にはLINEもブロック、SNSも削除、共通の友人には「まなみが勝手に妊娠した」「ビッチだった」って噂を流された。
まなみは、学校でも白い目で見られ、親にも言えず、一人で病院へ行った。
だけど、妊娠12週。もう中絶できなかった。産むしかなかった。
親にバレた夜、父親には殴られた。母親には泣かれた。
だけど、家を出る場所も、逃げる金もなかった。
そうして、娘を産んだ。名前は「結愛」。
出産からの日々は、地獄そのものだった。眠れず、食べられず、肌は荒れ、髪は抜け、爪は割れ、手のひらはひび割れた。
母乳は出ず、娘は泣き叫び、母には毎日のように「産まなきゃよかったのに」と言われた。
高校は中退。
スーパーの深夜バイト、弁当工場の立ち仕事、家に帰れば子どもの世話。そんな日々を、二年、三年と重ねていった。
気づけば二十歳。
あたしは通信制で高卒資格を取り、貯めた金でWebデザインを学び、フリーランスの道へ進んだ。
誰にも頼らず、女一人、赤ん坊一人で、這いつくばってでも生きてきた。
そして二十三歳の冬。
いま、あたしは月収七十万を超えるデザイナーとして在宅で仕事をしてる。
娘は幼稚園に通い、保育料は全額自腹。もう親にも頼っていない。住むのも別。
そこへ突然、あの男が現れた。
長谷川聡。昔と違って、髪はボサボサで、目の下にはクマ。
どこで聞いたのか、連絡先を突き止めてきたらしい。最初は無視した。だけど何度もしつこく連絡が来て、仕方なく一度だけ会った。
駅前のカフェで待っていたのは、かつての栄光のかけらもない聡だった。
「久しぶり……元気そうだな」
と、ぎこちなく笑って座った彼は、こう言った。
「いま、さ……ちょっと大変でさ。バイトもクビになって、住むとこも……お金、ちょっと……貸してくれないかな」
……は?
あたしは笑った。心の底から。
この男、何を言ってるの?
「娘に会いたいとか、思わないの?」と彼は言った。
「は? あんた、自分が何したか忘れたの?」
「あのとき、逃げたよね。責任放棄して、私の人生壊して、全部私に押し付けたよね?」
「なのに、落ちぶれて、困って、今さら娘に“会いたい”? 笑わせんなよ、クズ」
聡は俯いた。「あの時は……俺も怖くて……」
「“怖くて”逃げたあんたと、震えながら血まみれで出産して育てた私。どっちが人間だと思う?」
彼は何も言えなかった。
「金もない、将来もない、誰にも必要とされてないくせに、今さら何を奪いに来たの?」
立ち上がった。
「お願いだから……助けてくれよ……」
涙ぐむ彼の手を、私は払いのけた。
「私の人生は、もうあんたの“物語”にはいない。さよなら」
あたしは踵を返した。
見上げた空は、あの日よりずっと高くて、ずっと自由だった。