捨てられた赤子を拾ったのは、女を捨てた騎士でした
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捨てられた赤子を拾ったのは、女を捨てた私でした
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捨てられた赤子を拾ったのは、女を捨てた騎士でした
戦時において、剣は最終手段だ。殲滅魔法が無効化され、矢を射かけても仕留めきれず、槍が役に立たないほどの乱戦になった時だけ、剣は使われる。
しかし剣が立場を失うことは無い。市街地戦では最初から乱戦になることもあるし、遠距離戦だけで片付くことはまず無いので、ほぼ必ず出番がある。そのため剣術の習得は、騎士である私達の義務だった。
「ふっ!」
「ぬんっ!」
訓練場に、鉄剣と盾のぶつかり合う音が響く。今回は訓練用の全身鎧も着用しているため、ガチャガチャと鎧が擦れ合い、時にぶつかりあう金属音が耳を突いた。
私は自分の機敏さを生かし、相手の懐に飛び込もうと試みる。しかし防具の重さで初速が殺され、上手い具合に隙をつけない。転じて向こうは私よりもパワーがあったが、受け流す技術は私の方が上であり、決定打にならない。
そんなやり取りが、延々と続いた。
「そこまで!」
止めの声が入ったのは、模擬戦開始から30分も経過してからだった。……今回も、引き分けてしまったか。
「ふぅ……まーたお前に勝てなかったか。嫌んなるね、全く。隊長の威厳も何も有ったもんじゃない」
「私も同感です、隊長殿」
「嫌味か、貴様」
「いえ、今回こそ勝てると思ったという意味です」
「やっぱり嫌味じゃないか……」
「ありがとうございました」
「ん。次の二人、さっさと始めろ」
私は騎士の礼を取った後、模擬戦の舞台を次に譲り、訓練用の兜と鎧を外そうと試みた。金属の全身鎧は頑丈だが、重くて通気性も最悪なので、長時間着用出来ないのが難点だ。
「おい馬鹿、ここで脱ぐなといつも言ってるだろ。人の目があるんだよ」
「別に見られても構いませんが」
「俺が構うんだよ、クソガキ。おいお前ら、ここは任せる。俺はこのガキを兵舎まで引っ張っていく」
クソガキと呼ばれるのもいつぶりか。妙な脱力感に見舞われた私は、言われるがまま兵舎へ入った。今は全員模擬戦に参加しているので、中には誰も居ない。
面倒だなと溜息を吐きながら、兜と手甲、そして鎧を順序よく外していく。肌に張り付いた髪と肌着が気持ち悪い。全て脱ぎ終わると、汗で光る筋肉に覆われた肢体が露出した。
「隊長殿も、いい加減慣れてほしいものだ」
隊長殿がここまで気を使うのは、私の双房が原因だろう。女を捨てたつもりでも、女の身体までは捨てきれない。いくら筋肉を付けたところで、すべての脂肪を削ることは出来なかった。
「おい、そろそろ着替え終わったか」
「もう少しです」
律儀にも扉の外からのお声掛けである。多分、誰かが勝手に入らないよう見張ってくれているのだろうな。私が騎士となって間もない頃に、ノックも無しにここを開けられた結果、裸を見られてしまったことがある。それが余程のトラウマとなっているらしい。
どうせなら、私も男に生まれたかった。男なら裸で悩ませることも、月の物で悩むことも無かったろうに。
私は手早く全身鎧を拭いて干し、軽鎧へ着替えた。軽いと言っても全部で20kgは超えているが、それももう慣れたものだ。
「お待たせしました」
「遅い」
「すみません」
「お前はこのまま、聖女様の身辺警護に当たれ。交代の時間になったら、今日は帰ってよろしい」
「はっ!」
ーー聖女アリサ。数年前に突如守護の力に目覚めたという、異国から来た黒髪の少女だ。守護の力は国中へ及び、その力で魔物たちの侵入を阻んでいる為、国の重要人物として厳重に保護されている。
ただ正直なところ、あまり性格はよろしくない。顔の良い男や金持ちの上級貴族とばかり交流を図り、召使いや平民を見下している。また何が気に入らないのか、妙に私を目の敵にしている節があり、警護任務においては邪険に扱われることが多かった。
まあ私としてはご機嫌取りをせずに済む分、むしろ気楽ではあったのだが。
「では、行って参ります」
「あ、待て、サルヴィア!」
おや、名前呼びとは珍しい。
「はっ!なんでありますか」
「そ……その、なんだ。……あ、明日の非番は、空いているか?」
また自主訓練の誘いだろうか。隊長殿の面倒見が良いのは結構だが、最近はちょっと多い気がする。私の実力に不足を感じているのだろうか。
「すみません、明日は既に予定が入ってまして」
残念ながら事実だった。そろそろ剣をメンテナンスするために鍛冶屋へ持っていったり、新しい鎧を見繕う必要がある。そんなことに隊長殿を付き合わせる訳にはいかない。
「あっ……そ……そうか」
「その次の非番でよろしければ、お付き合いできます」
「良いのか!?」
「は、はい」
……そんな、自主練一つに大袈裟な。
「よしッ!!あ、いや、宜しい!さあ、早く任務に当たり給え!命令だ!」
「はっ!」
恙無く続く騎士としての生活。鍛錬をして、城や領内を巡回をして、犯罪に対して対応する。そして戦時ともなれば剣を握り、聖女の嫌味を聞き流す。
「ちょっと、今日の担当はアンタなの!?最っ悪!交代よ、交代!今すぐに隊長さんと代わりなさい!」
「出来かねます」
「なんですって!?生意気よアンタっ!!アンタなんかクビよ、クビ!」
「それも出来かねます。聖女様は私の上司ではありませんので。で、御要件はそれだけですか?」
「きーっ!!なによこいつ、やっぱりむかつくーっ!!」
「では、任務に戻ります」
……そんな毎日がずっと続くのだと思っていた。この日までは。
「何も帰り道で降りださなくても……!」
酷い雨だった。警護という名のお守りを終えた私は隊長殿の命令に従い、速やかに帰宅の途についた。豪雨に見舞われたのは、それから間もなくである。
実に不運だが、だったら走って帰ればいいだけだ。普段着であれば、帯剣していても家までそう時間は掛からない。私は踏み込む脚にさらなる力を入れて、打ちつける雨の壁を穿つように走り続けた。
「……?」
……何かが聞こえた気がした。いや、確かに聞こえる。猫が喧嘩でもしているのだろうか?
なんとなく気になった私は、雨に濡れたまま鳴き声の元へ向かった。するとーー
「フォレストウルフの群れか。でもあれは狼の鳴き声じゃなかった。猫でも仕留めたのか……いや、あれはッ!?」
抜剣。直ちに突撃。敵の数は4。豪雨で鼻と耳が利かなくなっているのか、それとも飢えすぎて弱っていたのか。何かを咥える狼の背を両断するまで、他の三匹は反応できていなかった。
「ウゥゥゥゥ!!」
野生動物らしくすぐに威嚇を始めたが、今から威嚇するようでは負けを認めたようなものだ。私は狼が咥えていたものを胸に抱きながら、残る雑魚に鉄剣を叩き込んだ。
群れにあって、最初に獲物を食らう権利を持つのはリーダーだ。そのリーダーの背骨が両断された時点で、統率を失ったこいつらの死は確定していた。
捨て犬のように情けない悲鳴を上げた3匹に介錯をした私は、すぐに獲物の正体を確認した。
……間違いない。人間の赤ん坊だ。
噛み跡は見られるが、不思議と出血は無い。髪の毛が黒いのでよく見えないが、恐らく頭部からの出血も無いだろう。弱った狼が咥えた瞬間に出くわせたのと、この子自身の体重が極めて軽かったのが幸いしたのか。
が、そのお腹には噛み跡よりも深刻な傷跡があった。
「……そんな。これは烙印!?」
奴隷か、それに匹敵する重犯罪者にのみ刻まれる烙印。それが生後一年にも満たないだろう赤ん坊の腹に刻まれていた。
「くっ!」
このままにはしておけない。私は一目散に自宅へ走り、すぐに暖炉へ火を焚べると、まず赤ん坊の体を拭いた。あの豪雨にどれほど晒されていたのだろうか。小さな体は冷え、救出してからは殆ど泣いていない。このままでは凍死してしまうのではないか。
軽鎧を外すのが、これほど煩わしいと感じたのは初めてだ。私はすぐに肌着一枚になると、火の側で抱きながら赤ん坊を温め続けた。さらに予備の服を何枚も重ねて、赤ん坊を包んでいく。残念ながら鍛え抜かれた私の身体は、赤ん坊を包むには不適だった。
「すまないな、硬い体で」
その言葉が届いた訳では無いだろうが、赤ん坊は薄く開けた目を再び瞑ると、泣かぬまま寝息を立て始めた。脈は……ある。昏睡したのか、ただ眠っただけか、判断が付かない。だが、やれることはやったのだ。今は再び目を覚ますことを祈ろう。
私はもう一度その腹部を晒し、烙印の状態を確認した。稲妻のような細い字だ。焼かれた面積は広くないが、恐らく痕は一生残ってしまうだろう。
これは一切の魔力が無い奴隷に押す烙印だ。一般人なら刻まれることはまず有り得ないが、奴隷は肉体そのものが商品価値なので、焼き印や入れ墨で書かれることが通例となっている。
「……奴隷の子供か」
思わず自分の腹筋を擦った。私は城下町の浮浪児だった。幸いにも私には結構魔力が有ったので、当時まだ隊長ではなかった彼に運良く拾ってもらえたが、そうでない者は野良の冒険者や娼婦となって、使い捨てられるのが世の常だ。
恐らくこの子も、そういった使い捨てられる者の一人になるのだろう。生まれながらに烙印が押され、身寄りも無く、しかも女児だ。どのような末路を辿るかは想像に難くない。
教会に預けようにも、あそこは常にそういう者達で満員だ。働ける年齢ならまだしも、乳児を受け入れる余裕はないだろう。
「どうしたものか」
もう一度捨てるか?それが一番かもしれない。だがそんなことが出来る器用者なら、自宅に連れ帰ったりしない。
では私が育てるか?それこそ無理だ。私なんかが母親になれる訳が無い。第一、仕事はどうする。
そもそも私に、この乳児を助ける義理など無い。たまたま森で出会っただけだ。世の中には同じ境遇の赤ん坊など山ほどいて、見えない所で命を散らしているではないか。その山の中の一粒に出会ったからといって、私が苦心する必要などあるだろうか。
「……どうしよう」
分からない。もうどうしようもない気がする。途方に暮れた私は、夕飯も食わずに寝ることを選んだ。明日は非番だし、考えるのはそれからにしよう。
その晩、おねしょによって全ての服を汚され、夜泣きによって5度起こされた私は、更に自信を失うこととなった。
朝日を目にした時、生まれて初めて太陽に感謝した。これでようやく、町へ買い出しに行ける。当然の話だが、私の胸からは乳が出ないので、代わりとなるミルクを調達せねばならない。
腹が減ってグズる赤ん坊を背負って、早速城下町へと走った。その速さに驚いたのか、それとも意外と胆力があるのか、私が走っている間は泣かないでくれた。
ひとまず剣の点検だけ鍛冶屋に任せた私は、普段寄らない雑貨店や食品店を梯子し、赤ん坊に必要なものを少しずつ買った。裁縫は出来ないので、全て出来合いや既製品になってしまうが、やむを得ない。
赤ん坊にミルクを飲ませながら歩いていると、ふと教会が目に入った。シスター達が笑顔で挨拶をしながら、花に水をあげている。
一見穏やかで幸せそうに見える彼女達だが、その暮らしは楽ではない。彼女たちの生活は、国から支払われる必要最低限度の補助金と、民からのごく僅かな寄付金だけで支えられているからだ。
余裕が無いのは承知している。でも慈悲深い彼女達であれば、この赤ん坊を無視出来ないのではないか。例えば、今夜にも教会の前に赤ん坊を置いてみたら、どうだろう。
「あうー」
寝不足でボーっとしていた私を現実に引き戻したのは、赤ん坊の声だった。まさか、あの量をもう全部飲み終わったと言うのか。この小さな体で、よくぞ入りきったものである。汚れた口回りを指で拭ってやると、反射的にだろうが小さな両手で握られた。
……とても小さな手だ。私の指一つを握るのにも、手一杯じゃないか。
「あら、子守をされているのですね。貴方のお子様……いえ、妹さんでしょうか?」
今度はシスターに声を掛けられた。今日の私は疲れているのだろうか。民間人から二度も不意打ちを食らうとは、情けない。
「いえ、拾い子です」
「まあ……!それはいけませんね。騎士団に処置を任せてはいかがですか?」
それが出来れば苦労はない。騎士団の仲間は人情に厚いが、組織としては法の適用に厳格なので、法令に則った処理しかできないだろう。つまりは一種の拾得物と見做され、一定期間で持ち主が現れなければ処分される。
流石に即殺処分はしないだろうが、向かう末路は結局同じだ。そうでなくては、貧しい家に生まれた子供達は、皆こぞって森に捨てられかねない。
シスターの顔を見るに、それを承知で提案したのだろう。教会では預かれないと、明言したくないのだろうが……。
「……考えておきます」
「努々良く考えたほうがよろしいでしょう。あ、そうだわ」
「?」
「さっきミルクを飲まれてましたわね。背中をトントンして、ゲップさせてあげてください。……そう。お上手ですわ」
ミルクを飲むたびにやるのか……赤ん坊とは、本当に弱い生き物だ。
「ありがとうございました」
「いえいえ。すべては神のお導きのままに。どうか、お気を付けて……」
相変わらず私の指を弄りつづける赤ん坊を抱えながら、私は教会に背を向けて再び歩き出した。ますます途方に暮れる思いだが、既に一つの結論に達しつつある。
…………私が育てるしかない。
今更もう一度捨てることも出来ず、見て見ぬふりすら出来ないなら、もうそれしかない。
しかし課題は多い。子育ての知識や経験が無い点も深刻なのだが、一番の問題は仕事だ。家に置いておけない以上、赤ん坊と一緒に仕事するしかないだろうが、そんなことが可能だろうか?
こればかりは職場の上司に掛け合うしかあるまい。遂に私の指をしゃぶり始めた赤子と共に、何度かお呼ばれされたことのある隊長殿の自宅へと向かった。
胸に抱えた赤ん坊を見た隊長殿は、何故か青褪めながら卒倒した。そして私の子ではない事を明かすと露骨に安堵し、続けて私の子として育てると宣言すると、再び顔色を悪くしていた。
「育てるって……お前、それ本気で言ってるのか!?」
「ええ、本気です」
「仕事はどうする気だよ!?」
「一緒に通勤させてください」
「はああああ!?」
「見ての通り、この子は大人しい子です。隊長の大声でも、私が背負ったまま全力疾走しても怖がりません。通常任務であれば、連れ回すことは可能です」
「ば、バカを言うな!巡回や訓練はまだしも、戦時はどうする!まさか赤ん坊を鎧に括り付けて出撃する気じゃないだろうな!?」
「ミルクを与えて、兵舎で留守番させれば良いかと。できればその間だけ、待機者の誰かにーー」
「ふざけるな!!」
隊長殿がテーブルを思い切り殴った事で、その上に有ったグラスが倒れ、床へ落ちた。隊長の大声には驚かなかった乳児も、テーブルを殴る音は流石に怖かったのか、遂に泣き出してしまった。
「お前は騎士を何だと心得ている!!騎士に赤子のオムツ交換でもさせるつもりか!!そんなものを当てにして子育てをしようなどと、考えが甘過ぎるぞ!!」
全くもって正論だ。反論の余地も無い。
……隊長殿なら、もしかしたらと思ったが、やはり無理だったか。
「その通りですね。では騎士を辞めます」
「なっ!?」
覚悟はしていた。赤子を背負いながら働くなど、騎士には所詮無理な話。だが私には知恵も知識も無いので、腕っぷしを生かす以外に働き方を知らなかった。
出来れば避けたかったが、やはり赤子と共に冒険者ギルドの依頼でもこなしながら、その日暮らしをしていくしか無いだろう。
多くはないが、貯金も無くはない。なんとかなる……はずだ。
「今までお世話になりました。御恩は一生忘れません。では、失礼します」
さあ、今日中に冒険者登録を済ませなくては。城下町のギルドよりも、自宅に近い村の支部の方が良い。こことは反対方向の田舎になるが、いずれこの子が留守番できるようになった時、家から近いほうが安心だ。鍛冶屋に預けた剣も受け取らないといけない。
「待て、待ってくれ、サルヴィア!!」
後ろから隊長殿が制止する声が聞こえたが、私の決意は揺らがなかった。騎士団を頼れない以上、頼れるのはもう自分だけだ。しかしーー
「サルヴィアー!!」
ーー後ろからの叫び声に背中を押されながら、内心で首を傾げた。拾って間もない乳飲み子のために、安定した生活を捨てようとする気持ちは、どこから生まれ出てくるのだ。それは隊長殿の叫び声が聞こえなくなるまで考えても、答えは出なかった。
「……ああそうだ。長い付き合いになりそうだし、お前に名前を付けないとな」
「んう?」
またしゃぶってる……人間じゃなかったら、テティーヌと名付けるところだが、そうもいかないな。一応私の娘になるのだから。
……そうだ。隊長殿に倣って、花の名前でも付けてやろうか。入団した日に、彼が私を名付けてくれたように。
今度は私がこの子のために。
「よし、カルミア。お前は今日からサルヴィアの娘、カルミアだ」
花言葉は……大きな希望。そして、賑やかな家庭。
私が今日まで持てなかったものを、いつかこの子が手に入れられますように。
「くあー……」
「ははっ、疲れたか?ギルドと鍛冶屋に寄ったら、今日はもう帰ろうか」
上手く育てられるかは分からない。
でも今はこの不憫な赤子の為に、私の指を好きにしゃぶらせてやりたい。
そう感じている自分の本能に、従うことにした。
最下級のFランクから始まった冒険者生活は、当初想定していたよりも快適だった。騎士と違って時間に縛られず、やりたい仕事を自由に選び取れた。一人親が子育てする環境としては、意外と悪くないように感じられた。
だがそれも最初だけだった。子連れで任務をこなす以上、出来る任務が限られた。
薬草採集や、簡単な食肉調達程度であれば単独で受けられるが、そういった任務は報酬が少ない。新人冒険者の駄賃にはなるだろうが、子供一人育てながら食べていくには全然足りなかった。
かと言ってパーティー入りは子連れを理由に断られる。とあるベテラン冒険者の言葉は、いつまでも私の胸に刺さり続けた。
『じゃあお前、パーティーメンバーを助ける為に、その子供を置いていけるか?出来る訳無いよな。そんなやつには背中を預けられねえんだよ』
事実であり、現実であり、それを知り尽くすが故の厳しさが、私の無知と無謀を責め立てた。結局今の私に出来ることは、パーティー討伐を勧められている依頼を、単独でこなす苦難の道だけだった。
騎士団ではそれなりに強かった私だが、複数同時の相手となると話は変わる。本能のまま襲い来る魔獣や亜人達を相手取るのに、これまで通りのやり方は通じない。剣や弓だけでなく、罠や地形も利用しないと、話にならなかった。
過酷な日々だった。何度も死にかけたし、頬や額に消えない傷が出来た。危うく腕や脚を失いそうになったこともある。それでも背中に背負う赤子だけは護り続け、怪我をさせる事無く、子育てを続けた。
「お疲れさまでした、サルヴィアさん。こちら、依頼報酬となります」
「いつもありがとう」
「感謝するのはこちらの方です。最近は魔物も増えていて、冒険者の数が足りなくて。ソロで討伐依頼をこなせる人は、とても貴重なんですよ」
「そんなに増えているのか?」
確かに、討伐依頼が無くて困ったことは無いが。
「ええ。なんでも最近、聖女様の守護が弱まっているとの噂で……あっ!今のは内緒ですよ?こんなことを言ったと知られたら、文字通り首が飛んでしまいます」
「守護、ね」
……聖女アリサ。確かに彼女が奇跡に目覚めてから、国内の魔物の数と質は大幅に減少した。大した恩恵、素晴らしい奇跡ではあるが、所詮はここ数年の出来事じゃないか。
少なくとも昔の魔物を知る私からすれば、魔物は狂暴でいつ襲われてもおかしくないという認識に変わりはない。むしろ聖女の力に頼り切っている姿勢の方が、よほど異常に思える。
「実に大袈裟な話だな」
「大したことないと思えるのは、普段から魔物と戦える人だけですよ。普通はみんな、魔物が怖いんです」
「私だって魔物は怖いよ。戦わないで済むならそうしたい。でも……」
背中の赤子は、今日も静かに眠っている。戦いを背中から見守り続けるのは、それだけで気力と体力を使うことだろう。だが、まともなベッドの中で健やかに育てるには、やはり金が必要なのだ。
「あ……すみません私ったら、とても失礼なことを言いました」
「いいよ、本当のことだし。じゃあ、また明日」
「はい。また明日よろしくお願いいたします」
自宅へ戻っても、育児は続く。おむつを交換し、ミルクを飲ませて、忘れず背中をトントンする。少し経ってから入浴させて、カルミアが眠った後になって、ようやく自分の食事にありつけた。
「疲れた……」
そう呟く自分に驚き、失笑した。仕事をしている時間は、騎士団に居た頃の方が長かったはずだ。あの頃は疲れたなどと漏らすことは、唯の一度も無かったはずなのに。
育児というものは、こうも体力を使うものか。これを毎日こなしているのだとしたら、世の母親達は全員、騎士団長を目指すことが出来るだろう。
「私やカルミアを捨てた親も、疲れていたのかな」
今はこの子を捨てようだなんて、微塵も思わない。しかしこれ以上疲れたくないと思った時、私もこの乳児を……カルミアを捨てようとするのだろうか。
もうこの赤ん坊のために命を削りたくないと、そう考えてしまう時が来るのか。
かつて教会の前に置いていこうとした、私のように。
「うぅー……!」
「あれ、もう起きたのか?さっき寝たばかりだろう」
「うあーーん!!」
「おいおい、どうした。おむつか?ミルクか?それとも抱っこか?」
そんな下らないことを考えなくて済むくらい、ずっと忙しくあってほしいと思う。カルミアという名前を、この子の呪いにしないためにも。
それからはまた、お望み通りの忙しい日々が絶え間なく続いた。
子供の成長は早いもので、私がDランクに到達した頃には、よちよち歩きを始めていた。離乳食も始まり、自分の手で食べられるようになった。ゲップを手伝う必要も無くなり、夜泣きも大幅に減った。乳児の世話で必要だったことの大半は、これで乗り切ったと言っていいだろう。
だがこうなると、別の問題が生じてくる。
「でかくなったな、お前も」
私の背中から、手足が大きくはみ出していた。
この子を背中に背負うのも、そろそろサイズオーバーだ。重さは10kg程度でまだ軽いものだが、身長は既に馬上剣ほどもある。手足が邪魔になってきた上に、これだと重心が後ろに偏り過ぎて、戦闘中に事故が起こる可能性が高い。
「おっき?」
「ああ、おっきい。どうしたものか」
「おっきー!」
こらこら、巻き付くな。動けなくなるだろ。戦闘中だったら、今ので死んでいたぞ。
私はギルドの受付嬢に相談してみることにした。私が新人冒険者だった頃からの付き合いなので、すっかり戦友のような関係になっている。
「カルミアちゃんももう2歳ですからね」
「うん!にしゃい!」
「どうしたらいいと思う?流石にまだ自宅で留守番をさせるのは怖いんだ」
「そうですね……冒険者ギルドの事務室では、預かるスペースもありませんし……」
カルミアは好奇心が旺盛な時期で、立て掛けた剣にも平然と触ってしまう。一人で事務室を歩かせるのは不安が大きく、仕事の邪魔もしてしまいそうだ。
うーむ、打つ手なしか……。ちょっと本格的にまずいかもしれない。腕を組んで頭を悩ませる私達を真似て、カルミアも目を瞑って「んー」と唸るふりをしていた。腕の組み方がわからないのか、両腕でバッテンを作っている。
「おい、子連れの」
そのカルミアの肩が、野太い声に当てられてビクンと跳ねた。
「私か?」
こいつは確か、Aランク冒険者のハガーだったか。私に昔、子連れには背中を預けられないと言って凹ませてきた大男だ。カルミアがその時のことを覚えてるはずもないのだが、単に強面が恐ろしいのか、よちよちと私の後ろに隠れてしまった。
「子連れ騎士のサルヴィアと言えば、お前くらいしかいねえだろ」
「もう騎士ではないんだが」
「そんなこたどうでもいい。もしお前がパーティーの前衛に加わるってんなら、俺んとこの前衛と交代で、子守りさせてやってもいいぜ。場所は冒険者酒場になるし、子守り代と酒代も貰うがな」
「どういう風の吹き回しだ?」
「知ってるだろうが、最近魔物の数が多過ぎて討伐依頼ばっかり増えてやがる。片っ端から片付けてるが、通常編隊のパーティーじゃ体力が続かねぇ。そこで各パーティーを合併させて、交代で休める体制を作ろうと思っててな」
確かに私が冒険者を始めた辺りから、聖女の守護が弱まっているという噂は聞いていた。最近はそれが事実じゃないかと思えるくらいには、魔物の数が増えていた。正確には、守護が無かった時期に戻ってきていると言うべきか。
しかし、意外だな。この厳つい大男は、見た目通り雑にパーティー運用してるのかと思ったが、休息を重視する考えがあるらしい。伊達にAランクではないということか。あるいは誰かの入れ知恵か。
「だが私はDランクだぞ?そっちとは釣り合わないんじゃないのか」
「ソロで赤子を護りながら戦えるなら、実力は十分だろ」
なるほど、実力重視という訳だ。
「それで、どうすんだ?」
「二つ条件がある」
「言ってみろ」
「一つ目。酒代と子守代は、私の取り分から天引きしてくれていい。が、最終的な取り分が銀貨10枚を下回る依頼は手伝わない。当然、お仲間が飲み過ぎた時は補填を頼む」
「安心しろ、お前の取り分が銀貨30枚を下回ることはねーよ」
……当たり前のように、Bランク以上の高難易度に連れ回す気か。上等だ。
「で、もう一つは?」
「酒に酔い潰れて子守を忘れる馬鹿はお断りだ」
「がははははっ!そんな馬鹿は、俺が殴り殺すと約束してやる。じゃ、交渉成立だな?」
「いいだろう」
ハガーは豪快に笑うと、私の手を強引に握り、下手くそな握手を交わした。まともに握手したのは、隊長殿に騎士団入りを許可してもらって以来かもしれない。
そういえば隊長殿は、元気にしてるだろうか。今でも私のことを許していないだろうが、息災であってほしいものだ。
「明日の朝はここで待機してろ。サラマンダーの討伐に連れて行く」
「ああ」
ハガーは私の返事を待たず、仲間を連れて次の依頼へ向かった。いつもながら忙しい男だ。私も大概だが、あの男も休んでる所は見たことがない。
「カルミア、明日からは酒場でおじさん達と留守番だ。できるか?」
「あい!」
ぴしっと体を伸ばし、手を挙げて返事をするカルミアは、まるで私が騎士だった頃の生き写しに見えた。血が繋がってる訳でも無いのに、内面が似ることなんて有るのだろうか。
「まんま」
「なんだ、もうお腹が空いたのか?」
「まーまっ」
「………ああ、うん。おいで」
「あいっ」
出会った頃と同じ硬い筋肉に覆われ、向う疵のある強面なのに、この子は私に抱っこされたがる。こんな下手くそな抱っこより、受付嬢さんの方がずっと温かく、柔らかで心地良いだろうに。
しかし、目の前の娘は、私をママと慕う。柔らかな胸の中ではなく、硬い筋肉や鎧ごしの背中を好んで乗りたがるのだ。
私と同じで、普通の母親を知らないから。
「にへへー……まぁまー」
……私にはまだ、母親をやれているという実感が無い。最初から母親がいなかった私には、一般的な母親像なんて分からない。だから普通の母親になれる日なんて、きっと永遠に来ないだろう。
ならばせめて、女としても母親としても不出来な私に出来る精一杯を、毎日この子に与えてやりたい。
戦うことしか出来ない私に、明日があるとは限らないのだから。
聖女と第一王子の間に第一子が生まれたとの号外が村へ届いたのは、カルミアが3歳の誕生日を迎えた日だった。
その頃にはもう、聖女の守護と呼べるものは殆ど無くなっていた。魔物はかつての凶暴さを取り戻し、国も開拓した土地を手放し始めている。
教会によれば、子供へ力が継承されたからだと神が告げているらしいが、真偽の程は分からない。そもそも子供が生まれる前から力が弱まっていたのだから、苦しい言い訳のようにも聞こえる。だが、それでも聖女の後継者と成りうる第一子が、王家から生まれたことは最大の吉報だった。
しかしそんな吉報ですらも、毎日討伐任務をこなすだけの私には関係なかった。魔物が増えたなら狩るまでだ。狩れば狩るだけ実入りは増えるのだから、それでいい。
「おかえりー、ママー!」
「ああ、ただいま。カルミア」
「だっこ!」
「はいはい。いい子してたか?」
「うん!おじさん、またね!」
「おー、またなー!ヒックっ」
命懸けの仕事をこなした後で、酒場の酔っぱらいから娘を受け取り、娘から酔った馬鹿たちの馬鹿話を聞きながら、家路を歩く。
そしてまた、次の朝にむさい男達へ娘を預け、その日もたった一つしかない命を削る。そんな過酷だが充実した日々が、しばらくは続いた。
このままカルミアが大人になるまで、ただ日々が過ぎればいいと思った。戦うことを知らぬまま、大人になったらパン屋にでも勤めて、平凡な日々を過ごしてくれれば、それだけで。
イヤイヤ期には大変手こずった。
おねしょで愚図るカルミアを慰めた。
読み書きと計算が出来たことを褒めてあげた。
思春期を迎え、反抗する娘と何度も喧嘩した。
そしてカルミアが15歳になった日に、私が本当の母親じゃないことを明かした。本当の母親に会いたいなら、一緒に探しても良いと告げた。
それでもこの子は、私のことを「ママ」と呼んでくれた。
「私のママは、ママだけだよ」
その言葉に、不思議と胸がうずいた。
他愛の無い、命を削る日々が、また流れた。
「おかえり、ママ。Bランク昇格おめでとう」
気付けばカルミアは、私と肩を並べるほど大きくなっていた。もちろん留守番も一人で出来るようになり、家の事を一通り任せられるようになった。
「ありがとう。しかし結果を聞かずに祝うつもりか?」
「だってママなら余裕でしょ。Aランクのハガーさんと同じくらい強いんだし」
「確かに合格だったけどな」
なおその禿頭は本日、Sランク昇格に失敗してやけ酒を煽っている。明日は彼にとって、人生初の臨時休業となることだろう。
「それよりカルミアも、16歳の誕生日おめでとう。もうお前も、大人の仲間入りだな」
「ありがとう!」
カルミアの正確な誕生日は分からない。だから勝手に、私がこの子を拾った日にした。別に深い意味はない。あの日のことを忘れたくなかったから、そうしただけだった。カルミアにそれを打ち明けた時も、笑顔で受け入れてくれた。
この子もそろそろ仕事を始めても良い頃だ。この子は優しい子だから、きっと野蛮な仕事は選ばないでくれるはずだ。
そんな私の希望はーー
「ねえ、ママ。私、お城の騎士になりたい」
ーーカルミア自身の手で、打ち砕かれてしまった。
「……駄目だ。自分が何を言っているのか、分かっているのか」
「分かってる。今の私じゃ、簡単じゃないことも。でも私、ママみたいになりたいの。騎士が駄目なら、冒険者でもいい。自分の力を、自分以外の誰かのために使える人になりたい」
「いいや、やはりお前は何も分かっていない。騎士も冒険者も、立派な仕事なんかじゃない。依頼主が違うだけで、どちらも報酬のために自分の命を投げ売って、剣を振るうだけの仕事だ。人の命を奪うことだってある。私のようになりたいだなんて、そんな理由じゃ認められない」
「何でそんな事言うの……!?ママは立派だよ!お仕事だって、私が自分で選んだんだよ!一所懸命、いっぱい考えたの!どうして全部否定するの!?」
「お前に何が分かるッ!!」
初めて、カルミアのことを怒鳴りつけてしまった。何がそこまで腹が立ったのか、自分でも分からなかった。
でも、もう止まらなかった。
「私がどうして騎士を辞め、冒険者になったと思う!?お前を育てるためだけが理由じゃない!お前には、私のように命を安売りするような人生を、送らせたくなかったからだッ!!お前に人並みの幸せを掴み取ってほしかったからだ!!それが私の希望だった!!それなのに……それなのに、どうして自らそれを捨てようとするんだ!?私に育てられたはずの、お前自身が、どうしてッ!!」
「ママ……!?」
「どんな思いで、赤ん坊だったお前に、カルミアと名付けたか……!お前には平穏に生きてほしいんだ!!それがそんなに難しいことなのか!?」
「あ……わ、私っ……でも……!」
……言い切ってしまってから、私は後悔の念に押し潰されそうになった。
初めて怒鳴ってしまった。
初めてこの子に、悲しい涙を流させてしまった。
私自身の手によって。
やはり私では、この子に平穏な未来を与えてやることは、無理だったのか。
「………もう一度、考え直せ。まだ時間はある」
「待って!どこへ行くの!?」
「ちょっと外で頭を冷やしてくるだけだ。すぐ戻る」
「ママ!」
私の全力疾走に、訓練していないあの子では追い付けない。脳裏の片隅に、誕生日プレゼントを渡しそびれた事への後悔が燻っていた。
家から少し離れた小川。ここはあの子が捨てられた場所から、程近い位置にある。任務で汚れてしまった時は、よくここで服と体を洗っていた。あの子がまだ小さかった頃は、一緒に水浴びなんかもしたっけな。
川の冷たい水で顔を洗う。まだ寒い時期なので、心地よさよりも刺すような痛みが勝った。自分に罰を与えたい気分だったし、その方が良かった。
「私のような騎士になりたい……か」
私は立派な騎士なんかじゃなかった。女という自覚に乏しく、たまたま人より力が強かったから、なんとなく騎士の仕事を選んだだけ。その後もただ与えられた任務と訓練に明け暮れ、日銭を稼げればそれで良かった。他の仲間と違って信念も志も無かったし、辞める時だって葛藤は無かった。
騎士になりたいと門戸を叩いたあの日、隊長殿に拾われていなければ、私は冒険者どころか野盗に堕ちて、今頃白骨を晒していたことだろう。
でも、きっとあの子は違う。今は力が弱くても、人の役に立ちたいと願うあの子なら、理想の騎士を目指せるだろう。私なんかと違って途中で投げ出さず、ちゃんと一人前になってくれるはずだ。
「……まったく、誰に似たのやら」
帰ろう。そしてあの子に謝って、好きに生きろと告げようじゃないか。あの子にはあの子の人生がある。私の希望を押し付けて、生き方を強要していい筈がない。
その時、カサリと落ち葉を踏む音がした。かなり近い。獣でもない。単独行動中の私がここまで接近を許すとは、一体何者だ。
私はいつでも抜剣できるよう、体中の筋肉と神経を鋭く尖らせた。その敵意を感じ取ったのか、接近する何者かもまた、足を止めた。
「見つけたぞ。こんな所にいたのか」
くたびれた男だが、この辺りではあまり見掛けない。背中に背負った両手剣が、異様な存在感を放っていた。旅の冒険者……いや騎士か?
「……そんな、まさか、隊長殿ですか?」
「久しぶりだな」
返事には覇気が無く、かつての面影が感じられない。
「どうして、ここに……?」
「あの日からずっと探していた。でもお前ときたら、家の場所も教えてくれなかったし、手掛かりがなくて……髪色の違う母娘の話を虱潰しに聞いて回って、なんとかここへ辿り着いたんだ」
隊長殿の顔は疲れ切っていた。私がいなくなってからの16年間、どれほどの激務に追われていたのだろうか。
「あの日のことを、一度ちゃんと謝りたかった」
「そんな……私こそ逃げるように辞めてしまい、すみませんでした。隊長殿のおかげで騎士になれましたのに」
「そう思うなら、今からでも騎士団に戻って来いよ。腕の方は錆びてないみたいだしな」
思いもしない温かな言葉だった。私もずいぶん歳を重ねたが、まだまだ現役で動ける。危険な冒険者業を延々と続けているよりは、練度の高い仲間と戦える騎士の方が、幾分か待遇はマシだろう。
「そうだ、あの赤ん坊も大きくなったんだよな。折角だし、俺にも会わせてくれ」
「わかりました」
今から騎士に戻るのも悪くなさそうだ。不本意な仮定になるが、いざとなればカルミアの先輩として指導も出来るだろう。
……が、何かが引っ掛かった。
「どうした?」
「隊長殿。何か隠していませんか?」
「………」
黙ったままの隊長殿に不気味なものを感じる。だがそのおかげで、違和感の正体が少し見えてきた。
ここへ来た時期がおかしいんだ。
「隊長殿であれば、私が冒険者になっている事くらいは想像が付いたはず。私は戦う事しか知りませんから。であれば虱潰しに探すまでもなく、もっと効率よく探せたはずではありませんか」
これくらいの事は、隊長殿ならすぐに気付いたはずだ。騎士団の隊長なら、城下町のギルド本部に問い合わせれば、私の所在確認なんてすぐに終わる。彼女が16歳になるまで、一度も問い合わせなかったなんて、考えられない。この人の性格を考えたら、会いたいと思った時にすぐ会いに来てても、おかしくないのに。
……不自然だ。この人らしくない。
「まさか貴方が探していたのは、私ではなく」
私が言い切るのが早いか、隊長殿が動いた。私は長年使って擦り切れた幅広剣を、油断無く抜き放つ。
受ければ死が確定する大剣の一撃を、私は半身だけ動かして躱した。そして返す切っ先で隊長殿の胸めがけて刺突を繰り出す。これも切っ先をずらされたが、硬質な手応えが手に返ってきた。やはり服の下に、鎖を仕込んでいる。初めから反撃を想定していた装備だ。
振り下ろした両手剣が下段から跳ね上がったのを目の端で捉えた私は、その刃を剣の腹で受け止めつつ、後方めがけて飛んだ。勢いで飛ばされるだろうが、その分だけ距離を空けることは出来る。
……はずだった。
「ぐふっ!?」
まさか、遥か遠くの木にぶち当たるまで吹き飛ばされるとは。なんと凄まじい膂力だ。もう結構な年齢のはずなのに、16年前より明らかに強くなっている。
追撃が飛んでこないことに訝しみつつ、私は剣を構え直した。よく見ると、刀身にわずかなヒビが入っていた。手入れを怠ったからではない。単純に、隊長殿の一撃が重過ぎるのだ。
「聖女アリサが白状した」
「白状?」
「長男がいつまで経っても守護の力を発現しない点について、不審に感じた王家が聞き取りを行ったのだ。その結果、第一王子との間に子を産む前に、一人の女児を出産していたことが発覚した。誰かも分からない男の子供をな」
それはそれは、王家らしい優雅な聞き取りだったことだろう。自白の内容も、実にあの聖女様らしい所業じゃないか。別に驚きは無い。
「それがどうかしたのですか」
「あろうことかあの女は、生まれた子を捨てたらしい。奴隷の子供に偽装した上でな」
偽装……偽装だって?
「第一王子が不在の時期に、便所で出産したらしい。殺す度胸は無かったのか、数ヶ月ほどは買収した騎士の家に匿っていたようだが、結局は発覚を恐れて森に捨てたようだ。万が一にも聖女の子供だと疑われないために、腹に奴隷の烙印を押してからな」
あの日の帰り道が脳裏に蘇る。そんな身勝手な理由で、あの子を捨てたというのか。排泄物同然に産み落としただけに飽き足らず、あの冷たい雨の中、狼に食われて死ぬ最期を迎えさせようとしたのか。
あの女への憎悪で、胸の中が焦げ付きそうだ。
「心当たりがありそうだな。顔に出てるぞ」
心臓がうるさい。少し黙ってろ。
「……何のことだか」
「捨てた時期は、ちょうどお前が赤ん坊を連れてきた日と、概ね一致している」
「偶然でしょう。赤ん坊が捨てられるなんて、スラムじゃ珍しい話でもありません。私だってそうでした」
「この国じゃ珍しい黒髪だそうだ。お前の赤ん坊も、綺麗な黒髪だったな」
「………」
疑われているどころではない。この人は確信を持って、ここへやってきたのだ。
「あの赤子と同じで、黒い瞳を持っている。嘘か誠か、母親寄りの顔立ちをしているらしい。16歳なら、俺が見ればすぐに分かるだろう」
剣を持つ手に力が入りすぎて、震え始めた。
「あの娘を返してもらうぞ。守護の力は、我々のものだ」
「渡すものかッ!!」
我慢の限界は、ここまでだった。私は瞬発力を限界まで高めた脚で隊長殿へ詰め寄り、剣を振り下ろした。必殺の一撃は、怒りに任せたせいで精度が足りなかったのか、あっさりと受け止められてしまった。
「さっきから聞いていれば、勝手な事ばかり!!あの子は望まれずに産まれたばかりか、産まれた後の自由まで奪われると言うのか!!あの子は身勝手な母親の手で、ゴミのように捨てられたんだぞ!!それを言うに事欠いて、返せだと!?虫の良い話だと思わないのか!!」
「思わんな」
渾身の力と速度で連撃を見舞うが、その尽くが弾かれてしまう。両手剣とは思えない機敏さだ。訓練をしていた頃は互角だったはずだが、今は隊長殿の方が技術的に上のように感じられた。
実に精確な剣術だ。対人戦に特化しており、私の身体へ吸い込まれるように剣が伸びてくる。正規訓練を積んだ剣術と、冒険者流に染まった我流とでは、やはり差が生まれてしまうのか。
「聖女は、いや聖女の守護は、今や我が国の所有物だ。今日まで育ててくれた事には感謝するが、お前の所有物とは認められない」
「本気でそう考えているのか……!?あの子は誰の所有物でもない!あの子の人生はあの子のものだ!」
「違うな。あれは生まれる前から国の物、国が管理すべき宝だったのだ。それを在野の手から取り戻そうとして何が悪い」
「それが王国騎士の言う事か!?あの子は騎士になりたいと言っていた!人の役に立ちたいのだと!そんな彼女に、貴方はなんと説明するつもりだ!?」
「説明の必要はない。大事な聖女様が、騎士になれるわけがないだろう。王子か王女を産む前に死なれたら困るからな」
「まさか、それが目的なのか……!?守護の力を継いだ王族さえ産めば、後は用済みだと!?」
「当然だ。聖女に第一王子を与えた理由が、他にあるとでも?」
ああ、カルミア。お前は騎士になりたいと言っていたが、これが国の実態だ。こんな国に仕えるのが騎士なのだ。やはり優しいお前に、騎士は似合わないよ。
失望と怒りで燃え上がる私に差し伸べられた手に、かつての優しさは無かった。
「今だったら、すべて聞かなかったことにしてやる。娘と共に、騎士団へ戻ってこい。特別にお前を、娘の専属護衛として雇ってやる。出産の時にお前が傍にいた方が、あの子も心強いだろう」
「断るッ!!女を道具としか見ていない国のために、働くつもりなど無いッ!!」
いよいよ駄目になってきた剣を握り締め、全身に魔力を漲らせた。おそらく、次が最後の攻撃になるだろう。
「私はあの子の母親だ!!あの子がそう言ってくれたんだ!!あの子の幸せを邪魔することは、私が絶対に許さない!!例え相手が騎士団であろうと、国であろうともだ!!」
未練の何もかもを遠い過去にして、捨て身の姿勢で地を蹴った。
一気に距離を詰めた私は、剣を振り下ろす直前に、我流の火炎魔法を男の顔面で炸裂させた。威力も射程も伴わず、むしろ私の手を焼いてしまうお粗末な破壊魔法だ。実用性に乏しく、入団で披露して以降はまともに使ったことが無い。
しかし目眩ましにはなる。
虚を突かれて怯んだ男の肩口へ、全力の一撃を見舞った。
「ママ!!」
追いかけてきたらしいカルミアの声と、振り切った剣が砕け散ったのは、ほぼ同時だった。私の剣は隊長の肩口に当たった瞬間に壊れ、鎖を僅かに削るだけで、その役目を終えてしまった。
ならばと剣を捨てて、焼けた拳を構えようとしたが、それよりも隊長の拳が私の顔を捉える方が早かった。
「誰かに襲われているの!?」
「来るな、カルミア!!構わず逃げろ!!こいつの狙いはお前だ!!」
「ダメだよ!!ママを置いていけない!!」
「そうか、あれが次代の聖女か。母親に似ず、美しく育ったものだ」
「戯れ言を……!」
両手剣の切っ先が、私の喉に触れた。
「見事な腕前だったぞ、サルヴィア。同じ剣を使っていたら、俺の方が負けていただろう」
「くそっ……!」
「………じゃあな」
隊長の剣が、ゆっくりと持ち上げられた。その顔は苦々しく歪み、辛そうにしていたがーー
「ごめん、カルミア。たぶん……誰よりもお前を愛していた」
ーー振り下ろされた剣には、私の体を両断できるだけの力が込められていた。
「やめてぇぇ!!」
その瞬間、駆け寄ってきたカルミアの身体が光った。余りの眩さで私と隊長の目がくらみ、開けていられなくなる。
「これは!?」
「ぐうぅぅ……!?」
光が収まった頃には、隊長が剣を地面に突き刺したまま、蹲っていた。いや、蹲っているというより……身動きが取れなくなっている?
これはまさか、着込んだ鎖の重さに耐えられていないのか?
「ママ、立てる!?」
「敵の無力化……まさか、聖女の守護?魔物以外にも作用するなんて……カルミア、お前は本当に次代の聖女だったのだな」
そうか、だからあの日の狼も弱っていたのか。赤子だったお前が、無意識に守護を働かせたから。
「そんなのどうでもいい!早くここから逃げよう!!」
「は……はははっ!あっははははは!!」
隊長の笑い声は、乾ききっていた。
「あー……聖女の力がどうでもいい、か。あのクソ女に聞かせてやりたかったぜ」
「……隊長?」
「いい子に育てたじゃないか。きっとお前に似たんだな。良かったよ、ほんと母親に似なくてさ」
ひとしきり笑い終えた隊長は、体を仰向けに倒し、剣を手放した。
「その剣は餞別にくれてやる。今すぐ逃げろ。三日後に大隊規模の騎士団が、お嬢ちゃんを迎えにここへやってくる。そうなったら終わりだ。あのクソ女から無理やり力の使い方を学ばされるか、強制的に王族の子を産まされるか……ま、どっちも地獄だな」
「え……ママ、この人は一体、誰なの?」
「……私の元上司だ。お前が成りたがっていた、お城の騎士様だよ」
「!?」
「お嬢ちゃん。君は騎士にはなれない。なりたくても、国がそれを許さない」
「そんな……」
「騎士なんかより、もっと人の役に立つ生き方はある。焦らず、よく考えな」
「は、はい」
その返事はどこか間が抜けていた。私を襲っていた男から優しく諭され、どんな顔をしたら良いか分からないようだ。
「ここへ来た本当の理由は、大隊が動く前に私たちを逃がすためですか」
「ああ。だが俺達から逃げ切れるか心配だったんでな。実力を見るために煽っちまった。悪かったな」
「全くです。お人が悪いですよ」
「はははっ!まぁ、無事に聖女として目覚めたっぽいお嬢ちゃんと、俺より強いお前が一緒なら、どこへ行っても楽勝だろう。行くなら今夜中が良いぞ。ちょうど月も出ていないし、後始末は俺がしといてやるから」
隊長殿の顔は、すっかり昔の優しい風貌に戻っていた。そうだ、私が騎士団に入りたいと志願した時も、この人はこんな風に笑ってくれたっけな。これでこそ、私がよく知る隊長殿だ。
「ご厚意に甘えます。ですがお別れの前に、教えて頂きたいことがあります」
「なんだ?体がだるいから、手短にな」
「隊長殿は、本当はもっと前から私達を見守っていたのではありませんか?」
「どうしてそう思う」
「あの禿頭が、Dランクだった私をパーティーに誘った理由が、ほかに考えられませんので」
ハガーは悪人ではないが、お人好しでもない。実力主義かつ現実主義者でもある彼が、戦ってる姿も見ずに私の採用を推し進めた理由が、いまいちよく分からなかった。だがもし、隊長殿が絡んでいるとしたら。
「先ほどと同じやり方で、あの男に実力を分からせたのではありませんか。」
「……なんだ、バレバレか。まあ、それしかしてやれなかったがな。女々しいと笑うか?」
「いえ、助かりました。しかし、どうしてそこまでしてくださったのですか?」
「……後悔したからだよ」
カルミアの敵意と、守護の力は比例するのだろうか。体がだるいと言いつつも、隊長殿の顔色は先ほどよりも良くなってきている。
「お前のことが、羨ましかった」
彼は何を思い出しているのか、手を天に伸ばした。いくら伸ばしても、星に手が届くはずもないというのに。
「お前みたいになりたかった。身分や立場ではなく、実力だけで人に認められるような人間に。大人になるにつれて美しくなり、それでも女であることを武器にしないところも……好きだった」
私は黙って、隊長殿の話に耳を傾けた。多分これが、隊長殿と話せる最後の時間になるだろう。旅立つ前に、彼が話す全てのことを、記憶しておきたかった。
「俺が本当に後悔していたのは、お前を突き放したことじゃない。赤子を抱いて騎士団を去っていくお前に、俺も騎士団を辞めると言えなかった、自分の不甲斐なさにだ。俺は……騎士になるのが、ずっと夢だったんだ。好きな女のために夢を捨てることが、俺には出来なかった……!」
流す涙を拭う資格は、今の私には無い。
「後悔なんて、しなくていいんです。貴方の夢のお陰で、私は今日まで生きてこれたのですから。隊長殿の御恩は、一生忘れません」
「……サルヴィア。お前の名前に込めた俺の願いが、なにか分かるか」
「花言葉は、情熱、知恵でしたか。すみません、どちらも伴わなくて」
「違うよ。サルヴィアの花言葉はーー」
ーー平和な家庭。そして、家族愛。
「孤児だったお前が、いつか幸せな家庭と家族を持てますように。それが俺の願いだった」
「……それでしたら、無事に叶いました。隊長殿のお陰ですね」
「まだ半分だろ。良い男見つけて、さっさと結婚しろ」
「善処します」
「そうしろ。……達者でな」
「はい」
再び差し伸べられた手には、今度こそあの日と同じ優しさと、温もりがあった。
その夜、私とカルミアは最低限の荷物を背負って、村を出た。ギルドの受付嬢さんにだけ、世話になった人達へ礼を伝えて欲しいとお願いし、再会の約束をした。
私なんかのために、涙を浮かべて悲しんでくれた彼女を見て思う。私にとって、年の近い友人と呼べる人間は、実は彼女だけだったんじゃないかと。その彼女とも、当分会うことは出来なくなった。
結局、私は再び多くを失ったまま、再出発することになった。違うのは、胸の中に抱いていた赤ん坊が、こうして一人で歩けるまでに大きくなっていたこと。そして私自身、若さを失いつつあるということだけ。
「確かに、まだ半分だね」
「何がだ?」
「願い事が叶った数だよ」
その元赤ん坊が、ニコニコと笑みを浮かべながら、私へ向き直った。
「ママ。私、騎士はもう目指さないよ。隊長さんが反対してちゃ、目指したくてもなれないもんね」
「それがいい。わざわざ危険な仕事を選ぶまでもない」
「だから決めたよ、ママ。私、冒険者になる!」
……この娘は、私と隊長殿の話を、ちゃんと聞いていたのか?
「カルミア、だから冒険者も結局は同じーー」
「ううん、聞いて。私、ママの背中をずっと追いかけようとしてた。ママと同じ生き方をなぞれば、いつかママみたいになれるかもって。でも……きっと違うんだね」
笑顔の中に、寂しさのようなものを滲ませているのを、私はどう受け取れば良いのだろう。
「だってママは、誰かの背中を追いかけてきた訳じゃないんだから」
その顔は家で見た時よりも、少しだけ大人びて見えた。
「だから私、自分がやりたい仕事が見つかるまで、自由に旅をしてみたいの。旅をしながら、人助けの依頼をして回りたいんだ。貧しいその日暮らしになるだろうけど……そんな冒険をする日々を、送ってみたい」
「冒険をする自由な日々……か」
ある意味で、それでこそ本当の冒険者と言えるのかもしれない。聖女として毎日お祈りしているよりは、この子に向いていそうだ。
「まあ、騎士よりはマシだな」
「でも私はまだ非力だし、戦ったことだって一度も無い。これから頑張って鍛えないとね」
「おまけに実績も無いんじゃ、ギルド登録しても単独任務すら受注させてもらえないだろうな。それまではどうするつもりだ?」
「それなんだけどさ……」
私と、パーティーを組んでくれない?
「カルミアと私が、一緒のパーティーを……?」
「うん!ママが一緒なら、きっと世界中を旅できると思う!私の冒険の旅を手伝ってよ!」
「……私で、いいのか?」
「ママが良いの!だって私のママは、世界で一番強くて優しいんだから!」
なんだろう、この気持ちは。
この子が初めて指を舐めた時のような。
この子が、初めて立った時みたいな。
「え、ママ……?」
この子に初めて、ママと呼んでもらえた時のような、胸の疼きは一体なんだ。
「……ママ、泣いてるの?」
涙……?ああ、そうか。
ようやく分かった。
これが、愛おしいという気持ちなのだ。
私は今まで、自分の命を削ってきたつもりだった。
でも違ったんだ。
私は、ただ命を削ってきたんじゃない。
「嬉しいよ、カルミア……!」
きっとこの日のために、磨き続けていたんだ。
これこそが、我が子を愛する、母の気持ち。
私の中にある、母性なのだ。
「でも、本当に良いのか?私はもうとっくに三十路を迎えているぞ。まだしばらく現役でいるつもりだが、正直ロートルも良いところだ」
「……え、三十路?そういえばお母さんって何歳なの?ずっと教えてくれなかったけど」
「なんとなく気恥ずかしくてな。言いたくないんだ」
「いいから教えてよ。私はつい昨日16歳になりましたが、サルヴィアさんは何歳でございますか?40歳くらい?」
まあ、もう誰かに打ち明けて恥ずかしい年齢でもないか。
「31だ」
「ほらー31歳なんてまだまだーって、若ーっ!?え、そんな若いの!?待って、じゃあ15歳から私を育ててくれてたってこと!?しかも一人で!?」
「そうなるな。あの頃はまだ若かった。後先を考えずに、お前を育てようとがむしゃらに奔走したもんだ。大きくなったお前を背負って戦えなくなった時は、本当にどうしようかと……」
……?どうした、頭でも痛いのか?
「じゅ……」
「じゅ?」
「十年早い!!」
「何がだ?」
「人生を語る事がだよ!どんだけ老成してるの!?私の将来を気にするより、ママこそ一花咲かせなきゃだよ!早く良い人を見つけないと!」
「一花って……そろそろ育児も終わることだし、楽隠居したいんだが」
「何を言ってるの、ママ!」
弾ける笑顔は、幸せなようにしか見えなくて。
「賑やかな家族を作ってほしいんでしょ!だったらママも一緒に頑張らないと!」
ニヤける自分の顔を、抑えることなんて出来なかった。